天国のビジョン!

Maria
November 1, 2006

Table of Contents

GN1185 FD/MM/FM
マリア 3608 2/06

最愛の人たちへ、

  1.最近主は、私たちが将来のことをもっと考え、一歩下がってもっと全体像を見、私たちの目をもっとゴールに留めておくようにするなら、現在の戦いももっと楽になるだろうと何度も言われました。

  2.すべてはものの見方にかかっています。たった今、周りで起きている事を見るなら、かなり厳しい状況に思われます。ファミリーにいる私たちだけではなく、誰にとってもそうなのです。トーマス・エジソンがうまく作動する実用的な電球を作るまでには、千回以上の実験を要しました。それまでの失敗の連続に、控えめに言ってもかなりいら立ち、困難に感じたことでしょう。でも、彼が998回目の実験に失敗した時に、ゴールから目をそらし、あきらめてしまっていたらどうなっていたでしょうか? 結局、電球はできなかったでしょうし、多くの資金や時間や努力が無駄になってしまったことでしょう。

  3.パウロは一度、私たちが心に留めておくべき点について語りました。「もしわたしたちが、この世の生活でキリストにあって単なる望みをいだいているだけだとすれば、わたしたちは、すべての人の中で最もあわれむべき存在となる」(第1コリント15:19)。つまり、現在のことや今直面していることを見越して、長期の目標や、報酬、幸福、戦闘の終えんについて考えなくてはならないのです。勝利を得る時のことに思いを馳せなくてはなりません。それは進み続ける力を与えてくれます。この全ては、天国のビジョンを保つことの一環です。

  4.私は最近、天国のビジョンを保つとはどういう意味かについて洞察を与えて下さるよう主に求めました。主の答とカウンセルは皆さんの励ましとなり、霊感となると思います。それを当てはめるよう働きかけ、天国のビジョンをあなたの思考や祈りや見方の前面にもっと押し出すようにするなら、荷は軽くなり、幸せになり、平安を抱くようになるでしょう。

  5.私たちには待ち望むべきことがたくさんあります! 実にたくさんの報酬が私たちを待っています。私たちは人生を謳歌しながらそれを期待することができるのです! そうするなら、日ごとの道中の小さなでこぼこもずっと耐えやすくなります。

  私たちのために場所を用意しに行かれた夫、主にあって、たくさんの愛を込めて、

  ママ

  6.(イエス:)天国のビジョンを保つとは、今、自分がしていることの小さな日常的な理由付けから一歩下がって、どうして自分は地上にいるのかの全体像、そこいる間に何を成し遂げるべきかを思い出すという意味だ。あなたはわが王国の大使であり、この世に遣わされているのはごく短い期間だけであること、そして間もなく、全ての苦闘、困難、問題はもはや関係なくなり、ただ永遠と永続する物事だけを天国に持って帰ることができると思い出すことだ。

  7.天国のビジョンを保つとは、わたしのこと、わたしの愛と慰めの約束を思い出し、この人生が終わった時にわたしがあなたのためにどれだけのものを備えているかを思い出すことでもある。わたしは、父の家には住まいがたくさんある、たとえわたしが去っても彼らはわたしのいる所に来てまた一緒になる(ヨハネ14:2–3)と言って初期の頃の弟子たちを励ました時に、それを伝えようとした。

  8.この見方を保つのがどれだけ大切かを説明する言葉はないほどだ。この地上での思い煩いや試練にとらわれすぎて天国のビジョンを失ってしまうのを見るのはとても悲しい。現在のあなたという存在は非常にはかない。人生は霧に過ぎない。あなたにとってとても難しく困難に見える多くのことは、間もなくぬぐい去られる。そして、あなたはそれらの代わりに命の冠を受け、勇敢に軌道に留まり信仰を保ったことゆえに、永遠の報酬を受けるだろう。

  9.しかし、その全てを忘れると、全てがものすごく落胆させられる困難なことに思えてくる。わたしさえ、非常に遠い存在に思えるようになる。わたしがあなたの思いのはるか後方に押しやられ、わたしが再び戻ってわたしの元にあなたがたを集めるという約束が非常にかけ離れた事に思えてくる。

  10.敵は、あなたが生きている理由を取り去ろうとしている。あなたの肉の思いは、あなたとわたしとを分離させておこうとする。全体像を忘れてしまうなら、わたしは非常にちっぽけで筋違いの存在に見える。全ての肉的で世俗的な事柄が非常に重要で不可欠なことに思える。

  11.だからこそ、あなたは天国とわたしに目を留めておかねばならない。だからこそ、将来わたしと永遠に過ごす至福の時と比べるなら、今のこの時の苦しみは、やがてあなたとわたしに現されようとする栄光に比べると、言うに足りないことを覚えておかなければならない(ローマ8:18)。

  12.あなたの人生に起きていることには全て理由と計画と目的があることを覚えておかなければならない。全てのことは計画され、巧みに作られ、わたしによって許されている。それによって、あなたがわたしの元に戻ってきた時に、他の方法では決して得られなかった貴重なレッスンと技能と見識を修得しているようにだ。

  13.生きている間は誰も全体像を見られないし、自分の存在や、地上にいる事の意義、あるいはなぜそもそも地球が存在するのかという全体的な意味を理解できない。幾らか理解している人は大勢いるが、わたしの言葉はこう言っている。「わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。」(第1コリント13:12) あなたの地上の時が終わるまでは大きな概念を理解することはないだろうが、その時、ついにわたしは全てを明かし、わが計画を明快にする。しかしそれまでの間もあなたが知っていることはたくさんあり、それらは確かに、良い選択と決断の土台とするに十分なものだ。

  14.今あなたは、すでに持っている知識によって、この地上にいる時にわたしを愛し、わたしのいましめを守ることがわたしにとって重要であるのを知っている。自分を愛するように隣り人を愛し、愛の教訓を学び、御国のためにできる限り多くの魂と弟子とを勝ち取り、永続する建設的な訓練を子どもたちに施すといういましめだ。これらのことや、これらのいましめを果たすためのレッスンや学習、またはそれをしている人たちを支える行為は永遠に残る。それ以外に重要なことはほとんどない。

  15.だから、時々立ち止まって、あなたがしていることを、わたしや永遠という時と関連づけて見なさい。今日しようとしていることについて考え、それが永続に存続するものなのか、地上を去る時に一緒に持って行けるものなのか、あるいはやがて過ぎ去り、失われてしまうものなのかどうかを自問しなさい。永遠に残るもののために人生を費やしていることや、それがわたしの最高の意思を果たしているばかりか、来世において永続する益を刈り取っていることがわかった時、あなたはきっととても喜ぶだろう。

  16.ファミリーよ、あなたがたは色あせてしまうもののために働いているのではなく、永遠に価値あることのために働いている。それを嬉しく思うべきだ! あなたは、時間を最大限有効に使っており、地上にいる目的についてわたしが明かす限られた情報を使って時間を最大限有効に用い、わたしをとても喜ばせているという事実によって、心を励まされるべきだ。

  17.あなたは、この人生が終わったなら、忠実さゆえの報酬と祝福に満ちた幸せな天国が待っていると確信できる。あなたは、わたしがあなたを愛していること、わたしのために働き、わたしを喜ばせ、見えるものや理解によらない信仰という何よりも大きな贈り物をわたしにしているなら、全宇宙で最も重要なレッスンの幾つかを学んでおり、それは来世において報われると知ることができる。

  18.また、この地上では心を痛めるつらく苦しく悲しいことが多くても、それも間もなく終わる。わが王国では、悲しみも孤独も、苦難も、病気も、心配も、死も、愛の欠如も、その他あなたにとってつらいと思われるどんなものも存在しない。それを心に留めていれば、現在の悲しみや問題もやがては過ぎ去るとわかるので、もっと幸せな態度でそれらに立ち向かえる。そしてそれまでの間については、わたしの恵みは十分であると約束した。だから、あなたは地上の事柄によって、真に永続する物事のための時間をここそこで得、集めるのを妨げられまいと決意することができる。

  19.わが子らよ、今生活し、戦い、働いているこの世を越えた所に、愛と報酬、意味、幸福に満ちたもっと大きな世界が待っていると知ること、それが天国のビジョンだ。あなたは、今のこの短い期間、霧に過ぎないこの人生ではなく、この世の向こうにある第二の人生のために生きなくてはならない。天国のビジョンを見るなら、本当に重要なこと、本当に生きる価値のあること、気にかけるべきことが何かを思い起させられ、動機づけられる。そして、あなたは、あまりにもつまらなく意味のないものを捨て去って、それが人生に入り込んだり妨げになったりしないようにすることができる。

  20.永遠という観点から比較するなら、物事はすぐに正しい位置関係に収まる。そして、ああ、戦いがどれだけ厳しく思えても、地上の人生は氷山の一角に過ぎないことを思い出す時、それがいかに深い慰めをもたらすことか。地上では厳しいと思われた全てのことも、天国ではそうはならない。あなたは、しがみつき、勇敢に戦って本当に良かったと思うだろう。

  21.天国のビジョンを保つのは簡単だ。ただ信仰が必要なだけだ! わたしの言葉で信仰を養い、わたしの言葉を額面通りに受け取りなさい。わたしの約束をすべて信じなさい。そして、わたしが言ったことは真理であり、本当に起こると心の内で知っていなさい。

  22.あなたはまた、時々手を休めて、それらのことを考える必要がある。たとえばワードタイムやわたしとの時間に少し立ち止まって、もう一度天国のビジョンを得られるようわたしに助けを求め、わたしが先に言ったすべてのことを考えてみなさい。

  23.あなたにとって困難なことやつらいことについて考え、それから、それらは間もなく過ぎ去り、その代わりにあなたの勇敢さへの報いが与えられることを思い出しなさい。来世で存続するものについて考えなさい。そして、あなたが今日、あるいは今週していることが、地上から去った時にもまだ価値の残る、永遠に続くもののためになっているかどうかを考えなさい。あなたが大好きなこと、あるいはたった今、あなたにとって大切なことについて考えてみなさい。あなたはそれらを来世まで持って行けるだろうか? あるいはそれらは、この世のつかの間の事柄で、過ぎ去ってしまうものなのだろうか?

  24.それらのことを考えるなら、生き方を変えたくなるか、自分自身にとって大切なことの土台を、自分の望みや願いではなく、永遠に続くものやわたしに変えたいと思うようになるだろう。そうやって、あなたは自分が天国のために生きているのか、あるいはこの世のために生きているのかがわかる。

  25.天国のビジョンを保っていないと、あなたにとってあなた自身がとても大切な存在となる。あなた自身の幸福、安楽、名声や富やプライドだ。だが、天国のために生きている時には、わたしが再び最も大切な存在となり、あなたは地上にいる短い期間に自分自身の満足感を追求することがいかにむなしく、はかないかを思い出す。

  26.天国のビジョンを保っている時には、いつも働き、奉仕し、努力し、戦い、これら全ての厳しい現実を通っても目に見える報酬が何もないのだろうかと心配する必要は全くない。ビジョンと信仰を保つなら、あなたは、わたしが約束した全てがある日現実となり、歴史上の全ての王を合わせたよりも華やかな栄光に満ちた生活をするようになると知っている! 神の国で待っている全てを考えれば、比較的短い年月の間にわたしに忠実に仕え、幾らかの試練やテストを通ることは、たいして困難ではない。

  27.わたしが弟子たちに言ったように、「もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう」(ヨハネ14:2)。わたしが言うこれらのことは本当であり、真実だ。あなたは自分自身のためではなく、わたしのために生きたことを心から喜ぶだろう。賢い者となり、多くの人を義に導くなら、あなたはまことに星のように輝くだろう(ダニエル12:3)。自分の意志を脇に置き、わたしに「はい」と言ったすべての時のことを永久に喜ぶようになるだろう。この地上のことは、天国の永遠に続く富に比べればふん土のようになるだろう(ピリピ3:8)。

  28.これらの約束は、あなたの目の前にぶら下げたただの超自然的なにんじんではない。それは本物であって、永遠に続くもののために生き、天国のビジョンを保ち、わたしが今、ここで、あなたの心に天国のタッチを添えられると悟ることでわたしをテストにかけるなら、あなたは今、それを少し味見し、わたしの約束を証明できる。

  29.あなたの人生がわたしの意志に沿っており、自分自身の幸福をわたしの計画に委ねている時に得る感覚は、心の中にある天国のひとかけらだ。それは来世に得るようになる祝福の感触であり、わたしを喜ばせ、本当に大切なことをしていると知っているという感覚だ。この世はそれに優るものを提供し得ない。あなたはすでに、この世のベストをしのいでいる!

  30.愛する人たち、人生は短い。あなたは間もなくわたしと再び一緒になるものの、わたしはあなたの地上での残りの時間をできる限り快適なものとし、あなたがわたしに与えさせるだけの祝福を与えたい。だが、それには、自分自身のために生きたり、安易な人生を送ろうとしたりすることはできない。むしろ、他の人たちのため、失われた魂のため、わたしのために生きなくてはならない。その時、あなたのビジョンは天国のビジョンとなり、天国はもはやそれほど遠い存在ではなくなる。あなたは心の中に天国を少し持っているのだ。

  31.(ダッド:)天国のビジョンとは何か? 第一に、あなたにとっての神の一番の意思を知ることだ。それからその道に忠実であること。主に従うという選択をすること。宿命の鍵を握りしめ、ひとかけらの疑いも持たずに、自分が地上にいることには特別で非常に良い理由と目的があると知り、その目的を果たすこと。そこでの時間は踏み石であり、準備であり、次のステップ、次の人生への訓練場であると確信することだ。

  32.グランドマザーは、霊的に先見性がないこと、霊的な近視眼について少し話しをしたことがある。私が言おうとしているのはそれだ。端的に言って、それは自分自身を見たり、自分だけのことを考えたり、たった今周囲で起きている事だけを考えることではない。今起きている事はより良い何か、何か大いなる事に向けて働いていると知ることだ。あなたを深く愛している主があなたの人生に大いなる計画を持っていると知ることであり、ただの今日だけのことや、今日を生き抜くだけのことではない。未来のことなのだ!

  33.(イエス:)天国のビジョンとは、簡単に言うと、あなた個人、ファミリー、全人類に対するわたしのビジョンであり、ゴールだ。天国のビジョンとはわたしのビジョンだ。わたしは自分が創造したこの世界にこの天国のビジョンを実現させたい。天国のビジョンとは、ファミリーに対してわたしが抱いているビジョンだ。また、あなたがたに達成してほしい事柄だ。また、あなた個人に対してわたしが抱いているビジョンとゴールでもある。あなたの人生に対するわたしのビジョンなのだ。

  34.わたしがあなたがたに「天国のビジョンを保つ」よう求める時、突き詰めて言うと、わたしはあなたの前にビジョンを置いて、それにねらいを定め、わたしのゴールと究極的プランを思い起こすよう求めている。「天国のビジョンを保つ」ことには多くの意味がある。天体望遠鏡を通してはるかかなたにあるものを拡大して見るのとは違い、わたしの天国のビジョンは、プラネタリウムに行って、壮大で無限で大きく広がる宇宙を見上げるようなものだ。

  35.天国のビジョンを保つとは、何よりもわたしに焦点を合わせるという意味だ。肉ではなく霊の物事を優先するという意味だ。また、あなたが創造されて地上に送られた理由、自分の人生の目的を思い起こすことだ。わたしがなぜ人の形を取り、苦難に遭い、死ぬことで、あなたがたを救い、理解し、永遠にゆるし、いやし、保護できるようにしたのかを思い起こすことだ。

  36.それは、人生においてわたしの言葉を第一に置き、その真理を信じ、それに従って行動することだ。わたしと過ごすために毎日宮に入り、集中し、養われる質の高い時間を取ることだ。それは、わたしの武器を使い、あなたの感情や実際的な環境がどんなものであろうと、わたしの約束を適用することだ。

  37.それは、わたしを見、断じてあきらめないことだ。天国のビジョン、わたしのビジョンをあなたの目の前で保つ最善の方法とは、わたしに目を留め、わたしを見ることだ。じっとわたしを見つめること、それが天国のビジョンを保つことの本質だ。

  38.(イエス:)オリンピックを目指してトレーニングをしている運動選手は、ビジョンとゴールを常に念頭におかなければならない。彼には「オリンピックのビジョン」があり、それがあることで、全ての厳しく激しいトレーニングや練習に耐えられる。それによって、休み時間は減り、一日の疲れは増し、夜の睡眠時間は減り、期待はずれのこともある。そのゴール、ビジョンの方が、その日の一時的な苦痛よりもずっと重要になるからだ。トレーニングに明け暮れる年月を生き残るには、ゴールにはそれだけの価値がなければならない。それは彼にとってすべてでなければならない。そして、その価値があると心に決めたなら、そのゴールに焦点を合わせ続けるために戦い、いつも目の前にそのビジョンを保たなければならない。

  39.あなたはわたしが、そのためのトレーニングを積み、戦うだけの価値ある者かどうかを心に決めなくてはならない。わたしのゴールは働きかけるだけの価値あるものかどうかを心に決めなくてはならない。わたしの目的が、命を捧げるだけの価値があるものかどうかを心に決めなくてはならない。わたしの言葉と未来についての約束が、賞与を得るために全てを捨てるだけの価値あるものかどうかを心に決めなくてはならない。そうして、一度そう決めたなら、その焦点とビジョンをいつもあなたの前に保つよう戦わなければならない!

  40.あなたがたの多くはすでにその決断を下した。だが、これから、焦点を失わないよう戦うべき、頑強さと決意の時が来る。これからは天国のビジョンを保つために戦わなくてはならない。つまり、運動選手のように、わたしのビジョンを唯一の動機としてトレーニングしなければならない。

  41.あなたが朝に熱意を抱き、新しい日に立ち向かう備えをして目覚める理由はわたしでなければならない。外に出かけ、新しい魂、弟子、働き人のリーダーたちに手を差し伸べたいと思う理由は、わたしでなければならない。新しい武器を使い、その技術を伸ばしたいと願う理由は、わたしでなければならない。わたしがあなたの動機の核でなければならない。

  42.天国のビジョンを保つためにできる実際的な事は何だろうか?

  43.―毎日、わたしを第一に置きなさい。わたしと過ごす宮の時間を取るために戦いなさい。霊が養われる質の高い時間のために戦いなさい。何にも邪魔されずにわたしの腕の中で過ごす時間を取るために戦いなさい。これが、わたしのビジョンで新たにされ、わたしの天国的ビジョンを保つ最も効率的な方法だ。

  44.―あなたがどう感じようと、わたしを喜ばせる事のみを願い、わたしの言葉に従いなさい。

  45.―わたしをたびたび賛美し、絶えず賛美し、わたしをほめたたえ、どんな時もわたしを賛美しなさい。賛美ほど素早くあなたのビジョンを明確にするものはない。賛美はわたしのビジョンをあなたにとって生きたものとする。賛美はあなたの目を天国のビジョンに向かって開かせることで、それに手を伸ばし、ねらいを定め、そのために戦うのをずっと楽にする。そのビジョンはあなたにとってより現実のものとなり、それはビジョンを目指そうという願いをさらに強く、効果的にする。

  46.(イエス:)天国のビジョンとは、パウロが言ったように、「目標を目ざして走り、キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与を得ようと努め」(ピリピ3:14)ることだ。それは、わたしの意思、高き召しをあなたの唯一のゴール、人生の目標とすることだ。それは、あなたの生きる目的の全てだ。あなたが目指す全てなのだ。あなたが目指して走り、駆り立てられ、熱望するものだ。わたしの意志を果たし、それを賞与とみなすほどになることだ。ただの賞与ではなく、特別な賞与、人生で望みうるすべてとして!

  47.また、これはパウロが言ったように、「キリスト・イエスにおいて上に召してくださる」ことだ。「キリスト・イエスにおいて」、この言葉が鍵だ。この高き召しはわたしを通して見いだす。わたしを見、わたしにあって生きることによって。この高き召しとは、究極的に、わたしのために生きるという召しだ。この人生におけるあなたの全ての目標がわたしに向けられている。つまり、わたしを見続けなければならないのだ。あなたのゴール、つまりわたしのゴールに到達するには、わたしに目を留めていなくてはならない。

  48.(イエス:)あなたは、言うなればゴールラインであるわたしにあなたを向かわせる選択をすることによって、天国のビジョンを保つ。それは、競技場を走る選手のようなものだ。走者は自分が見ている方にしか向かわない。ゴールラインを見ているなら、やがてそこに到達するだろう。しかし、トラックを外れた別の道を見ているなら、競走のゴールには達しないだろう。

  49.人生という競走において天国のビジョンを保ちたいなら、信仰の、そしてあなたの人生コースの導き手であり、完成者であるわたしに思いを集中させなさい。わたしに集中し続け、わたしにあってより充実した人生につながるとわかっている選択のみをすることによって、ビジョンを保ちなさい。

  50.(イエス:)今の時代は暗くなっていくばかりであり、霊の戦いはますます頻繁に起こり、厳しく、激しくなった。だから、たった今、しっかり焦点を合わせ、決して焦点がずれないようにしておくことが肝心なのだ。その天国のビジョンを常に目の前に保つには、霊の内でわたしとの強いつながりがなくてはならない。

  51.そのつながりは、わたしの言葉におけるわたしとの時間によって強められる。あなたは、わたしの武器を使い、わたしの力に集中する事を通して、霊的な集中力を強める。あなたは忠実さと従順と前進によってより強い結びつきを得る。あなたの夫、恋人として、わたしとより近くより深い関係を築くことによって、そのビジョンを強く保つ。

  52.このビジョンを保つための鍵は、あなたをわたしに近づけるような事をすることで見いだせる。信仰を増させ、霊を励ましてくれる事、一つの体、一人の妻として互いを近づける事、人生においてあなたを霊的領域にもっととけ込ませ、霊の事柄を前面に押し出す事をするのだ。そのようにしてあなたはビジョンを保ち、接触を保つ。そのようにして、参加すべき競走を耐え忍んで走り抜き、勝利する(ヘブル12:1)!

  53.(イエス:)あなたにとって、天国のビジョンを保つのはかつてないほど難しくなった。思いと心とはほとんど常に、地上に確立されたサタンのやり方の影響の砲撃を受けているからだ。霊の世界の戦いは激しくなり、より混雑し、緊迫し、そこに通じたり回避したりするのが難しくなった。ポジティブであり続け、霊を天国のレベルに保ち、わが霊のポジティブな態度の大気圏上層部に留まるには、より多くの努力が必要だ。

  54.霊の世界では今、多くの戦争が起きている。それは悪の霊たちがあなたがたダビデの子らと戦い、あなたがたを彼らのレベルに留めておこうとするか、あるいは少なくともわたしのレベルから降ろすか、わたしの賛美と喜び、幸福、忍耐、その他わが霊の宿る場所を治める事柄のレベルに深く入り込まないようにしているからだ。

  55.あなたははしごを登っている人のようだ。一方ルシファーの態度や霊はあなたの足をつかんで引き下ろそうとしている。彼と彼の手下たちはますます真剣になっている。霊の世界では彼らの力や存在はますます増え、手強くなっている。それは、霊と現実の世界がますます融合してきているからであり、それであなたは霊の世界やそこでの戦闘からの影響を以前にも増して強く感じているのだ。また、良い霊も悪い霊も皆、時が短いのを知っているからでもある。だから戦闘もますます総力戦になってきている。だから、プライドを捨て、それに委ねることがないよう、以前にも増した努力を要する。敵の醜悪な態度を捨て、とにかくわたしを賛美するという努力を要するのだ。

  56.だがわたしは、それがどんなに困難でも敵を打ち倒す武器を与えた。あなたは敵の面前で武器を引き抜ける。とにかくわたしを賛美し、愛し、兄弟姉妹と団結し、戦いがあるにもかかわらず、祈りによって戦いを続け、あきらめず、勝利を勝ち取るまで苦難を耐え忍ぶことができる。

  57.だからこそ、天国のビジョンを保つこと、つまり、わたしは彼らの裏をかいて勝利し、わたしの時に悪魔の王国を取り除くだろうと悟ることが大切なのだ。それどころか、わたしはそれを壊滅させる。「この世の国は、われらの主と、わたし、そのキリストとの国となった。わたしは世々限りなく支配するであろう」(黙示録11:15)。それは事実だ。そのように書かれているので、一語一句もれなく成就するだろう。

  58.だからこそ、天国のビジョンを保つのが大切なのだ。今はとても緊迫した時代であり、焦点を失い、ペテロのように風や波に目を奪われやすいからだ。ペテロが一瞬の間わたしから目をそらすと、何ということだ、彼は沈み始めた。それから再び目を上げわたしを呼ばわったので、わたしは手を伸ばして彼を引き上げ、その後、わたしたちは二人とも、水面上に留まった(マタイ14:25-32)。

  59.あなたは、サタンがあなたの目の前で自分の王国を築いているという事実の風や波ではなく、わたしに目を留めていなければならない。あなたは「悪しき者が勝ち誇って、レバノンの香柏のようにそびえたつのを見」ている。だが、「通り過ぎると、見よ、彼はいなかった。わたしは彼を尋ねたけれども見つからなかった」ことを思い出さなければならない(詩篇37:35,36)。わたしの言葉の真理を深く認識すること、それが長期ビジョン、天国のビジョンであり、最終的にわたしがこの地上を支配し、至福千年へと導き、やがては新しい天と地とを創造し、わたしが住む天の都が下ってきて地上に据えられると認識することだ。

  60.それが天国のビジョンだ。それが、もう何千年も前から書かれていたわたしの言葉であり、わたしの言葉は真実なので、実際に起こる。そして将来起こることやわたしが向かっている方向という長期ビジョン、天国のビジョンこそ、何よりも心に留め、目の前に置くべきものだ。そしてその天国のビジョンを保つには、常にわたしに焦点を合わせていなければならない。立ち止まり、わたしに向かって思いと心とを上げ、天には神がいることとわたしがその神であることとを思い起こさなければならない。

  61.万事は共に働いて益となるというわたしの言葉の真実を悟って、直面する全ての状況に賛美とポジティブさで応えなければならない! それは絶対的な真実だ。あなたが戦うべき戦いとは、全ての出来事をポジティブなものとして主張し、全力を振り絞って戦い抜き、実際に肯定的な結果が出るまで決してあきらめたり退却したりしないことだ。たった今、あなたの目の前でそれが実現しなくても、あなたや他の人たちが権利を主張し、起きる全てのことの背後にある逆境の中の光にしがみつくなら、いつかそれは実現する。

  62.それが天国のビジョンを保つということだ。そして、それはただ保つのではなく、保つために戦うことだ! 地獄が投げかけるありとあらゆるものにも関わらず、天国全体を前にして自分の権利を主張することだ。あなたの目の前で邪悪な霊たちがこの世界をさらに支配していることから、それが、つまり、あなたを通してわたしの良き霊的態度に支配させるよう戦うことが必要になる。

  63.わかるだろうが、あなたがたはこの地上にいるわたしの霊の戦士たちであって、何か悪い出来事や一見「悪」に見えること、落胆させられることが起こるのを見るたびに、わたしが何らかの方法でそれらをどうにかして良い方に向けると知りつつ、賛美というポジティブな態度と、それをわたしの手に置くというポジティブな行動でしがみつくことによって、それを良いものに変えなければならない。

  64.信仰こそ、世に打ち勝つ勝利の力だ! 信仰とは、あなたにとってそれがどう見えるかにかかわらず、わたしが一つ一つ全ての状況を良い方に変えるという事実にしがみつくことだ。それが信仰であり、信仰は常に勝利で終わる。そんなにも単純なことだ。

  65.それが理由で、あなたはポジティブな心の姿勢を保ち、そのために戦い、全ての出来事に直面しながらそれを要求しなければならない。あなたは霊の戦士であり、あなたの任務は、わたしがわが霊を地上に溢れんばかりにもたらし、敵の霊たちを圧倒し、撃破し、打ち倒すのを助けることだからだ! 柔和な者たちが地を受け継ぐ時まで、若じしが小羊と共にやどり、もはや互いに争うことがなくなる時まで(マタイ5:5;イザヤ11:6)。

  66.その日が来つつある。わたしの言葉は明確にそう言っている。だから、あなたがた終わりの時の戦士たちは信仰に満たされて、心と思いに天国のビジョンをしっかりとつなぎ止め、それを他の何ものにも代えてはいけない。

  67.いずれあなたは、地獄全体でさえも、あなたの心の姿勢には耐え得ないとわかるだろう。そこにある力はあなたに立ち向かうどんなものよりも強いからだ(1ヨハネ4:4)。この信仰の姿勢の内にある力はわたしだからだ。あなたの心を支配しているのはわたしであって、わたしを信じ、わたしの態度への反応としてあなたの思考や行動や態度にもっともっとわたしを入り込ませるなら、あなたは強められ、揺るがぬ岩のように、安定し、堅固となるだろう。

  68.賛美や、わたしを愛すること、団結と兄弟愛の武器を使うこと、戦闘のために鍵を使うこと、実生活において全ての霊的武器を使うことを実践するのがなぜ重要なのかを示す強力な理由は、それらのことをする内に、より強い人となり、敵の全ての風にいちいち揺れ動くほど弱くなくなり、敵の吐く息を前にしてももっと安定し、敵の策略を打ち破り、敵の試みを打ち負かし、あなたの住む霊的・肉的領域から彼を放り出すことができるようになるからなのだ。そうするなら、あなたがそれらの領域を支配するので、わたしの霊がそこを治められるようになる。わたしの霊が、わたしの恋人であるあなたを通して支配する。

  69.わたしはレギオンに対してそれをした。悪霊にとりつかれた人に近寄りながら、わたしは言葉と行動を通して、その霊的領域に父の御霊を送り出すことでそれらの霊を叱責した。わたしは霊的領域を支配し、彼らに出て行くよう命じた(マルコ5:1-13)。あなたがたの場合もそうなるだろう。

  70.天国のビジョンを保ちなさい。わたしに目を留めていなさい。わたしがしていることに目を留めていなさい。周りで起きている悪魔の活動の猛襲によろめいたり、くじけたりしてはならない。降参してはならない。つまりわたしを手放してはならないという意味だ。あなたの思考と態度、思いの中心にわたしを保つよう戦いなさい。そうすれば、わたしはあなたのために勝利を得るよう戦うばかりか、あなたを新たにし、活力を取り戻させ、解放感で満たし、戦いの緊張感から解放するだろう。

  71.天国のビジョンを保つなら、あなたは霊の内で活気づき、新たにされるだろう。あなたの霊は養われ、強められて、克服するための強さがもっとあるようになる。敵に力を吸い取られるままになることで、ひからびてしまうのとは逆に。

  72.敵はあなたのビジョンを吸い取ろうとしている。彼はあなたに何の力も残らなくなるまで、霊をひからびさせるような重圧や問題、忙しさ、否定的な態度をあなたに浴びせようとしている。天国のビジョンを保つというのは、敵にそれをさせないことであり、代わりに自分の目と思いと心と思考をわたしに向かって上げることだ。また、あなたの思考においてわたしのかたわらの場所を要求することだ。それは、思いをわたしに留め、わが言葉に生き、賛美の武器を使い、あなたの身に起きる全てのことに感謝を示し、わたしに目を留めてあなたの心の姿勢をわが領域に留めるなら、わたしがあなたのために勝利を収めると知ることによる。

  73.あなたの心の姿勢をわたしの領域に保っておくなら、つまり、あなたの心の姿勢を、喜び、幸せ、賛美、自己犠牲、寛容、忍耐、愛、思いと心と霊の謙虚さといったわたしの霊の実で満たし、あなたの心の姿勢をその現実性の内に留めておくなら、何ものもあなたを打ち負かせない。一つ一つの戦いが過ぎ、勝利が得られる度に、あなたはどんどん強くなっていくだろう。

  74.あなたは、わたしと直接顔を合わせ、わたしがこう言う日までやり抜くだろう。「良くやった、わたしに全てを与えた勇敢な戦士よ! わが霊の完全なる喜びと実に入りなさい! 忠実な者よ、あなたの報酬は大きい。それは永遠に至るまで広がり、命を捨てるほど自分の命を愛さず、その証しの言葉と小羊の血によって自分の場所を要求した終わりの時のわが栄誉ある戦士として、わが王国を自由に行き来する権利を与えよう」と。

  75.愛する人たち、それはあなたのことだ! わたしが差し出しているものが見えるかい?  永遠に至る報酬と、わたしの国での栄誉ある地位が! だが、あなたは、天国のビジョンをつかみ、何があっても手放さないことによって、それを手に入れなければならない。信仰を固守し、他の全てを失ってもそれだけは手放さないだけの価値がある高価な真珠のように、霊の現実をしっかりと手に握っているなら、それはあなたのために働く魔神のようになり、全ての戦いを勝利へと導き、あなたをわたしの場所へ連れてくるだろう。

  76. 愛する人たち、それが天国のビジョンを保つことの力だ。だからそれをしなさい! 何ものにも揺るがされてはならない。それを固守しなさい。そうすれば、それはあなたから離れないだろう。そして、わたしたちが共に地上を治める日は近い。愛しているよ。(以上、メッセージ)

さらに天国のビジョンについて

最近のレターからの抜粋

  (ダッド:)だから頑張れ! 手放すな! 冠を保て! 戦え! 戦闘に勝ち、報酬を受けよ! 天におけるあなた達の報いは大きいからだ! 克服し、最後まで戦う者の報いは大きい! 悪戦苦闘するのは知っている! 激しい戦いになるのはわかっている! しかし言わせてもらうが、私は死にものぐるいで戦った。戦い抜いて、今では、その価値が十分ある事を知っている。その報いは、あなた達の考えや想像をはるかに越えているからだ!(ML #3037:29,GN669)

  (イエス:)あなたの冠が誰にも奪われないように、自分の持っているものを堅く守っていなさい。あなたが冠にしがみつき、自分のものとする限り、誰もそれを取り去る者はいない。冠を手放すかそれにしがみつくかどうかは、常にあなた自身の決断だ。

  だからわたしは未来のビジョンを与えたのだ。あなたが未来に目を留め、そのゴールに向かって歩み、勝利者になれるようにだ。そしていつか、わたしは「良い忠実な僕よ、よくやった。主人と一緒に喜んでくれ」と言うことができるだろう。だが、今ですら、敵にそれを奪い取られるのを許さないなら、そのような喜びがあなたのために用意されている。わたしはそれらを豊かに与えるからだ。わたしにはあなたに、今も将来も、喜びと幸せを与える。あなたに信仰があり、わたしが与えるものを信頼するならば、あなたは今、それを得ることができる。わが言葉に生き、従うならば、あなたはその報いを見、益を刈り取り、すべて価値があったと知るだろう!(ML #3219:59,60, GN 821)

  (イエス:)ただわたしにしっかり目を留めているなら、この世のすべては消え去る。あなたが感じる喜びも、あなたを取り囲む問題も、敵の攻撃も、あなたを妨害しようと敵が投げかけようとするものもすべて、消え去る。そして最後には、そんなもの問題ではなくなる。あなたは答を求めてわたしを仰ぐからだ。あなたは必要な力と勇気と忍耐、その他、様々な障害を乗り越えるのに必要なものを求めて、わたしを仰ぐ。それらはすべてあなたのすぐそばにあり、あなたはそれを知るだろう。あなたは心配したり、プレッシャーを感じたりしない。それらの重荷やプレッシャーをわたしの元に持って来れば、わたしがあなたを支え、必要な力を与えると知っているからだ。(ML #3219:68, GN 821)

  

  (イエス:)わたしの父がわたしを誇りに思っているように、わが貴い者たちよ、わたしもあなたがたを誇りにしている。愛している。そしてわたしが理解していると言う時、その言葉を信じなさい。わたしもまた試練と誘惑を受け、疲れ果てた。しかし、わたしの父はしがみつき続ける力を与えて下さった。わたしも同じように、あなたがわたしを仰ぐ時にその力を与える。貴い恋人たちよ、あなたがたが天国でわたしの元に来る時は、もはやそれほど先のことではない。そこでは決して、地上での厳しい試練を再び味わう必要がない。・・・愛する人たち、あなたがたに知ってもらいたい。天国のふるさとでわたしたちが再びまみえるその日を、わたしがどれだけ首を長くして待っていることか。あなたが天国に目を留め、これからの時代に前進するための原動力とするように、今わたしはそれを言う。これはまさに、勝利の鍵である。わたしは天国に目を留めておかなければならなかった。わたしは顔を火打ち石のようにし、天国のビジョンをますますはっきりと保たなければならなかった。それがわたしを最後まで支えたのである。

  だから目を上げなさい。愛する人たちよ。わたしたちが天国のふるさとで再び一つになる時が近づいているから! そしてああ、その日の素晴らしいことときたら! あなたがたへのわが愛がいかに強くなっていることか! だから、その愛がこれからの時代にあなたがたを進ませるものとなるように、この愛を身につけなさい。わたしが地上にいた時も、わたしの父の愛を身につけるようにしたし、それが最後までわたしの支えとなった。それがわたしを天のふるさとに引き戻してくれた。あなたがたへのわが愛もそれと同じ働きをする。支えとしてわたしにより頼むならば。(ML #3226:28–30, GN 827)

  (イエス:)もしわたしに助けを求め、自分の思考態度を変えるために戦うならば、人生は悲しみだけにはならず、犠牲について忘れようと努力することはなくなる。わたしは状況をコントロールして、あなたがとても幸せになり、必要が満たされるようにするし、あなたに報いるために特別なことさえしてあげる。わたしが十分に報いるので、犠牲のことなど忘れるだろう。犠牲を払ったことを感じないほどに報われる時、それは報酬のたった1パーセントに過ぎないことを忘れないでほしい。わたしの約束は100倍にして返すことだから、さらにずっと多くのことがやってくるだろう! わたしはわが花嫁達、わたしにすべてを与える人々を甘やかすのが大好きなのだ。(ML3379:218,OOGN#2)

  

  (ママ:)イエスは、私たちに一人一人に美しい冠を用意しておられます。冠を取るか、捨てるかを決めるのは、地上の死に直面する時や、殉教するよう召される時だけではありません。生きている間、一日も欠かさずその冠を得ようと決心しなくてはならないのです。たとえただ信仰によるとしても、その冠を得るために喜んで戦わなくてはなりません。その冠にはそれだけの価値があると心に確信し、イエスから頼りにされていると知っているゆえに、私たちはそれを得るために犠牲を払うと決めるのです。

  しばしば、冠とは、華々しく、黄金に輝く美しいものとして思い描かれます。けれども日常生活においては、冠は、重労働、犠牲、日々の死、どんな代価がかかろうとも十字架を取ってイエスに仕えることに姿を変えます。冠をつかんで放さないというのは、一生に一度の決断ではありません。毎日毎日、「そう、私は冠がほしい。私は信仰を否定しない。どんな代価がかかろうともすべてを捧げる」と言わなくてはならないのです。委ね、服従し、冠を得るために戦い、神の御旨である、最も高い、私たちにとって最善の計画を行い続けると心に決めなくてはなりません!

  私たちは皆、冠を得るために戦わなくてはなりません! 日々の死、十字架を取ってイエスに従っていくという絶え間ない選択が、姿を変えて「あの冠」になるのです! 冠を目に見える形で見ることは決してないかもしれません。ですから、戦うことだけでなく、あきらめずにがんばり続ける信仰も必要です。けれども、その価値は十二分にあります! ダッドはこう言いました。「十字架なしには冠もない。テストなしにはテスティモニーもない。試練なしには勝利もない。戦いなしには勝利はない。トゲのないバラはない!神をほめよ、あなたは戦って勝つために軍隊に入ったのだ! 価値はある! 戦い、戦闘、試み、試練はすべて価値がある! すべて価値がある!」(ML #551:133-134)

  ファミリーの皆さん、あなたの強さと力と霊をすべて振り絞って冠にしがみついてくれてありがとう! 「わたしたちの参加すべき競走を、耐え忍んで走りぬこうではないか。信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。」(ヘブル12:1-2)(ML #3465:5-8, GN 1053)

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  (イエス:)地上にいる間、心と霊のすべてを尽くして、全生涯、わたしに仕える花嫁たちに与えられる栄誉と報酬は、言葉では言い表せない。わが忠実なしもべであるダビデの子供の一人が天国に着いたのを見た者は誰でも、ダビデの子供たちがわたしから極めて特別な栄誉を受けていることがわかるだろう。それは決して否めない。

  地上にいる時に、長い間わたしに良く仕えた後で天国の門をくぐる者たちには、大いなる敬意と栄誉が与えられる。あまりに大きくて、驚き、謙遜にさせられるほどだ。恥入るという意味ではなく、その時、自分で見て、感じ、知ったものによって畏敬の念を抱かされ、言葉も出なくなるのだ。(ML# 3465:45-46, GN 1053)

  (イエス:)「今」その時だけに生きるのは、永遠のために生きるよりもずっと簡単だ。あなたは弱くもろい人間の体を持ち、現世に捕らわれているので、現在の状況を見越すのは難しい。楽しみたいし、すぐに認められたい。そして、「今」を楽しみたいのだ。

だが、わたしに仕え、わたしを愛し、わたしのために生きることで、明日という永遠の世界に生き、働き、そこに投資する人たちはさいわいだ。その仕事は、即座の、あるいは注目を引く結果を生むとは限らないが、あなたは永遠に存続する仕事、永遠に渡って誇れる仕事、愛と与える行為の永遠に続く遺産を積み上げているのであり、決して悔いることはないだろう。(ML #3465:56-57, GN 1053)

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  (イエス:)これらはあなたがたの報酬だ。何度も聞いたように、忠実さに対する報酬がある。この名誉とクリアランスは、あなたがたの報酬の一部だ。わたしに110%与えることによって、あなたは天国でより大きな名誉を受け取る。

  地上での任務期間にわたしに与えれば与えるほど、あなたの名誉の報酬は大きくなり、より多くの場所に入ることができ、あなたは天の世界においてより多くの事柄に関するクリアランスを得るようになる。

  わたしは階級のない社会について語らない。あなたがたの父ダビデが語ったように、天国には「シャイナーとシェイマー」がいるからだ。天国には地上でほとんど何もせず、「地獄から避難」して天国に来たにすぎず、大きな名誉は何も受けない者たちがいる。彼らにとって天国は美しい場所で、多くのスリルや興奮を味わえるものの、名誉が与えられている者たちと同じ地位を得るまでは高いレベルに入ることが許されていない。

  これはすべて、天国の報酬の一部だ。犠牲が大きければ大きいほど、報酬も大きい。わたしはそれに応じて報いる。わたしから高い名誉を受け取る者は、ごく少数の者しか入れない場所に入ることができる。

  わたしは、一律に同等の報酬を与えることはしない。それは、より多く与えた者やより少なく与えた者に対して公平に報いることにならないからだ。わたしはあなたがたの仕事や忠実さ、従順、犠牲に応じて報いる。天国の報酬には、明確なレベルがある。そして、あなたがたは忠実さや犠牲によって、これらを獲得するのだ。(ML #3573:177-182, GN 1160)

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  (イエス:)最後まで耐え忍ぶ者は命の冠を受け取る。これは救いではなく、独特の冠だ。

  命の川の水は父の御座から流れ出て、大いなる力と塗油を運ぶ。命の冠はそれと同じく天国の宝であって、父の霊そのものを発散させている。

  これらの冠は、霊の世界においてもっとも珍重されている贈り物だ。命の冠はそれぞれ、命や力、知恵、強さ、その他多くのものを与える父の霊そのものを携える。これは地上に生きた人ばかりか、霊の世界の人たち皆が望み、珍重する報酬だ。これは、時にはつまずき倒れても、止まることを拒む人たちに与えられる報酬だ。彼らは断じて手放さない。それは、わたしが示していると感じる道を選ぶためにできることをしつつ、毎日毎日頑張り続ける人に与えられる報酬だ。

  ダビデの子供たちは、一つになって、乱闘や煙や白熱した戦闘へと前進し続ける一日一日ごとに、命の冠に一日近づく。これからの暗い時代には、あなたの前に差し出されたその命の冠が、ビジョン、喜び、確信の源となるだろう。時には、力が少しも残っていなくても、あなたは上を見上げ、その冠によって戦い続けるための意欲を得ることがあるだろう。

  暗い時代になるにつれ、光はより明るく輝く。終わりが近づくにつれ、この天の宝はますますあなたの目に見えるようになるだろう。あなたの肉の思いはそれを言い表すことはできないだろうが、あなたの霊にはそれがわかる。あなたが失望している時、それはあなたにチャレンジを与えるだろう。あなたに与える強さがもうない時、それはあなたに力を与えるだろう。山を越えることができないと思える時、それはあなたを駆り立てるだろう。だが、何よりも、それはあなたの思いで理解したり、あなたの目で見えるものがどんな希望も与えない時にも、あなたにビジョンを与えるだろう。

  あなたがた一人一人がすべきなのは、朝目覚めた時に、肉の内でしなければならないことではなく、その冠に心を留めることだ。そうすれば他の何も関係なくなる。何ものもあなたを打ち負かせなくなるだろう。(ML #3555:257-260,264,267-268, GN 1143)

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