生きた御言葉:人生のコラージュに美を見いだす!

Maria
September 1, 2006

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マリア#3598 3/06

愛する皆さんへ、

1.人は皆、毎日のように、理想とはほど遠い状況や、葛藤する状況、克服しなければならない状況を経験するものです。長期の病で苦痛を味わい、衰弱している人もいるでしょう。夫婦関係が思わしくない人もいるでしょう。経済的にやりくりしていくという戦いも、しばしば何度も繰り返しやってきます。もしかしたら、あなたのホームには、直面しているすべての必要をちゃんと満たすだけの人員が十分いなくて、みんな限界に来ているのかもしれません。あるいは、家屋の状況が理想とは言えないのかもしれません。もしかしたら、あなた自身、試練や悲しみの時期にあるのかもしれません。あるいは、子供との問題があって、振る舞いの問題をどうやって切り抜けさせてあげればよいのかがわからないのかもしれません。それとも、仕事面での苦労があるか、一緒に働いている人となかなかうまくやっていけないのかもしれません。人生には様々なテストや試練が伴うものです。

2.ファミリーには、私たちが直面する様々な試練にどう取り組むかについて、とても多くのカウンセルがあります。私たちには霊の武器があります。御言葉も、主の慰めと励ましもあります。それに、私たちの荷を軽くしようとしてとてもたくさんのことをしてくれる尊い仲間や同労者がいます。それでも、私たちは、平穏で牧歌的な暮らしをしているわけでもないし、困難に対処する必要が全くないというわけでもありません。

3.このレターは、そのような主題に関する主からの励ましです。試練から永遠に解放されるような「魔法の」解決策はありませんが、夫である主の言葉は、きっと、主がどんな見方をされるかを思い出させてくれるでしょう。そして、このレターを読んだ後は、主が起こるのを許された出来事にもっと感謝し、賛美したい気持ちになるでしょう。それが今のあなたを築き、強めているのであり、あなたが委ねさえするなら、それはあなたの益になるのですから。

人生に困難はつきもの

4.(イエス:)地上の人生には困難がある。人生とはそういうものなのだ。困難は、わたしからの祝福がないというしるしではない。間違った事をしているというしるしでもない。時として、地上の人生というものは、非常につらいものだ。中には一生続く困難もある。

5.生まれつきハンディキャップのある人や、貧しい境遇に生まれた人のことを考えてみなさい。ファミリーにいようがいまいか、地上の人生は訓練とテストの場なのだ。それは、状況が絶望的に思えても前向きな態度を取り、あなた自身十分持っていない時でも、愛し、分かち合い、犠牲を払うことを選び、たとえ周りが間違っていてもあなたは正しい事をすることを教えてくれる。

6.ファミリーにいるあなたには真理や知識がとてもたくさんあるので、そのような決断を下す上で有利なスタートが切れる。あなたには霊の武器がある。それらは正しい決断を下すのを助けるだけではなく、実際に霊の物事を変えて戦いをより簡単にし、負けるよりも勝つ方を多くしてくれる。

7.また、あなたには天国の約束もある。あなたは、わたしに仕え、正しい事をするなら報酬を受け取ると知っている。また、預言の賜物があり、それは、霊の世界で起こっている事柄の見識や正真正銘の「内部情報」を与えてくれる。そして、それによって、あなたはあらゆる状況を最大限に生かし、他に抜きん出ることができる。だが、こういったすべてのことも、地上の人生が困難であるという事実を打ち消しはしない。これは霊的戦いであり、そう、テストや訓練でもある。あなたがわたしの子供というだけで、困難から免れるわけではない。

8.ファミリーにいようがいまいが、また、あなたがドライバーであろうが、リーダー、ティーチャー、アウトリーチャーであろうが、また一つのミニストリーを専門に行っていようが、あるいは色々な事を少しずつしているのであろうが、あなたには走るべきコースがあり、この地上で他のどんな方法でも学べない事柄がある。そして、このようなレッスンや成長、経験の大部分は、苦難や、あなたの望みとは反する出来事によって訪れる。思い通りに行かず、何かの決断が必要な事柄や、それでも正しい選択をするかどうかが試されるような、信仰を限界まで引き伸ばす出来事だ。

9.愛する人たち、だから、天国に目を向け、天国的なビジョンを保ち続けるのがそれほども大切なのだ。それによって、あなたはいつの日か、わたしが涙をすべてぬぐい去り、もはや死や悲しみ、苦しみもなく、過去のことが過ぎ去る日がすぐに来ると知ることができる。それが、あなたへの約束であり、歴史を通して、わたしのすべて子供たちへの約束なのだ(黙示録21:4)。

10.だから、今の時を最大限に生かしなさい。わたしはあなたを理解している。あなたの女王と王も理解している。彼らだって問題のない人生を生きているわけではない。彼らも、せっかく長い間楽しみにしていた休みを取ろうとしたのに、その間、ひどく具合が悪くなってずっと寝ているなどといった落胆に耐えている。あるいは、とても必要とされていた家の物件が最後になって駄目になったこともあった。また、仕事上の葛藤もある。必要な助けが得られないこともよくある。彼らも、愛する人たちを失ったし、病気、悲しみにも直面した。彼らも人生の試練に苦闘している。それで、あなたの気持ちがわかるのだ。

11.わたしも人間として地上で生活し、あなたが立ち向かっているような多くの試練に遭った。わたしがそういった試練に遭ったのは、あなたをより深く理解し、それがいかにつらく、どんなにあなたを苦しめ落胆させるかを理解し、どのようにあなたを慰めればよいかがわかるようになるためだった。

12.愛する人たち、慰めはある。勝利の約束はある。そして、たとえすべてが極めて明確でないとしても、あなたは地の表にいるどんな人よりも、わたしを見上げ、その背後にある目的をかいま見るという祝福にあずかっている。中には、かすかな望みや理解さえもなしに生きている人たちもいる。だから、あなたは本当に祝福されているのだ。

13.わたしは、このような人生のテストや試練の中からあなたを完全に取り出すことはできない。テストや試練こそ、あなたが地上にいる大きな理由なのだから。だが、わたしはあなたに、答や解決策、洞察、理解、霊の武器を与えた。それを使うと決めるなら、あなたは戦闘において優位に立つことができる。

14.それに、わたしはもうすぐ、あなたや、わたしの忠実な子供たちを皆、天国に集める。その時、あなたはとても喜ぶだろう。戦いの傷は光を放つだろう。あなたが耐え抜いた試練や困難は、あなたの信仰を強くし、信仰が増せば増すほど、あなたはますます霊の世界で富んでくる。だから、これらの試練を利用して、あなたの益としなさい! 落ち込んではいけない。天においてあなたの受ける報いは大きい。あなたより前の預言者たちも同じように迫害されたのだのだから。(以上、メッセージ)

精錬された金

15.(イエス:)人生の困難が、人格を形成する。わたしは困難という道具を使って、あなたをわたしが必要とする男女に変える。あなたは、そうした困難があまりない方がずっと幸せで、それらはわたしの意思を果たす邪魔になっているだけだと思っているね。だが、この状況でも、あなたはわたしが最善を知っていると信頼しなくてはならない。

16.わたしは必ずしも、わたしの意思をクッキーが入ったボウルのようにあなたの前に差し出して、「ほら、ここだよ」と言うわけではない。それが「最高の意思」と言われるのは、手の届かない難しい場所にあることが多いからだ。そして、わたしは、そこに達するまでの葛藤と山登りによって、あなたを望み通りに造り上げるのだ。

17.わたしは、あなたが味わっている多くの悩み、困難、「人生の試練」の多くは、わたしが求めたことをしようとする過程に生じると知っているので、この点を強調しているのだ。わたしは、しっかりした夫婦関係、子育て、勝利チームを築くこと、しっかりした霊的生活を送ること、この世に対する証し人となることなどのすべてを、わたしのためにするようにと求めた。そして、しばしば、それを実行しようとする時に、それができなかったり、問題や困難を抱え、罪悪感を抱いたりするものだ。

18.あなたは、わたしから求められたすべてを喜んでしたいのだが、人生の色々なことが障害となって、すべてがとても難しくなる。愛する人たち、それはただの「人生」ではなく、わたしなのだよ。深い罪悪感を抱いたり、心配したりしないためにも、その点を理解してほしい。「ここまで達しなさい」と言うのも、その行く手にはだかる雨や雪、障害物を送るのも、あるいは敵(悪魔)がそのようなものをもたらすのを許しているのも、わたしなのだ。

19.あなたには、わたしの最高の意思に達するよう戦ってほしいが、それと同時に、わたしは多くの困難や問題が起こるのも許している。そして、それらの困難や問題は、あなたの人生でわたしが用いる道具なのだ。それ以外に何を使えるだろうか? それ以外に、何があなたを、謙遜で砕かれ、わたしに頼る状態に保つだろうか? それ以外に、何があなたに学ぶべきレッスンを教えるだろうか? わたしが障害物やチャレンジを人生にもたらす時、あなたは時々、わたしから求められているのとは一見逆に見える事柄ではなく、もっと役立つことが起こったらよいのにとか、もっと理解しやすく、道理にかない、もっと戦いやすいものであったらよかったのにと思う。

20.これは、たいていの人が、以前兄弟姉妹であった人や愛する人たちでもはやわたしに仕えていない人たちから受ける、より捕らえにくく、それでいてずっと落胆させられる攻撃よりも、福音を宣べ伝え、教えたゆえにアンチキリストの軍勢から直接受ける迫害の方を好むのと似ている。より複雑で、白黒つけがたい問題や出来事に関する個人的な攻撃を扱うより、わたしへの信仰や救いへの信条といった、直接的な論点を扱う方がずっと簡単だ。

21.あなたは、傷や損失が起こるのは、あなた自身の状況や、あなた自身の間違い、あなた自身の夫婦関係、あなた自身の子供、あなた自身のホーム、あなた自身の疑い、あなた自身の弱さ、あなた自身のからみつく罪による内面の攻撃のせいではなく、宣教地の前線やわたしへの活発な奉仕の前線にいるという理由だけであってほしいと思っている。だが、愛する人たち、あなたの人生に何かが起こるなら、それは、わたしは理由があってそれを許したこと、また、たとえそれが非常に無益で何の役にも立たないように思えても、万事が共に働いていつかは益になるという約束から免れることはないと信じなくてはならない。

22.あなたは、このような長く続く問題や困難に戦っていることや、それらがなくなって、より大きな事、より良い事、一見もっと崇高な目的に思えることに専念できたらいいのにと思っているね。だが、わたしはそのように計画しなかった。わたしの計画は、あなたが今日、直面している障害が何であろうと、それがどこから来ようと、戦ってそれを克服することだ。また、善を行うことにうみ疲れず、その障害の出所や、それが起こった理由について罪悪感を抱かないことだ。

23.わたしの意思は、あなたの目の前にある。そして、わたしの永遠の腕は、後ろからも、下からも、あなたをすっぽり包んでいる。あとは、あなたの敵対者たちがどんな形を取ろうと、どの方向から来ようと、ただ前進するだけだ。あなたは時々いらいらして、こう考える。「ああ、またこの戦いだ。この戦いにはうんざりだ! どうかこの戦いを取り去って、別のを下さい」と。だが、愛する人たち、わたしがこの杯、つまり人生に起こる数々の小さな試練の杯や、戦うのも恥ずかしいような些細な戦いの杯をあなたから取り去るなら、あなたは、あるべきあなたには決してなれない。わたしが定めた終わりの時の慰め手、カウンセラー、リーダーにも決してなれないだろう。

24.あなたが直面するこのような試練の一つ一つに勝利があるが、長期に渡る戦いのための勝利は、しばしば長期に渡って得ていくものであるのを覚えていなさい。戦いは一日にして終わることはないかもしれないが、戦い方を把握し、知るに従って、減っていくだろう。弱さやからみつく罪が、ゆっくりと、そして徐々に大きくなって、ついには全く手に負えなくなってしまうように、勝利も、あなたが少しずつ陣地を確保するに従って、徐々に獲得されていく。そうして、ついに敵がすべて敗走し、打ち負かされて、ふと気づくと、あなただけが戦場に立っているのだ。

25.だが、このような勝利は、素早い解決や即座のハッピーエンドと比べて、それほど華々しくない。あなたの肉は、長期に渡るつらい試練や、ありふれた敵に対するだらだらと続く戦いにうんざりしている。あなたは一見価値があるように見えるもののため、また誇りにできるようなもの、戦う価値があると感じられるもののために戦いたい。だが、愛する人たち、そうはならない。

26.テストなくして、テスティモニーはない。途絶えることのないこれらの弱さや厄介な問題、からみつく罪、当惑させられるような問題なくして、あなたの信仰は試されない。あなたがたは、より大きな戦い、単純な戦い、明白な戦いに対しては皆強く、よく戦い、克服できるので、大抵の場合、それらはたいした「テスト」にならない。巨人と戦うのは華々しいが、雑草のようなやっかいな問題と戦うには謙遜や忍耐、ねばり強さが必要だ。

27.罪や悪という巨人に正面からぶつかり、それらを打ち負かす時、あなたは自分が非常に強い戦士であるかのように感じるが、庭でコツコツと汗水たらして働き、雑草を抜いたり植物を何度も植え替えたりという作業を何度も繰り返していると、失敗者のように感じてしまう。庭師の苦労について歌や詩を書いた人はほとんどいないが、それでも戦いには違いない。ある意味で、それは伝説上の素早く栄光に満ちた勝利よりも崇高な戦いとも言える。

28.わたしへの奉仕において、わたしはあなたを両方の種類の戦いに召している。この戦いではわたしを賛美しながら、別の戦いを嫌がるわけにはいかない。あなたは、それが両方ともわたしから出たものであり、両方とも全身全霊を込めて戦う運命にあることを理解しなくてはならない。わたしはあなたの信仰と勇気を試すために、大きくて人目を引く戦いを与え、あなたの強さと決意を試し、謙遜になることを教えるために、長く続く、単調でばつの悪くなるような戦いを与える。そして、その間、わたしはずっと、わが知恵によって、あなたを完璧な戦士、完璧な闘士に形作っているのだ。戦いの大きさや、それが目立つか目立たないかに関わらず、いつでも戦う準備ができていて、いかなる状況下でも勝つ戦士だ。

29.わたしはあなたの信仰の導き手であり、完成者だ。わたしがあなたに「試練」という祝福を与えているなら、それはあなたの信仰がもう少し「完成」され、特定の面で「強め」られるべきであり、それゆえ、あなたの望むほど早くこれらの試練や災いから解放すべきではないと見なしたからだ。だが、わたしを信頼し、わたしに目を留めなさい。そして、わたしは必要以上にあなたを苦しませるようなことはしないと知りなさい。ましてや、無駄に苦しませたりしない。あなたが自分の分を果たすなら、あなたの信仰は強められ、成熟し、強くなる。そして、解放すべき時だと見なした時には、あなたは純金のようになって出てくるだろう。わたしが戦いを長引かせているとしたら、発熱が体に良くないものを清めているように、それはわたしが良しとしたことだとわかる。

30.あなたが懸命に戦い、終わることを望んでいる「この世の試練」に絶えず直面してなくてはならないことをすまなく思う。わたしは思いやりがないわけではない。このような事はつらく、当座は喜ばしいものとは思えないのを知っているからだ。だが、あなたがこのような事が起こるのを許している理由を理解できるようになれば、それらを賛美できるようにさえなり、このような問題や困難にもかかわらずあなたの内にわたしの喜びを宿らせるようになることを、わたしは望んでいる。

31.わたしの愛はこれらのことには左右されない。あなたがわたしにとって特別な人であるという事実は変わらない。あなたが戦い抜き、わたしにしがみつき、信仰を保ち、武器を使っているのを見ると、もっと愛し、賞賛したくなる。たとえあなたがしくじり、やり遂げておらず、わたしが注意しなくてはならない時でも、わたしやファミリーのためにそこまでやってくれたことを誇りに思っている。

32.あなたは、この面でわたしに仕えるという高い賞与がほしいゆえに、様々な試練を通ることを自ら選んでいるとも言える。あなたは、わたしの召しを断念し、最高の意思から去り、より低いレベルで落ち着いてしまうことによって、戦いの何割かを中止させ、なくしてしまうことだってできる。わたしの最高の意思を固守することで、あなたは、喜んで何でも行う者に変えられても構わない、あなたの人生をわたしの望みのままに変えるのにふわさしいと見なすどのようなテストや試みも受けるのをいとわないと告げているのだ。また、その投資ゆえに最大の報酬と配当を望んでいるとも告げている。あなたはわたしのために最後まで徹底的に行っているので、わたしも最後まで徹底的に祝福と報酬と奇跡を与えると期待してよい。

33.わたしは、あなたが本質的に、時には非常につらく困難な戦いや試練を選んだことを立派に思っている。あなたはきっと、あまりそのような見方をしていないだろう。自分で選べるなら、そういった戦いはない方がずっと良いからだ。だが、わたしのような見方をするなら、わたしはあなたを、勇敢で意欲があり、犠牲的で、大きな報酬に値する者として見ているのだ。

34.様々な困難をすべて賛美しなさい。いろいろな試練に会った場合、それをむしろ非常に喜ばしいことと思いなさい。信仰が試されることによって忍耐が生み出されるのだから(ヤコブ1:2-3)。そこには、義のための試練に会った場合のみ、喜ばしいことと思いなさいとは書いていない。「いろいろな試練に会った場合」と書かれている。つまり、それはあなた自身のからみつく罪や、間違い、あらゆる日常生活の厄介な出来事かもしれない。

35.あなたは、このような試練すべてを喜ぶことができる。それらは、わたしがあなたに求めているまさにそのものを築いているからだ。わたしはあらゆる道具を使って、あなたをわたしの望み通りに形作っている。時として、その過程はつらいかもしれないが、最終的な結果はとても素晴らしい。忠実な人よ、じっとして、幸せでいなさい。最後には、わたしがあなたの人生に築いたものを見て喜ぶだろうから。忍耐を切らしたり、いらだったりせずに、これがわたしから選ばれた器の人生であり、高貴な冠を受け取るためにくぐらなければならないことなのだと気づきなさい。

36.とにかく幸せになることを学びなさい。このような戦いのすべてが消え去ることはないのだから。これから先しばらくは、このような戦いや、その他多くの戦いがあるだろう。あなたは勝利を手にするが、新しい戦いが次々と出てくるだろう。あるいは、幾つかの戦いでは、状況が変わらなくても勝利の態度を保たなければならないだろう。だが、わたしはこれらの戦いよりも大いなる者だ。だから、わたしに心と目を留めているなら、あなたもこれらの戦いを超越し、心が影響されたり、幸せが奪い取られたりしないようにすることができる。

37.うみ疲れた時にはわたしの下に来なさい。労苦からの休みと、試練のための慰めをあげよう。この戦いは価値があると感じようが感じまいが、あなたへの愛は変わらない。また、武器を手に取って、わたしの名と力によって戦い続け、わたしが約束したのだから最後には勝つと知りなさいという、わたしのカウンセルも変わらない。あなたは成功するよう定められている。そして、わたしは決して約束を破らない。(以上、メッセージ)

鋼鉄の棒一本の値段は5ドルだ。それを馬ていに鋳造すると10ドルの値打ちになる。それを針に鋳造すると350ドルの値打ちになる。ペンナイフの刃に鋳造すると3万2千ドル、時計のバネだと25万ドルの値打ちになる。それだけの値打ちになるのに、鋼鉄の棒がどれほどつらい処理過程を通らなくてはならないことか! だが、鋼鉄は、処理され、打ち延ばされ、火にくべられ、さらに打たれ、磨かれれば磨かれるほど、価値が上がっていく。-ヘンリー・ベッセマー、イギリスの発明家・技術者。

賛美は倦怠を打ち負かす

38.(イエス:)わたしが痛ましいほどにあなたを試みる理由は、人や状況の数だけ様々だ。だが、理由は多種多様であっても、どの場合にも共通しうる点が一つある。それは、このような試練や困難に対して、あなたがどのような態度、どのような観点を選ぶかだ。

39.もう、人生には戦いがつきものであるのはわかっただろう。だが、わたしは、その事実を、潔く、立派に、またわたしの数多くの約束への信仰と信頼の霊をもって受け入れることについて話したい。わたしはあなたに耐えられる以上のものを与えることはなく、あなたが地上で捨てるものは何でもその百倍を受けるという約束だ。

40.戦いに対してわたしの見方をするのをしばしば妨げているのは、それに面した時にあなたが抱く倦怠感だ。この倦怠感が、あなたを精気の欠いたファイターにし、戦い始める前にさえ、希望や信仰を失わせてしまう。あなたの霊は、その真価を証明するチャンスを得る前にさえ、打ちのめされてしまうのだ。

41.倦怠は重荷と同じであり、戦いが来ると察するたびに敵があなたの心に置こうとする、重く、息を詰まらせるような重りも同然だ。特に、長期的な戦いの場合はそうだ。それは、またもう一日だ、また試練だというあきらめの感情を与える。そして、あなたが抱く悲しみや気乗りしない霊は自然なことだし、理解できる。「また私は騒動の中にいる。こんなものを楽しめる人がいるだろうか?」と。あなたは自分のせいだと感じ、疲れ、圧倒され、荷を負いきれない、もう耐えられない、もう手に負えない状態で、剣を抜かなくても当然だと考えそうになる。

42.だが、実のところ、戦いと倦怠は同義語ではない。それらは同じではなく、必ずしも、長期に渡る、いや、実際どんな苦闘であろうと、そのさなかにいる上に、倦怠感と戦う必要はない。戦いは人生につきものかもしれないが、倦怠はそうではない。

43.倦怠はあなたの魂の水を差し、さもなければ赤々と激しく燃えていたであろう炎、あなたが戦いにあってそれを一番必要とする時に霊を高めてくれる炎をもみ消す。倦怠は、あなたの周りの空気を汚染し、息苦しくし、視覚を曇らせる。倦怠は、あなたの関節に入り込む霊的関節炎のようであって、不快感や痛みを引き起こし、自分が使い古され、年老い、関節を曲げたり、わたしの霊の新しい動きについて行ったりできないかのように感じさせる。

44.倦怠は巧妙な武器であって、敵はそれを使って、大胆さと情熱と決意をもって戦いの中に飛び込んでいくべき時に、そうしないようあなたを思い留まらせるのが好きだ。倦怠はわたしからの霊ではなく、わたしはその抑圧からあなたを解放したい。あなたはこれ以上、その荷を負う必要はない。

45.あなたはそれに対して戦い、勝つことができる。わたしはすでに、倦怠の霊に対する最高の武器、対策を手渡した。それは賛美だ。長期戦でも短期戦でも、どんな戦いにあっても喜び、倦怠の霊という重荷に邪魔されずに戦いに飛び込んでいき、戦いをより天国的な見方で見て、耐えるだけでなく楽しむ方法を知りたいなら、その荷を爆破する武器として、まず賛美の武器を選びなさい。そして、その武器に心と思いと霊を解放させ、戦いに対するわたしの見方と焦点を得なさい。

46.愛する人たち、どんな戦いにおいても、賛美はえり抜きの武器だ。だが、倦怠に反撃したいなら、そして、倦怠の支配から解放され、わたしの見方で物事を見、肺をきれいにする天国的な空気を吸い、血液を送り出し、戦いのために鼓舞されるまでになりたいなら、賛美の武器は特に役に立つ。(以上、メッセージ)

あなたはわたしにとって大切だ

47.(イエス:)愛する人たち、わたしはあなたの心について語りたい。膨大な量の愛、幾章もの祈り、何巻もの巻物になる祈りや嘆願と賛美が、あなたの心の奥底に記録されている。今、わたしはあなたの心の言葉を語る本、隠れた祈りや涙、口に出されなかった悲しみのすべてが記された本を開きたい。

48.この本を開くたびに、わたしは涙を流す。声に出さず、ただ祈りによってわたしに伝わった言葉が書かれているからだ。あなたの目からは流れなかったものの、心と霊の内で流れた涙が見える。痛みや苦しみが見える。だが、同時に、信仰が太字で書き込まれ、情熱的な愛と賛美が蛍光ペンでアンダーラインされ、愛や賛美、献身・信頼・忍耐の貴重な参照箇所があるのも見える。わたしは、涙を流しながらあなたの心の本を読む。どちらも美しく、深く心が動かされるからだ。

49.これらの言葉をあなたに読み、語る時に、わたしが涙を流しても気にしないでほしい。最愛の人たち、その一粒一粒があなたへの愛と深い称賛のしるしなのだ。わたしの涙であなたの心をソフトにし、今まで、そして今もあなたがわたしのために抱いてきた悩みや試練という深い苦しみを洗い流させてほしい。

50.わたしはあなたの悩みを知っている。そう、わたしはあなたに、一人一人に語りかけている。あなたがたの悩みはそれぞれ異なる。似ているように思えるものや同じに思えるもあるだろうが、それらは異なっている。それらはあなたの人生に異なった触れ方をし、あなたも違った反応をするからだ。それゆえ、それらはあなたがたに異なる影響を与えている。

51.愛しい人よ、さあ、目を閉じなさい。そして、しばらくわたしと静かになりなさい。あなたの心の本のページから、今わたしが言っている、あなたのある悩みについてささやこう。何のことかわかっているね。しばらく前から心にのしかかっている重荷、なくなることがなく、永続する完全な解決策がないように思える問題だ。その心の負担は日ごとに重くなり、ますます耐えられなくなるように思える。また、その祈りには決して答えがないか、あなたが必要と感じるだけの周到な答えが来ないように感じられる。

52.あまりにも荷が重くのしかかって、あなたは時々泣きたい気分になる。あなたはすでに数多くの責任を負っている。ホーム、家族、メイトや愛する人たち、仕事や羊、わが王国そして個人的な責任を。

53.(経路:)イエスが泣いています。心が深く動かされているようです。膝に座っている誰かを抱きしめようとしていますが、とても気持ちが高ぶっているため、その人に実際に触れることができず、またその人が主に触れられないことをもどかしく感じているようです。

54.(イエスが続けて:)わたしの心はあなたに触れたい。わたしの腕はあなたを抱きしめたくてたまらない。わたしは、あなたが必要だと感じている慰めや愛の肉体的な現れになりたい。あなたを抱きしめ、胸もとに引き寄せたい。あなたが切に聞きたがっている言葉を語りたい。「スイートハート、あなたはとてもよくやっているよ。すべてうまくいく。わたしが全部取りはからってあげよう。心配しなくてもいいよ。うまくいくから。わたしがこの問題を解決しよう。解決法をもたらそう。最後にはうまくいくから」と。あなたが実際にわたしの声を聞くことができればいいのに。この荷を肩代わりできるよう、わたしが実際の人間としてそばにいることができればいいのに。あなたの涙が見える。そして、わたしがそれをぬぐってあげたい。

55.ダーリン、たとえ、あなたをそこから解放し、すべてを正し、あなたの人生に完璧さと平安と穏やかさを与えたくて胸を痛めても、わたしにはそれができない。わたしの父はわたしを十字架から解放したくて胸を痛めたが、それはできなかった。わたしが感じた痛み、耐えた苦しみは、父の心を引き裂き、父はわたしが十字架で死ぬのを見るに耐えなかった。たとえわたしの苦しみがどれほど大きくても、父の愛は、そこからわたしを解放したり取り去ったりできないほど大きかった。父は、わたしの報酬や栄光は、つかの間の拷問を受けるだけの価値があるばかりか、それをはるかに超えることをご存じだったのだ。そしてあなたもわたしにとって、それだけの苦しみを味わう価値がある。

56.愛する人たち、いつかあなたも同じことをわたしに言うようになるだろう。「あなたの苦しみは、私にとってそれだけの価値があります」と。その日とは、あなたがすべての報酬を受け取る日であり、あなたはその報酬に驚く。だが、すべての栄光がまだ明らかになっていない今、あなたは、これらの戦いや長期に渡る困難、終わりのないように思える問題も、最後には報われるという、わたしの言葉を信じなくてはならない。

57.これらの深い困難や日常生活の葛藤は、あなたを砕いている。だが、材料となるそれらの破片が多ければ多いほど、わたしはあなたを使ってもっと多くのことができるのだ。あなたがわたしの手の内で砕かれれば砕かれるほど、わたしにとって有用になる。そのように、砕きと強めと、さらなる有用性の過程が続いていく。わたしがあなたを砕いているのは、今よりずっとあなたを使えるようにするためだ。

58.わたしは、あなたがたの人生でコラージュを制作している。あなたが直面する困難、出くわす戦い、さらには間違いから生じた破片を使って、コラージュを作っているのだ。あなたに砕きを経験させればさせるほど、わたしのデザインを仕上げるのに必要な材料が増える。このコラージュは、人々が目に留めるような美しい絵や、称賛するような素晴らしいデザインにはならないだろう。これはわたしの光が差す窓に掲げるためのものなのだ。あなたの砕けたかけらでできたステンドグラスにわたしの光が差し込んで、それはあなたと同じ道を歩む人たちの人生に色鮮やかな美しさを表し、深みを増させ、光と美しさを与えるだろう。

59.あなたに臨む試練一つ一つが、あなたの人生の窓に加えられる新しい色、新しいデザインだ。一つ一つの困難は新たに砕かれたかけらであって、それはあなたを通してわたしの栄光が輝くために使われる。このような困難を取り去るなら、わたしのデザインに穴や大きな裂け目ができてしまう。困難があるからこそ、わたしはあなたを仕上げられる。試練がなければ人生はもっと楽なのにと思うかもしれない。確かにそうかもしれない。だが、そうするなら、あなたは「経験」という美しい宝石を失い、他の人たちも、そのかけらが自分たちにもたらしたであろう反射や輝きを得られなくなる。

60.愛しい人よ、人々が、あなたも同じ砕かれたかけらを負っているのを目にする時、彼らは励まされ、自分たちもわたしのために戦い続けようと考える。あなたが、より困難でないとしても、同じような試練を抱えているのを見るなら、人々の信仰は強められ、新たにされる。あなたがまだ戦っているのを見るなら、人々は自分たちにもできると考える。あなたが自分たちと同じ災いや試練、困難な闘いを抱えているのを見るなら、人々はあなたがすべてを捧げるのを見て、自分たちも再びわたしにすべてを捧げようと決意するだろう。

61.これらの理由はかなり漠然としているように聞こえるだろう。これを聞いても、あなたの悩みが軽くなるようには思えない。愛する人よ、その気持ちがわかるよ。私もかつては悲しみの人であり、嘆きを知っている。悲しみ、深く嘆き、感情的になって泣くというのがどういうことかを知っている。わたしもあなたと同じようにあらゆる面で苦しんだ(イザヤ53:3, 4; ヘブル4:15)。わたしの試練はあなたのそれとは異なるが、地上におけるわたしの人生という窓をのぞくなら、わたしもまた、あなたのステンドグラスの窓と同じ破片を負っていたのがわかるだろう。

62.わたしも、愛する人や、さらには家族からも裏切られた。生活状況の困難もあったし、親しい友や同労者たちとの困難さえ経験した。テストや戦いに会い、敵の嘘に誘惑された。わたし自身の必要や、わたしに従う者たちの必要を満たすという難題に直面した。わたしも、愛する花嫁であるあなたがたが、今、抱えているのと同じ困難や問題、悩みに出くわしたのだ。わたしも、あなたが今、砕かれているのと同じように砕かれた。わたしの人生には数多くの破片があった。つらい経験、困難、試練、苦しみ、誘惑、悲しみと涙の破片だ。そして、天の父はそれを御手の内で、希望や勇気、信仰、究極の愛からなる、息を飲むような見事な作品に変えて下さった。

63.愛する人よ、目を上げてステンドグラスの窓をのぞきなさい。そこには、わたしの人生と地上での経験が飾られている。約束しよう、あなたの窓にある破片は、一つ残らず、わたしの窓にもある。わたしはあなたより前に、すべてを経験した。それは、わたしが今ここで、希望と勇気、喜び、信仰、平安、再生、ビジョン、とてもとても大きな愛の光をあなたに降り注げるようになるためだった。

64.わたしの命は、あなたにとって価値があっただろう? わたしが払った犠牲や苦しみ、悲しみ、困難は、あなたにとって価値があっただろう? あなたは、救いやわたしの花嫁としての立場という報酬が永遠に失われるとしたら、わたしからそのような困難を取り去りたいとは思わないだろう?

65.それと同じように、わたしもあなたから苦しみや困難を取り去ることはしない。そうするなら、あまりにも大きな報酬を失うことになる。試練の報酬は、その代価をはるかに上回る。使徒パウロはそれをとてもうまく述べている。「わたしは思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない」(ローマ8:18)。苦しみは「言うに足りない」。苦しみは、わたしが天国で用意している栄光や報酬、大きな名誉と比べると言うに足りない。あなたの苦しみは、わたしが用意している報酬の大海と比べるなら、コップ一杯の水に過ぎない。

66.愛しい人よ、あなたにはそれらの破片が必要だ。わたしはその破片を使ってあなたの人生を作り出そうとしているのだから。傑作を作るには、それらの材料が必要だ。父もわたしの人生においてそれらの破片を材料に使った。そしてわたしも、あなたの人生においてそれらの破片を使う。わたしは苦しみを通して従順を学んだ(ヘブル5:8)。あなたも苦しみを通して従順を学ぶだろう。わたしはあなたを、わたし自身すでに歩き、よく知っている道にしか置いていない。わたしは、最初に自分自身に求めていないことを、あなたに求めたことはない。わたしがまず、この道を試した。わたしがまずこの人生を経験した。それはわたしが、あなたに必要なすべてになるためだ。

67.わたしにとって、あなたがたの人生はすべて美しい。つらい経験も、何もかも。ガラスはあなたの手に鋭く、破片はあなたの心を突き刺すだろうが、それらをわたしに与えなさい。そうすれば、それらを正しく配置してあげよう。あなたの人生や状況の破片をわたしがどう見ているかを示してあげよう。わたしはあなたの人生のための完璧な計画の範囲内でそれらを組み立てる。それらの破片はもはやあなたを傷つけないだろう。いったん、すべての破片がわたしの手に入り、あなたがそれらをわたしのような見方で見るのを学ぶなら、最初に感じていた苦しみから解放され、新たに彩色された宝石があなたの人生とわたしへの奉仕に加えてくれる美しい奇跡を経験するだろう。

68.愛する人よ、上を向きなさい! 目を上げるなら、わたしのような見方で物事が見えるだろう。あなたの人生にわたしの光が差し、どんな困難や醜さも、美しさや完璧さのビジョンに変えているのが見えるだろう。そして、わたしの人生の窓をあなたの励みとしなさい。それを心の励みとし、あなたの霊に希望をもたらして、わたしがあなたの先を行ったこと、またあなたと同じ感情や気持ちや困難で満ちた人生を送ったことを知りなさい。愛する人よ、わたしにできたなら、あなたにもできるよ。わたしに耐えられたなら、あなたにも耐えられる。わたしはあなたの内にいる。この世では悩みがあるけれども、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている!(ヨハネ16:33)(以上、メッセージ)

とりなしの鍵

69.(ママ:)私のヘルパーの一人は、今、妊娠しています。彼女は子供がもう一人生まれることをとても喜んでいますが、妊娠中はとても大変なのです。最初の4ヶ月から5ヶ月はつわりがひどく、ベッドから起きあがることもほとんどできませんでした。食べ物や水を吐かずにいるのも絶えず戦いです。横になりながらコンピューターを見ても、もっと気分が悪くなるので、仕事もできません。お腹の中の赤ちゃんを育てるというとても大切な仕事をしているのはわかっているのですが、敵は彼女の妊娠初期に、まるで彼女が他の人たちの重荷であり、自分の分を果たしていないというような、「自分は役に立っていない」という気持ちを使って激しく攻撃してきました。その上、いつもつわりがひどいことでかなりがっかりしていました。

70.主に感謝することに、今ではその時期を乗り越え、気分もずっと良くなりました。けれども、つわりがひどく、ずっと続くかのように思われた時、彼女は主と静かな時間を取りながら、あと数週間、あるいは数ヶ月間耐えられるとはとても思えないので、何か奇跡を起こして下さいと主にお願いしたのです。すると主は彼女に語り、この鍵の約束を与えられました。「とりなしの鍵を呼び求めなさい。そうすれば、わたしは憐れみと苦痛の軽減を求めて天の父に嘆願するだろう。」

71.少し気分が良くなってから、彼女は主にとりなしの鍵についてさらに尋ねました。皆さんもきっと、このメッセージを読んで彼女と同じように励まされるでしょう。

72.(質問:)とりなしの鍵とは何ですか?

73.(イエス:)とりなしの鍵には、二つの主要な目的がある。

74.1)とりなしの鍵は、誰か他の人のためにとりなしている時に呼び求めることができる。団結した祈りや個人的な祈りをする前に、これらの鍵を要求すると良い。すると、とりなしの鍵は、あなたが良い祈りの戦士になり、祈っている相手や状況のために必死に祈るのを助けてくれる。

75.2)あなた自身が困難な時期を通っているか、大きな試練や戦い、災い、障害に直面している時にとりなしの鍵を呼び求めることができる。わたしはあなたのために霊の内でとりなし、状況を変えるよう働きかけるだろう。たとえその状況があなたの人生において良い実を結んでいたとしても、あなた自身が戦いに弱り果てているなら、とりなしの鍵を要求しなさい。そうすれば、わたしはあなたのために状況を変えるよう、父に嘆願してあげよう。

76.状況は必ずしもすぐに変わるとは限らない。戦いが続くことが最善であると父が知っている場合もあるからだ。だが、状況が変わる時もある。そして、わたしがとりなすことによって父の思いが変わることもある。

77.だから、もう駄目だと感じるなら、この鍵を呼び求めなさい。わたしと父があなたの状況を見直そう。そして、多くの場合、わたしたちは憐れみ、あなたが求めるように苦しみを和らげるだろう。わたしたちが介入しないのは、もうすぐ試練の終わりだとわかっている時や、あなたが最後まで走り抜く方が、ただちに苦しみを和らげるより大切だとわかっている場合のみだ。だが、信頼していなさい。そのような場合は最も大きな憐れみが示され、より大きな力が与えられる。(以上、メッセージ)

研磨用回転ドラムと私たち

研磨用回転ドラムをご存じですか? 加工金属をなめらかにする機械のことです。桶、またはドラムのような容器が一定のスピードで回転し、その中に鋳造物や加工品を中に入れるのです。研磨剤として、アルミナ粉やカーボランダム、また、製品の特質や硬度に応じて、砂やゴム球、金属球を入れることもあります。

それから、ドラムが回り始めます。ドラムが回転するごとに、加工品は宙に舞ったかと思うと下に落ちます。そのようにドラム内で転がり、互いにこすれ合い、研磨剤で磨かれることによって、とがった部分がなくなり、角が取れます。そしやって、正しく機能する部品に形作られるのです。

この精巧な加工過程を見ると、人生において人が転げ回されている様子を思い浮かべずにはいられません。私たちは、とがった部分や角、未加工のままの性質をもってこの世に来ました。けれども、生きている内に、互いにぶつかり合い、苦しみや困難とこすれ合います。これは、加工品がドラムの中で研磨されるようなものです。このような摩擦や研磨によって、柔和で成熟した人格ができあがるのです。

善良な心を持つ人々の中には、人生は厳しすぎると思っている人たちがいます。そのような人たちは、この世界を、誰も傷つくことがないよう十分計画し、調整したいのです。けれども、試練がないなら、人格はどのように形成されていくのでしょうか? どうやって角が取れ、成熟し、強くなっていくのでしょう?

この磨きの過程が人を造り上げるのです。困難な状況というものがどんなに厳しく、不快であっても、それは可能性の起点なのです。すべての困難を、祈りと信仰と、明確な思考で囲みましょう。そして、その下に熱意を燃えさせるのです。それが基盤となっていれば、これから先、どんな状況にも対応できるはずです。-ノーマン・ビンセント・ピール著、「Enthusiasm Makes the Difference