September 14, 2006
FD/MM/FM July 2006
彼は幻想の世界に住んでいた。そこでは彼以外は皆気が狂っていた。彼ひとりは自由であったけれどもそこは気違いの世界であった。
彼ひとり正気であったけれども、そこは気違いの世界であった。彼はその世界の人々に喜びと楽しみを与えたが彼等は彼に苦しみを与えただけだった。
彼ひとり賢かったけれども、そこは気違いの世界であった。彼等は悲しみの世界に住んでいたが、その悲しみはみせかけの道楽にすぎなかった。
幸福であることが狂っていると思われる世界では、それはみせかけの知恵にすぎない。正気が悲痛と思われる世界では賢いことは愚かなことだ。
もし狂気のせいで楽しくなるならば、私に狂気の世界をくれ。私は賢くて悲しいよりは、気が狂っていて幸せでありたい。
もし愚かでいることが喜びならば、賢くなることは全くつまらない。もし正気でいることが悲しいことなら、それは私の頭をひっくりかえしてしまう。
もし知恵がむだなものならば、喜びと共に苦しみをくれ。この方が悲しくて正気でいるより、ずっといいから。
雨が降れば歌をうたうように、歌をうたうことで楽しくなるなら、そして知恵が悲しみをもたらすだけなら、私は正気でいるより気違いでいたい。
人は言う、我々の善は悪で、歌をうたってもむなしいと。しかし私は言おう、彼等の知恵は狂気であると。私は不平を言うよりはむしろうたっていたい。
人は言う、我々の善は狂気であり、我々はこの世の利益を追求せねばならないと。しかし私は言おう、彼らの正気は悲しみで、そのことで多数の人々が苦しむのだと。
私に狂気の世界を与えよ。私に雨の中で歌う歌を与えよ。彼等は正気で、悲しくともやってゆけるが、私はむしろ気違いでいても楽しくしていたい。
狂っているのは《彼等の》世界。正気でないのが《彼等の》世界。私はむしろ正気・悲しみ・苦痛よりも喜び、楽しみを持ちたいものだ。
狂っていたのは《彼等の》世界。《彼等は》そんなにおかしい奴だった。というのは《彼の》希望・愛・喜び・楽しみは、苦痛や悲しみよりはずっとよかったから。
だから狂気が喜びなら、正気が苦痛、悲しみならば私の喜びは狂気に、私をもう一度気違いにせよ。
ダビデの言葉はなんと狂っていることか。ダビデは気が狂ったと人は言うだろう。しかし私は正気と暗やみに行き暮れるより、気が狂っていて救われたい。
だから私に彼の喜び・楽しみをくれ。私は正気でいるより楽しくしていたい。私は言おう、苦痛と悲しみを持ちたいと思うのは、気の狂った《彼等》なのだと。
《彼等は》狂気に《満ちた》世界に住んでいる。本当に正気だったのは彼なのだ。というのはドンキホーテは彼等の苦痛や、悲しみにかかわらず楽しさを持っていたから。
暴力と狂気に満ちたこの世界。野蛮で狂気のこの世界。あなたは《私の》喜びを望むかそれとも《彼等の》悲しみを望むか。あなたは《私の》至福を望むかそれとも《彼らの》苦痛を望むか。
もし私が夢みてるのならずっと夢を見させよ。私の夢の中でただよわせてくれ。どなっているよりは夢みていたい。叫ぶよりは夢みていたい。
さあ喜んでダンスをしよう。雨の中でダンスをしよう。悲しむよりは気が狂っている方がいい。頭がおかしくとも楽しい方がいい。
私は生意気で賢い正気のスペイン王よりは、あのドンキホーテでありたい。というのは、キホーテは少しもうろくしているが、彼は幸せだったということは明白だから。
彼は自分の頭の中では牧場に住んでいて、自分を立派な騎士と思っていた。彼には忠実な家来サンチョがいて、世間の苦しみから救われていた。
だから私に狂気に満ちた世界をくれ。私にそんなに狂った彼の世界をくれ。私はむしろ悲しいよりは気が狂っていたい。私はむしろ正気でいるよりは喜んでいたい。
人は言う、この狂気には終りがないと。私は言おう彼らの苦痛には終りがないと。私はむしろ正気で悲しんでいるよりは、楽しく喜んでいたい。
気が狂っている時間はないとあなたは言うのか、急いで列車に乗らねばならないのか。《あなたが》何度も何度もあくせくしている間、私はむしろ自由で楽しんでいたい。
だから私にこのラ・マンチャの男を与えよ。そして彼の楽しい歌を私に歌え。あなた方は彼が正気の人だったということを理解《できる》のか、それともできないのか。
ああ私は勉強にはうんざりだ。本を読んでもきりがない。おまえには《彼等の》心が泥だらけだとわからないのか。曲り角をまがったのは《彼等》なのだ。
彼等は金を貯め、教会にしがみつき、終りのない残酷な戦争を行うのを好む。彼らの汚れで私を汚すな。私はむしろ仲直りをしたい。
彼らは私をハメルンのパイド・パイパーと呼ぶ『あれもまたドンキホーテさ』彼等は人々に恨みを晴らしているのに、私がかけ事をしていると言って非難する。
私は自由で楽しい雪男。気楽な雪だるまかもしれない。それがどうしたっていうのか--さあ行こう。私といれば君は何を見てもわからないのだから。
さあキホーテのために歌をうたおう。自由な人々のために歌をうたおう。我々はもうろくしているが歌をうたおう。我々は永遠に向かうのだからね。
パイド・パイパーのために歌をうたおう。自由な、笛を慕う子供等のために歌をうたおう。私は悲しい不幸をもたらす狙撃兵よりは、気が狂っている方がいい。
さあ気違い僧ラスプーチンのために歌おう。彼は愛し、飲み、病気をなおし王を支配したのだ。彼等がやかましく論争している間に、彼は彼等の持物を持って姿を消した。
アリスには気の狂った帽子屋と、せいうちのキャベツと王様がいる。みんな万歳。気が狂っていても、もし子供達に幸せを与えるなら、それは何も悪いことではない。
『広場の光』に乾杯。歌を歌う狂気に乾杯。あなたは指輪をもらって喜んでいる少女でいるよりは、ガザで猟をしていたいのか。
我々に狂ったドンキホーテを与えよ。我々に歌をうたわせるパイド・パイパーを与えよ。さあ狂気から生れる喜びで、我々は狂気に身を捧げる人となろう。
私は悪魔のように正気で悪人でいるよりは、キリストと共に幸せでいたい。もし我々を自由にするのが霊の狂気ならば、私は気が狂っていて楽しくしていたい。
我々は、我々以外がみんな狂っている。狂気に満ちた世界に住んでいるから。私は喜びに満ちた世界をとろう。たとえあなたがその世界を幻想と呼んでも。
あなたの世界は正気かもしれないがはかない世界である。一方私の世界は見えないけれど、それだけ本当なのだ。
あなたは私を気違い、反道徳家と呼ぶが、この狂気の中に私は喜びを見いだしているのだ。
私は言おう、気が狂っているのは《あなた》なのだ。現実を持っているのは《私》なのだと。気が狂っていて私を驚かせるのはあなたなのだ。私の心こそ永遠に向うのである。
霊の国においてのみあなたは、天国の光景を楽しむことができる。あの天国の音があなたには聞こえるか。そのようなエクスタシーが何を意味しているかあなたは知っているか。あなたはそれを知ってさえいないのだ。
あなたが《狂って》いるのだ。夢の中で生きているのは《あなた》なのだ。喜んでいるのは《私》なのだ。私はそれを見せてやろう。私はあなたが叫ぶにもかかわらず踊りつづける。
狂気の中に生きているのはあなたなのだ。本当に狂っているのはあなたなのだ。イエスと喜びを持っているのが我々なのだ。我々はそれを何度も何度も持つであろう。
さあ我らのドン・キホーテ万歳。パイド・パイパー、ラスプーチン、モー万歳。私は《彼らの》信奉者になりたいものだ。あなたの気の狂った苦しみの世界よりも。
さあ私に野生の幸せな子供達、彼等の歌、自由な踊りを与えよ。《あなた》は地獄と狂気で人間を殺す異常な心を持てばいい。
私はむしろパイ屋の商品を味わった、あの素朴なサイモンを持ちたいものだ。あるいは愛情と真実と思いやりで人間に、いどんだあの《白痴》が欲しいものだ。
アリスのような人、ドンキホーテのような人、パイド・パイパーのような人、ラスプーチンのような人、モーのような人を私に与えよ。私は苦しみで満ちたあなたの世界より、これらの人々でいたいものだ。
私の心にわくわくする旅と、神が霊感を持って吹きつける精神を与えよ。あなたの人殺しの世界は私をぞっとさせる。私はなんでも自由な世界に住むのが好きなのだ。
ドンキホーテ万歳。我々の天国の旅万歳。私は鐘楼にこうもりを飼うよりは米を入れていたい。
これで全部49節。7×7が49というわけさ。これを越えるとあなたは私にのろいをかけて、私の狂気が終るのを望むことだろう。
追加
あなたが私の狂気は、いまにもあふれでると考えようとも、知恵のわずかの言葉が、私のペンから生れた。
なぜならば神の愚かさは、人間よりも賢く、この世の知恵も、神の前では愚かなのだから。
コリント前書、1:25,3:19.
1.多くの宗教では、あなたは悲しければ悲しい程もっと宗教的であるということになっている! あなたが多く苦しみ悲しむ程、それが非常に宗教的であることのしるしなのである! しかし、私たちに関してはそれは逆である! 私たちは、あなたが勝利に満ち、喜びに満ち、ほほえみ、真に幸福ではない限り、あまり宗教的つまり霊的であるとはみなさない。そうだろう? アーメン!
2.神と神のみ言葉は宗教をそのようにはされなかった。預言者たちもそれをそのようにはしなかったし、モーセでさえ、彼の厳しい律法をもってでも、宗教をそのようにはしなかったのである。物言を変え、自分たち自身に合うように解釈して、自分たち自身を高め、人々に対してもっと厳しいコントロールを得るようにし始めたのは、それら続いて起きた宗教的指導者たちであった。彼らは、イエスが言われたように「重い荷物をくくって人々の肩にのせるが、それを動かすために、自分では指一本も貸そうとはしない!」(マタイ23:4)
3.そしてもちろん、如何なる人々も主なしに一体どうやって幸せに―真に幸せに―なれるのか、私にはわからない。例えあなたが彼らの物質的な必要をすべて満たしても、彼らは何か自分たちの霊的な必要や、幸福に対する彼らの飢えを満足させるための何かがなければならないのである。それこそ私たちが持っているものであることを神に感謝せよ。私たちの物質的な必要のすべてに対する満足もふくめて、あなたを幸福にするために要するすべてである。
4.私は禁欲主義ではない。私は、一日中釘のつき出ているベッドに座って祈り自分自身を苦しめ、すべての欲望を抑え、いつも断食ばかりしている状態では満足させられないことだろう! 私は神が与えて下さっているすべての事を楽しんでいる。ワイン、女性、歌、食物、すべてである。そして私は非常に幸福である! そして、信じようと信じまいと、私は特に自分の仕事を楽しんでいる。
5.私たちは、自分たちの仕事さえも楽しんでいる! それは仕事であり、熱心さを要する仕事、それは私たちを忙しくし続けるのであるが、それでも私たちはそれを楽しむのである! そして私は、あなたも自分の仕事を楽しんでいるよう望んでいる。主の愛と正しい種類の仕事、何か良い事を成し、人々を助け他の人々を幸福にしているのだと、あなたが知っている仕事であり、それはあなたが幸せになり、それを楽しむのを助けてくれるのである。
6.私たちの宗教は私たちを幸福にし、私たちの仕事は私たちを幸福にし、私たちの遊びは私たちを幸福にし、私たちを不幸にするものは、他の幾人かの人々が幸福ではないという事実を除いては、私たちには非常にわずかしかない。そして事実時には、私たちの敵でさえも、彼らが私たちを公表してくれることによって、私を幸福にしてくれる。それら私たちを憎む者たちが怒る時、それはほとんど私を幸福にし、楽しませるのである。何故なら、私は自分が彼らの痛いところを打っているのだとわかるからである。だから、それらの事でさえ、あなたを幸せにしているべきなのである!
7.時々、私自身の人々や子供たちの振舞い方や、私たちが犯す過ちについて考えることとは、私を少し不幸せにする。時には、自分が正しい決断や選択をしたか、正しい事をしたかどうか考えることは私を不安にさせ、そのためしばらくの間、私は自分が幸福であるべき程幸せではなくなってしまう。しかし、私はその後でいつも、主がそれを行って下さり、すべてが大丈夫で、結局のところ自分が心配すべきではなかったことがわかって、安心するのである!
8.だから、幸せな宗教と幸せな人生の故に神に感謝せよ! そして私たちは他の者たちも幸福になり、私たちが持っているのと同じ幸福感を楽しむよう熱心に勧めるべきである。アーメン?彼らがそれを持っていず、そして私たちが幸福であるのを見るなら、彼らはきっと何故自分たちが幸福ではないのだろうかと思うようになるだろう! そして私は、それが、私たちが見本の中に持っている私たちの最大のチャレンジであると思うのである。つまり、私たちが如何に幸福であるかを彼らが見る時である。
9.だから、幸せのためにハレルヤ! 霊的な喜びと同様に、主が私たちに与えられる肉体的な喜びを楽しめることの故にTTL。私たちにはすべてがある! 私に考えつくもので私が欲しいと思う唯一のものは、他の人々も、私と同じくらい幸せであって欲しいと思うことである。それが、私にある唯一の大きな真の切望、又は必要、又は欠乏であり、ただ何とかして彼らに理解させ、彼らを幸福にできたなら、と思うのである。それ以外には、私たちは、肉体的にも、物質的にも、あるいは霊的にも、欠けたものは何一つない。私たちにはすべてのものがある! TYJ!
10.だからもしあなたが幸せでないなら、あなたか、あなたの宗教か、あなたの信仰か何かの、どこかが間違っているに違いないと考えるのである。もちろん私たちは時々病気になることもあり、それはしばらくの間私たちをあまり幸福に感じさせはしないかも知れないが、それは私たちの完全な幸福を破壊してしまうわけではない。私たちはそれでも、霊において、精神的に、そしてファミリーとの交わりや他のすべてにおいて、非常に幸福であることができるのである。それは、健康やカや、あなたが願望する何か小さなものがまだ残っていることになるが、それは私たちを全くすっかり不幸せにしてしまうわけではない。アーメン?
11.だから幸福の故に、神に感謝せよ! そして、人生の楽しみ、私たちの宗教と主の故に!
(歌う:)「今は幸せ、
主と出会ったその時から!
過去はすべて消えてしまった。ハレルヤ!
今は幸せ、永遠に!
私は救われ、悪魔は逃げた。
だから今幸せ!」
TYJ! あなたは幸せであるか?
8.(イエス:)あなたには多くのことが求められているのは知っている。そして、来るべき日にあってそれらはさらに大きくなるだろう。愛する人よ、あなたはお互いに対しても、世界に対しても、絶えず人目にさらされるようになるだろう。これは、あなたが負わなければならない責任である。わたしもいつも人目にさらされていた。何とかして群衆から逃れる時間を取った時でも、多少はわが弟子の目にさらされていた。もちろん、親しい仲であった12人の弟子と一緒にいる時は違った。ある面で、わたしはもっとリラックスすることができた。それでも、彼らに愛と義の内に生きることを教え、訓練するという責任があったのだ。わたしは彼らを見守る者となるべきだったのであり、あなたも兄弟を見守る者となるべきだ。わたしには弟子達に注ぎ、養い、教え、訓練し、多量の愛と忍耐を示す責任があった。
9.シェパードの仕事は決して終わらない。シェパードはいつも待機していなくてはならないのだ。群のために、いつでもそばにいてあげなくてはならない。これはまた、今ではすべてのファミリーメンバーの召しでもある。あなた一人一人がお互いに対する世話人である。兄弟姉妹を見守る者になるだけではなく、群を見守る者にならなくてはならない。わたしがあなたの世話をしているように、あなたもお互いの世話をしなければならない。これは、巨大な責任である。
10.冠は、それをかぶる者が一番その重さを感じる。他の者には輝き、軽くて、美しいもののように思えるかもしれないが、それをかぶる者にとっては思い責任である。この同じ冠が、あなたの肩にのしかかる大きな責任を常に思い起こさせる。だからこそ、あなたはいつも警戒した状態にいなくてはならない。わたしが弟子たちと歩いた時に大勢の者がわたしに頼ったように、あなたに頼る大勢の人々がいるからだ。
11.わたしは緊迫した時代に生きた。世界は救い主を必要としていた。時は熟しており、もうそれ以上続けていくことはできない状態、通常通りやってはいけない状態だった。何かが為されなくてはならなかったのだ。人類を救うというわたしの責任は、じつに大きかった。この任務は、やり損なったり、台無しにするにはあまりにも重大すぎた。あまりに多くの失敗が許されない物事が、人間としてのわたしの肩にかかっていた。肉の内では全く無力に感じたものの、あきらめたり、屈服することはできないとわたしは知っていた。敗北を認め、「もう、やめだ!」と言うことはできなかったのだ。敗北を受け入れるという選択肢を考慮することは許されていなかった。どうして、わたしがあなたの期待を裏切ることができようか? 失敗は許されなかったのだ。
12.この責任はわたしを必死にさせ、わたしは父に呼ばわり、解決策を求めて嘆願しようと決意したのだった。「どうやって克服すべきなのか?」と。わたしが克服術を学ぼうと誓ったのはその時だった。方法は必ずあるはずだった。さもなければ、父がわたしをこのような立場に置くはずはないのだから。わたしはその方法を探し出そうと決意したのだった。
13.たった今、あなたはわたしと同じような立場にいる。現代社会は恐ろしいほどの苦境に陥っており、救い主を必要としている。約2000年前に地上を歩いた時、世界の運命はわたしの肩にかかっていた。今、そのバトンはあなたに引き継がれた。この巨大な責任はあなたの肩にかかっているのだ。わたしを代表する者であるあなたは、わたしの救いの言葉を世界にもたらすよう、終わりの時の世界に救いを告げるようにと宿命づけられている。
15.あなたがた、わがファミリーが負わなくてはならないリーダーシップには多くの犠牲が関わっていることを、わたしは知っている。わが王国のシェパードや教師、ベルウェザー、柱、または人類に救いと真理をもたらす者になるという、とてつもない荷を負うことがどういう意味かは、よくわかっている。それは重い責任だ。だからこそ、わたしはあなたを慰めたいのである。あなたが負う十字架は重くその肩にのしかかるだろうが、わたしはそれを補うものをあなたが得られるようにする。それはあなたが最終的な勝利まで十字架を負うのを助けるだろう。
16.わたしが不可能な状況に直面した時、わたしの人間的な力では負うのが困難すぎるものに直面した時、わたしはそれを克服する方法を見い出そうと必死になった。これこそ、わたしに克服術を学ばせたものであった。これこそ、わたしの救いだった。わたしは屈服する必要も、敗北に屈する必要もなかった。耐えられない重荷を負う必要もなかった。わたしはただ、すべての障害を乗り越えて、克服すればよいだけであった。
17.わたしは自分の責任から逃れることを求めてはいなかったが、自分の宿命を果たすつもりなら、わたしの邪魔をしたり、止めさせようとしたり、落ち込ませようとするものを克服する方法を見出さなければならないと知っていた。わたしに期待されていたものは、わたし自身の人間の手、肉の手には難しすぎると知っていた。人間には不可能であるのはわかりきっていた。わたしに与えられた任務は難しすぎ、あらゆる面において、わが肉体が対抗するにはあまりにも大きすぎた。このことに気づいて、わたしは父と真剣に語ったのだった。
18.わたしは父と丘の上にいた。そして、驚くべきことが起こったのだ。わたしは父にこう言った。「このような期待に応えることはできません。わたしの霊は熱していますが、肉体は弱いのです。」 すると父は言葉だけでなく、ビジョンをもって語られた。父はわが霊の目を開き、わたしの地上での生涯に起こるあらゆる不可能な状況を克服することがいかに可能であるかを明らかにされたのだった。
25.わたしはただわが父と一つになり、自分の内に父の霊を十分宿らせただけだった。それはわが肉の内にという意味であり、そうしてわたしは一つ一つの困難を切り抜ける父の強さと力を持ったのだった。
26.父との短い談話と、父が丘の上でわたしに明かしたビジョンによって、すべてのものに対する克服術とは何であるか、その人間的な思いの内に理解し始めたのだった。これこそ、勝利を保つ方法であった。全能なる神の霊に宿ってもらい、わたしの内に生き、動き、あらゆる障害にまさって支えてもらうことによってだ。父と一つになり、父の霊にすっかり委ね、その神性を受け取ることによって、わたしは克服することができたのだ。
27.あなたのまわりにある、あらゆる不可能な状況にまさるものとは何だろうか? 全能なる神である! これこそ、現在あなたの前に現れる、あらゆる不可能に思える状況を克服できる方法だ。わたしを心に受け入れ、わが霊を求めたあなたがた一人一人が常に、ある一定のわが霊を持っている。だが、苦境に遭遇したり、この戦闘の日々に不可能な状況に直面したりしているなら、全面的にわが霊を中に入らせる必要がある。克服するつもりなら、自分たちの内にわが霊を完全に無条件で宿らせなくてはならない。あなたはわたしの神性を受け取らなくてはならないのだ。
28.わが霊をもっと受け入れるというこの概念に、あなたは慣れてしまっているかもしれない。あなたはわたしが語っている原則を知っているので、このように考えるかもしれない。「でも、主よ。私にはあなたの霊があります。今までずっと持っていました」と。もちろん、あなたにはある。わたしも父の霊をしっかり持っていた。だが、わたしが最も要求のきびしいミニストリーに完全に取り組んだ時、わが「戦闘の時代」に突入した時に、わたしは、もし克服するつもりであれば父の霊に完全に委ねていなければならないことを学んだのだった。父の霊を自分の内に入れ、完全に宿らせなくてはならなかったのだ。
29.あなたはわが霊を受け取った。そして、いつももっとわたしを自分の内に宿らせるための進歩を遂げてきた。だが本当に、あなたはまだその最大限の力を十分理解したり、経験してはない。今のこの戦闘の日々にあっては、あなたはより着実に、即座に、完全に受け取らなくてはならない。あなたはそれをかいま見た。ある程度経験し、常に近づきつつある。しかし、愛する人たちよ、言っておくが、戦闘の時代に入るにつれ、より深く完全な形でわが霊を受け取らなくてはならなくなるだろう。あなたがもっと委ね、わが霊を受け取り、しっかり留まらせ、まさに「神にすべてを任せ」、自分の心と思いと霊をわたしに無条件で支配させるなら、あなたは克服することができる! これこそ、克服術である。完全に明け渡し、わたしにすべて支配させることだ! これがあらゆる問題、困難、不可能な状況を克服できる方法である!
30.わたしも、父に人生を完全に支配してもらわなくてはならなかった。わたしたちは一つとなった。これは、わたしが生きていくのに極めて大切なことだった。あなたも今、同じようにしなければならない。わたしは今まであなたがたにより大きな譲渡、わが霊への敏感さ、わが言葉を常に受け取る準備ができているように自分の経路の波長をより合わせておくことの大切さを教えてきた。これこそ克服である。克服する能力とは、あなたのすみずみまでわが霊を浸透させることにある。それは、完全に無条件でわたしに自由に流れさせることである。
どうやって克服術を錬磨するか
31.丘の上でこのビジョンを見た後、わたしは、克服の実践術を身につけるにはどうすればよいかについて、その後の数日間、父に呼ばわった。どうすれば肉を手放し、わたしの内でもっと父の霊につかさどらせることができるのか、それによって父の神性を完全に受け取り、あらゆる不可能な状況を克服できるのかを尋ねたのだ。父は忠実に、わたしが必要とした指導を与えてくれた。そして、同じ指導をあなたに伝えたい。
32.次のポイントを読む際、「自分はもう知っている」と考えないようにしなさい。中にはよく知っているポイントもあるかもしれないが、このような良い習慣を築き、これらの原則に十分取り組み、生活の中に取り入れるために、それを行動に移し、常に行い、全面的に実践するという観点から考えなさい。大きく考えなさい。「最後までやり抜く」という観点から考えなさい。「とことんまでやるか、さもなくば無だ」という風に考えなさい。実践者となりなさい。愛する人よ、これらのポイントを実行しなさい。毎日の生活において、この賢いカウンセルを実行に移しなさい。教義の上だけでなく、行動において。そうすれば、あなたも毎回、勝利をもって克服するだろう。
克服するには:
・ -常に清い心と正しい態度を持つよう努める。
・ -決意する。負けたいのか、克服したいのか?
・ -自分自身は弱く、わたしの助けなしではやり遂げられないと知る。完全にわが憐れみに頼り、わたしなしでは自分は無であることを認め、受け入れる。
・ -悪い、あるいは敬神的でないあらゆる態度を避ける。
・ -あらゆる障害を、優位に立って、進歩を遂げる機会として見る。
・ -わたしに手を伸ばし、わたしに、わたしだけに頼ること。わたしがあなたの内に入れた信仰から力を引き出す。
・ -わが霊を十分宿らせること。これは、ただわが霊をそばに宿らせる以上のことである。単に部分的に受け入れる以上のことだ。あらゆる面において、わが霊を浸透させることである。そうするには、以下のことをしなければならない。:
a.わが言葉に生きる。あなたのまわりに漂う悪魔のあらゆる悪いインプットや雰囲気を、わが言葉の解毒剤によってうち消す。必要に応じて頻繁に、この方法を行うこと。わが言葉を読み、考え、熟考し、新しく受け取り、それから実行するのだ。わが言葉やわたしが示すことを行う者となり、実践すること。
b.引き続き、すべてのことについてわたしに尋ねよ。わたしから聞くことなしには一歩も動いてはならない。わが声に耳を傾け、わたしがあなたに明かす真理に生きよ。わたしがするように告げることをしなさい。疑ってはならない。これは、あなたの信仰を強め、あなたを持ち上げる。
c.あなたの心や霊の内で、悪魔にスキを与えてはならない。真実なこと、正直なこと、正しいこと、純真なこと、愛すべきこと、称賛に値することに心を留めることによって、彼の偽りの方法と倒錯した態度を拒みなさい。
・ -次にある事をすることによって、あなたの内にわが神性を支配させること:
a.謙遜の賜物を使い、服従することの力を鍛える。自分の思い、心、考え、人生をわたしに委ねること。自分自身を明け渡し、わたしに、わたしだけに頼りなさい。
b.わたしとの親密な関係を強く保ちなさい。あなたがわたしを親密に愛することによって、わが霊を自分の内に宿らせることになるからだ。あなたはわたしと一つになる。わたしの性質をもっと受け入れるようになり、それは神からのものである。これが起こると、あなたはもっと霊の内で物事を見るようになる。それこそ現実の世界であり、人の前に立ちはだかる見かけの世界である肉の思いは減る。そうして、わたしはあなたを地上の世界から離れて支えることができ、あなたは天の世界でより歩くことができる。わたしたちは一つなり、あなたは地上のものを克服でき、霊の内でもっと歩くことができるのだ。
c.わが霊の原則に生き、それらに働いてもらうこと。わが超自然的な法則によって生きているなら、あなたには自然のものを克服する力が与えられ、超自然の内にあなたは歩み、勝利を得るようになる。
33.父の霊がわたしの避け所だったのであり、わたしもあなたに対してそのようになろう。この終わりの時に起こることを克服するつもりであれば、これこそあなたの唯一の頼みである。父の霊がわたしの上にとどまったように、わが霊もあなたの上にとどまるだろう。わたしはこの長い年月、あなたを準備してきた。あなたの運命はわたしのものと同じように、真理の言葉を宣べ伝え、心の砕かれた者、病人、打ちのめされた者をいやし、束縛された者を解き放つことである。
34.自分自身を捨て、わが霊を完全にとどまらせるなら、あなたはわが恵みが十分であることを見出すだろう。これこそ、あなたがわたし同様に征服者以上の者となる方法である。これこそ、あなたが堅く立ち、不動の者となる方法である。これこそ、まわりのどのような状況にも動じない方法である。これこそ、四方から患難を受けても窮しない、途方にくれても行き詰まらない、戦いが起こっても、ききんと疫病がはびこっても動じない方法である。敵があなたを殺そうとしても、彼らはつまずいて、倒れるだけである。そして、あなたは克服している! これこそ、克服する方法である!(以上、イエスからのメッセージ)
14.(ママ:)このメッセージの中で、主はCROたちに、救いの喜びを失っている者が何人かいることについて語られています。それがファミリー全体にも当てはまるかどうかを、主に尋ねてみました。次は、主が語られたことです。
15.「わが愛する花嫁の多くが救いの喜びを失ってしまった。それは、多くの者が認めたくない事実である。自分たちがそのように感じていることで罪悪感を感じ、謙遜になっており、そのように感じているのは自分たちだけだと思っている。年長者の中には、自分たちは活力の終わり、有用性の終わりにたどり着いてしまったからか、あるいはそれは年を取って体のペースが落ちることに伴うコンディションかと考えている者がいる。多くの若者は人生の成り行きの一つとして受け入れており、大勢がこれからも進み続け、毎日、同じことをやり続けられるのだろうかと考えている。
16.わたしは、そこからわが子らを解放したい! 救いの喜びは、彼らが持つようにとわたしが定めた権利、祝福であり、わたしに従っていることゆえの報酬の一部である! わが子どもたちから奪い去ってしまった敵の計画に、わたしは激怒している。そして、わたしはこの喜びをいっぱいにして戻したいと思っている! 一人一人が、わたしがその者にあてて語っているかのようにこのメッセージを読むべきだ。まさに、それは彼らのためだからだ。すべての状況には異なる小さな部分があるかもしれないが、この全体的なメッセージ、嘆願、最後通牒は、わが愛する花嫁一人一人のためである。
17.わたしは一人一人に、その可能性を開花してほしい。最大限にわたしに仕え続け、できる限り大いに使われてほしい。わたしの内に十分幸せになってほしいのだ。このメッセージは転換期となる。このメッセージには勝利への鍵がある!」(以上、イエスからのメッセージ)
あなたの試練はわかっているよ
19.(イエス:)わが愛する恋人、将軍、忠実な戦士たちよ、愛している。感謝している。そして、必要としている。わたしはあなたが長い間、抱えている困難を知っている。自分の計画や望んでいる進歩が失敗し、邪魔され、願っていたように進まないのを見てあなたが抱いた心痛を、わたしは感じる。あなたが苦しんでいる体の災いを気の毒に感じている。その災いはあなたが背負っている荷や、それに伴うストレス、心配、気づかい、身体的な犠牲による結果である場合が多いのだ。わたしだって、目の前にある非常に大きな要求をこなす能力など到底、自分にはないと思った時に感じた個人的な落胆やさらには絶望感と無縁ではない。莫大な量の「すべきリスト」の重荷につぶされそうになり、あなたやあなたの家族、また全員にとって、自分は辞任した方が良いのではないかと考えた時のことを、わたしは理解している。
20.あなたは、自分が新しい武器をもっと使っていないこと、わたしをもっと親密に愛していないこと、すべきほどにはすべてのことをわたしに尋ねていないことで、困惑し、恥に感じている。個人的な見本が欠けているというあなたの気持ちはわかる。まわりにあるファミリー内の圧倒されるような問題を見て、不可能だと感じた時の苦悩をわたしは感じた。自分の信仰のなさをひどく感じたものの、問題には終わりがなく、解決策は見えないように感じたのだ。
21.[RS]の仕事は何という大きな仕事だろうか。このような仕事を喜んで受け入れ、耐えているなんて、あなたがたは全員、聖徒である。何があなたにこの仕事をしたいという動機を与えられるだろうか? 何がこのような犠牲の人生を生きたい気持ちにさせるのだろうか? 良いことや進歩については少しの手柄しか受けないのに、悪いことや間違いに対してはほとんど全責任を受けるのである。このような荷やプレッシャーの元でこんなにも長い間、進み続けるための力や忍耐を求めて、何があなたの内面深く見つめ続けるようにするのだろうか? それは、あなたにそうするよう迫る愛である。わたしへの愛、兄弟への愛、この世の失われた魂への愛である!
22.毎日、あなたはギリギリまで与え、あなたが持つすべてを注ぎ出す。できるだけ多くのことを成し遂げようと必死に試みる。羊の問題について聞くとあなたは涙を流し、それは羊のためにあなたが懸命に働くようにする。
23.わたしはあなたがた一人一人の人生に深く関わっている。そして、あなたが何を経験しているかを知っている。わたしにはそれが見える。わたしにはそれが感じられる。そして、あなたがとても重荷を負っていて、悲しいのを見るのがつらい。その喜んでする態度と有用性を高く評価しているものの、同時にわたしはあなたのために涙を流している。心の奥底で、わたしは愛するあなたがたのために心を痛めている。それは負うには大きすぎ、あまりにも重い荷だからだ。あなたは喜びを失い、その人生は単調なものとなってしまったのを知っている。それはとても多くの仕事である。仕事、仕事、仕事であり、毎時間、毎日続き、ついにはほとんど何も残らなくなる。笑う時間、赤ん坊や子どもとの時間、歌い、踊る時間、わが創造物との時間、わたしを愛し、楽しむ時間が、である。
あなたはマルタになってしまった
24.わたしを知ることの喜び、単純さ、幸せ、そのすべてはどこに行ってしまったのだろう? 最近、立ち止まって、そのことを考えてみただろうか? あなたの人生で何が変わったのだろう? 前はすべてがエキサイティングだった。わが言葉は尽きることのない興味の源だった。あなたは証しが大好きだった。毎朝、くちびるに歌を伴いながら起きた。数多くの小さな奇跡があった。あなたの必要への供給は、わが愛の絶え間ない現れだった。新たなる冒険、学ぶべきおもしろいこと、素晴らしい話し相手があり、人生は楽しいものだった。わたしに仕えることは、絶え間ないスリルだった。一体、何が起こったのだ?
25.わたしが今、話したことは、わたしが「救いの喜び」と呼ぶものの一部である。わたしを知っており、仕えているこの人々は、地上で最も祝福された者たちである。そして、あなたがたダビデの子どもたちは、祝福された者の中でも最も祝福された者たちだ。救われており、そのことを知っているからだけでなく、わが真理と啓示ゆえに霊の内で豊かであり、また生きる目的の内に豊かだからだ。あなたがたのように祝福されている、また特権を受けている、豊かな者は、地上に誰もいない。何という召し、使命、名誉だろうか!
26.だが、それにもかかわらず、あなたがたのほとんどが、人生に何かが欠けていると知っている。あなたはこれらの言葉を聞いて、良心がうずいている。自分がそのように感じていないこと、さらにはそのような見方を認識さえしていなかったことを恥ずかしく思っている。この単純なビジョンと現実から遠く離れてしまっている。それは夢のようで、子どもじみた、あるいは現実から遠く離れたことのように思われる。わたしがその原因を話してあげよう。
27.愛する者よ。あなたは良かれと思って行い、正しい動機を持ち、利他的に誠実にわたしに仕えているが、あなたが見ていない、または受け入れていないことが一つある。これは深刻な問題である。ほとんどの場合、あなたは取り去られることのない良いことを選んでいないからだ。あなたはマルタになってしまった。非常に忠実で勤勉で思いやりあり、気づかうものの、それでもマルタなのだ。あなたはとても多くの奉仕、仕事、労働に苦しんでいる。あなたが良かれと思ってしていることや、心からベストを尽くしたいと思っていることを知っているので、これを言わなければならないことをすまなく思う。異なる方法で行うのは、あなたにとって不可能なように思えるのも知っている。そのため、この注意は不公平に思えるかもしれず、あなたは少し憤慨したり、気を害したりするかもしれない。わたしにはよくわかる。
わたしは過去のことであなたを責めない
28.これを指摘するからと言って、わたしはあなたの正しいことをしたいという願望を見下しているのではない。あなたがどうしてそのようにしたか、わたしにはわかっている。王と女王もわかっている。あなたがわたしやファミリーを愛していること、人々を幸せにし、その必要を満たしたいと思っていることを、彼らは知っている。あなたは、サービスホームにできるだけ最高のサービスをしてほしいと思っている。アクティベイテッド・デスクが軌道に乗ってほしいと思っている。ファミリーのセキュリティーを気にかけたい。若者が必要とする訓練や励ましを与えたい。これらは、あなたが今まで仕えてきた理由の数例である。このことゆえに、あなたがマルタになっていることや、あなたの数多くの働き、あなたが注いだ努力を責めていないとわたしが言う時、その言葉を信頼しなさい。わたしはそれを感謝しているのであり、名誉に値するところにわたしは名誉を与えるからだ。
29.あなたの利他的さをわたしは称賛する! 非常に困難な状況下にあっての忍耐と辛抱強さゆえに、あなたを称える!
30.わたしはあなたを責めたり、さらには気まずい気分にしたりするために語るのではない。愛する者よ、わが目的は、あなたにとって物事をより良くすることだけである。あなたの家族にとって、またあなたが世話をしている群にとってより良くするためだ。それこそ、わがゴールである。わたしはこれを新しい始まりとして見ている。過去のことで、あなたを責めているわけではない。わたしは今日を、将来を見ている。過去のことを考えているのではなくて、今日のあなたの必要、わたしたちが向かっているところを考えているのだ。
32.過去から学び、それから忘れてしまおう。将来に目を向けるようにしなさい。わたしはあなたにこれからの数ヶ月、数年に何を期待すべきか知ってほしい。わたしから何を期待でき、またあなたからわたしが何を期待しているか知ってほしいのだ。それでいいだろうか?
やることはいつだってありすぎる
35.それを言った所で、鍵となることを説明しておこう。人生で必要なチェンジをするつもりなら、この原則を理解していなければならない。あなたにはいつも、すべきことがたくさんあるようになるだろう。ボード・ビジョンが完全に軌道に乗った後でも、それでもすべきことは山ほどあるようになる。これにはがっかりするかもしれない。または、ボード・ビジョンは何らかの面で欠けているように思えるかもしれない。だが、実は、あなたがたくさんのしなければならないことを抱えるように、わたしがわざとそうしているのだ。それはわが計画の一部であり、非常に明確ではっきりした目的のためだ。
36.すべきことが山ほどあることで、あなたはわたしの元に来て、わたしに頼らざるを得ないようになる。わたしはあなたの荷を負いたいと思っている。あなたと共に働きたい。あなたの主任チームワーカーになりたいのだ。あなたの荷が十分負えるものなら、圧倒され、押しつぶされそうなものでないなら、あなたは自分でそれを負って、「私にはできる」と考えてしまうことだろう。だから、わたしはあなたがわたしに呼ばわり、わたしに任せることを望んで、プレッシャーを置き、重荷をかけ続けるのだ。これは、ボードが実施されても変わることはない。
あなたの働きは、霊的なものの上に築かれていなければならない
37.あなたと働き、あなたのそばにいて、毎日助けたいという事実の他にも、わたしがあなたの荷を肉の内で負える以上のものにする理由がもう一つある。わたしのためのあなたの仕事、わたしのためのファミリーの仕事は霊的なものだからだ。あなたの努力や働きはまず、霊的なものの上に築かれていなければならない。あなたもよく知っているように、あなたの戦いは血肉のよるものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。あなたの内にいるわたしは、世にある者よりも大いなる者である。
38.あなたやあなたの同労者がどんなに多くの訓練、専門知識、知恵、イニシャチブを持っていたとしても、それだけでは十分ではない。絶対に! 最高の努力、最高の仕事、最高のチームワークと人々の力を結集しても十分ではない。わたしだけがその違いをもたらすことができるのだ。
39.あなたはわが奇跡を行う力を持たなければならない。それなしでは、あなたのすべての行いは失敗することになる。これは肝心なことである。この要点を飲み込めるなら、あなたは再びマルタの道に外れていくことはないとわかる。
40.つまり、どんなに懸命に働き、どんなに多くのメッセージを書き、どんなに多くのミーティングを開いても、十分ではないということだ。それは、わがわざは、わが言葉と祈りの内でわたしとの時間を取ることを通して、まず霊の内で行われなければならないという、霊の世界での力学だからだ。あなたはこれを原則として知っている。これについては、何度も読んだ。だが、この真実の全貌は、あなたの心の中に深く浸み込まなかった。わが力の現実とそれに対するあなたの必要は、それがあなたの優先事項や決断、考え方を左右するまで、あなたの思いの内にしっかり把握されていないのだ。
わたしに働かせてほしい!
41.自分に正直になってごらん。この概念を心から理解し、心の内で完全に受け入れたなら、ワードタイムを逃したり、祈りのビジルをしなかったり、頻繁にコンフェレンスデーを延期したり、短縮したりするだろうか? 客観的に評価してみなさい。自分の行動様式を見てみなさい。そこには何が見えるだろうか?
42.何が見えるか教えてあげよう。そこには、わがメッセージが宣べ伝えられるべき群衆がいる。勝ち取られるべき数えられないぐらいの弟子がいる。すでに囲いの中にいる飢えて鳴いている群がいる。攻撃をかけ、子羊を傷つけ、殺そうとするどん欲なオオカミがいる。製作し、実行すべき収穫の道具がある。それなのに、あなたはちっぽけな道具を手にして立ち、働きに出かけようとしている。あなたは固く決意し、献身している。そして、どの方向にまず進もうかとあたりを見回している。もちろん、それは圧倒されるような光景だ。どの必要もすべて全時間が取られるからだ。だから、あなたは猛然と走り回って、ここそこで働く。あなたの道具は非常に小さく、時代遅れのものだ。そのためあなたの手は傷だらけで、あなたの服はボロボロだ。一日の終わりには、あなたはすっかり疲れ、汚く、悲しい気分になっている。そして、次の日も同じことを繰り返すのだ。
43.その間ずっと、わたしはあなたのすぐ後ろに立っている。巨人のようにそびえ立っている天の助け手と霊の者たちからなるチームと一緒に。そして、わたしたちはあなたの注目を引こうとしている。わたしたちは手を振り、叫び、口笛を吹いている! わたしたちには巨大な最新技術、あなたが見たこともないような道具がある。ただあなたが尋ねるなら、あなたのためにわたしたちの道具を作動させる用意ができている。それは、あなたの仕事をずっと楽にするだろう。それなのに、あなたは「すぐあなたのところに行きます。ちょっと待って下さい。ただこれと、あれと、それからもう一つすればいいだけですから。ああ...ちょっと待って下さい。本当に、もうすぐすみますから」と言いながら、ここそこで走り回っているのだ。
44.時々、あなたはすっかり衰弱してしまい、そんな時、わたしとわたしのチームを呼ぶ。わたしたちはとても喜ぶ! ついに介入して、あなたのために働くことができるのだ。だが、ほんのちょっぴり力を取り戻したと感じるや否や、あなたは立ち上がり、再びそれを繰り返す。「ちょっとすいません」と言いながら、人をかき分けて第一線に出ていく。「ああ、働かなくては。主よ、ちょっとどいてもらえますか? さてと、どこまでやったかな?」と。そして、また同じことをする。それを何度も繰り返すのだ。
45.わたしの見方で見ることができるなら、それがいかにバカげているかわかるはずだ! あなたはただの弱い人間にすぎない。わたしは宇宙の神である。わたしにはあらゆる力が授けられている。わたしは支配している! わたしは約束を守る。わたしは忠実で、非常な愛妻家である。それなのに、あなたの人生にはわたしのための場所がほんの少ししかない。
46.それが何かわかるかね? それは自己正義だ。それは自分のことを非常に高く評価していることだ。それは肉の腕の典型だ。あなたが今までしたどんなこともすべてわたしができることと比べるなら微々たるもので、弱く、哀れなものである。わたしには何でもできる! すべてできる! それについてじっくり考えてみるなら、一体あなたに何ができるというのだろうか?
47.これはわが仕事、わがファミリー、わが群、わが収穫の畑、わが手段であり、わたしがボスなのだ! このことははっきりと言っておきたい。わたしのために働きたいなら、群の見本となりたいなら、リーダーシップにいたいなら、そのためのルールがある。その一番最初のルールとは、わたしに働かせるということだ! わたしをあなたの人生に十分関わらせることによって、あなたはそうすることができる。メッセージに答えるために急いで一日に突入しなければ世界がバラバラになると考えたり、最後のファイルを終わらせようと夜遅くまで働いたり、長時間に渡る非常に疲れるミーティングを開いたり、目の前の仕事を仕上げようとここそこであわてたりする代わりに、わたしに呼ばわりなさい。わたしに働かせなさい! わたしにさせなさい! あなたにはわからないのか? わたしだけができるからだ!
48.あなたの優先順序が変わるのを見たい。毎日、わが言葉の内であなたと時間を取りたいと思っている。毎日、預言であなたに語りたいと思っている! 毎日、祈りの内にあなたが黙想することによって、答を与えたいと思っている。毎日、とりなしの祈りを通してわが奇跡を行う力をあなたにつかんでほしいのだ。あなたはそれをするか、クビになるかのどちらかである!
49.残念だが、ここではっきりさせなくてはならない。わたしがボスなのだ。これはわたしの会社であり、これがルールだ。そうならなければならない。そして、そうしなければならない理由は、さもなければあなたは失敗してしまい、ファミリーは失敗してしまうからだ。そんなにも単純なことなのだ。人間であるあなたには、あまりにもすべきことがたくさんある。その荷はいつも、これからもとても大きいものになる。戦いは肉の世界ではなく、霊の内に起こっている。あなたはわが奇跡を行う力を持っていなければならない。
わたしとの時間をもっと取ることができたはずだ
50.わたしとの祈りの時間で、わたしはこの主題についてあなたがたの多くに直接語ってきた。わたしは内々にあなたのプライドと自己正義を暴いた。わたしはあなたの聖霊の呵責を受けた心を手に持ち、今、このメッセージによって、答を与えている。あなたは他の人を、チームワークやホームメンバー、王や女王を責めることはできない。ここ数ヶ月、数年に直面した状況がどんなものであろうと、あなたはわたしの元に来ることができたはずだ。時間を取れたはずだ。わたしに荷を委ねられたはずだ。あなたにできないことをするよう、わたしに呼ばわることができたはずだ。メイトやチームワーク、ホーム、フィールドに自分を弱く見せられたはずだ。そうすることができたはずだ。わが力を乞い求められたはずだ。
51.もっとそうしていたなら、奇跡を見ていただろう。自分のために天の力を放っていただろう。状況は今日、変わっていただろう。
52.もちろん、あなたは一度もわたしに祈ったり、わたしを求めたりしなかったわけではない。あなたはそうした。より忠実であった時もあった。だが、大抵の場合、しばらくするとあなたがたのほとんどが力づくで前に出てきて、わたしや霊の助け手たちを脇に押し出し、あなたが自分で働いてしまうのだった。あなたはわが力を十二分に利用するのに失敗してしまった。完全にわたしに頼っているのを示すことを拒んだからだ。その代わりに自分で行い、猛然と働き、押し進め、詰め込むことを選んでしまったのだ。
53.だからあなたはそんなにも疲れ、そんなにも燃え尽き、そんなにも悲しいのだ。あなたの見本は少しずつ伝わり、その損失は蓄積されている。あなたが必要とするわたしとの時間を過ごしているのを人々が見ないなら、奇跡を期待しながら、自分の必要をわたしに委ねているのを人々が見ないなら、とりなしの祈りが欠けているなら、それは人々の習慣にも影響する。非常に大きな責任であるのはわかるが、ほとんどの人がわが言葉に書かれていることよりもリーダーやシェパードの見本を見てしまうというのは悲しい現実である。あなたをその荷から解くことができればと思うが、目に見えないものや教義だけで知っていることよりも、人や目に見えるものに従ってしまうのは人間性である。
54.わたしはあなたの心を知っている。あなたの最大の願いはわたしを喜ばせることであるのも知っている。再び言うが、わたしはあなたがしたこと、良い動機をもってなしたことを認めている。これゆえに、愛する者よ、わたしはあなたに乞い願う。魂の敵に、嘘や非難、後悔をもって入り込ませないようにしてほしい。過去を忘れること。レッスンを学んで、進み続けるのだ。将来に目を向けよ。今は新しい日である。そして、奇跡が起こるのだ!
56.愛する者よ、あなたが変わるためのチャレンジに応じるなら、チェンジを見るようになる。あなたの霊や個人的な幸せ、人間関係、ホームやフィールドの実り豊かさの内にである。あなたの人生を楽にしてあげたいと思っている。ストレスや働きすぎへの依存から、あなたを解放したいと思っている。あなたを幸せで霊感しているようにしたい。人々があなたの内にわたしを見るようにしたいのだ。
57.あなたにはそれができると知っている。だが、それには新しい習慣を築くことが必要になる。共に働くこと。互いに助け合うことだ。今日から始めなさい! わたしに仕事を仕上げさせることによって、過去の犠牲やハードワークすべてを価値あるものにするのだ! 愛している。そして、あなたが必要だ。あなたはきっとわたしを再びがっかりさせたり、押し出したりしないだろう。あなたは決してがっかりしない! あなたの恋人、愛妻家であるイエスより。(以上、イエスからのメッセージ)
37.(イエス:)あなたはもはや、奇跡を期待していないのか? 新しい真理を知って、心が喜びに踊るのを最後に感じたのは、ずっと昔のことなのか? あるいは、ただわたしへの純然たる喜びと、わが選ばれた少数の者であり、わが花嫁の一人であるという幸せゆえに、並はずれた、常識はずれのことを最後にしたのは、ずっと昔のことだろうか? それがずっと昔のことならば、わだちから抜け出て、わたしにあなたを驚かせ、興奮させ、あなたを生まれ変わらせ、変え、人生と生きることへの沸き立つ喜びと熱意を、あなたが若かった頃よりもさらにたくさん与えさせなさい! 「上向き」の人間になるよう努力しなさい。すべての場合において「現実主義」となるあなた生来の傾向に反して、熱意と楽観主義をしっかりつかみなさい。
38.人生への熱意と、わたしが行っているすべてのことへの熱意は、もっとわたしにあって生きることから来る。熱意は信仰の空にかかる虹であって、物事に新しい前向きの光を注ぐ。だから、熱意の霊を得るよう励みなさい。だからと言って、時々つまずいたり転んだりすることがないわけではないが、熱意ある人ですら、「倒れる時は前向き」だ。
39.あなたの内にあり、わが花嫁一人一人の内にあるわたしの復活の命は、おそらくあなたが気づいたり利用したりしたこともないほどの、実際のエネルギーだ。愛する人よ、あなたの内には、わたしを死からよみがえらせた父の御霊が宿っている。そして、父がわたしを死からよみがえらせたのと同様に、父は御霊によって、あなたの現世の体をもよみがえらせることができる。それは、わたしがあなたに与えた素晴らしい真理と約束の一つであって、わたしを通してあなたの内にあるこの復活の力は、超越するための同様の力をあなたに与えたのだ。それを自分のものとして要求しなさい!
94.(イエス:)超越とは、完全な勝利、幸せ、わが喜びの霊、楽しみをいつも持てるということだ。もちろん試練になったり、何かで身動きが取れなくなったりすることもあるだろうが、そんな時、あなたは超越することができる。あなたの仕事や人生に生じるもので、わたしにとって対処するのが難しいものは何もない。それを克服するのを助けることは、わたしにとって難しくない。
95.つまり、あなたが陥るどんな状況においても、命と希望と喜びがあるのだ。いったん超越することを学んだなら、人生における幸せは無限となる。 96.人生は困難や試練や問題であふれている。それは人生につきものだ。あなたの人生に対してわたしに働きかけさせ、環境や状況を使ってあなたをより良い宝石に形成させるならば、すり減り、削られ、すりつぶされ、磨かれることによって、あなたは今のような宝石になる。あらゆる小さな心配事にもあなたは落ち込まない。それらは、あなたを超越と、可能だとは知らなかったあらゆる喜びや充実感へと押しやるだろう。
97.超越し、どんな時でも超越する能力があるということは、心配や恐れをやめられるということでもある。あなたが超越するのをわたしが助けられないものは何もないからだ。何が起こるだろうかと恐れたり、心配したりする必要はない。あなたにはわが保証があり、一度超越する術を学んだなら、難しすぎることは何もなくなるからだ。あなたは、超越することから来る余分な特別の霊的な力と強さを持つようになり、不可能なことはなくなる。
98.小さな問題であろうが、大きな問題であろうが、あなたは超越することによって、負担を負わずに何かを乗り越え、克服するための同等の勝算を得る。あなたはわたしに思いわずらいを委ね、自分を支えてくれるとわたしに信頼することができる。自分で何かをしなくてはとあまり心配する必要はない。なぜなら、わたしがあなたを通してそれをしているからだ。わたしはこれから、御国の鍵の力によってあなたが超越するのを助ける。わたしはこれから、この特別で二つとない力を与えることによって、あなたの内に、またはあなたを通して生きるのだ。
99.つまり、今あなたには、敵があなたを落胆させたり、邪魔したりしようとするあらゆる手段において敵を打ち負かす力があるということだ。あなたはもう、敵やその攻撃を恐れなくてもよい。超越する力はより大きな力だからだ。それは敵の力に四苦八苦して戦うような力ではない。それはただ超越する。そして、保護されており不可侵であるわが霊の特別な領域、わが天の大気まであなたを持ち上げる。敵はそれに何も手出しができない。反撃したり、強化軍を呼んできたり、新しい武器や策略を取り出したりすることはできない。敵にできることといえば、あなたが超越して攻撃の手から逃れる間、むなしく奮闘するだけだ。だから超越する力とは、悪魔が戦ってくる月並みな肉的また霊的な争いよりもずっと大きなものである。この力は、たとえ何があっても打ち負かされないからだ。
100.あなたは、超越することの内にわたしが与えた力に気づかなくてはならない。それはただのたとえや、聞こえの良い言葉ではない。ただの霊的な象徴ではない。それは現実で生きている力なのだ。このことに気づきさえするなら、あなたは人生のあらゆる面においてもっと多くの信仰を持つことができる。自分を守ってくれる強く力強い恋人、夫がいるだけでなく、必要な時にはいつでも意のままに使える天下無敵の力があることに気づくようになるからだ。それはあなたがどんなに大切な存在か、わたしを通して自分がどんなに力強い存在かに気づくのを助ける。わたしはあなたがこの特別な賜物を与えるにふさわしいと考えたからだ。
101.だから、喜びなさい! それゆえにわたしをほめよ。それゆえにわたしを愛するのだ。それはあなたの救いであり、あなたが完成する前に整えるのを助けるだろう。あなたがつまずいたり、倒れたり、困難にぶち当たったりしても、信仰の翼で超越できるからだ。わたしがこの賜物を与えたという信仰、それを現実のものとするための御国の力を要求する信仰の翼で。そして、あなたはただそれを使用すればよいだけだ。それはあなたのものだ! あなたを新たなる高みまで上げ、現在また将来の困難を切り抜けるのを助けさせてほしい。わたしはあなたのためにそれをする。わたしはあなたを愛し、あがめ、思いやっているからであり、またあなたはわたしのものであり、特別な人だからだ。(以上、イエスからのメッセージ)
230.(イエス:)あなたは敵がでっち上げた鎖に縛られてきた。無気力の鎖、無感動の鎖、無関心の鎖、利己心の鎖、肉の思いの鎖、否定的になることの鎖、絶望の鎖に。望みを持つこと、楽しみにすることはとてもたくさんある! 将来はわたしのすべての約束のように明るい! 悪魔であれ、敵であれ、誰もわたしの計画を妨害し、わたしのプログラムをくつがえすことはできない。 わたしたちは克服する! わたしたちは勝利を得る! あなたは勝つチームについており、わたしたちは成功する! しかし、そのチームでどんな選手になるかはあなた次第だ。大半は脇に座って声援を送り、時々他の選手の代わりをするメンバーになるか、それともそこに出て行き、走り、全力を尽くし、自分の持てるすべてを捧げるスター選手の一人になるか、それはあなた次第なのだ! わたしはただ自分の仕事を押し進めることを言っているのではない。それを理解してほしい。仕事に集中し過ぎるのは、わたしを一番目の場所から押し出すもう1つの方法になり得るし、よく犯してしまう間違いだ。わたしが言っているのは、あなたの人生全体のことだよ。つまり仕事やわたしとの時間、他の人との相互関係、そのすべてがわたしの弟子となる熱意と献身で満たされるようになることだ。
231.あなたが欠けていると感じてきたのは救いの喜びであり、わたしはそれを戻してあげたいと思う。あなたの人生には別の問題や争点がある。しかしいったん救いの喜びが霊的血管を流れるようになれば、他のことはもっと簡単に解決するだろう。それは命と光と栄養をもたらすようになる。
232.どうやってそれを手に入れるのだろう? どうやってそれを感じるのか? 霊のうちでわたしに再献身することから始めなさい。今、この瞬間にさえ、あなたの心と霊をわたしに再び捧げることできる。それらすべてをわたしの手に置くことができる。わたしに第一の場所を与える決意をして、委ねることができる。時間の使い方から始めなさい。それこそ本当に大事なことである。人は大切と思うことに時間を使うのだ。わたしとの時間をもっと取るため、また質の高い養われる時間、充電され、新たにされる時間を一日も欠かさず取るために戦いなさい。わが言葉を読み、わたしから聞き、わたしを賛美し、愛し、祈りのうちに交わる時間を取るのだ。これらのことを毎日しなさい。30分かけられる時もあれば、数分しか取れないこともあるだろう。しかし少なくとも霊的生活のこれら一つ一つの面に取りかかろうと努め、わたしたちが共に過ごす時をどうやったら本当に大切にできるかを探求しているならば、あなたはいっそう良くなることを保証する。もっと幸せになり、もっと能率が良くなり、効果的になる。そして何よりも、わたしを喜ばせ、真の弟子として全身全霊でわたしに仕えることになる。ゆえにあなたの証しとパワーと効率はずっと良くなる。
233.今までずっと弟子ではなかったというのではない。しかし今わたしはあなたが活発な弟子となり、もっと霊のうちで強力になることを求めている。無気力の霊をなくすために戦うのは決意と力強さである。それを求めて祈りなさい。それを捜し求めなさい。人生に確固たる態度と活気をもたらすのは御国の鍵である。
234.わたしはあなたが自分の人生で物事を変えるために、そしてさらにはあなたのホームとミニストリーでも変化を求めて戦う決断と決意をしてほしい。それらがもっとわたしのデザインと計画、わたしの最高の意思にふさわしくなるようにだ。例えばかばかしく思え、もはや自分ではないように思えても、わたしのために喜んで愚か者になり、わたしのためにロボットになりなさい。あなたはもっと良い自分、もっとわたしで満たされた自分になる。それこそ本当に大切なことだ。(以上、イエスからのメッセージ)
わたしの喜びで満たされなさい!
(イエスが歌う:)
11.わたしはブクブク、ボコボコ言っている、
心の中でブクブク、ボコボコ!
歌い、笑い、それを伝えたい!
とっても幸せだから、
わたしを静かにさせることなんかできない!
わたしはブクブク、ボコボコ言っている、
心の中で、ブクブク、ボコボコ!
12.ハ、ハ、ハ! どうしてリーダーシップ・ミーティングに、この単純な子供っぽいコーラスの替え歌を取り入れたのかと思っているだろうね。さて、どうしてか教えよう。わたしはあなたがたに対する気持ちをとても真剣に捕らえていて、このちょっとした歌はそれをとても良く表しているからだ。わたしは心の底でブクブク、ボコボコ言っている。わたしの素晴らしい花嫁であるあなたのことや、あなたがしたすべてのこと、あなたの成長ぶりについて、わたしはとても幸せで、喜んでいて、誇りに思っていて、嬉しくて、恋していて、わくわくしていて、刺激を感じていて、興奮しているので、黙っていることなんかできないんだ! もうここまでわき上がっていて、歌って外に出してしまわないといけない!
13.その歌を歌ったもう一つの理由は、さて、これはあなたにとってとても大切だから、よく聞きなさい。それは、最初からあなたがたをリラックスさせたかったからだ。びくびくしたり、後悔したりしてほしくはない。神経質になってほしくはない。自分の失敗について考えていてほしくはない。すべてのことを完全に正しくやらなくてはと感じてほしくはない。悩んだり、失敗を恐れたりしてほしくはない。自分自身や、自分の仕事ぶりに失望してほしくはない。自分で自分に課した非現実的な期待に沿った行動ができないからといって、罪悪感を抱いてほしくはない。そんなに自分をプッシュしなくては、と感じてほしくはない。自分の不足点を見てほしくはない。わたしはそれを見てはいないのだから。万事順調だと知って平安を抱けるよう、最初からそれを全部、払拭(ふっしょく)したかったのだ。
14.今、そのすべてを脇に置いてほしい。そして、わが喜びで満たされてほしい。それがあなたの力となるだろう。わたしの愛、そして、あなたへのママとピーターの愛を確信してほしい。彼らもわたし同様にあなたの問題を理解していて、あなたのことを愛しており、祈っているということを信じてほしい。わたしはあなたのことをとても誇りに思っているし、ママとピーターも同様だ。わたしたちは、あなたがたがどれだけ成長し、進歩したかを見てきた。そして、あなたのことでどんなに喜んでいるかを告げたい。わたしたちはあなたの限界も理解しているし、サポート・スタッフが不足していること、自分の子供が大勢いること、肉体的な災いなど、果てしなく続くホームの問題状況で直面する困難も理解している。あなたには、戦うべきこれらすべての戦闘と、さらにもっと多くの戦いがある。わかっているよ、だから何も心配することはない。
15.わたしはあなたの劣等感や、自分に求められていると思っているすべての期待に沿わなくてはならないという気持ちを取り去りたい。時には、あなたの期待は非現実的で、あなた自身にこなせる以上のことをさせようとする。するとあなたは目的に達せなかったことで罪悪感を抱く。わたしはそれらすべての否定的な感情をぬぐい去りたい。わたしの書には、あなたが何度も何度も成功したと記されている! わたしはこうした恐れや心配をぬぐい去って、あなたに平安を与えたい。
17.聖句には、「主を喜ぶことはあなたがたの力です」とある。あなたがたの身にもそうなるように。それを信じ、自分のものとして要求するなら、わが喜びがあなたの力となると約束する。あなたはその約束にしがみつくことができる。今日から、それをあなたのモットーにするといい。なぜなら、恐れや心配があるなら、それはあなたを弱らせるし、[わたしがあなたの人生にもたらすものや、あなたに与えたいと思っているものから]益を受けることができないからだ。どんな不安も、恐れも、心配も、あなたの人生において流れるわが霊を抑えつけ、あなた個人の幸せをしおれさせる。だからリラックスしなさい。わたしに信頼し、ママとピーターに信頼しなさい。わたしたちはあなたを愛している。そして、あなたの仕事をもっと楽にしてあげたいんだ。
18.さあ、あなたの中でわたしの喜びを沸き立たせなさい! それをあなたの喜びとしなさい! あなたの勝利を喜びなさい! 戦いを喜びなさい。祝福を喜びなさい。大成功を喜びなさい。チェンジを喜びなさい。喜び、喜び、喜べ! あなたの欠点や一見敗北と見えるありとあらゆるものを見るのはやめなさい。わたしに仕えることは、喜びに満ちているはずだ! 確かにいつも楽しいとは限らないし、中途には多くの痛みや苦しみもあるが、心には常に喜びが沸き立っているべきだ。
19.覚えていなさい、わたしの喜びはあなたの力だ。その喜びはわたしとわたしの霊から来る。あなたのすべての良きわざからではない。わたしはそれも喜んではいるが。わたしはあなたの犠牲を知っており、それをも喜んでいるが、わたしへの、そして他の人たちへのあなたの愛ほど、わたしを喜ばせるものはない。
20.わたしがあなたの前に置くゴールや目標は全部、それそのもの、つまりゴールであることを覚えていなさい。それは、あなたを進み続けさせ、前進し続けさせ、信仰を引き伸ばさせるためのものだ。だが、一番大切なのは、わたしと他の人たちへの、あなたの愛なのだ。
21.(イエス:)ここでわたしが言っているゴールとは、わたしがあなたに求めたもののこと、つまり、わたしがあなたの前に置き、それを目指しなさいと言ったものだ。さて、それらのゴール以外にも、わたしは幾つかのものをないがしろにしてはいけないと言った。その内一番大切なのは、わたしとの時間だ。だからどうか、そのゴールは目指すと良いけれども、わたしはそれに達することを期待しているわけではないとして、あっさり片づけないでほしい。わたしとの時間に関しては、それは神聖なるものだ。わたしはそれをあなたに期待するし、それが可能だと知っている。そうしてほしいとわたしに求めるなら、わたしは道を開くからである。(イエスからのメッセージの終わり)
22.わたしがあなたにこれらのことを語り、歌を歌ったのは、わたしの喜びがあなたがたの内にも宿るため、また、あなたがたの喜びが満ちあふれるためである。だから、あなたの喜びを沸き立たせなさい! 自分を抑えないで! さあ、歌いなさい!
23.ブクブク、ボコボコ、
心あふれる!
イエスに救われ、歌い、笑う!
口を閉じてることはできない、
ブクブク、ボコボコ、
心あふれる!
24.これで気分がほぐれ、ビンが壊れたかい? 愛しているよ、尊い花嫁たち。一見敗北や不足と見えるどんなことも、わたしのちょうど良い時にすべて解決するだろう。だが今は、それをくよくよと考えている時ではない。今は、あなたの心を喜びで満たし、わたしが十分満足していることと、ママとピーターも同様であることを知るべき時だ!(以上、イエスからのメッセージ)
33.(イエス:)わたしの貴い花嫁の多くはとても忙しい。彼らは重い荷を負っており、仕事は来続け、日々の物事の運営はひどく疲れさせる。彼らは献身しており、忠実だ。そして、自分の分を果たしたがっており、責任を取り、御国を発展させたがっている。だが、物事の均衡が取れなくなり、仕事中心になり、やるべき事に焦点を合わせすぎて、彼らの全人生が、仕事や、ミーティングや、メッセージや、達成中心に回転するようになると、彼らはわが喜びを失ってしまう。そうなると、何かが間違っているという兆候だ。
34.彼らは、仕事の荷の下で喜びと幸せを失うのは、わたしの望みではないと気づく必要がある。そして、その観点を維持するために、彼らは人生においてバランスを取らなくてはならない。仕事の事を考えすらしない、メイトたちや子供たちと共に過ごすくつろぎと楽しみの、静かな平安とわたしとの交わりのひとときなしに進むのは、わたしが彼らに望む事ではない。わたしの創造物、わたしを愛する事、フェローシップ、セックス、子供との時間、リクリエーション、笑い、ほほえみ、感謝する時間といった、素朴な楽しみが押し出されるのはいともたやすい事だ。これらの物事のための余地がないなら、物事の釣り合いがとれていない。
35.わたしに荷を負わせる事が必要である事に関しては、非常に多くのカウンセルを与えた。わたしは一人一人が必要であって、わが花嫁たちが自分に無理強いするあまりわが喜びを失う所まで行くのを見るのは、とても悲しい。なぜなら、その時、彼らは焦点を見失い、物事はぼやけてきて、正しい見方ができなくなるからだ。核心となるのは、もし彼らが、立ち止まって、しっかりとした、養われ、落ち着いた、わたしとの時間を定期的に取れないぐらい忙しいなら、また、立ち止まってそれらのものを楽しめないぐらい忙しいなら、何かが間違っているという事だ。彼らは忙しすぎる。そして、忙しすぎるなら、彼らはそこにある喜びを全部失ってしまう。それは重圧、重荷になる。なぜなら、彼らはわたしに荷を肩代わりさせていないからだ。
36.ママを見なさい。彼女はいつもほがらかで、幸せで、良い事と人生の喜びを思っている。彼女は愚かでもいいかげんでもない。ガードを下げて制服を脱いでいるわけでもない。だが、どれだけやる事があろうと、どれだけ対処すべき問題が大きかろうと、彼女はそれでも幸せで、笑い、朗らかだし、ポジティブで高揚させる表情をしている。それが本当である事をあなたは知っている。彼女の見本にならいなさい。(以上、イエスからのメッセージ)
22.(イエス:)「うつ」を一言で言えば、思いをネガティブさに委ねることだ。信仰と希望と喜びをあきらめ、捨ててしまうことだ。光に背を向け、闇に向かうことだ。その闇とは、少なからず、あなた自身あるいは自己憐憫であり、一見「絶望的」また「悲しむべき」と思える周りの状況や状態だ。また、敵があなたの希望や幸福の火をねじり消すままにさせておくことである。
23.それは、思いや霊をネガティブさに委ねることだ。その結果として、肉体もすぐに変調をきたして、霊が弱まったことにより、あらゆる種類の病気や症状にやられる。この強力な破壊的武器と「うつ」という道具を使って、敵はあなたの心から、文字通り希望と信仰と喜びを奪い取る。それを奪い取ると、敵は、再生を起こすすべてのものを、あなたの霊から効果的に抑止できるようになる。
24.信仰と希望と喜び、これは全てわたしから出るが、この全ては再生の力を持つ。それ自体に物事を変える力がある。敵は、あなたがそれを敵に引き渡すなら、あなたには、賛美の声を上げ、御国の鍵を呼ばわり、御言葉を読み、心が晴れるようにわたしに向かって目を上げ、戦い続ける力さえほとんどなくなると知っている。あなたのビジョンはゆがめられ、損なわれ、不透明になり、あなたの思いは支離滅裂になり、混乱する。(以上、メッセージ)
論 点:
150.(ママ:)私は、毎日毎日非常に大きな荷を負っている人たちが、その仕事に人生に喜びを奪われることがないように気にかけています。ややもするとそうなってしまうものですが、そうなった場合、霊的強さの非常に大切な要素、つまり主の喜びがなくなってしまいます。
151.あなたは、それが間違った態度だとは思わないかもしれません。仕事や責任が増すにつれて次第にそれが忍び込んだので、荷を負い、仕事を果たすためにはそれが必要だとただ考えてしまうのです。でもそれは正しくありません! その点をはっきりとさせている、主からの非常に良いこのカウンセルを聞いて下さい。
神の観点:
152.(イエス:)幸福な弟子になるというのは、弟子としての見本の一部だ。クリスチャンとは幸せであることによって知られるべきではないのか? 規律やわが言葉を学ぶ者となることや、証人となることだけではなく、幸せな人、喜びに溢れた人となるのだ。しかも、ほんの少しの喜びではなく、言葉に尽くせないほどの喜びである。つまり、言葉では表現できないほどの喜びであり、わたしと人生について、幸福と満足と興奮で溢れ、目と顔が輝いているということだ。それが最も大いなる証しなのだ。
*
153.(イエス:)中には、子供やあまり責任が問われない仕事を持つ人を見て、彼らが幸せそうで、笑い、普段からただ陽気でにこにこし、人生を謳歌しているのを見ると、「自分もそうだったら」と考える人がいるだろう。あなたは、「主を喜ぶ事はあなたがたの力です」という節を考えるが、仕事のさなかにあって、その意味を忘れてしまう。人生を楽しむ暇などなく、仕事に楽しみを奪われると感じる誘惑に駆られ、あなたはただ疲れ、うんざりしてしまう。山ほどのすべき事に面と向かい、泣き出す寸前だと感じている人もいるだろう。
154.愛する人たちよ、かわいそうに。理解できるよ。そんな重みやプレッシャーを感じたいとか、ただ不幸しか感じないほど「仕事に縛られる」事を望む人は誰もいない。それなのに、そんな重しが自分にのしかかるのを許してしまった人がいる。幸福を感じる時間も余裕も場所もないほどまでに。あなたの表情は必要以上に、重荷を負っているように見える。それはあなたのためにも、わたしがあなたに与えた召しのためにも、わたしが望んでいるものではない。
155.逃れる道はある。わたしはあなたの喜びだ。わが愛の素朴さが消えかけた時には、人生の素晴らしさやわが霊の祝福に思いを集中するよう戦う必要がある。あなたが持つべきであり、またあなたが持つにふさわしい心の平安と幸福な人生を、仕事によって奪われてはいけない。ほとんど常に仕事は山ほどあるので、それによって物の見方が曇らないようにするのは大きな戦いだ。あなたは、仕事に付き物の責任、つまりひたすら続く重労働を果たさなくてはならないが、どうか、人生を祝うことをやめないでほしい。問題によって、わたしに仕えるという素朴な喜びを押しつぶされてはならない。
156.わが花嫁誰もがそうであるように、あなたも幸せになるべきだ。あなたは思いと霊の平安を持つことになっている。あなたに与えた仕事同様、それもまたあなたへのわが意志だ。人生への愛や、今日、自分がファミリーで生きていて、自分の仕事をしているという幸福感を、悪魔に奪われてはならない。あなたが仕事によって喜びを失っているのを見ると、わたしはとても悲しくなる。それはわたしの望みではない。
157.悪魔があなたを重荷で押しつぶすことに成功し、あなたが全く幸せでないという所まで行ってしまうと、その時あなたには、一日一日に直面するのに必要な力がなくなる。熱意を持って一日を始め、仕事を楽しみにするなら、物事はずっと簡単だ。重荷はなく、仕事をするのが楽しい。問題や何かも含めて、あなたはそれが大好きだ。たとえ重労働でも、あなたはそれが大好きだ。信仰、ポジティブさ、賛美の霊があなたを朗らかに保つ。それは、悪魔の重荷を超越するのを助けてくれる。あなたの心を高め、物事を正しい相関関係に保つ。
158.自分のしていることは、ある程度楽しむ必要がある。あなたの生活は楽しい経験であるべきだ。さもないと、仕事を楽しめず、人生を楽しめないだろう。自分自身のためだけでなく、一緒に暮らし、働く人のためにも、これは大切だ。周りの人は、あなたがわたしに仕えて幸せであるのを見なければならない。それはあなたの信仰を映し出しているからだ。
159.結局、あなたはわが意志の内にいて、フルタイムの奉仕をしており、わたしからのありとあらゆる約束や、御国の鍵や、大勢のスピリット・ヘルパーや、天国のすべての権威があなたの味方についている。あなたには、戦いに使える最新の霊の兵器がある。また、わたしからのステップ・バイ・ステップのカウンセルを聞くための預言もある。わたしはあなたに、地上にいる他のどのクリスチャンの花嫁たちよりも先に、霊の世界を啓示する。あなたはわが言葉から慰めを得ることができる。あなたには素晴らしいホームがあり、世界規模のファミリーがある。あなたには共に働く素晴らしいホームがある。わたしはあなたの必要を満たす。わたしは日々、あなたの上に愛と祝福を注ぐ。あなたは永遠のもののために働いている。あなたは魂を救っている。あなたは、それが何であれ、わたしに仕えるという仕事によって、毎日証しをしている。あなたは、ママとピーターとWSにいる人たちから、毎日祈りの力を受け取っている。ファミリーは前進している。あなたのアクティベーテッドの羊たちは成長している。
160.わが祝福はあなたの周り至る所にある。だから、わたしのために生きることの素晴らしさに思いを集中させるために必要なことは、何でもしなさい。仕事によってあまりにも荷を負ってしまうなら、あなたは倒れ、燃え尽き、到底、最後までやり遂げることができない。わが霊の「幸福剤」を飲みなさい。それはあなたにとって、わたしと二人きりの時間を取って再び満たされることや、心の底から賛美できるまでプレイズタイムをすること、チームメイトから祈ってもらうこと、鍵を暗記すること、あるいはただリラックスし、ウサギの耳を頭につけて子供と遊んだりなどして、子供と楽しい時間を過ごすことかもしれない。あるいは、この全部かもしれない。何にせよ、どうか悪魔の鎖に抵抗し、わたしにあって幸せになってほしい。
161.あなたは、人生に再び喜びを注ぎ入れてもらうことができる。喜びの鍵を要求し、その結果を期待しなさい。それはあなたにとって力となり、仕事をずっと簡単に、楽に、さらには楽しいものにするだろう。
*
162.(イエス:)この戦いにおいて、誰にも太刀打ちできない賛美の武器を忘れてはならない。悪魔は何でも使ってあなたを押しつぶそうとするだろうが、賛美の武器は、あなたが悪魔の毒手から抜け出て高く超越するのを助ける。あなたが賛美し始める時はいつでも、わたしはそこにいて、わたしのような見方で物事を見るのを助け、信仰、平安、わたしへの信頼であなたを満たす。そしてそれは、あなたがリラックスして、心底幸せになり、わが喜びで満たされるのを可能にするだろう! 重荷を負いすぎている時には、本当に幸せになることはできない。だから、そんな風に感じる時はいつでも、わたしを賛美し始めなさい。賛美の武器を作動させ、悪魔を追い出しなさい!賛美すればわが霊が降り注ぎ、あなたの喜び、つまりあなたの内にあるわが喜びや、天国的な物事の見方が戻ってくる。愛しているよ!(以上、メッセージ)
まとめ:
163.あなたが幸せになり、思いと霊の平安を持つのが、神の意図されるところ! 地上を去るまでは常に私たちと共にある人生の重荷や思いわずらいに、喜びを奪われてはならない。そうなる必要はないのだから!
チャレンジング・ソーツ:
164.(ダッド:)私たちには世界一のボスがいて、給料も最高給(私たち自身の願いや夢に合わせられた永遠の報酬と、それまでの間、地上で必要になるどんなものでも供給されるという保証)、最高の恩恵(健康、保護、安全、生涯雇用の保証)、最高の職(他の人が素晴らしいイエスの内に幸せを見出すのを助ける)、最高の仕事仲間(私たちは結婚しており、永遠に渡って愛の絆を楽しむ!)、そして、永遠の天国が待っている!! それ以上、何を求め得ようか?!
鍵の約束:
165.喜びと幸せの鍵を要求しなさい。そうすればその二つは共に、わが力と観点を注ぎ入れる特別な経路を開く。状況は必ずしもすぐに変わらないかもしれないが、鍵を要求した後のあなたの人生観は真新しくなり、わが時とわが方法で解決策が訪れるだろう。
わが喜びはあなたの力。わたしを賛美することで、力が得られる
79.(イエス:)この二つはどう作用し合うのか? 賛美は喜びをもたらし、喜びは力をもたらす。賛美する時、あなたは自分自身や自分の問題、思いわずらいを忘れている。自分自身から気をそらし、代わりにわたしを見ることは、心に甘美な喜びをもたらす。心にこのような喜びがあれば、もはや否定的な感情、疑い、恐れ、心配によって引き下ろされず、わたしはあなたに超越する力を与える。
80.これは単純な法則だ。
*心配や問題、疑い、恐れに満ちた心には、賛美を加える。
*否定的な感情が解消したなら、わが喜びが入ってきてあなたの心を満たす。
*すると、もはや否定的な力によって引き下ろされていない心は、超越することができる。
*超越することで、あなたは力を得る。
81.この法則は単純そうだが、どうやって重い心に賛美を加えるのだろう?
82.山に向かって目を上げなさい。自分から目を離し、上を見るという集中した努力を払いなさい。(詩篇121篇参照。) これにはあなたの努力を要するが、いったんそれをしたなら、そこから先はわたしがあなたを連れて行く。わたしはあなたの心を喜びで満たす。わたしは敵と敵の否定的さを追い払う。あなたの賛美は保護のバリアを作る。敵はそれを貫けない。鍵の力を呼び求め、上を見上げる気力を得なさい。あなたが呼び求めるなら、わたしは応える。それがわたしからあなたへの約束だ!
64.(イエス:)愛する人たち、貴い花嫁たちよ、人生の重荷や思いわずらいが重くのしかかっていると感じているなら、このメッセージはあなたのためだ。大変すぎる、全ピラーの評価基準を果たせるはずがないと感じているなら、このメッセージはあなたのためだ。やり遂げられないのではないかと心配しているなら、じっと座ってこれを聞いてほしい。
65.このメッセージは新しい啓示や耳新しいものではないが、わたしはあなたが今、これを聞かなければならないと知っている。わたしと共に座り、共に横たわり、あるいは共に歩こう。何であれ、あなたがリラックスしてわたしのことを思い、わたしと共にいることを楽しめる状況でわたしがあなた個人にこのメッセージを与えている光景を思い浮かべなさい。
66.あなたへのわが愛と気遣いについて深く考えてほしい。あなたをしっかり抱き、髪の毛をなで、涙をぬぐい、懸念を和らげているところを思い浮かべてほしい。わたしがあなたを、あなただけをどう見ているか、またあなたがわたしにとってどんなに大切かを思い浮かべてほしい。何よりも、あなたのための尽きることのない愛と、わたしはあなたのためにならないどんなこともしないと知ってほしい。あなたはそれを信じ、信頼するか?
67.さて、あなたの心と霊に重くのしかかっている試練について、心を割って話し合おう。あなたはそのせいで、進み続けられない、大変すぎると感じ、また、戦いや、とても多くの面での変化を求められていることで肉体的にも霊的にも疲れ果ててしまっている。
68.一度に全部するには確かにたくさんある。そしてあなたのシェパードたちもそれを知っている。彼らも疲れている。改革はすべての人にとって変化の時となっており、変化が簡単であることは滅多にない。特に、犠牲、もっと与えること、わたしのためのプロの弟子となるべく励むことに関わる変化はなおさらだ。だが、愛する人よ、わたしはあなたに負える以上のものを与えなかった。わたしはあなたに不可能を求めてはいない。ある面ではそう見えるかもしれない。特にここ数ヶ月に起こったすべてのことを見るなら。とても多くの面で変化があり、それからホーム再評価で、あなたは再度、強め、変えるために働きかけるべき面がもっとあると気づいた。
69.だが、愛する人たち、そのような絶え間ない前進運動があなたを生き生きと保つのだ。それによってあなたはわたしに必死に頼り続けている。わたしはあなたを、腰を落ち着かせ、凝り固まり、停滞した状態にしていない。改革の変化は無期限に続きはせず、物事は落ち着き、収まっていくが、わたしは引き続きあなたの人生に働きかけ、あなたを変え、霊的に油断のない状態に保つ。
70.それがわが霊だ。いつも変わり、動き、革命し、あなたを新鮮で生き生きした状態に保つ。もっと居心地の良い生活に落ち着いて霊の火花を失うよりは、あなたもその方がいいだろう? あなたをこの世とそれほども異なったものに保つのは、わが霊の火花だ。クリスチャンにとって最も居心地の悪い場所とは、居心地の良い場所だ。腰を下ろしてただ気楽にやってほしくはない。腰を落ち着ける時、わたしはあなたの中であますところなく働くという素晴らしい可能性を失う。それは神の国にとってもあなたにとっても、どれほど悲しい損失だろうか。
71.だが、そうは言ったが、誤解しないでほしい。わたしはあなたに、重荷を委ねてほしいのだ。わたしはあなたに、毎日わが腕とわが言葉にあって休む時間を取ってほしい。くつろぎ、楽しむ時間を取ってほしい。人生も楽しんでほしい! だから、やるべきすべてのことでプレッシャーを受けることで、敵にそれを奪われてはいけない。わたしを第一に置くなら、わたしはその他すべてのものを添えて与える。問題や困難への解決策であれ、わたしへの奉仕の興奮であれ、楽しいくつろぎの時間であれ、その他何であれ、すべてを。
72.だから愛する人たち、荷を降ろしてそれをわたしに委ね、忍耐を持ちなさい。物事がうまく収まり、もっと良く見えてくるという忍耐を持ちなさい。「神の御旨を行って約束のものを受けるため、あなたがたに必要なのは、忍耐である」(ヘブル10:36)。その「約束のもの」とは、改革と、より強く、固く結ばれたファミリーから生じる。約束のものとは、あなたが勝利チームを築くために注ぎ込んだ結果に生じる実だ。また、約束のものとは、わたしがあなたをこの両腕に迎え、「良い忠実なしもべよ、よくやった。主人と一緒に喜んでくれ」(マタイ25:21)と言う時に成就される。
73.あなたは努力と変化の甲斐があったとわかるだろう。たった今は、注ぎ込んでいるすべての仕事からあまり益が生じていないように思えても、がっかりしてはいけない。愛する人たち、忍耐を持ち、わたしに信頼しなさい。あなたはわが約束の成就を見るだろう。すべては実現し、一つとして失敗するものはない。(以上、メッセージ)
5.(ママ:)ファミリーの皆さん、覚えていて下さい。私たちは人生を楽しみ、互いを楽しみ、何よりもイエスを楽しむべきなのです。私たちは悲しい宗教ではなく、幸せな宗教です。私たちは主への奉仕を真剣にとらえていますが、同時に、聖書にあるように「言葉に尽くせない喜び」を抱いています(1ペテロ1:8)。私たちには、幸せになるべき事、夫である主を賛美すべき事、祝うべき事がとてもたくさんあり、また極限まで楽しむべき素晴らしい人生があります。私たちの人生は、この世の多くの人たちに比べて、長く幸せな大冒険なのです。
6.ですから、私たちが祝福として与えられている幸せな生活、私たちが知り、共に暮らすという特権にあずかった友、愛する人たち、家族、(そしてその過程で出会う人たち)、私たちが負う栄誉にあずかっているイエスのための大切な責任、愛し、訓練し、育てる上で私たちが大きな役割を担える子供たち、そしてイエスのための楽しく、生き生きした、革命的な人生に注がれるすべてのものの甘美さを味わうのに必要な時間を、常日頃から取りましょう。
7.このGNを読みながら、イエスのための素晴らしい人生について考えましょう。じつに、私たちには、言葉で言い表せないほど感謝すべきことがあります。そして、この世のどんな人よりも人生の楽しみがたくさんあるのです。イエス様、完璧な幸せの源となってくれてありがとう! また、どのようにすれば私たちの生活やホームがもっとバランスを取り、楽しめるかについて、私たちを養い、指導するための言葉をこのGNで与えて下さっていることも感謝します。
81.(イエス:)あなたのホームがどれだけバランスが取れているかを簡単に示すものがほしければ、みんながどれだけ幸せかを自問しなさい。ホームの人々はわたしの喜びを現しているだろうか? それとも、誰もがいつもストレス下にあって忙しく見えるだろうか? あなたのホームの人たちは、全体的に、平安、信仰、信頼の霊を発散させているだろうか? それとも、物事が急に起こり、人々はクタクタになっていると感じることがよくあるだろうか? あなたのホームにいる人たちは忙しすぎて他の人たちのために時間を取れないのだろうか? 忙しすぎて、一分か二分立ち止まって子供に話しかけたりできず、忙しすぎてハグできず、忙しすぎて誰かに感謝を示せず、忙しすぎて一日の終わりにリラックスしてフェローシップする時間を取れないのだろうか?
82.あなたのホームにバランスが取れているなら、人々は幸せだろう。なぜなら、必要が満たされるからだ。あなたがたは平安、信仰、信頼を発散させるだろう。人々のために時間を取るだろう。あなたはわたしのために時間を取り、あなたのホームの霊は良いバランスの証しを生むだろう。あなたのホームを見たり、あなたのホームに訪問した人たちは、あなたがたの霊によって、物事のバランスが取れているかどうか、ホームの人たちの必要が満たされているかどうかがはっきりとわかる。
84.わたしに仕える上で喜びと幸せを現すのはとても大切だ。そして、それはおもに、ホームがすべての物事についてバランスを良く取ることから生じる。懸命に働くが、働きすぎない。子供に時間を注ぎ入れるが、他の大切な事柄をおろそかにしない。毎日わたしとの時間を過ごし、それを価値あるものとする。その人がそれを受けるにふさわしいという理由で、人々との時間を取り、彼らを愛していること、彼らのための時間があることを示す。くつろぎ、元気を取り戻し、フェローシップし、わたしが祝福として与えた愛の絆や同胞愛を楽しむ時間を定期的に取る。
85.わたしはあなたがたのホームを、どれだけ懸命に働くかだけで判断するのではない。全体像を見て、大切なことすべてに十分な時間が当てられているかどうかを見る。わたしはあなたのホームにバランスを見たい。また、わたしの優先順序に従って忠実にスケジュールするのを見たい。天国に行った時、くつろぎや楽しみの時間を取らなかったゆえに、あるいは忙しすぎて子供をよく知り愛する時間などないと思ったゆえに、また、人々のために立ち止まって十分な時間を取らずに、急いで生きてきたゆえに、どれほどの喜びを逃したかを知るなら、あなたはきっと悲しくなるだろう。
86.あなたが天国に着いた時、わたしはあなたに、「私は良い人生を過ごしました。イエスのためにぎっしり詰まった人生を送るために、昼も夜も働いたのですから。主のためにとても忙しくして、多くの良き仕事を成し遂げました。本当に多くを成し遂げました」とは言ってほしくない。こう言えるようであってほしい。「私は他の人たちに主の愛を与えることで、イエスのための人生を十二分に生きました!」と。バランスの取れた生き方をするおもな目的は、ただそのように生きることではなく、それによって他の人たちに対して愛情深くあり続け、わたしを第一に置き、燃え尽きないようにすることだ。あなたがわたしの前に立つ時、あなたは自分のバランスの取れた生活の実か、あるいはバランスの取れていない生活の実のいずれかを見る。バランスが取れていたかどうか自体を見るのではない。それがわたしの愛で満たされていたなら、わたしはあなたの奉仕に満足し、あなたもそれに満足するだろう。
167.(祈り:)イエス様、私たちはあなたのように楽しくなりたいです! あなたは宇宙一クールで、飛んでる方です! あなたは単に偉大な神、大祭司というだけでなく、本当に私たちの所まで降りて、楽しむのが好きです! あなたは天国で楽しまれ、私たちの楽しみにも加わるのが大好きで、それを特別で忘れがたく、あなたの霊によって高められていない時よりもずっと良い時にして下さいます。
168.イエス様、あなたに仕えるのに忙しすぎて、人生を楽しんだり、あなたが与えて下さった愛する友や家族を楽しむのを忘れることがありませんように。何よりも、あなたとの時間を十分取らなかったり、くつろいだり元気を取り戻したりするための時間を取らないことで、消耗し切ることのないよう助けて下さい。それがどれだけ大切かを忘れずにいて、そのために必要な犠牲を払い、スケジュールに組み込めるよう助けて下さい。それが大切なら、あなたはきっと、その時間を割り当てるのを助けて下さいます。
169.そして、楽しみ、くつろぎ、気晴らし、娯楽の時間を取る時には、素晴らしい夫であるあなたを忠実に交えられるよう、助けて下さい。すべてのことにあなたを交え、アクティビティーやパーティーにあなたを招くのを忘れることがありませんように。それによって、あなたはアクティビティーやパーティーに、御霊の余分の活気や熱気を添え、同時にあなたの御心の境界線内に私たちを保つことができます。あなたを交える時には、それがどんなアクティビティーやイベントでも、いつだってもっと良くなります。イエス様、あなたは楽しみの時間をもっともっと楽しくして下さいます!
170.私たちは、助けてくれるスピリット・ヘルパーたちを呼び求めて、お互いに、そして何よりもあなたと楽しい時間を過ごしたいです。イエス様、こんなにもものすごくパワフルでいながら、とても個人な親しみがあり、地についていてくれて、ありがとう。私たちと一緒のことをして実際に楽しむほど、私たちを愛してくれてありがとう。あなたが私たちのすぐそばにおられ、山ほどの幸せや楽しみを降り注ごうとしておられることを、決して忘れることがありませんように。イエス様、あなたの霊の祝福と賜物を感謝します。
Excerpts from the book by Paul Faulkner
ATTITUDE ADJUSTMENT
If you want to make wrong things right, if you want to set the world straight‚ if you want to get your act together, you have to get your attitude right. Get your heart right. Everything you are and do is a product of your attitude about life.
All of God's creatures lug around an atmosphere, wherever they go. When a little black-and-white bundle of fuzz called a skunk is around, he's in full charge of the atmosphere—both his and yours. The skunk has no choice. But if your attitude stinks and is fouling up the atmosphere for those around you, it's because you choose to stink. When your attitudes go wrong, you can choose to make them right.
Your disposition sets you apart, in one way or another—a positive way or a negative way. Do people stay away from you as they would a skunk? Or are people attracted to you as they are to a single bright star in the night? "Do all things without murmurings and disputings; that you may be blameless and harmless, the sons of God, without rebuke‚ in the midst of a crooked and perverse nation, among whom ye shine as lights in the world" (Philippians 2:14,15).
Right attitudes are the foundation stones of successful living. All that you are and do today is the sum total of your thoughts and attitudes of yesterday. You will travel the path tomorrow which your heart and mind blaze today. The thoughts, images and perceptions cast upon the screens of your mind become the blueprints you will use to build your future.
The Bible says, "As a man thinketh in his heart, so is he" (Proverbs 23:7). It adds, "Keep thy heart with all diligence, for out of it are the issues of life" (Proverbs 4:23).
Do you hear what the Bible is saying to you? Peter looked at Simon the magician and said, "You've got heart problems" (Acts 8:21). Jesus looked at the people of Jerusalem and said, "Their hearts are far from Me" (Matthew 15:8). Heart problems can mess up your life.
Karl Menninger, a celebrated psychiatrist, said‚ "Attitudes are more important than facts (appearances)!" But we humans have always had a tendency to judge a person by his outward appearance (facts). This happened when Samuel saw Eliab and thought God would surely anoint him king. Eliab was good-looking, tall, seemingly a fine man. But God said: "Look not on his countenance, or on the height of his stature‚ because I have refused him; for the Lord seeth not as man seeth; for man looketh on the outward appearance, but the Lord looketh on the heart" (1Samuel 16:7).
You can always spot folks with bad attitudes. They swell up like a toad when they don't get their way. They're always grumpy and out of sorts. Read this out loud to yourself: "Murmur, murmur, murmur." Sounds just like what it means, doesn't it? God said the Israelites were murmuring and complaining. Can't you just hear them? Or there's the boy murmuring as he walks through the garage into the yard after you have told him to mow the grass. Can't you hear him? As I was growing up, my mother would sometimes tell me‚ "Paul, you just have a bad attitude!" And you have probably heard the response loud and clear: "I do not!" I gave myself away with that answer.
I heard about one fellow who said to his complaining friend, "Did you wake up grumpy this morning?"
And the friend replied, "No‚ I just let her sleep!" He couldn't see his own grumpy attitude, but he could sure see it in someone else. And that's typical, isn't it?
If you get right with God‚ and your heart's right with Him, you don't have to worry about having a problem with other people; it will take care of itself.
Is your heart right with God? If so, you are likely right with your family, friends and coworkers, too. If your attitudes rebel against God, you're likely "out of sync" with those around you as well. It's a direct parallel.
PREDISPOSITION
Do you ever decide before you even meet a person that you're not going to like him? Do you ever make up your mind before you go somewhere: "I'm not going to like it"? Or before you go to the company picnic‚ do you think, "It will be boring"? The fact is you usually find exactly what you expect to find. Your predispositions determine beforehand the way you will see things.
Consider the perceptions of two neighbors: The first husband wakes up in the morning and looks at his wife. Her hair is in rollers. Her face is covered with cold cream. There's a rip in her robe. The guy thinks: "Man, what on earth am I doing married to this?"
The fellow next door wakes up in the morning, looks at his wife and sees the same things. Her hair is in rollers. Her face is covered with cold cream. There's a rip in her robe. But he thinks: "Isn't she a doll? She jumps up in the morning, fixes breakfast and gets the kids off to school before she takes care of herself! What a wonderful wife!"
What made the difference? Attitude! Psychological tests reveal that our responses toward others are determined more by our attitudes than by what others actually do. It's all in how we look at things.
For example‚ a child spills a glass of milk. Mama is in a good mood, so she says, "Oh, dear, the milk is spilled. I'll make a dam with this napkin. You run get a towel, and we'll clean it up." When her disposition is cheerful, the mother addresses the issue, which is the milk, not the child.
Two weeks later, the same child spills some milk and the same mom points her finger at the horror-struck child and shouts‚ "If I've told you once, I've told you a thousand times not to set your milk so close to the edge of the table! (and then there is the usual question) Haven't I? Haven't I?" The mother makes what the child does the issue, not the milk. Do you remember being at the end of one of those pointing fingers? You don't know whether to shake, cry, or just roll over and play dead.
How do you treat someone when they mess up? Do you put them down with a barb like‚ "I've told you a thousand times, haven't I?" Do you kick them while they're down? Or do you gently pick them up, dust them off and get them going again? It all depends on whether you are predisposed to find the negative or the positive in life and people. You'll find what you're looking for every time.
Negative attitudes toward people and things distort our mental capacity to see things as they really are. So, we respond foolishly or irrationally to the bogus notions our minds invent about people and events.
TURNING THINGS AROUND
Here's the key to a changed attitude about life: Not only can we change our attitudes‚ we can change them in any set of circumstances. Think about the thief on the cross‚ for instance. He was nailed to a cross‚ in excruciating pain. It was a horrible circumstance, to say the least. He had apparently been railing away at Jesus; then he had a change of heart, a change of mind. He changed his attitude from bad to good in the midst of the most horrible circumstances. You can change your attitude‚ your mindset, your heart, in any set of circumstances.
Ella Wheeler Wilcox wrote this truth in poetry:
One ship sails east and another west
While the selfsame breezes blow.
'Tis the set of the sail and not the gale
That bids them where they go.
As the winds of the air are the ways of fate
As we voyage along through life.
'Tis the set of the soul that decides our goal
And not the storm and the strife.
The Apostle Paul said it this way: "I have learned, in whatsoever state I am, therewith to be content" (Philippians 4:11). And that was a mouthful for a guy who was beaten‚ put in prison, stoned, shipwrecked and chased out of town after town. Yet, do you find it difficult to be content even in the lap of luxury? Attitude‚ that's the difference.
WHEN THINGS GO WRONG
Things are going to go wrong in your life. That's the way life is. It's a series of mishaps and problems that you must solve. It's like a mouse trying to run a maze. There's a place to go in and a place to come out‚ but there are a lot of dead-ends and walls to overcome in between. When you hit a wall, you just have to change your attitude‚ your heart and your action to make them right. If you don't change your direction, you just keep butting your head against the wall‚ because the wall won't budge.
It's up to you to change your life. It's up to you to make things right when things go wrong. And God has given you the power to do it. "I can do all things through Christ which strengtheneth me" (Philippians 4:13).
WILL TO, WHETHER YOU WANT TO OR NOT
Robert was physically handicapped. He was confined to a wheelchair because his muscle movements could not be controlled. Robert's speech was so slurred that he was difficult to understand. You're probably thinking: "Poor guy. What a miserable life!" But wait!
Robert was a student in the university where I taught. And what a delightful person he was. He was a favorite among the students because his attitude was so wonderful. He had his "willer" in control and was living a full and exciting life.
Robert couldn't write, so he would carry carbon paper with him to class and ask the student next to him to put the carbon paper under his own paper as he took notes. If that student took good notes, Robert had good notes. If not, Robert had poor notes, too.
He couldn't pull himself forward in his wheelchair, so if no one was around to push him‚ Robert just turned around and pushed himself backward with his feet, looking over his shoulder to see where he was going.
One day Robert came too close to the edge of some stairs in the administration building. Robert‚ wheelchair, books and all went tumbling and crashing down the stairs. The wheelchair rolled off down the hall, and Robert ended up sprawled out on the floor but relatively unhurt. Several concerned students rushed over to help him. From his rather undignified position, Robert looked up at his rescuers‚ laughed out loud and said, "Let me teach you how to dance!"
Robert was a Christian and he wanted to preach and share the message of Christ with others. One Sunday he spoke to a large crowd of over a thousand Christians in church. He sat in his wheelchair on the podium with his Bible in his lap. He struggled hard to speak plainly and to not let his arms wave about. Very few people in that audience understood all of Robert's actual words that day‚ but not one person missed the message of the love of God he communicated. There wasn't a dry eye in the place when he finished. And everyone went away trying to remember what their own flimsy excuses were that kept them from sharing God's love with others. How legitimate it would have been for Robert to make the same excuse Moses made: "Lord, I just don't speak well enough!" But he didn't.
The last time I heard about Robert he had gone overseas with a group of missionaries. He had them put posters on the sides of his wheelchair and park him on a busy downtown street corner. There he sat all day every day handing out tracts to passers-by about the Lord that was so important to him. He truly had the mind of Christ. And he had, indeed, become the dynamic preacher he so wanted and willed himself to be.
See, folks‚ Robert had learned to be content in his seemingly impossible circumstances. He was making the most of what he had and not worrying about what he didn't have. He had mastered his circumstances with his good attitude, instead of allowing his circumstances to master him.
LIVING RIGHT IN AN ALL-WRONG WORLD
What's needed is an inner attitude‚ an unshakable conviction that‚ regardless of the circumstances which life may send your way, with God's help you can triumph in your troubles, if not over them. To triumph in your troubles is really the only victory you need‚ "for great is your reward in Heaven" (Matthew 5:12).
In the first century‚ the Apostle Paul demonstrated this principle. Here's what he wrote to his brethren in the city of Philippi: "I have learned, in whatsoever state I am, therewith to be content" (Philippians 4:11). And Paul had been in some miserable circumstances. On one occasion he was falsely accused, beaten and thrown into prison, where he was shackled hand and foot. He was put in the inner prison (which we'd call the maximum security cell). But at midnight, of all things, Paul was singing. And he wasn't wailing the words to "Nobody Knows the Trouble I've Seen" either. He was singing praises to God (see Acts 16:25)! What a fantastic attitude in such dire circumstances. But if your heart is right with God, circumstances just don't count. Now, that may not sound very revolutionary the first time you hear it, but the idea grows on you. It suggests a truth that everyone has to wrestle with sooner or later: Until you're able to be happy in every situation, you can't really be happy in any situation.
No matter how hard you try to convince yourself to the contrary, your happiness and satisfaction in life are not determined by your actual circumstances but by your attitude.
HOW DO YOU CHANGE YOUR ATTITUDES?
How can you learn to be content in any situation? How can you achieve this significant goal in life?
Believe You Can
The answer is simple: Believe you can. Some psychologists would say that you can find happiness and contentment in life through your own human resources. They view each person as a self-sufficient being who can manufacture his own do-it-yourself kit to achieve whatever he believes. But I question that philosophy. I know many self-sufficient folks who see no need for an enabling power above or beyond their own. Yet‚ I know very few who have learned to be content "whatever the circumstances!" God has made it clear that whatever we accomplish is not by our own power, "but by My Spirit, says the Lord Almighty" (Zechariah 4:6).
How did Paul learn to be content in any set of circumstances? Did he learn it through his own human self-sufficiency? No way! Rather, he said, "I have learned the secret of being content in any and every situation. ... I can do all things through Him (Christ) who strengthens me" (Philippians 4:11-13).
What exactly did Paul mean by this stunning claim? Was he actually saying that with Christ's help he could do anything? Some folks take it that way‚ but does that fit the context of what Paul said? I don't think Paul is claiming to be some sort of superman who can pray for Christ's help and then leap buildings in a single bound or catch bullets in his teeth. He is simply saying what any committed Christian can say: "In Christ's strength I can be content in whatever circumstances life may choose to hurl at me. His Spirit will help me do anything God wants me to do."
Role Models
Another good role model to follow in learning contentment is the prophet Habakkuk‚ who could say:
"Though the fig tree does not bud, and there are no grapes on the vines, though the olive crop fails and the fields produce no food, though there are no sheep in the pen and no cattle in the stalls; yet‚ I will rejoice in the Lord, I will be joyful in God my Savior" (Habakkuk 3:17-18).
These are certainly not the words of a man who allows negative circumstances in life to spoil his personal happiness.
One Christian who found great strength in the Lord, despite much personal suffering, was Edith Reuss‚ a young wife and mother who died of lupus at age 34. Before her death she wrote:
"Joy is knowing that even our crosses in life can be used by God for His glory and our good. We are too finite to see the overall picture‚ but we can trustingly thank Him even for the pain‚ because we have the assurance that though He doesn't deliberately cause us pain‚ He is still there and in control. Joy is this reassurance, but it is also more. Joy is a deep‚ soul-realizing knowledge that whatever our situation, God is hanging in there with us. He rejoices when we rejoice; He cries when we cry. He allows us our free will, even though He knows we will hurt ourselves by it, just because He loves us so much. He is always there. Emmanuel‚ God with us. As far as I know, this is the ultimate joy. It is something that death and depression, doubt and lupus flares cannot weaken. Is there even more joy than this? I wonder and thrill at the possibilities."
Contentment, even in the face of death. It is the art of looking at what you have left, rather than what you've lost. It's looking at the donut and not the hole. It's seeing a glass of water as half full, not half empty. It's accentuating the positive and eliminating the negative from your life.
It's a thought worth repeating: The way to change your attitude is to believe through Christ that you can.
GRAB YOUR WANTER BY YOUR WILLER
Once you believe you can change your attitude and learn to be content in any set of circumstances‚ then you must decide you will change. The fact is, you can will to change. You can grab your "wanter" by your "willer" and turn your life around! You can will to, whether you want to or not.
Abraham Lincoln once observed that, "People are about as happy as they choose to be!" And that's about right, isn't it? Even among non-religious folks there are some who are happier than others. Why? It's because they have come to grips with life in a more responsible manner than others. Their lives are under control because they have their wanters in submission to their willers.
Comparison Kills Contentment
Contentment largely depends on your ability to be satisfied with what you have and not worry about what everybody else has. Life is filled with this type of thing. You probably have a friend who makes more money than you do. He lives in a larger house and drives a finer car than you (even though you're obviously smarter and more talented than he is). How you handle the difference depends on your attitude. If you're always comparing yourself and your situation to others, you'll always be discontent. You'll spend all your time at a personal pity party that will destroy your happiness and contentment. But you can choose to rejoice in the good fortune of others, and you will spend your life rejoicing and happy "whatever the circumstances."
Change Your Way of Thinking
Now that you believe you can change, and you've decided you will change, you'll most likely have to change the way you think. Fundamentally, our challenge is to learn how Christ thought and then make His thoughts our own. The Bible says it this way: "Bringing into captivity every thought to the obedience of Christ" (2Corinthians 10:5).
"You can change motivation and improve performance by changing the way you ... think," says David McClelland after a 25-year research study conducted at Harvard University.
Reframing—A Way to Change
One way to change your thinking is to reframe the way you perceive the circumstances that surround you until you can think of them in their most positive and favorable light. An artist can take an ordinary-looking picture and, by putting a decorative color–coordinated frame around it, completely transform the picture. You look at the reframed picture and think, "My, I didn't really see that picture's beauty until it was framed!" That's the gift of an artist. He has learned to display his handiwork in its most attractive form. Life can be reframed, too! Reframe the things around you until you can see them in their best light.
Biblical Reframing
The Book of James urges us to reframe our thinking this way: "Count it all joy when ye fall into diverse temptations!" That seems illogical. Why should we be happy about hard times? "Knowing this, that the trying of your faith worketh patience. But let patience have her perfect work, that ye may be perfect and entire, wanting (lacking) nothing" (James 1:2-4).
And 2Corinthians 4:7-9 emphasizes it again: "But we have this treasure in earthen vessels, that the excellency of the power may be of God, and not of us. We are troubled on every side, yet not distressed; we are perplexed, but not in despair; persecuted, but not forsaken; cast down, but not destroyed."
But what if something horrible, a real catastrophe, happens to you? Can you reframe catastrophe? A friend of mine was mugged and shot in the face.
When I saw her a while back, and the conversation fell into a discussion of this past incident. I said, "You must really resent that guy!"
Surprisingly, she answered‚ "No, I had to work through those feelings!" Then she grinned‚ pointed to her chin and said, "Say‚ have you seen my new dimple?"
If a catastrophe like that happened to you, could you handle it as well? Many would allow such an incident to rob them of happiness and contentment for the rest of their lives. But my friend shows that it doesn't have to be that way. You can reframe your thinking and find the dimple in the disaster.
The Say-Yes Face
President Thomas Jefferson was once riding horseback with some companions, and they came to a swollen stream. A foot traveler was there by the stream‚ waiting to ask someone on horseback to give him a ride across the rushing water. The President responded to the man's request. He pulled the man up on his horse and later set him down on the opposite bank.
"Tell me‚" asked one of the men, "why did you ask the President to help you across?"
The man answered‚ "I didn't know he was the President. All I know is that on some faces is written the answer 'no' and on some is written the answer 'yes'! He had a 'yes' face!" What you put in your heart will reflect in your attitudes and actions. If you have the mind of Christ, the yes attitude of Christ will show on your face and in your actions. Be more thoughtful than necessary‚ kinder than necessary, more compassionate and sympathetic than necessary. Keep practicing it and doing it, and people will begin to see that attitude written on your face.
USE IT OR LOSE IT
If you put your arm in a sling and keep it inactive, soon it becomes limp and useless. The fish in Mammoth Cave are blind because they do not use their eyes. Stop acting in faith, and faith dies. Stop hoping, and hope dies. Use it or lose it; that's the message.
When I speak with appreciation of my wife and children, my attitude of appreciation toward them increases. When I go out of my way to do something that puts the interest of someone else above my own, my attitude of goodwill toward that person grows. When I express my love for God through my actions, the attitude of love for God blooms.—So exercise the qualities you want to acquire‚ with God's help, and you'll soon find yourself actually becoming like that.
ACT BETTER THAN YOU FEEL
Wouldn't it be wonderful if you always felt like doing what you ought to do?
"Honey, the yard needs mowing‚ and you need to clean up after the dog!"
"Oh, good," you say. "That's exactly what I want to do!"
"Sweetheart, the clothes need to be ironed‚ and the bathroom needs cleaning!"
And you say, "Great! How did you know that's what I've been waiting to do?"
If life worked like that, you wouldn't have nearly so many problems. But life has its uncanny way of hurling you into situations where you must act better than you feel. Following your feelings often leaves important things undone. And it's so easy for feelings to misfire, lash out and cause devastating results. But there's good news: You can make things right when they've gone wrong by acting better than you feel.
JUST DO IT!
Do you like slick okra?—You know‚ the slimy, boiled kind. Well‚ me neither when I was growing up‚ but there is a way you can learn to eat that slick green stuff and like it. You have to say to yourself, "Eating boiled okra is beneficial to my health‚ and I'm going to keep on eating it and acting as if I like it until I do like it, even if it kills me!"
The attitude to want to like it plus the action to seal the commitment will work six times out of ten (nine times out of ten, if you don't give up too soon). You have to just do it. You have to act better than you feel about it.
FAKE IT 'TIL YOU MAKE IT
You may be thinking: "Faulkner, acting better than you feel is hypocrisy!" But you are a hypocrite only when you deceive others into thinking you are what you never intend to become, like an insurance salesman who goes to church to make sales rather than to become a better Christian. In contrast, acting out a part on the stage of life because you honestly desire to adopt the noble qualities of that character springs from genuine motives, not hypocrisy.
Members of Alcoholics Anonymous use a motto to encourage each other to succeed: "Fake it 'til you make it!" You can be sure these people are not using the term "fake" in a phony or hypocritical sense. Their intent is to make it. Their intent is to fake the feeling that they don't want a drink, one day at a time. "Acting as if" they are recovered alcoholics, they cast themselves in the direction of sobriety‚ until they really make it.
Hypothesis, Not Hypocrisy
The hypothesis is, "If you will keep acting as if you like to do what you do not want to do, the time will come when you will like and want to do it!"
O. H. Mowrer said: "It is easier to act yourself into a better way of feeling than to feel yourself into a better way of acting!"
I also like the way William James put it: "You don't sing because you are happy, you are happy because you sing."
Waitin' for the Urge?
The odds are overwhelming that you will never do what you ought to do if you wait for the urge to strike.
Let me level with you. If I had waited for the urge this morning, I would not have gotten out of bed at 6 A.M. to write these lines. By nature and temperament, I'm a night person. Mornings are not my thing. I throw one leg out of bed‚ and if it survives, I throw out the other leg. Then an arm. But when I finally get all my parts assembled in a standing position and the blood circulating, I feel downright cocky and proud. I don't feel like getting up early, but I feel good once I've done it.
Ernest Newman, an English music critic, said: "The great composer does not set to work because he is inspired, but becomes inspired because he is working. Beethoven, Bach and Mozart settled down day after day to the job at hand with as much regularity as an accountant settles down each day to his figures. They didn't waste time waiting for inspiration!"
ACT AS IF—THE CHANGE AGENT
By changing your actions, you can actually change your attitudes and the way you think. One psychologist observed: "Behavior causes attitudes. There is now sufficient evidence to suggest that ... one of the most effective ways to change hearts and minds of men is to change their behavior!"
"Acting as if" allows you to transcend and transform your own nature—to do what's unnatural until it becomes natural.
THERE IS A PRICE FOR FEELING BETTER
Jesus sealed His commitment to us and paid the price on the cross. Where do we get the idea that God put us on Earth to indulge our feelings? He promises us a cross‚ not cushions, and scars‚ not medals. He makes it clear that if we are not willing to nail ourselves to the cross again and again and act better than we feel—willing to pay the price for the privilege of following Him—He would rather that we not follow Him at all. He has never admired the lukewarm attitude (see Revelation 3:16).
The Power of Commitment
Charles Garfield and his associates at the University of California School of Medicine interviewed 500 high achievers. They concluded: "The single most powerful predictor of success in the long run is commitment—a passion to pursue well-defined goals."
Arie Kieve, a psychiatrist‚ has written, "Observing the lives of people who have mastered adversity, I have repeatedly noted that they have established goals and, irrespective of obstacles, sought with all their effort to achieve them. From the moment they fixed an objective in their minds and decided to concentrate all their energies on a specific goal, they began to surmount the most difficult odds."
DON'T GIVE UP
When Thomas Carlyle had finished writing his history of the French Revolution, he took the manuscript to a neighbor‚ John Stuart Mill‚ for proofreading. A few days later, Mill came to Carlyle's house with disastrous news. His maid had used the manuscript to start a fire in the fireplace.
Carlyle raged like a madman for several days. For two full years he had poured his whole being into that manuscript. Now, it was gone. Two years of his life were reduced to ashes. In view of that tragic blunder, Carlyle thought he could never again give himself to the difficult discipline of writing.
One day Carlyle stood looking out his second story window over the rooftops near his home. Across the way he saw a stone mason slowly and patiently rebuilding a collapsed wall, putting one stone upon another, until finally the new wall took form. For the first time Carlyle accepted the unfortunate mistake of his past and began to rewrite his book. Diligently, one page at a time, one day at a time, he wrote and finished what was probably his finest work.
To make things right when they go wrong in your life‚ you must rebuild by carefully replacing one stone of your life upon another, one day at a time.
COMING TO GRIPS WITH THE PAST
Perhaps you've observed that some people have stumbled and failed times without number. Yet‚ they are able to come to grips with the past and move ahead with the living of today with greater zest and vigor than ever before. How do they do it? How can you do it?
You would do well to talk to yourself about the past. You need to say: "Self‚ the past is gone. There is nothing you can do to change it. So why waste your strength wrestling with the past when you need all your power to grapple with the vital issues of today!"
In the closing scene of Shakespeare's The Tempest, Prospero says of Alonzo: "Let us not burden our remembrances with a heaviness that's gone!" Vivien Larrimore gives similar advice in her poem, Keys.
I've shut the door on yesterday
Its sorrow and mistakes:
And now I throw the key away
To seek another room
And furnish it with hope and smiles
And every springtime bloom.
I've shut the door on yesterday
And thrown the key away.
Tomorrow holds no fears for me,
Since I have found today.
It's foolish to cling to unresolved problems and difficulties from the past and to bring the burdens and worries about the future into today's schedule. Our shoulders are just not broad or strong enough to carry the loads of more than one day, and only then by the grace of God.
ONE DAY AT A TIME
The members of Alcoholics Anonymous have a slogan that says: "I can make it, one day at a time!" And that's the only way they do make it. Don't tell an alcoholic to not take a drink for the next nine months. It's too much of an overload. He will break under the impossible thought. But if you encourage him not to take a drink today—just today—that's a possibility! "I can make it, one day at a time."
God's power comes as you yield your will to His will one day at a time. "This is the day which the Lord hath made; we will rejoice and be glad in it" (Psalm 118:24).
Jesus makes it clear: "No one who puts his hand to the plow and looks back is fit for service in the kingdom of God" (Luke 9:62). Why? If you take your eyes off the things God wants you to do today to look over your shoulder at the headache of your past‚ it makes you unfit for kingdom service today.
As hard as we may try, we can live only one day at a time, and that day is always today. Yesterday is past, irrevocably and irretrievably gone. We cannot walk back into it or lay any new claim upon it. And the future belongs to us no more than the past. We may prepare and plan for the future, but we will never be able to live in it. For when it arrives, it becomes the now of today. Live today!
RESENTMENT DEFINED
Do you know the origin of the word resentment? It comes from the Latin word resento, which essentially means to re-feel. Someone may hurt you deeply. Temporarily, you may shove that tragic experience into your subconscious. But then something happens to conjure up that painful memory. And you re-feel the full agony and hurt of it. You may even externalize those feelings by lashing out in anger at someone else.
Married couples are often specialists in resentment. They probe around in the garbage dump searching for old‚ sharp bones of contention from the past they can use as weapons to wound one another. They delight in deliberately lashing one another with old mistakes and probing old sores. It's tragic, isn't it? All that resentment and hurt! And there's not one positive thing to be gained by it.
When you were a kid, did your mom or grandma have a slop bucket? You know, it sat over in some out-of–sight corner in the old kitchen where the smell couldn't be detected too easily. Sometimes it even had a lid. And every few minutes when she was cooking, Grandma would throw something in there that she didn't want to keep—trimmings off the meat, potato peels, spoiled milk and all the rest of the leftover food garbage. I think "slop" was a good name for it.
Then about every two or three days someone would have to take that bucket full of slop and go pour it into the pig's trough. Sometimes that old pig would get so excited about eating he couldn't wait for them to finish pouring, and he'd stick his head under the pouring slop. Well, I've found out that folks carry their own personal slop buckets around with them. Especially married folks do. But these are emotional slop buckets. We fill them up with all our leftover feelings and emotions from spats and quarrels. We throw in the trimmings from old conflicts and disagreements. We just collect all sorts of emotional slop from our past.
Then, every so often, when our emotions are running high over some current problem, we grab up our slop buckets and empty them on the heads of our husband, wife, kids or friends. We pour out all the slop from our past and muck up the present with it. It's disgusting! We're far more expert at resenting and begrudging than we are at forgiving.
Christ Took the Initiative
Well, let's face it. It's going to take a deep conviction to inspire you to impale yourself on a cross to forgive someone who hates you. Only a compelling love for the One who loved you and gave Himself up for you could provide you with the necessary incentive.
The Christian concept is this: When people mistreat you, and feelings of resentment arise within you, don't express resentment toward them. Take the initiative by forgiving them in the same way that Christ forgave you. Let them see in your actions the Christ who is eager to forgive every person.
Take the Initiative in Forgiving
Take the initiative. Forgive the one who has wronged you unjustly, whether that person requests your forgiveness or not. This is why resentment is so much harder to resolve than guilt. Not to forgive in advance of someone's request for forgiveness tends to harden our hearts‚ it keeps the door closed on the relationship and gives us a reason to continue to harbor hate. It's really rationalized hate.
When someone wronged me in the past‚ my following that formula did nothing to remove my feelings of resentment toward them. In fact, my resentment increased because of their stubborn refusal to request my forgiveness. Instead of soothing my conscience, playing the game of "I will forgive you if you will ask me to forgive you" only served up more trouble. What about all those Scriptures that insist I love others and return good treatment for wrong? Shall I just ignore them and continue to resent the person who wronged me?
It's tough to forgive because it's so costly. If you've wronged me‚ it means that I must bear the suffering you've caused me‚ in order to bless you with my forgiveness. The person who takes the initiative to forgive pays a tremendous price. For instance, suppose someone has slandered you and ruined your reputation. You must be willing to bear the loss of your good reputation in order to "Forgive as freely as the Lord has forgiven you!" That's tough. But with God's help, it's possible. After all, look at the reputation Christ gave up for you.
HOW DO WE OVERCOME?
How do we overcome the problem of resentment? What is the solution? I dare say you know the Biblical answers to that question already. No doubt‚ these phrases flash back: "Love your enemies!" "Do good to those who hate you!" "Overcome evil with good!" "Do not return evil for evil ... ; but on the contrary, bless!" Understanding these Scriptures isn't our problem, is it? The thing that trips us up are those tough decisions required to translate these beautiful ideas into our daily behavior.
Be Vulnerable
To cut the line to resentment, you must choose to become vulnerable to hurt. When you respond to hate with love‚ to resentment with forgiveness and to cursing with blessing, you will expose yourself to cruel and abusive treatment from a few people‚ but it's worth it! If you never risk, you will never know love.
Learn to accept rejection. It's a fact of life. It's the folks in this life who use rejection as a stepping stone to higher ground that succeed.
Forgive
Next, you must choose to forgive the person who has wronged you. You must cut the line and "forget what lies behind!" When Paul said, "This one thing I do, forgetting those things which are behind‚ and reaching forth unto those things which are before," he is not suggesting a literal forgetting of the past but rather the development of a right attitude toward it. It is true that we can never forget the cruel and abusive treatment that we have received from others. But we can forget to nurture those feelings of resentment caused by such treatment.
It's similar to looking at an old cut on your body that has become a tough, permanent scar. When the cut was fresh, it festered and was painful. Now that the cut has become a scar, you've forgotten the pain. In fact, you seldom think of it at all. But you can still see the scar. Similarly, it is possible to forget the hurt of past resentments.
Jesus summed it up this way: "Love your enemies, do good to those who hate you, bless those who curse you, pray for those who mistreat you.... Do to others as you would have them do to you" (Luke 6:27-31).
Easy? Nope. Possible? Yep. "With man this is impossible, but with God all things are possible" (Matthew 19:26).
How Do You Get Rid of the Pain?
Well, unfortunately, you may have to live with some of it for the rest of your life. But, thank God, you can learn to use that pain to bless other people who have experienced similar tragedies.
You're not alone in your pain, you know. There are a lot of people who have been right where you are. A lot of other people have been abused. A lot of people have had misfortunes. Those people need you to minister to them.
You can reframe the pain into a strength. You can use your thorn in the flesh as a source of power or turn your disaster into a dimple.
By laying your hurts and abuses of the past next to the current hurts and abuses of someone else, you can help draw the festering out of their situation and help them move on to healing. They need you and your reframed pain to help them see the picture as it really is.
It's like the university professor who told me recently how he shared the sudden loss of his son with a policeman whose son had killed himself. He said‚ "It allowed both of us to find some resolution and peace in the problem of a missing son!"
So, use your pain. It is a gift from God with which to minister to His other hurting children.
Love Lets the Past Die
You simply must learn to reframe life's rejections and abuses into stepping stones to power.
In his book, Love Within Limits, Lewis B. Smedes writes this beautiful and inspiring summary:
"Love lets the past die. It moves people to a new beginning without settling the past. Love does not have to clear up all past misunderstandings. The details of the past become irrelevant; only its new beginning matters. Accounts may go unsettled; differences remain unsolved; ledgers stay unbalanced. Conflicts between people's memories of how things happened are not cleared up; the past stays muddled. Only the future matters. Love's power does not make fussy historians. Love prefers to tuck the loose ends of past rights and wrongs in the bosom of forgiveness—and pushes us into a new start."
SERVE OTHERS
Karl Menninger, the founder of the famed psychiatric clinic in Kansas that bears his name, was once asked, "What would you do if you thought you were going crazy?"
He replied, "I'd go out and find someone less fortunate to serve!" Life just seems to make a lot more sense when you're helping someone who has more problems than you do. And it's somehow reassuring to be the one helping another person up, rather than being helped up yourself. For instance, when you pass a man sitting on the sidewalk who has no legs and you put a dollar in his cup and take a pencil, you walk away thinking‚ "My life's not so bad after all!"
It's your perspective on yourself and on others. You see, good relations come from serving one another. When you serve others, you serve yourself, too. You have to just get out there and serve.
CHARITY BY STEALTH
Charity by stealth is doing something good for someone else without letting them know who did it.
For example‚ there was this little guy named Billy. And it seemed that everything went wrong for him, especially at school. He just wasn't very good at many things. You know the kind, he was always the last kid chosen for any team. Nobody wanted Billy. He was a born loser, it seemed. The teacher noticed the problem and wondered what she could do to help.
One day the teacher was walking home from school, and Billy pulled up beside her on his bicycle and began to pedal at the same slow, steady pace that the teacher was walking. She noticed that‚ even at that slow pace, the bike wasn't tipping, wobbling or anything. So, to test it further, the teacher just started walking even slower. Sure enough, Billy just slowed down, too, and his bike stayed steady and upright. No matter how slowly she walked, he stayed right with her. "That's amazing," she thought.
The next day during recess period the teacher said‚ "Hey, kids‚ we're going to do something different today. We're going to have a slow bike riding contest!" And who do you suppose won? And who do you suppose "made little Billy's day"? It was the teacher with a charity-by-stealth spirit.
GO FIRST, EVEN WHEN IT'S NOT FAIR
It's not always easy to take the initiative or to do charity by stealth‚ especially when someone has taken advantage of you or treated you unfairly. But it's still the best idea in the long run.
Watchman Nee tells the story about a Chinese Christian who owned a rice paddy right next to one owned by a communist man. In order to irrigate his rice paddy, the Christian pumped water out of a nearby canal by using one of those leg-operated water pumps that make the user appear to be seated and riding on a bicycle. And every day, after the Christian had pumped enough water to fill his field‚ the communist would come out and remove some boards that kept the water in the Christian's field and let all the water flow down into his own field. That way‚ he didn't have to pump water.
Well, this process continued day after day. Finally, the Christian said‚ "Lord, if this keeps up, I'm going to lose all my rice and maybe even my field. I've got a family to care for. What can I do?"
In answer to his request, the Lord put a thought in his head. So, the next morning he arose much earlier, in the predawn hours of darkness, and started pumping water into the field of his communist neighbor. Then he replaced the boards and pumped water into his own rice paddy. In a few weeks both fields of rice were doing well, and the communist was converted.
There are two ways to handle a situation like this one. One way is to become angry, chew the guy out and take measures into your own spiteful hands. The other way is to become a servant. You just keep on loving and serving until‚ finally, you gain a hearing for the Gospel of God. It's how to take wrong things and make them right.
Oh‚ I know‚ it's easy to talk about being a servant or to write about it in a book like this. What's tough is getting out there and working until your legs ache‚ pumping water into the field of a lousy communist who's doing you wrong. But the joy of it is discovering when at last you have finished pumping that you haven't been serving a lousy communist at all but a brother in Christ. And the rice in his field that you watered‚ he will now gladly share with you.
Sometimes you just have to go first anyway, even though it's not your turn and it seems unfair. Just bite the bullet and do it. The end result will be worth it when a relationship that's gone wrong is made right again.
Listen Louder
Some people listen louder than others. I like that way of saying it. It may not be proper grammar‚ but it makes the point that attentive and sensitive listening is hard work. It takes concentrated energy and control. The ears of servants are fine–tuned to sense the vibrations of need in the tones and emotions of the speaker. They pay close attention and look for opportunities to draw you out and help you express what's on your heart.
That's one of the differences between men and women. Women are really wired! They have little emotional wires sticking out from them in all directions. They are wired for sound and two-way communication. They talk and receive. They hook into another person's line and listen loudly to that person's emotions and needs.
We men are hardly wired at all. We have two little wires sticking out‚ and often they're both bent. Our speakers are usually hooked up, but our receivers are dead. So, we have to work a lot harder to listen loud than the women do. We're just wired differently.
Servants are good listeners. They are listening for opportunities. They are listening for hurts to heal and joys to share. Learn to be a loud listener‚ and you'll be amazed at what will happen to you.
DOIN' WHAT COMES NATURALLY?
If you want to grow, change and move in the direction of love‚ there is only one person in a relationship whom you can reasonably expect to change. You know who that is, don't you? The only person I can change is me. Thus, if my relationships are to change, I must be the one to initiate the change.
There's a myth going around called naturalism. The myth assumes that "doing what comes naturally" is the authentic thing. It's the real stuff. And if you have to change or make adjustments, then it isn't natural or real. Hogwash! Many marriages suffer from this myth. In their book Vitalizing Intimacy in Marriage, Pat and Robert Travis say, "Many couples feel guilty when they find they have to work on their relationships. It is as if they perceive working on their marriage as meaning that they are not successful or that they do not 'naturally' love each other."
This myth grows out of statements like, "And they lived happily ever after‚" as if you naturally find a one–and–only and all else just flows beautifully like a stream to the sea. Ridiculous. Pardon my grammar, folks, but there ain't nothin' that simple in this life. Most good things in life require hard work to accomplish. You have to do your homework to learn math and English. You have to work hard to learn how to ride a bike, swim or play tennis. The "good life" requires growing, learning, unlearning and relearning. Life is a colon, not a period. There's more to come.
RISKS AND THRILLS
Life is risky business. In fact, you can't get out of it alive. But you can't sit around with your hands folded in your lap trying to avoid the consequences of taking a risk either.
It's like the trapeze artists in the circus. They swing back and forth hanging on to the trapeze bar. But if that's all they do, there's no thrill for the audience. It's that split second when the artist lets go of the bar and is "flying through the air with the greatest of ease" that makes the audience stand up and cheer. It's the letting go, taking the risk that the other trapeze will arrive at just the right moment, that gives life excitement.
Sure, the danger of falling is always there. But the guy who clings to the trapeze bar and never lets go cannot know the exhilaration of the guy who releases himself to take the risk. He may live longer, but he won't live better.
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