Maria
March 23, 2006
GN 1169 CM/MM/FM
マリアFD/MM/FM 3586 11/05
このGNはホーム全体で一緒に読んで下さい。
愛するファミリーへ、
1.私は、皆さんのためにこの「勝利チームを訓練する」のシリーズを制作するのをとても楽しんでいます。皆さんも主のカウンセルを学習し、実生活やホームに当てはめるのを楽しんでいるよう望みます。もちろん、御言葉を適用するのは、時としてそうであるように、ハードワークもたくさん要します。でも、長い目で見れば、これによって皆さんはもっと幸せになり、ホームもその益を実感するでしょう。
2.このGNでは、わずかに絡み合っている二つのテーマを追求していきます。それはバランスの取れたホームにすることと、ホームとして楽しむというテーマです。ホームとして楽しむことも、バランスの取れたホームにすることの一環です。ですから、幾つかのカウンセルは重複します。これらの二つのテーマは関連し合っているのです。ここにあるメッセージがこれからの標準となるよう祈ります。
3.皆さんのホームは、ちょうど昔風の天秤のようで、物事のバランスができる限り取れていなければなりません。ホームにおいて何か一つのことに偏りすぎてバランスが取れていないなら、天秤はかすかに片方に傾き、不満、実りのなさ、問題といった結果になるでしょう。でも、すべてのものが十分にあるなら、つまり十分な仕事、楽しむための十分な時間、人々のための十分な時間、子供のための十分な時間、主のための十分な時間(これはもちろん、一番大切な事柄です)があるなら、そこに調和と幸せがあるのです。
4.ホームとして共に楽しむことは、成功へのもう一つの鍵です。幸せなホームとは、楽しみ方や、くつろぎ方、リラックスの仕方を知り、チームメイトと共にいてフェローシップをする方法を知っている人たちです。幸せなホームとは、仕事の時間と遊ぶ時間をわきまえている人たちで、彼らはその両方に同じだけ熱意を抱きます。幸せなホームとは、楽しみやレクリエーション、くつろぎは人間の必要であって、それなしには無味乾燥で何かが欠けていると気づいている人たちです。
5.ファミリーの皆さん、覚えていて下さい。私たちは人生を楽しみ、互いを楽しみ、何よりもイエスを楽しむべきなのです。私たちは悲しい宗教ではなく、幸せな宗教です。私たちは主への奉仕を真剣にとらえていますが、同時に、聖書にあるように「言葉に尽くせない喜び」を抱いています(1ペテロ1:8)。私たちには、幸せになるべき事、夫である主を賛美すべき事、祝うべき事がとてもたくさんあり、また極限まで楽しむべき素晴らしい人生があります。私たちの人生は、この世の多くの人たちに比べて、長く幸せな大冒険なのです。
6.ですから、私たちが祝福として与えられている幸せな生活、私たちが知り、共に暮らすという特権にあずかった友、愛する人たち、家族、(そしてその過程で出会う人たち)、私たちが負う栄誉にあずかっているイエスのための大切な責任、愛し、訓練し、育てる上で私たちが大きな役割を担える子供たち、そしてイエスのための楽しく、生き生きした、革命的な人生に注がれるすべてのものの甘美さを味わうのに必要な時間を、常日頃から取りましょう。
7.このGNを読みながら、イエスのための素晴らしい人生について考えましょう。じつに、私たちには、言葉で言い表せないほど感謝すべきことがあります。そして、この世のどんな人よりも人生の楽しみがたくさんあるのです。イエス様、完璧な幸せの源となってくれてありがとう! また、どのようにすれば私たちの生活やホームがもっとバランスを取り、楽しめるかについて、私たちを養い、指導するための言葉をこのGNで与えて下さっていることも感謝します。
愛を込めて、ママ
8.勝利チームはバランスの大切さを知っており、バランスを取ることを目指します。勝利チームのホームは仕事中毒の拠点でも、レジャー・センターでもなく、メンバーたちがただ瞑想や祈り、御言葉を読むことや、霊的な交わりしかしない聖所でもありません。勝利チームはバランスが取れています。すべての基本要素がカバーされています。そして、すべての大切な事柄をスケジュールに組み込み、必要な時は、物事のバランスをどう取り、やりくりするかについて主を尋ね求めます。勝者たちは、すべてのことには時があること、すべてはそれにふさわしい場所にあるべきことを知っています。
9.(ママ:)ホームに良いバランスが取れていることはとても大切です。これは非常に基本的な概念に思えますが、ホームのバランスはとても簡単に崩れうるのです。たとえば、仕事に重点を置きすぎて、ホームを成功させ皆を幸せな状態に保つために必要な他の大切な事柄を怠ってしまうなどです。もちろん、私たちはイエスのために懸命に働き、主の奉仕にすべてを捧げ、プロの労働倫理を身につけなくてはなりません(これについてはこのシリーズの次のGNで取り上げます)が、それだけしていてもだめなのです。
10.事実、数年前にピーターがWSユニットに対して、労働倫理と主が要求しておられた優秀な者になるというコミットメントについて指導していた時、彼はそれと同時に、人生の他の側面との良いバランスの大切さも強調しました。WSにいる人たちがこの原則を把握できるようにするため、ピーターは主のための生活の各側面を4つの主要な柱に分類しました。以下の通りです。
1)プロのミニストリー生活
2)霊的生活
3)コミュニティー生活
4)個人と家族の生活
11.ピーターは、実生活のこれらすべての側面のバランスが取れているべきことを持ち出しました。WSにいる人たちは、仕事をすべき時には、時間数を注ぎ込んで懸命に働くよう求められています。また、主との時間を取る時には霊的な側面に集中する責任を負っています。そして、他の人との時間を取り、自分がいるWSホームの「コミュニティー」に貢献することも必要とされました。個人の生活、つまり家族や夫婦、友達関係、レクリエーションや楽しみの時間にも注ぎ込まなければなりませんでした。ピーターは、これらすべては大切であり、どれ一つとして怠るべきではないと言ったのです。
12.皆さんのためにこのGNを制作した時、主は、皆さんにこのたとえを分け合うなら、バランスの取れた生活という原則を把握してもらう助けになると言われました。皆さんも知っているように、WSユニットではたいていの人のおもなミニストリーはオフィス・タイムの仕事なので(でも、一日中机の前に座っているわけではない、忠実なスタッフ・ワーカーや、子供を教える人、ホーム・シェパードやマネージャーもいます)、平均的なフィールド・ホームとは異なっていますが、主は、それでも同じ原則が当てはまると言われました。
13.もちろん、ファミリー生活に関わる全部をそれぞれの「柱」に振り分けることはできません。でも、これらの柱について皆さんに説明することの目的とは、皆さんは常日頃から実生活のこれら4つの主要な柱に関心を寄せなくてはならず、もしその内どれか一つでも怠るなら、生活のバランスが崩れている可能性があることをわかってもらうためです。柱と、それらに何が含まれているかを少し説明すれば、皆さんもきっと私の言っていることがわかると思います。
14.第一の柱は、「プロのミニストリー生活」です。この柱は各自がしている主のための主要なミニストリーです。たいていの人は主のための絶えず変わり続ける奉仕において色々な事をしていますが、普通、何か専門とするものがあるものです。第一の仕事がティーチャーである人や、クック、証し、ホーム・シェパード、秘書、オフィス・ワーカーという人もいます。ですから、「プロのミニストリー生活」に当てている時間というのは、主のための第一の責任、あるいは仕事に当てている時間のことです。あなたはそれだけをしているわけではなく、事実、それだけが仕事というわけではありませんが、それが主要なミニストリーであり、召しなのです。
15.第二の柱は、「霊的生活」です。この柱は、私たち一人一人が霊的生活や主との歩みに注ぎ込むために費やす、集中した時間のことです。誰でも知っているように、霊的なものは私たちの生活のすべての面に流れ込んでいるべきですが、この柱に当てる時間とは、御言葉に浸り、主から聞き、祈り、瞑想するなどの、主と過ごす集中した質の高い時間のことです。私たちの霊は、養われ、世話され、育まれる必要があります。私たちは主と交わる個人的な時間や、ホーム全体でのデボーションやプレイズ・タイム、プレア・ビジルなどによって、ホームとしても、個人的にも、霊的生活に注ぎ入れます。
16.第三の柱は、「コミュニティー生活」です。あなたの「コミュニティー」とは、あなたが住んでいるホームのことです。この柱は、あなたの主要なミニストリー以外にホームに注ぎ込むもののことです。普通これに含まれるのは、皿洗い、JJT、ホームを家庭的にすること、壊れた物の修繕、清潔さの基準を保つこと、病気の人の世話、ミーティングや、ホームの「コミュニティー」を強化するホームの集まりに参加すること、ホームの人の必要を満たしてあげること、他の人に手を差し伸べることなどです。また、誰かがミニストリーができない時に穴を埋めることもこれに入るでしょう。
17.たとえば、あなたがフルタイムのウィットネサーだとしても、フルタイムのティーチャーが病気なら、その人の穴を埋めます。その時、あなたは「コミュニティー」、つまりホーム生活に貢献していることになるのです。この筋書きでは、教えることはあなたにとって主のためのプロのミニストリーではありませんが、あなたはホームを幸せな場所に保ち、スムーズに運営されるよう、それをしているわけです。それがこのカテゴリーにあるすべての目的であって、これには、たとえ自分の好みでなくてもホームのアクティビティーに加わることも含まれます。また、私たちは人々と時間を過ごしたり、相互関係を持ったりすることで、つまりホーム全体の団結や幸せに貢献する一切のことによって、「コミュニティー」に注ぎ込むのです。
18.(質問:)他の人たちとの相互関係やコミュニケーションは、個人の生活やフリータイムに含まれるのではないですか? 求められている以上のことを行うのは、他の人たちとの相互関係における個人の生活に含まれるのではないですか?
19.(イエス:)これらのことは確かにフリータイムにもできるし、フリータイムにすることもよくある。だが、たとえそれがフリータイムに行われていたとしても、それでもこれをコミュニティー生活の一部として考えることができる。たとえば、ある夫婦がある夜にシングルの人を部屋に招き、ゲームをしたとしたら、それはフリータイムに行われるかもしれないが、事実、彼らはホームのコミュニティーに貢献していることになる。そういったシングルに手を差し伸べることは団結を促すので、個人の時間と重なり合う所はあるものの、それはコミュニティー生活の一部なのだ。
20.だが、わたしは他の人たちに手を差し伸べるという点を強調したい。そして、コミュニティーを幸せなものとするすべてのものを、コミュニティー生活として分類したい。また、自分の主要なミニストリー以外で、実際的な面でコミュニティーに貢献する事柄をすることもこれに含める。だから、血のつながった家族や夫や妻、ボーイフレンドやガールフレンド以外の人に手を差し伸べることは、確かに「コミュニティー生活」の柱に該当する。そういった事柄が家を家庭にし、コミュニティーを築くのだ。(以上、メッセージ)
21.第四の柱は、あなたの「個人と家族の生活」です。これには、愛する人たち、自分の家族、メイトと時間を取ることが含まれます。また、個人のプロジェクトや身の回りの事、個人のくつろぎ(あるいは友達とのくつろぎ)、ゲットアウト、運動なども含まれます。この柱の中にも、自分だけで時間を過ごしすぎて利己的にならないとか、自分の家族との時間を過ごしすぎてより大きな家族をおろそかにしない、いつも働き通しでくつろぐ時間をまったく取らないために個人的な時間にぐったりしているということがないようにする、などのバランスが必要です。
22.たとえば、あなたは毎日ミニストリーを懸命に行っているかもしれません。ワードタイムも忠実に取っているので、霊的生活とプロのミニストリー生活はカバーされています。ホームのアクティビティーや責任という「コミュニティー」にも参加します。個人の時間も定期的に取っています。それは良いことです。でも、フリーデーのたびにビーチでサーフィンをしたり、一日中ハイキングしたりして、家に帰った時には疲れて寝るだけで、メイトとの質の高い時間を全く過ごしていないとします。その場合、あなたの生活はバランスが崩れます。メイトに適切な時間と関心を寄せていないからです。ですから、あなたの夫婦生活、あるいは「個人と家族の生活」は、良い状態にはなりません。バランスが崩れてしまうのです。
23.ですから、それぞれの柱の中でもバランスが必要です。個人と家族の生活内でのバランス(自分自身と家族に時間をつぎ込むこと)、コミュニティー生活内でのバランス(たとえば、他の人に仕え他の人のために仕事をするばかりで、人々と一緒に時間を過ごしたりフェローシップに加わったりすることが全くない人もいるかもしれません)、霊的生活内のバランス(色々な新しい武器を使い、ワードタイムやプレア・ビジル、預言の時間、瞑想、その他霊的交わりに関係するすべてのことをする)、プロのミニストリー生活内でのバランス(そそっかしすぎたり、ゆっくりすぎたりせずに、祈り深く、良き仕事をするなど)です。
24.良い弟子は調和が取れています。バランスが取れているのです。遊びばかりで仕事をしないのでもなく、仕事ばかりで遊びをしないのでもありません。仕事は非常に熱心な人でも、人々のために時間を取らないなら、その人は調和もバランスも取れていません。同時に、いつも遊んでばかりで懸命に働くことが全くないなら、それもまた、調和とバランスが取れていません。あなたはホームという「コミュニティー生活」には大いに貢献しているかもしれませんが、メイトや子供たちと十分に質の高い時間を過ごすことで「個人と家族の生活」に十分時間を注ぎ込んでいないなら、それも良いバランスとは言えません。健全なバランスとは、すべてが十分にあって生じるのです。
25.幸せなホームを成り立たせる要素はとてもたくさんあり、ホームのバランスを取ることは大切な要素です。仕事に重点を置きすぎて、くつろいだりフェローシップしたりする時間が十分でないなら、人々は幸せでなくなります。また、子供と過ごすことに十分な時間を費やしていないか、他の人を愛する時間を取っていないなら、その場合もアンバランスが生じます。ですから、ホームにおいて良いバランスを維持しようと努めることは、ホームの成功のためばかりか、ホームが幸せな場所となるためにも、大切なことなのです。どのホームも弟子も、「正しい」バランスに的中させなければなりません。
26.これらの柱について考える時には、バランスを取るというのは、必ずしもそれぞれの柱に同じだけの時間をかけなければならないという意味ではないことを覚えていて下さい。たとえば、一日の内大部分の時間は「プロのミニストリー生活内」に専念されるでしょう。でも、そのような仕事ばかりして、子供やメイトをおろそかにしたり、必要な時にホームの他の面を手伝ったりしないなら、それはバランスが取れていません。あるいは、イエスが求められた質の高い時間を与えていないなら、それもバランスが取れていません。
27.また、あなたたちは毎日それぞれの柱に幾らかの時間を当てることになるでしょうが、私たちはこれからこのすべてを毎日するよう義務づけているのではありません。たとえば、あなたは毎日「霊的生活」に注ぎ込まなくてはなりません。それは憲章の要求事項だからです。子供がいるなら、毎日ファミリー・タイムを取る必要があり、それは「個人と家族の生活」の一部です。また、たいていの人は毎日「コミュニティー生活」や「プロのミニストリー生活」に貢献することを何かしています。
28.でも、実生活のこれら4つの柱を差し出しているのは、あなたたちにさらに考えることや要求事項を増やして、負担をかけたり、あなたをがんじがらめにするためではありません。これらはただ、あなたの生活にバランスが取れているかどうか、またホームが全体的にどのような状態かを判断するためのゲージなのです。(注:「直言、パート4」ML #3502:26-33には、以下のメッセージから幾つかの部分が引用されていますが、このGNにはメッセージ全体を載せようと思いました。)
29.(イエス:)わたしは以前からずっと、そしてこれからも、程良いバランスを喜ぶ。だが、程良いバランスは、あれば良いというだけでない。人生のあらゆる面において健全なバランスが取れているというのは、不可欠なことだ。
30.虹には様々な色がある。空にかかる美しい弧を描くには、すべての色が必要だ。一年には季節がある。そして、自然のサイクルにはすべての季節が必要だ。わが創造物である自然界にもバラエティーとバランスがあるように、わたしはあなたの人生にもバラエティーとバランスがあってほしい。事実、わたしはあなたにそれを強く勧める。わが完璧な喜びと幸せを持つためには、それしか方法がない。それは、あなたの前にある大きな必要を満たす唯一の方法だ。あなたが燃え尽きてしまわない唯一の方法なのだ。
31.ケーキ作りのような単純なことを考えてみても、ちょうど良いできあがりになるには、すべての材料が正しい分量なくてはならない。ベーキングパウダーや重曹を十分入れないなら、十分ふくらまない。小麦粉をけちるなら、べとべとになる。水分が少なすぎるなら、ぱさぱさする。卵を入れ忘れるなら、「つなぎ」となるものがない。
32.あなたの生活という「ケーキ」には、弟子としてあなたを成功させるために、一定の材料がバランス良く揃っていなくてはならない。これらの材料、あなたの生活において欠かせない柱とは、あなたのプロのミニストリー生活、霊的生活とわたしとの関係、コミュニティー生活と他の人との相互関係、個人と家族の生活だ。このすべてが大切であり、必要であって、調和とバランスの取れた弟子になるために欠かせない。
33.あなたのプロのミニストリー生活とは、わたしへの奉仕のことだ。あなたの生活のこの部分は、あなたの専門的職業だ。あなたはここに時間をつぎ込まなければならない。これは大切だからだ。わたしはそれゆえにあなたに「給料を支払って」いる。あなたがわたしのための第一の仕事をしている時、わたしはあなたに、すべてを注ぎ込むよう期待する。注意力、集中力、祈りの力、関心、必死さ、コミットメントのすべてを。あなたがわたしのための仕事をしている時、わたしはあなたに、全身全霊を注ぐよう期待する。だが、だからといって、起きている間ずっと仕事に専念するよう求めているのではない。それはバランスが取れていない。
34.あなたの霊的生活とわたしとの関係は、あなたの霊を養われた状態に保つ。これは、あなたがわたしの言葉や祈り、わたしを親密に愛すること、賛美、わたしから聞くこと、わたしの愛のベッドの内に過ごす時間のことだ。あなたの生活のこの部分が、あなたを支え、心に火を燃やし続け、わが意志を行うための力を毎日与える。これは決して怠るべきではなく、あなたはわたしが受けるにふさわしいこの時間を一日も欠かさずわたしに与えなければならない。これはわたしからあなたへのいましめだ。だが、一日中愛のベッドにいることはできず、そうなると何も成し遂げられない。正しいバランスが必要だ。
35.あなたのコミュニティー生活と他の人たちとの相互関係には、他の人たちに手を差し伸べ、他の人たちと時間を過ごし、コミュニケーションを取ったりする時間が含まれる。また、ホームを助けるためにすることや、たとえ自分の「責任」ではなくとも、荷を負うのを手伝う時間も含まれる。あなたは、たとえそれが犠牲であろうと、「自分のコミュニティー」、つまり一緒に暮らし、働いている人たちを助けることに幾らかの時間を費やさなければならない。わたしのために自分の主要なミニストリーである「プロとしての仕事」しかせず、スケジュールされている以上の事をすることによって周りにいる人たちに愛を示したり与えたりしないなら、あなたはバランスが取れなくなる。あなたの生活のこの面はバランスが取れていなければならない。
36.あなたの個人と家族の生活は、フリータイムにする事柄だ。中にはフリータイムが全くないか、あまりない人たちがいるので、それは変えなければならない。あなたには、くつろいだり、一息ついたり、何か楽しいことをする時間が普段から必要だ。それがないなら、燃え尽きてしまう。また、子供や妻、夫、ボーイフレンドやガールフレンドがいるなら、その人たちと十分な時間を過ごす責任がある。あなたの仕事が、わたしからあなたへの愛の贈り物であり、責任であるのと同様、彼らもまた、わたしからあなたへの愛の贈り物であり、あなたの責任なのだ。だから、これについてもバランスが必要だ。
37.ファミリーのほとんどの人たちは、実生活におけるバランスを取るのに四苦八苦している。仕事中毒で、くつろぎ方を学ばなければならない人もいる。のらくらしていて、もっと一生懸命働くことを学ばなければならない人もいる。個人のフリータイムにばかり熱中していて、他の人に手を差し伸べることや、「コミュニティー」に貢献することを学ぶ必要がある人もいる。
38.わたしが地上にいた時、わたしの人生にもバランスというものがあった。わたしは父と時間を過ごしただけではなかった。群衆を養っただけではなかった。当時のわが「ファミリー」である弟子たちだけに手を差し伸ばしたわけではなかった。リラックスし、仕事から離れる時間を取っただけでもない。すべてのことを少しずつ行った。
39.わたしは父と十分な時間を取って、当時負っていた大きな重荷のために霊的に強められた。群衆に証しし、羊を養い、病人をいやした。わたしは、共に旅し、為すべき雑用に手を貸して、「コミュニティー生活」、つまり弟子たちの集団に貢献した。掃除、料理、野宿する時の火を起こしたりした。それから、最も親しかった弟子と時間を過ごし、愛を示し、わたしにとって彼らがかけがえのない存在であると知らせて安心させた。
40.そして、もちろん、仕事から離れる時間も取った。くつろぎ、笑い、踊り、飲み、歌い、話し、眠り、水浴をし、他の人との時間を楽しんだ。当時、息抜きしたりくつろいだりする方法は今よりずっと単純だったが、それでもわたしは楽しんだ。そして、弟子たちにも、このようなフェローシップとわたしとのリラックスする時間に参加するよう励ました。わたしはいつも説教し、教え、働いていたわけではない。仕事が終わり、その日のわが父の計画を終えたなら、自由時間を取った。そうせざるを得なかった。わたしは人間の体を持っていたからだ。あなたにとってもそれが必要であるように、わたしにも、くつろぎ、息抜きすることが必要だった。
41.あなたの人生のすべての面の内でも、霊的人生と個人的なわたしとの関係が最も大切だ。それが常に最優先されるべきだ。だが、その後は、その他のすべての側面が同等に大切なのだ。わたしは、あなたのプロのミニストリー生活を見て、義務とされている以上に懸命に時間をつぎ込んでいるなら、余分のボーナス・ポイントをつけるわけではない。それが原因であなたがコミュニティー生活や、個人と家族の生活をおろそかにするなら、わたしからすればあなたはあまり高い点を取っていない。あなたは生活にすべてのものを少しずつ程良く入れてバランスを取る必要がある。それこそ、わたしを喜ばせる方法だ。
42.あなたが必要とする自由時間を取る時、そして取りすぎず、適度に取る時、わたしはそのことを喜ぶ。あなた自身の家族を愛し、世話する時間を取る時、わたしはそのことを喜ぶ。義務とされている以上にホームを手伝ったり、「コミュニティー」、つまりホームに手を貸したりする時、わたしはそのことを喜ぶ。すべてのことには時と場所があり、あなたの生活の部分部分がこれらおのおのの大切な柱に当てられているべきだ。そうやってバランスを取るのだ。そうやってわたしを喜ばせるのだ。
43.(ママ:)このGNを制作していた時、最近ある人が送ってくれた貴いレッスンについてのテスティモニーを思い出しました。これは、彼が仕事のために他のすべてをおろそかにしていた時の事でした。でも、最終的にその仕事は必要でなくなり、彼も、彼の家族も、バランスの取れていない生活ゆえに多くのものを逃したことに気づいたのです。これはすでにグレープバインで出版されていますが、非常に鮮明な実例なので、ここにまた載せようと思いました。私たちの益のために自分の経験を分け合ってくれてありがとう。
最愛のママ、
私は、主が「わたしにとって本当に大切なものとは」のGNで、ゴールに向かって働きかける間も愛情深くあるべきこと、そして、主はそれを見られるということについて、主が言われたことの大切さを物語る経験をしたことがあります。
何年も前にIVMにいた頃、私はあるビデオ・プロジェクトを任されました。私にとってそれはとても大切で、すべてを打ち込むゴールでした。この任務に忠実でなければと感じ、これに取り組んでいた時には他の人とほとんど時間を過ごしませんでした。何と言っても、私には「大切な」仕事があったので、立ち止まって誰かに話しかけたりハグしたりする時間などなかったのです。それは任務が終わってからと思っていました。
私にはそのゴールしか見えず、そこに達する方法は二の次でした。その間、私の子供たちもほとんど私を見かけませんでした。子供たちとの時間を制限するよう誰かから言われたのではなく、私が自分でこの仕事を最も価値のあるものに仕立て上げたのでした。ああ、私は本当に重要なことをしていて、主のために何かを成し遂げていると思ったものです!
プロジェクトは3ヶ月続き、その後、驚くことに、アイデア全体がボツになりました! おやおや! それで私はそれまでの3ヶ月を振り返り、その期間の成果として何が残っているだろうと考えました。プロジェクトはボツになったので、その点では何も見せるものはありませんでした。そして悲しいことに、その他のものもたいして何もなかったのです。
主は、私が愛によって行動していないなら、すべてはただの肉のわざになり、焼かれてしまうと示されました。この3ヶ月間にペースを落とし、他の人たちとの時間を取り、謙遜なことをし、子供と質の高い時間を取り、イエスを愛する時間を取り、本当に価値あることに時間を注ぎ込んでいたなら、もしそのプロジェクトがボツになったとしても、全く関係なかったでしょう。それでもその期間に進歩を遂げていたでしょうし、失われたものは何もなかったでしょう。-匿名、地上のある男性(GV192より)
44.(ママ:)私たちの夫、主が先のメッセージで言われたように、私たちの霊的生活と主との関係は、いつも最優先されるべきです。主が今まで何度も明確に、またこのシリーズの最初のGNで非常に強く指導されたように、それは個人的な優先事項であるべきであるばかりか、すべてのホームの優先事項であるべきです。これにはワードタイム、プレイズ・タイム、イエスを愛すること、個人的な預言などが含まれ、このすべてが私たちの霊的生活を向上させ、イエスに近づけるのです。
45.けれども、私たちは肉の内に生きているので、この面で正しいバランスを保つことに常に苦労します。肉のものより霊の物事を優先させるのはいつだってチャレンジで、特に目の前に仕事が大きくそびえ立っている時はなおさらです。ですから、ホームにおいて正しいバランスを取り、主や霊の物事が受けるにふさわしい関心を注いでいることを確かめるには、非常に大きな努力が必要です。でも、その努力は払う必要があります。それは簡単ではありません。でも、今となっては皆わかっていると思いますが、それは私たちの霊的生活と主との歩みに欠かせないものなのです。
46.(イエス:)ホームの霊的要素がいつも最優先され、他の物事に押し出されないように、それを生き生きと保つ一つの方法とは、霊の物事を推し進め、それを実際そうあるべき、実生活のハイライトとすることだ。霊の物事、つまり皆一緒に過ごすわたしとの時間、デボーション、わたしやわたしの賜物、わたしの力をたたえる時間を、楽しく、魅力あり、好ましいものにするよう働きかけなさい。自分のやりたいことをするための時間を取るというのが人間の性質だ。だから、霊的アクティビティーをすることを楽しみにしているなら、あなたはそれにふさわしい優先順位を与えることになる。
47.もちろん、ホームが霊的なイベントを後押しし、わが言葉、祈り、賛美、その他そのたぐいのアクティビティーに多くの時間を注ぎ込んでも、必ずしもそれがあなたの「お気に入り」のことになるとは限らない。一つに、敵はいつだってわたしとの時間に戦う。彼はこの時間を脇に押しのけようとあらゆる手を尽くす。それがどれだけ大切かを知っているからだ。だから、あなたがたはホームで共に過ごす霊的な時間を魅力的で興味深いものにするよう努めるべきだが、時にはどんなに良い意図があってもそうできない時もある。そして、ただわたしがそう言ったという理由で従い、わたしを第一に置かなければならないこともある。ホームの霊的要素が楽しく、魅力的で興味深いなら、それは素晴らしい。だが、いつもそうとは限らないように思えても、それでも従順ゆえにわたしを第一に起き続けなければならない。そこにわたしの祝福があるからだ。
48.(ママ:)バランスの取れたホームにするには、スケジュールが必要です。すべき仕事はいつだってとてもたくさんあるので、結局みんなの時間がすべて取られてしまい、人々は同じだけ大切なものの、それほど催促されていないもの、たとえばワードタイムや主との交わり、メイトである仲間たちや子供たち、愛する人たちとの時間、くつろぐ時間などの他の事柄を怠ってしまうかもしれません。ですから、これらのことをスケジュールに入れるのは非常に大切です。普通私たちはバランスを取りたいものですが、なかなか組み込みにくい事柄や、脇に押し出されてしまいがちな事柄のために時間を作らないなら、たぶんあまりうまくいかないでしょう。
49.ホーム・シェパードとホーム・マネージャーの皆さん、ホームのスケジュールに関して、少なくともだいたいでも、生活のこれら4つの柱を念頭に置いておくのは良いことです。ホームの人たちにはそれらの4つの柱につぎ込む時間が必要であることを理解すると良いでしょう。そして、あなたがそれに気づいていて、ホームの全員がそれに気づいているなら、誰かの生活が少々アンバランスになったならそれに気づき始めるでしょう。たとえば、誰かが自分のミニストリーで働きすぎて、一つかそれ以上の柱をないがしろにしているなら、それに気づけるようになるでしょう。
50.ステアリング・カウンシルにいる人たちは、ホーム・メンバーたちと、ホームでの彼らの仕事量、スケジュールを考慮して、物事をこれらの4つの柱と照らし合わせるべきです。これを手段や導きとして念頭に置くなら、時々見落としやすい物事でも見逃さない助けになるでしょう。たとえば、ホームの一人一人に、W&R、主との質の高い時間、家族との時間を取る時間があるかどうかを見届けるのです。それから、必要ならそれに応じてスケジュールをアレンジし直すといいでしょう。
51.もちろん、多くは個人の選択にもかかっています。ホームの一人一人がワードタイムを取る時間、ホームの「コミュニティー・ライフ」に貢献するためにホーム全体で何かをする時間、親が子供と過ごす時間、全員が主要なミニストリーにつぎ込む時間などの主要な事柄がスケジュールされていても、なお多くが個人個人のイニシアティブと忠実さにかかっています。たとえば、たとえフリーデーがあっても、それをどう過ごすかはあなたの選択です。
52.ですから、ホームとして色々なことをスケジュールするのは助けになりますが、あなたの生活を見直し、物事のバランスが取れていて、どんな大切な事柄も怠っていないことを確かめるという、個人の説明責任という面もあります。自分が霊的生活、家族や個人の生活、コミュニティー生活、プロのミニストリー生活に十分な時間と関心を寄せているかどうかを自問するといいでしょう。そして何かのバランスが崩れているなら、それを正すために働きかけるのです。
53.(イエス:)大切なことのためには時間を作らないといけない、それは物質界の法則であって、時間に支配されているあなたがたは、実り豊かで、幸せで、バランスの取れた生活を送りたければ、それを良く学ぶべきだ。そのための時間を作らないなら、どんなにそれをしたくて、どんなにそれを得たくて、何一つ怠られていないことを確かめたくても、そうはならない。その理由は、やるべきことはいつだってありすぎるからだ。緊急事態はいつだってあるだろう。予期していなかった出来事はいつだってあるだろう。
54.だから、わたしとの時間、子供との質の高い時間、ホームとして絆を作る時間、リラックスする時間など、決して怠れないとても重要なことがある時には、それをスケジュールしなくてはならない。わたしとの時間やリラックスする時間、他の人たちとの時間などをスケジュールに入れるという概念が好きではない人たちもいる。それは自然にできるものであるべきだと感じているのだ。さて、自然にできるものにもそれにふさわしい場所があるが、忙しい宣教師であり弟子であるあなたがた全員にとっては、普通それだと長期的にはうまくいかない。忙しすぎてその余地がないからだ。
55.だから、あなたはじっくり腰を下ろして、自分の時間を検討すべきだ。毎日24時間ある。それは変わらない。変えられること、変わることとは、その24時間で何をするかだ。だから、一番大切なことから始めなくてはならない。一番大切なものが為されるよう、必ずそれに時間枠を当てなさい。
56.すべての細々した仕事、すべての小さな必要をスケジュールに当てることはできないだろうし、緊急事態をスケジュールに入れることはできない。だが、絶対に怠れないとわかっているものからスケジュールに入れなくてはならない。大切な物事に時間が当てられていないなら、それは一日の内に組み入れられないだろう。そんなにも簡単なことだ。
57.そして、スケジュールを立て、すべてを組み入れることはできないと気づいたなら、ここでこの霊の法則を思い出さなければならない:まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう(マタイ6:33)。
58.だから、わたしとの時間、子供たちとの時間、共にくつろぐ時間、優先される仕事のための時間、運動や他の肉体的必要のための時間のためにこれらの貴重な時間枠を取っておく時には、「これらのものはすべて添えて与えられる」という約束を要求するといい。わたしはそれをするための時間を与えるか、あなたがそれを心配しなくてすむよう、わたしがその世話をしよう。これはいずれにせよ、益がある。
59.共同生活のホームのスケジュールをうまく行かせるには、多くの利他的さが必要だ。全員がワードタイムを取り、仕事を成し遂げられるよう、全員がスケジュールの空きを喜んで埋め合わなければならない。ホームとして、何が最優先されるかに同意し合わなければならない。何に男女のマンパワーを注ぐかを。だが、共に良いスケジュールを作ることは、努力と時間を注ぐだけの価値がある。
60.良いスケジュールは、実り豊かで、幸せで、バランスの取れたホームの柱の一つだ。それはあなたが優先順序を果たしていることを確かめるための鍵だ。そして、そうしている時、あなたは全き信仰をもって、「これらのもの」すべてが添えて与えられるだろうというわたしの約束を要求できる。
61.(ママ:)今までホームの物事のバランスが取れていなくて、主がこれらのメッセージによってあなたに語りかけてきたなら、物事を良いバランスに戻すには幾らかの努力と労力が必要になります。それは悪いことではありません。それどころか、素晴らしいことともなり得ます。あなたたちがスケジュールをアレンジし直し、何かを変えるなら、それは主にとって物事を均等化させるための力を貸す機会となるからです。
62.あなたのホームは、物事のバランスを取るために一丸となって努力する必要があるかもしれません。たとえば、御言葉、賛美、祈り、霊の物事をホームのあまり重要でない方の位置に回していたなら、それを仕事よりも、いえ、事実それ以上に推し進めるよう懸命に働きかける必要があります。あるいは、仕事を優先して、子供たちが必要とする時間をたっぷり与えていなかったなら、それを修正して、主に解決策を求めなければなりません。
63.繰り返しますが、以前にも言ったように、実生活のすべての側面に同等の時間が必要なのではありません。他のものよりずっと多くの時間がかかるものもあります。あるいは、何かの面で欠けているなら、ホームを基準に達させるために、それにもっと時間を当てる必要があります。
64.(イエス:)ボード評価基準に従うことは、ホームのバランスを保ってくれる良いセーフガードだ。なぜなら、時間と努力を注いでいないなら、どのボードにおいても評価基準を満たすことはできない。だから、評価基準はホームにおける幾つかの重要な焦点を常に思い起こさせてくれる。
65.それでも、時には、ホームにおいて一つの面に焦点をしっかり合わせ、他の面を怠ってもよいことだってある。時折そういうことがあって、その後またバランスが取り戻されるなら、それは構わない。時には何かの面を改善しようとして、そこに人員、時間、努力、資金を集中させるため、一つの面を幾分怠るか、そこから重点をそらす必要もあるからだ。それは当然のことだ。常にすべてのことに均等に焦点を合わせていることはできない。
66.だが、時々一歩下がって、ホーム全体や一人一人の生活に目をやって、あなたがたがバランスの取れた生活を送っているかどうかを見ることは非常に大切だ。ややもすると仕事に集中して他の事柄を怠りがちだが、それがうまくいくのはしばらくの間だけだ。次第に人々は幸せでなくなり、問題が大きくなって手に負えなくなる。すると、あなたがたは引き下がってずっと以前からしているべきだった事柄に焦点を当てなければならなくなる。それは長期的に見て能率の良いやり方ではない。
67.だから、ボード評価基準を満たそうと働きかけることで、おのずと時折各ピラーに焦点が合わせられるようになるが、それ以外にも、わたしは、時々一歩下がってホームに目をやり、あなたがたの生活にバランスが取れているかどうかを自問するホーム・ミーティングを開くよう勧める。気をつけておくべき状況が幾つかあり、これは、物事のバランスが取れなくなったならそれに気づく助けになるだろう。以下のような事柄を自問しなさい:
* ホームは幸せな場所だろうか? 食事の時やデボーション、一緒にくつろぐ時間に、笑いやジョーク、ほほえみ、賛美があるだろうか?
* 子供たちは安心感を抱き、リラックスしていて、ホームの子供たち同士や大人といる時に居心地が良いだろうか?
* 子供たちは自分たちのティーチャーに満足しているだろうか? ティーチャーたちは自分たちのミニストリーに満足しているだろうか?
* 時々ゲットアウトに行ったり、たとえそれがその人のメインのミニストリーでなくても、証しに行ったりする時間が全員にあるだろうか?
* 私たちはホームとして共にくつろぐ機会に時間や人員、資金などを充てているだろうか? 若い世代と年長の世代にギアを合わせたアクティビティーを交替にして、ホーム生活において全員が何か楽しみにできるものがあるようにしているだろうか?
* 全員が、自分の仕事の何かの面を楽しみ、チャレンジを感じているだろうか?全員が忙しくやっているか、それとも数人の人たちが仕事に圧倒され、他の人たちは退屈しているだろうか?
* 仕事の時間には全員がだいたい時間通りに来て、必要な時間数をそれに充てているだろうか?
* ホームの一日と仕事時間は、朝、同意した時間に始まるだろうか? それともホームを動かし始め、チームを外に出し、子供のスクールを時間通りに始めることなどに苦労しているだろうか?
* くつろぐ時間は全員にあるだろうか? 瞑想したり、わたしとコミュニケーションを取り合ったり、昼寝したり、部屋を掃除したり、その他何であれ個人的な事柄ができるW&Rの日や、毎日少なくとも幾らかの時間が。
* 皆は、体制の娯楽以外に、空き時間にするくつろげることや楽しいことがあるだろうか?
* ホームの公共の場所はきれいで良く世話されているだろうか? ホームを共にいて楽しめる場所とし、来客にとって良いテスティモニーとするために、全員がホームを見栄え良く保つために協力し、貢献しているだろうか?
* 若者(特にジェッツとティーン)は、仕事やミーティング、アクティビティーにおいて、ホームに積極的に参加しているだろうか? 彼らは訓練され、責任を受け持っているだろうか?
* ホーム全体でのデボーション、ラビング・ジーザス・ナイト、霊的フェローシップやプレア・ビジルの時間は生き生きとしてインスパイヤリングだろうか? それらにはバラエティーとサプライズがあるだろうか? それとも単調で、お決まりで、ありきたりだろうか?
* あなたのホームは忙しさの霊をかもし出しているだろうか、それとも平安と信仰の霊だろうか?
* あなたは、主との時間や子供の必要、人々の個人的必要や幸せよりも、仕事の方を優先するという習慣にしばしば陥るだろうか?
68.これらの質問にはホーム生活のすべてがカバーされているわけではないが、仕事が多すぎたり、計画するための余分の時間があまりない時に、時々怠られる幾つかの肝心な点について考えるのに役立つ。やることが多ければ多いほど、バランスの取れた生活を送り、バランスの取れたホームにするのがもっと大切になる。仕事はいつだってある。仕事に人生を支配されてはいけない!
69.あなたの生活とホームにおいて、物事のバランスを取るための時間を取りなさい。一歩退いてどの面が怠られているかを見、そこに少々関心を寄せなさい。あなたのホームはそれゆえにより幸せになり、個人個人ももっと実り豊かで生産的になるだろう。わたしが喜ぶ良き適切なバランスを維持することで、問題や厄介ごとを避けなさい!
70.(ママ:)主のための忙しい生活に含まれているものはたくさんあり、良いバランスを取るには、どれであれ一つのことだけにたくさんの時間をかけられないことがよくあります。ですから、鍵となるのは、どんなことも全身全霊を込めてやることです。やるすべてのことに栄光を持ちなさい。何に時間をかけているにせよ、その貴重な一分一分を最大限に活かしなさい。なぜなら、すべてが大切であり、そのすべてが共に働いて、あなたのホームにバランスを作り出すのですから、そこに全力を注ぎなさい。
71.さらに、あなたのホームはホーム生活の各側面に全身全霊を注ぐという意識的な決断をし、共に同意すべきです。仕事をする時間にはすべてが仕事にかかっているかのように仕事するとコミットメントしなさい。他の人や子供たちと過ごす時には、そこにすべてを打ち込むのです。主との時間を取る時には、それを質の高いものとしなければなりません。自分の第一のミニストリーや仕事ではない何かを頼まれた時には、それがホームという「コミュニティー」に貢献するために為されるべきことならば、朗らかにやりましょう。くつろぎ、楽しむ時には、そこにも努力を注ぎます。座をしらけさせるのではなく、心を底に注ぎ、支え、参加するよう努力するのです。
72.(イエス:)ホーム生活にはとてもたくさんの側面がある。とても多くの機能を果たすこと、それがファミリー・ホームのユニークな所の一つだ! ホームはあなたの教会であり、学校であり、家族を育てる巣だ。そこがあなたの仕事場であり、あなたのコミュニティー・センターだ。そこが、あなたがアウトリーチ・プログラムを計画し、開始する司令部だ。そこが保育園であり、レストラン/社員食堂、宣教師の生活のショーケースだ。そこがレクリエーションの場であり、寝たり休んだりする場、学習し、働く場なのだ。
73.幸せな勝利チームにするための鍵とは、これら様々な側面はホームやあなたの人生にとって大切なのだから、必要に応じてそれぞれの側面に対して全員がベストを尽くすとホームで決意することだ。そうすれば、同胞愛、団結、非利己的さの感覚が生まれ、それがバランスを作り出し、進歩を促す。
74.誰でも、実生活やホームにおいて、打ち込むのが好きな面や、できれば避けたい面がある。だが、その時にしていることが何であれ、全員が最善を尽くすなら、優秀な者と幸せ、充実の霊がすべてに行き渡り、それが次にホームにさらなる意欲を与える。
75.ティーチャーをしている人が子供のために最善を尽くすなら、親は平安を抱き、感謝し、安心して子供を任せて仕事ができる。子供が教えられている間、親たちがわたしのために最善を尽くすなら、ティーチャーは充実感と意欲を抱き、親がいない間子供たちに喜んで注ぎ入れられる。
76.一緒にデボーションをする時に、ホームが団結しており、全員が完全に霊の内に関心を払っているなら、とてつもない吸引力があり、それがわたしの霊を動かす。そして、デボーションは一人一人とってさらに養われ、インスパイヤリングなものとなるだろう。共にくつろぐ時間に全員が来て、参加する態度を示すなら、幸せと楽しみが何倍にも増し、あなたがた全員の間に強い絆が築かれる。
77.ホーム生活の各側面にすべてを注ぎ込むのがどれほど大切かがわかるだろうか? 誰かが、「他に大切な仕事がたくさんあるから、私が夕食を作るべきじゃない」と感じるなら、おそらく夕食はあまりインスパイヤリングでなく、人々はそれを感じ取るだろう。だが、それとは逆に、クックが食事に心を込めるなら、夕食に来る人は皆、愛され、感謝されていると感じ、自分も最善を尽くそうという意欲がわくだろう。
78.愛する人たち、何をするにせよ力の限りやるとみんなで決めることは、本当にその甲斐がある。それは、愛、信頼、団結、兄弟愛を生み出す。わたしのために最善を尽くすよう他の人たちを鼓舞し、お返しに彼らもあなたに最善を尽くすよう鼓舞する。ホーム内で優秀な者になることの霊を目指しなさい。完璧さではなく、全身全霊を込めることだ。そうするなら、ただまあまあのホームになるのではなく、素晴らしいホームになる上で大きな効果がある。生きていけるのではなく、実際に楽しく、実り豊かになるのだ。試してみなさい!
79.(ママ:)あなたのホームでバランスが崩れていることの確実な兆候とは、忙しさの気持ちと雰囲気が溢れている場合です。誰もがあちこちに駆けずり回り、働き過ぎでストレス下にあると感じ、他の人たちのための時間を取らず、子供たちのために十分な時間を取らず、主との時間を二の次にしているといった状態です。あなたのホームの実態がこうであってはいけません。
80.あなたのホームの霊は、平安、喜び、幸せの霊であるべきです。あなたのホームは、主の喜びの霊を現しているべきです。そして、もしそうでないなら、何が大切なもののバランスが崩れている可能性が大です。ホームの人々があまり幸せでなく、物事が穏やかではなくいつもせかせかしており、くつろいだりリラックスしたりする時間がないなら、どこかが間違っています。どこかバランスが崩れているのです。たぶん、仕事を重視するあまり、ホームを幸せに保ってくれる他のすべてがおろそかになっているのでしょう。
81.(イエス:)あなたのホームがどれだけバランスが取れているかを簡単に示すものがほしければ、みんながどれだけ幸せかを自問しなさい。ホームの人々はわたしの喜びを現しているだろうか? それとも、誰もがいつもストレス下にあって忙しく見えるだろうか? あなたのホームの人たちは、全体的に、平安、信仰、信頼の霊を発散させているだろうか? それとも、物事が急に起こり、人々はクタクタになっていると感じることがよくあるだろうか? あなたのホームにいる人たちは忙しすぎて他の人たちのために時間を取れないのだろうか? 忙しすぎて、一分か二分立ち止まって子供に話しかけたりできず、忙しすぎてハグできず、忙しすぎて誰かに感謝を示せず、忙しすぎて一日の終わりにリラックスしてフェローシップする時間を取れないのだろうか?
82.あなたのホームにバランスが取れているなら、人々は幸せだろう。なぜなら、必要が満たされるからだ。あなたがたは平安、信仰、信頼を発散させるだろう。人々のために時間を取るだろう。あなたはわたしのために時間を取り、あなたのホームの霊は良いバランスの証しを生むだろう。あなたのホームを見たり、あなたのホームに訪問した人たちは、あなたがたの霊によって、物事のバランスが取れているかどうか、ホームの人たちの必要が満たされているかどうかがはっきりとわかる。
83.あなたがたホーム・シェパードたちが、自分たちのホームは、忙しさの霊ではなく、わたしの話しているこの喜びと平安を現しているかどうかがよくわからなければ、コーチに尋ねなさい。あるいは、別のホームのホーム・シェパードに意見を求めなさい。その状況に近すぎて正確な判断が下せない時には、外部の意見を得るのが助けになることもある。もちろん、わたしに尋ねることもできるが、他の人のインプットを得るのも助けになる。
84.わたしに仕える上で喜びと幸せを現すのはとても大切だ。そして、それはおもに、ホームがすべての物事についてバランスを良く取ることから生じる。懸命に働くが、働きすぎない。子供に時間を注ぎ入れるが、他の大切な事柄をおろそかにしない。毎日わたしとの時間を過ごし、それを価値あるものとする。その人がそれを受けるにふさわしいという理由で、人々との時間を取り、彼らを愛していること、彼らのための時間があることを示す。くつろぎ、元気を取り戻し、フェローシップし、わたしが祝福として与えた愛の絆や同胞愛を楽しむ時間を定期的に取る。
85.わたしはあなたがたのホームを、どれだけ懸命に働くかだけで判断するのではない。全体像を見て、大切なことすべてに十分な時間が当てられているかどうかを見る。わたしはあなたのホームにバランスを見たい。また、わたしの優先順序に従って忠実にスケジュールするのを見たい。天国に行った時、くつろぎや楽しみの時間を取らなかったゆえに、あるいは忙しすぎて子供をよく知り愛する時間などないと思ったゆえに、また、人々のために立ち止まって十分な時間を取らずに、急いで生きてきたゆえに、どれほどの喜びを逃したかを知るなら、あなたはきっと悲しくなるだろう。
86.あなたが天国に着いた時、わたしはあなたに、「私は良い人生を過ごしました。イエスのためにぎっしり詰まった人生を送るために、昼も夜も働いたのですから。主のためにとても忙しくして、多くの良き仕事を成し遂げました。本当に多くを成し遂げました」とは言ってほしくない。こう言えるようであってほしい。「私は他の人たちに主の愛を与えることで、イエスのための人生を十二分に生きました!」と。バランスの取れた生き方をするおもな目的は、ただそのように生きることではなく、それによって他の人たちに対して愛情深くあり続け、わたしを第一に置き、燃え尽きないようにすることだ。あなたがわたしの前に立つ時、あなたは自分のバランスの取れた生活の実か、あるいはバランスの取れていない生活の実のいずれかを見る。バランスが取れていたかどうか自体を見るのではない。それがわたしの愛で満たされていたなら、わたしはあなたの奉仕に満足し、あなたもそれに満足するだろう。
* 部屋をぐるりと順番に、各自に、霊的生活、個人的生活、コミュニティー生活、仕事の生活という、実生活の4つの柱の内、どれを重視し過ぎる傾向があるか、どれをよく軽視してしまうか、どうしてそうなると思うかを説明してもらう。また、ホームとしてそう自問してもいいだろう。そして、もっと良いバランスが取れるように団結した祈りをするか、現在弱い柱にもっと重点を置くための方法を話し合うこともできる。
* あまりに仕事中心で忙しすぎると、ホームが失うかもしれない幾つかの事柄について話し合う。何が失われるのだろう? 失うものを話し合うことは助けになる。バランスが取れていないと何を失うかを知っているなら、物事のバランスを保ちたいという意欲がわくから。
* あなたのホームは全体的に忙しさの霊を発散させていると思うか、それとも主の平安と喜びを発散させていると思うか? しばしば忙しい霊になるなら、どうしてそうなのか? 物事を変えるにはどうすれば良いだろう?
* 天国に行って人生を振り返る時、あなたの人生で主が一番満足されると思うのは何だろう? それは、あなたが日常生活においてよく最優先することと異なっているだろうか?
* 4つの柱の賛美:主への仕事について、あなたが感謝していること(特にあなたのメインのミニストリー)について何か賛美する。それからあなたの霊的生活と主との交わりで、特に好きな側面を幾つか主に賛美する。そして、コミュニティー生活(共同生活、一緒に住んでいる人など)、個人の生活(フリータイムと家族、友達)についても同様にする。
* 特質の賛美:誰かの特質を主に感謝して、それがどのように主を思い起こさせるかを主に告げる。たとえば、「イエス様、パットの優しい霊を感謝します。それはあなたのことや、私たちが間違いを犯したときにあなたがどれほど愛情深く、憐れみ深いかを思い出させてくれます。」
* 空白を埋める賛美:以下の賛美を使って、空白を埋める:
「イエス様、あなたの愛は のようにとても暖かいです。」(例:「イエス様、あなたの愛は太陽のようにとても暖かいです。」)
「愛する夫よ、あなたといると、まるで のようにとても自由になれます。」(例:「愛する夫よ、あなたといると、まるで風に乗って楽々と飛んでいる鳥のように自由になれます。」)
「 している時、あなたの神秘的な愛をかいま見ることができます。」(例:「息をのむような夕日を見ている時、あなたの神秘的な愛をかいま見ることができます。」)
* 実生活の4つの柱、つまりあなたの霊的生活、個人的生活、コミュニティー生活、仕事面での生活について主に尋ね、それぞれについてあなたがどのような状態かを主に評価してもらう。実生活の各側面に十分な時間や努力を注いでいるか、またバランスの取れていない所があるかどうかを主に尋ねる。
* たとえば他の人と十分時間を過ごしていない、愛やアフェクションを示すために格別の努力をしていない、子供と時間を過ごしていない、他の人を愛し、助けたいという気持ちゆえに犠牲的にホームを助けていない、楽しみやくつろぎの時間を取っていない、主との質の高い時間を取っていない、新しい武器をおろそかにしているなど、実生活で怠っている面がどこかあるなら、次の一週間でその面を改善するために何か(たとえとても小さな一歩でも)すると決意する。
* 将来のホーム・カウンシル・ミーティングで、67段落目にある質問について話し合う。「十分でない」と答えなければならないものが何かあるなら、解決策や、進歩を遂げるためにホームが踏める実際的ステップをブレーンストームする。
* ホーム・シェパードへ、先にあったメッセージで主が言われたことをする。「あなたがたホーム・シェパードたちが、自分たちのホームが、忙しさの霊ではなく、わたしの話しているこの喜びと平安を現しているかどうかがよくわからなければ、コーチに尋ねなさい。あるいは、別のホームのホーム・シェパードに意見を求めなさい。その状況に近すぎて正確な判断が下せない時には、外部の意見を得るのが助けになることもある。もちろん、わたしに尋ねることもできるが、他の人のインプットを得るのも助けになる。」
87.(イエス:)ホームにおいて正しいバランスを見いだせるよう、均衡の鍵に助けを呼び求めなさい。勝利チームを築くばかりか、長期に渡る進歩と絆を維持する助けとなるバランスを。均衡の鍵を通して、あなたは、岩のように堅固でありながら、わたしが必要とする柔軟性あるホームになるのを助ける、わが霊の安定させる力にアクセスできる。この鍵を呼び出すことで、あなたにとって良いバランスを見出し、それを維持するのが簡単になる。
88.愛する主よ、あなたが正しい秤を喜ばれることを私たちは知っています。また、天が下にあるすべてのことに時があることも。あなたは、すべてが適宜に、秩序正しく行われることが非常に大切だと言われ、説明されました。時々、このバランスを取るのが難しいこともありますが、今、あなたにそのための特別な塗油を求めたいです。
89.イエス様、私たちは動きが速く、効率が良く、賢く、ハードワーキングでありながら、楽しく愛情深いチームになりたいです。一つ一つのことに正しいバランスを取り、それに適切な優先順序をつけ、努力を注ぎたいです。愛する夫よ、そのためにあなたが必要です。私たちを変え続け、調整し続け、調節し続けて下さるよう、あなたに頼っています。そうして私たちはちょうど良いバランスを取れるのです。絶えず自分たちをかき立て、物事を再検討したり、手段やスケジュールや、もっと良くやれる面やもっと効果的にできるはずのいかなる面をも考え直すのをためらったり恐れたりしないように助けて下さい。
90.あなたのファミリーにいる弟子の勝利チームとして、私たちは、幸せで、効率的で、生産的であるために、必要とされる生活の全側面に、それにふさわしい重点を置かなければなりません。また、そうしたいです。長期に渡ってそれを維持するのは難しいです。新鮮でバランスの取れた状態に留まるのは難しいことです。でも、あなたは私たちが、あまりにもハードワークを必要とせず、あなたにとって喜ばしい、そして何よりも私たちの人生と奉仕にとって効率的で有益なバランスに達し、それを維持するための意欲と意志力を得るのを助けることができます。
91.私たちは、均衡、霊感、勤勉さ、くつろぎ、コミュニケーションの鍵を私たちのために作動させて下さるよう、あなたに求めます。仕事の生活、個人の生活と、くつろぎ、霊的生活、共同生活との間に良いバランスを維持できますように。あなたは私たちが必要とする知恵をお持ちです。どうか、あなたに対してオープンになり、いつでも必要な時にあなたの助けを受け取れますように。私たちはあなたなしには何もできない、委ねた謙遜な花嫁です。どうか、私たちの真空を満たして下さい。あなたに従いますので、良いバランスが取れるよう助けて下さい。
ケビン
僕はかつて、こんな中国のことわざを作った。「戦いに馬をかついで行く者は、きっと線香の煙か何かを吸いすぎたのだろう」(およそ2005年)
このことわざの意味は何かって? たぶんこんな感じだろう。
1.勝利チームを築くというのは、自分の力の3倍もの重さの荷を負っていて、しかもその荷に時々ケツを蹴られるという意味ではない。
2.勝利チームを築くというのは、ホームを、熱心な霊的瞑想しか許されず、瞑想が十分熱心でなかったり霊的でなかったりするとコレクションをもらい、ことによるとJJTをさせられるという、完全な霊性に到達した寺院に変えるという意味ではない。
3.僕たちは戦士なので、たとえ「毎日がクリスマスみたい」な気分で、「すでに今日のエッグノッグを飲みかけた所」だとしても、それでも戦いに乗り込んで行かなければならない。
4.僕が古代の中国に生きていたなら、たぶんひどいことわざを書いたことで牢屋に入れられただろう。
さて、ここで本物のことわざを。本物の箴言の書き方を知っているばかりか、「ソロモンの雅歌1章」をはじめとするヒットソングまで数曲出したソロモン王の箴言だ。ちょっと見てみよう。
「見よ、あれはソロモンの乗物で、六十人の勇士がそのまわりにいる。・・・」
いや、違った。ソロモンの書でも違う方だった。さて、今度こそ。
「偽りのはかりは主に憎まれ、正しいふんどうは彼に喜ばれる。」(箴言11:1)
ということで、たぶん主は、バランスが必要であることをかなり真剣に言っていたのだろう。それを頭に入れておくと、次の架空のホームは少なくともかなり主に憎まれると思う。
のらくら&泡ぶくホーム:ビーチに面した私たちの豪勢な敷地は、素晴らしいスイミング・プール、プラス、幾つかの贅沢な風呂、完璧に機能する大きなサウナがついている。けれど、それぐらいかな。椅子やベッドや証しのツールその他を買うお金は全然ない。
絶え間ない礼拝の聖なる寺院:メンバーがいかなる形態の「安楽なクリスチャン」になるのも避けるために、設備はほとんどない。娯楽といえば、年に一回「アップル」の最後の10分を見てパウワウをするぐらい。
ろうそく二倍燃焼会社:市街地にあるオフィスは、ホーム・メンバーに人間工学的デザインのオフィス・チェア兼一晩に必要とされる一時間の睡眠のための素晴らしい睡眠区間を提供。各ホーム・メンバーは、「勝利チームの3H」、つまり重労働(hard work)、肉体労働(hard labor)、その他はほとんどなし(hardly anything else)と言われる目一杯のスケジュールを楽しんでいる。(注:赤ん坊は自分でおむつを換え、特製ペダル付きベイビーウォーカーをこいで自家発電するよう要求されている。)
というわけで、主を「喜ばせ」、憎まれることやなんかを避けるには、バランスを取ることを考えなければならない。
たぶん、「ハクション! アイラブユー!」っていう古い歌のメッセージを実践するよう励むべきなのだろう。いや、これは冗談。「僕らは主に仕えるのを楽しむ-We’re gonna have a good time serving the Lord」っていう古い歌のメッセージだ。問題なのは、ややもすると「楽しむ」っていう部分にこだわってしまうという点。プレア・ビジルの時に鍵を要求するよう言われて、君が「レクリエーション」のカテゴリーしか覚えていないとしたら、みんないつか君に鍵を要求するよう頼まなくなるだろう。
その逆に、「主に仕える」の部分ばかり考えて、実際、ディナーの時にホーム・メンバーを一列に並ばせて、食糧配給所的に配膳した方が効率がよいのではないだろうかと思ってしまうのも簡単だ。
だが、人生の大切な側面すべての間で正しいバランスを取ることを学べるなら、きっと僕たちは主のためのずっと幸せなしもべ、かつ兵士になるだろう。そうすれば、毎日がなお「クリスマス」みたいで、それでいて「雪」をかきながらソリに乗って、敵の煙突に重大な「プレゼント」、つまり爆弾を落とすのを大いに楽しめる。さあ、突進!
働き者は遊ばなければならない。遊び人は働かなければならない。そしてその二つが合わさって人生には完璧なバランスができる。
仕事と霊的生活の両方がおぼれかけているとしたら、あなたはどちらに救命具を投げるだろう?
霊の物事が第一であり、他のすべてに優先しているべきだ。
ホーム生活の全側面に全力を注ぐことはバランスを生じさせる。これはまた、幸せな勝利チームにするための鍵だ。
バランスはあなたのホームと心の幸せへの大切な鍵だ。
あなたの生活のすべての柱のバランスが取れていないなら、あなたの幸せは崩れ始めるかもしれない。
ホームのバランスに影響しうる決断をする時には、イエスならどうするかを自問しなさい。
バランスの取れたホームは幸せなホーム。
綱渡りから秘訣を得なさい。バランスを崩すなら落ちる。
物事のバランスが取れていると調和がある。バランスが取れていないと、混乱する。
92.(ママ:)勝利チームは共に楽しむ時間を作ります。それが、チーム・プレーヤーを幸せに、一つにまとめておくために大切な部分だと知っているからです。彼らは仕事ばかりで遊びがないと、とても退屈なホームになると知っています。働くべき時間があり、ホームの霊的な面に注ぎ込むべき時間もあります。でも、人々にくつろがせ、リラックスさせ、共に楽しませる時間も必要なのです。楽しみ、フェローシップ、レクリエーション、くつろぎは、どの勝利チームにも大切な部分です。
93.ホームとして共に楽しむことがどれほど大切かはいくら強調しても足りないほどです。共に楽しみ、共にくつろぎ、共に笑い、互いのことをよく知り、友達どうしになり、楽しいアクティビティーをすること、これらすべてはあなたのホームを調和の取れたホームにすることに寄与します。楽しみ、気晴らしをするという要素は、しばしば見過ごされたり、過小評価されたりしますが、これは調和の取れた弟子と幸せなホームすべてに欠かせないものです。仕事から離れてリラックスし、良いフェローシップと楽しい事をする時間は無駄な時間ではなく、そのように見られるべきではありません。それもまた、人生を豊かにしてくれるのです。
94.(イエス:)すべてのことにバランスを取り、調和の取れた経験をすることも、生きることの一部だ。弟子として生きるというのは、ただ働いて日々死ぬことだけではない。懸命に遊んで救いの喜びを持つことでもある。結婚とは共に働いたり共に子供を育てたりするだけのものではない。共に楽しむことでもある。ホームが勝利チームになるには、あなた個人の弟子としての生き方や夫婦関係と同じぐらい、バランスを取ることが大切なのだ。結局、ホームとは、スケールを大きくした結婚なのだから。
95.証しやフォローアップは大切だ。子供の世話は大切だ。清潔さと健康の基準を高く保つのも大切だ。プロビジョンや必要な物があることは大切であり、ホーム運営の他の多くの部分も大切だ。だが、ホームにおいて、全体としても、個人としても、また少人数の集まりとしても、くつろぎやフェローシップをすることはそれと同じぐらい大切だ。
96.共に楽しみ、フェローシップし、くつろぐ時間を取ることは、実際にあなたがたの絆を強める。そして、外出や遠足に行ったり、ゲーム・ナイトやパーティーを計画するのは楽しいし、楽しみの一つの形だが、いつも準備にたくさんの労力をかけたり、ホーム全体で計画したり、その時間帯は「楽しみ」のためだと計画して決める必要もない。自然に生じる楽しみやくつろぎも同じぐらい団結をもたらすし、仕事や締め切りやスケジュールや雑用から離れて軽いレベルでの交流を持つのも、ホームにおいて、ポジティブな感情を促進する思い出を作る。
97.楽しむことは、団結の大きな部分だ。もちろん、一日中ぶらぶらして楽しんでばかりで、羊をフォローアップもせず、ビジネスも処理せず、全然仕事を成し遂げずにいることはできない。だが、それと同様に、くつろぎ楽しむ時間を取らずに、結婚として、家族としての絆でしっかり結び合わされたホーム、勝利チームになることは期待できない。
98.共に懸命に働き、共に懸命に遊ぶホームは、実り豊かなホームであり、成功したホーム、新しいビンのホームだ。楽しむことは若さを保つからだ。共に楽しい経験をし、フェローシップし、救いの喜びに歓喜するために努力することは、あなたがたを近くに引き寄せ、友としてまた家族として結び合わせる。
99.わたしは楽しむのが好きだ。そして、あなたがたと楽しむのが好きだ。だから、ホームとして楽しむ時間を作ることは、宣教活動や決まったワードタイムやわたしとの交わりの時間だけでなく、あなたの生活やホームのすべての面にわたしを交える。それは、仕事、霊的に養われること、休息、遊び、そのすべてにわたしを真に溶け込ませ、より大きな祝福、より大きな団結、ホームとしてのより大きな実り豊かさへの扉を開ける。
100.楽しむことの賜物を、成功したチームへの鍵、より大きな団結への後押しとして大切にしなさい。フェローシップし、共に楽しむ時間を取る時、あなたがたはお互いをもっと良く知ることができ、ホーム内の問題ももっと解決しやすくなり、摩擦やストレスも減り、ホームはもっとスムーズに運営され、仕事も効率が良くなり、チームはより強く、よりはつらつとする。
101.成功した共同生活の大切な要素を逃すなら、人々は家族やメイトである仲間たちというよりは、仕事仲間に過ぎないと感じるようになる。あまり互いのことを知らないので、誤解や性格のぶつかり合いがもっと過敏になり、もっと精神的な重圧になる。人々は互いにつながり合っているとか、ホームが本当に自分のホームであると感じない。人々は、共にリラックスしくつろぐ時間から活力を取り戻したと感じたり、ホームの成功と実り豊かさは自分の貢献とそこから何を造り出すかにかかっていると自覚したりするのではなく、むしろ、利己的さや、ホームから何を得られるか、自分自身や自分の家族をどう世話できるかに傾く。
102.楽しむ時間がないと思うなら、スケジュールに入れなさい。週に2日ほど、一日の終わりに、あるいは週末に何回か全員一緒にフェローシップする時間を取りなさい。落ち着いてくつろぎ、話してもいいし、スポーツのアクティビティーや、夜にゲームを企画しても良い。また、夜に少人数で集まってディナーを食べ(そして、少し時間を延長して)、一緒に話したり互いを良く知ったりできるようにしてもいいだろう。
103.幸せでしっかり結び合わされたホームは、バランスの良く取れたホームだ。だから、あなたのホームが幸せでないなら、何かが欠けている。そして、欠けているのは、もう少し楽しみ、フェローシップすることかもしれない。
104.(ママ:)残念なことに、楽しむことや休みを取ること、くつろぎ、フェローシップすることには、罪悪感を覚えやすいものです。ファミリーにいる私たちはやることが山ほどあり、ハードワーカーでとても真面目で、できる限り時を活かすことを目指しているので、時として、休みの時間を取ることは本当に時間の賢い使い方なのだろうかと感じます。その時間を他のことで埋めた方がもっと役に立つと感じてしまうのです。
105.中にはそういうケースもあるでしょう。特にあなたのホームにバランスが取れていなくて、休み時間ばかり取って仕事や他の責任をおろそかにしているならそうでしょうが、多くの場合、私たちは、楽しみ、フェローシップする時間は無駄だという考え方と戦う必要があります。敵はいつもそこにいて、私たちは十分やっていないとか、十分懸命に働いていないとか、くつろいだり休んだりすべきでない、だって他にもっと大切なことがこんなにあるじゃないか、と告げようとしています。
106.ですから、敵がこの方法であなたに罪悪感を抱かせようとしたなら、事実を見なければなりません。事実とは、休む時間を取ること、くつろぎ、フェローシップすること、また娯楽的なアクティビティーをするなどといった時間外の活動はすべて、先にも言ったように、調和の取れた弟子とホームを作る一部分なのです。これらの事柄はただあればいいというものではありません。必要なのです。
107.また、イエスは楽しい方で、楽しむのが好きだと覚えているのも助けになります。それもイエスの性質なのです。主はいつも深刻で働いてばかりいたのではありません。人生を楽しむ方法も知っていました。そして、私たちが主の御心の内で楽しみ、リラックスし、人生を楽しんでいる時、私たちは主のようになっているのです。主は決してそれゆえに私たちを軽蔑したり非難したりされません。それどころか、主は、私たちが主と、お互いと、主が与えられた素晴らしい人生を楽しむよう励まされます。
108.(イエス:)わたしの人格には多くの面がある。わたしは、愛、真理、確信、正しいさばき、霊的コミュニケーション、バランス、霊的武器、その他多くのものを体現している。だが、わたしは楽しみと霊の内での自由も体現している。楽しみや自由も、わたしの人格の大切な一面なのだ。わたしは真面目でなければならない時には真面目だが、くつろぐこともよくある。わたしは仕事もするし、遊びもする。そして、あなたがわたしのようであれば、あなたもまた、働き、遊ぶ両方をしなければならない。
109.あなたは、わたしも楽しいことをすると言っているのをおかしいと思うかもしれないね。わたしがどんなことをして楽しむのだろうかと首をかしげている姿さえ見えるよ。さて、少しかいま見させてあげよう。天国で、わたしはたくさんのことをして楽しむ。それどころか、あらゆることをして楽しむ。わたしが花嫁たちと時間を過ごす時には、一人一人の楽しみの概念が異なっているからだ。天国には楽しみやくつろぎ、娯楽のためにできるありとあらゆることがあって、天の世界にいる人たちとわたしとのフェローシップは、しばしば楽しみを中心としたものであることが多い。
110.そうだ、わたしにはビジネスについて話し合って仕事をする時もあるし、霊的なインプットやトレーニングを与える時もある。そしてもちろん、霊的な交わりや霊の内での親密なラブメイキングに集中する時もある。だが、花嫁たちとの関係というこれらすべての側面以外にも、わたしは彼らと色々な事をして楽しむ。わたしは花嫁たちの好みや必要に合わせて、ありとあらゆることをする。
111.ピクニックもすればバーベキューにも行く。コンサートを見たり、出産に立ち会ったり、泳ぎに行ったり、巨大な3Dテレビでエキサイティングな出来事を見たり、ダンスに行ったり、夕日を見たり、森を散策したり、山でハイキングをしたり、ビーチで砂遊びをしたり、サーフィンをしたり、馬に乗ったり、飛んだり、天国の乗り物に乗って宇宙を旅したり、魔法の命の川でボートに乗ったり、真珠の門で天使たちとおしゃべりしたり、シミュレーションの坂でスキーやスノーボードをしたり、天の都の側面を滑り降りたり、ピンポンやサッカーをしたり、女性の花嫁の室内装飾を助けたり、変装して天の都を歩き回り、色々な出来事を観察したりなど。
112.これらは、わたしが楽しむことのほんの数例に過ぎない。しかもこれには、あなたがたがやる楽しいことに加わるといったように、地上であなたと一緒にやる色々な楽しみは含まれていない。もちろん、あなたはわたしを見ることも、感じることも、肉の内でわたしに語りかけることもできないので、あなたにとっては、わたしがそこにいるというのがわかりにくいだろう。だが、楽しみやレクリエーション、くつろぎの時に、わたしにそこにいるよう求めるたびに、わたしはあなたのすぐそばにいて、あなたと同じすべてのことを楽しんでいる。それはわたしにとって楽しい。また、霊の内でのラブメイキングの時間も楽しむ。それはわたしにとってハイライトの部分だ。
113.もう一つ、あなたと一緒に、またあなたのためにして楽しいのは、奇跡を行ったり、祈りに答えたりすることだ。わたしはあなたのためにこれらの「楽しいこと」をするのが大好きだ。あなたがわたしの力の現れを見て、それが、わたしが今でも活躍していて霊の内であなたを助けているという証明になることがよくあるからだ。だからわたしは、奇跡をしたり、あなたの祈りに答えたりしたのにあなたが気づき、それを感謝する時、とても嬉しくなるんだ。「楽しみ」がますます豊かになる。あなたがわたしに気づかなかったり、感謝しなかったりすると、「楽しみ」も少し物足りない。
114.わたしがどうやって楽しむかを細々と話しているのは、それがどれだけ大切かを示すためだ。結局、わたしが一番霊的な男で、宇宙一忙しい人だとして、それでも、楽しみや休み時間の大切さに気づいているなら、あなたもどれほどそれに気づくべきだろう? これはあれば良いというだけのものではない。必要なのだ。時間があれば、あるいはホーム・メンバーに時間があれば何とか組み入れようというものではない。これは、わたしへの奉仕にあって霊的に健全で幸せであるために、全員に必要なものだ。
115.わたしのための仕事はすべてが楽しいわけではないが、仕事だけでもいけない。それは間違っている。わたしはそういう者ではなく、あなたにそうなってほしくもない。あなたの生活やホームに楽しみや気晴らし、くつろぎ、楽しみと自由のわが霊を流れさせる余地がないなら、あなたはわが霊の非常に大切な側面をないがしろにしている。あなたはわたしの手本に従っていないことになる。
116.仕事と比べて楽しみは大切でないように思えるかもしれないが、表面だけで判断することはできない。仕事が成し遂げられている時には即座の進歩と結果が見えるが、休憩時間を取ったり楽しんだりくつろいだりする時には目に見える実は何もない。確かに、楽しんでいたり休止時間を取ったりしている時には、物質的には目に見えるものとなって現れることは何一つ為されていないが、そういった時間は、わが花嫁たちの霊を強め、回復させ、霊感させてくれる。だから、それは極めて大切なのだ。
117.愛する人たち、あなたがたは実生活のとても多くの面でわたしのようになろうとしてとても懸命に働く。あなたはわたしのように愛情深くなろうとし、わたしのように理解しようとし、わたしのように親切で優しくなろうとし、すべての面でわたしを現そうとしている。だから、楽しみを愛し、霊の自由にふけり、「くつろぐ」ことを楽しむのもわたしの性質であることを覚えて、くつろぎ、娯楽、楽しみが必要であることに気づきなさい。あなたにはそれが必要で、あなたが共に働き、共に住んでいる人たちもそれが必要だ。わたしのようになりなさい。楽しみなさい。そして、それを知らせるのを恐れてはいけない!
118.(ママ:)ほとんど、あるいは全く計画をしていない時に、最も意義深い「休止時間」になることもあるので、必ずしもいつもフェローシップやくつろぎ、気晴らしをスケジュールする必要はありませんが、それが必ずあなたの生活やホームで定期的に行われるようにするには、スケジュールに入れて前もって計画していた方が簡単かもしれません。あなたたちはワードタイムやプレア・ビジル、仕事時間など、他のすべてをスケジュールするのですから、楽しみや気晴らしも少なくともある程度計画するなら、成功率が高くなるというのもうなずけます。
119.フェローシップや楽しみの時間を前もってスケジュールすることにはもう一つ利点があり、計画もスケジュールに入れなければなりません。その利点とは、すべての人の時間を取るだけ十分価値あることを計画するための時間がたっぷり与えられるという点です。みんなで楽しみ気晴らしする時間が良く計画されているなら、忙しい状況の時でも、人々は普通なら働いている時間を犠牲にして、ホーム・メンバーとのフェローシップやくつろぎを楽しむようになるでしょう。ホームの人が交替でそのようなイベントを計画してもいいでしょう。そうすれば、その仕事がいつも同じ人の肩にかかることがありません。
120.ホームとして楽しみの時間を計画するというのは、時間や努力、祈り、さらには時としてお金という代価が多少かかるかもしれません。でも、それはホームを幸せで霊感された状態に保つために十分価値あることなのです。
121.(イエス:)賢いエグゼクティブは、ゴール達成は仕事だけのことではないと知っている。彼は、従業員たちはビジネスの成功のためにとても大切なので、自分の時間やお金や個人的な関心を注ぐ価値があると知っている。スタッフがいなくてはビジネスができない。チームが、しかもただのチームでなく、良いチームがなくては、ゴールに達せない。そして、いったん技術もあり、頭が良く、献身的で、本気で成功させるという決意を持った、彼から見て立派な仕事ができるとわかっている良いチームをまとめることができたなら、彼はそのチームを一緒にしておきたいと思う。一人だって「隣のもっと青い芝生」に去ってほしくはない。一人一人がビジネス成功の上で鍵となる役割を果たしているからだ。
122.彼は賢いエグゼクティブなので、従業員をチームとして見る。また、彼らの生活のすべての側面を見る。仕事の出来高だけではなく、家族、健康、プライベート・ライフ、充実感、仕事の面での満足感、問題に目を留め、それらの必要を満たすために最善を尽くす。できる時には臨時手当を出し、オフィスのイベントを企画し、「その月のベスト従業員」にスポットライトを当て、家でパーティーを開き、全員のために楽しいスポーツ・アクティビティーなどを計画したりする。彼は従業員に休みを与え、普通の勤務時間外に仕事をしなければならない時には残業手当を出す。もしかしたら、彼は一丸になって叫ぶスローガンを作って、スタッフを鼓舞するかもしれない。「我々は一つのチームとして向上する!」などと。彼は、どんな報酬や利益が、従業員にとって共に留まり、素晴らしい仕事を生産し、幸せに仕事をするよう鼓舞するのかを発見する。
123.仕事場で感謝され、尊敬され、自分が好まれていると感じる時に、最善を尽くして働かないチーム・プレーヤーがどこにいるだろか? 今いる所で仕事の満足感を得られるばかりか、一緒に働いている人たちが好きで、家族も子供も同僚たちのことが好きで、その上一緒に楽しいことができるので、その仕事が大好きな時に、どこか他の所に行きたがるチーム・メンバーなどいるだろうか?
124.あなたのホームもそうあるべきだ。働き、仕事を成し遂げる以上の場所であるべきだ。仕事を成し遂げるのは大切だ。全世界に出て行って失われた者たちにわたしの言葉を与えること、それがわたしからあなたへの任務なのだから。だが、有能な証し人になるには、信じようが信じまいが、幸せでおもしろく、スムーズに運営され、必要が満たされ、他の人たちから尊重され、感謝されていると感じ、自分と自分の家族が住んでいるというだけでなく、自分の友達も住んでいるというホーム生活が必要なのだ。
125.ホームは、楽しめる場所、一日の仕事が終わって帰るのが楽しみな場所、朝、霊感されて起きる場所でなければならない。ホームは、キッチンで兄弟や姉妹に会って嬉しい場所、他の人も自分に会って嬉しく思っていると感じられる場所であるべきだ。
126.あなたの個人的生活や、ホームにいるファミリー・メンバー一人残らず全員の個人的生活は、わたしにとってとても大切だ。それは、わたしが求める仕事を成し遂げられるようになるためだけでなく(それも非常に大切だが)、わたしはあなたがたが幸せで、共にわたしに仕えることを楽しんでほしいからなのだ。わたしはあなたが、フルタイムでわたしに仕えるのは素晴らしい生き方であり、もし従えばわたしの約束は決して敗れないことの証人として、全世界に向かって、わたしにあっての心からの喜びを映し出してほしい。覚えていなさい。わたしは悲しい神ではない! わたしは人生を愛している! わたしはあなたがたと共に楽しみたい。あなたがたが心から共に楽しみたがっている時、わたしはそれが大好きだ。
127.あなたは言う。「聞こえは良いですが、幾らかは参考にしましょう。でも、わたしが見てきた多くのホームはそんな感じではありませんでした」と。だが、ホームを住んで楽しい場所にするために、幾らかの時間と少々の計画、祈りを注ぎ、そしてそう、必要ならお金をかけるなら、そうなり得るのだ。あなたも、ホームにいるみんなも、互いを楽しみ、人生を楽しむために、幾らか楽しい事をして、時々、いや、多くの場合、リラックスするのに値する。人生はただでさえ短く、ここに来た時のゴールとは、どれだけ達成したかではなく、どのようにして達成したか、その過程で誰を愛し、他の人たちにわたしの愛をどれだけ与えたかなのだ。
128.ホームとして共に楽しいことをする時間を取りなさい。メイトである仲間たちや同僚たちの別の面や、個人的な面、楽しい面を知るのは大切だ。共に仕事をする時には、互いの仕事の面を見る。共に働き、共に祈り、共に霊の戦いを戦えば戦うほど、共にもっと良く働けるようになる。だが、あなたも良く知っているように、仕事ばかりで遊びがないと、できの悪い生徒になる。あなたの個人的生活もそうだ。ホームとして共に働くことしかしないなら、たとえばホーム全体のデボーションやプレア・ビジル、羊を養うこと、資金調達などの「しなければならないこと」しか一緒にせず、くつろげ、インスパイヤリングで、浮かれた楽しい時間を一緒に過ごさないなら、ホーム・メンバーたちは、「私たちのホームは素晴らしい」という面よりも、毎日の生活の「しなくてはいけない」面をもっと感じ取るだろう。
129.そして、あなたがたのホームは素晴らしい! あなたがたは皆、素晴らしいメンバーで、わたしと他の人たちのために人生を捧げている。だから、それを見せなさい。あなたがたがどんなに楽しくなり得るか、あなたのホームがどんなに楽しくなり得るか、わたしに仕えることがどんなに楽しくなり得るかを人々に見せなさい。
130.必要なら、みんなでできる楽しいアクティビティーに幾らかお金を使うこともいとわないでいなさい。お金を使わなければ楽しめないというのではない。全くお金をかけずにできる楽しいことはたくさんある。だが、一方では、時々それが必要なら、多少お金をかけることを気にしてはいけない。時間をスケジュールしなさい。余分のお金を予算に組みなさい。それを実現させなさい。なぜなら、それは全員の個人的な幸せにとってとても大切であり、同時に、各自が人々の別の面を見ることは非常に大切だからだ。
131.仕事面ではなく、ただの楽しみのために集まるのは、人々にとって謙遜にさせられるかもしれない。このタイプの謙遜さは、ホームの霊にとって良い。中には、普通は隣に座っている人よりも「高く」見えるミニストリーの地位に就いていて、いつもは指示を与えている人がいるかもしれない。だが、紛れもないただの楽しみの時間に集まる時には、誰も隣の人より「高い地位」に就いている人はいない。これは全員の同胞愛と謙遜さにとって良いことだ。
132.いつも仕事のレベルばかりで人を見て、彼らがあまりにも深刻で「律法の文字」的か何かに見えるとしても、その人がパーティーで楽しんでいたり、大声を張り上げて歌っている所や、スキットに志願している所を見るなら、その人の全く違った面が見える。その人のもう一つの面、その人をもっともっと感謝できる良い面を見始めるのだ。一緒に楽しい時間を過ごすと、次の日に一緒に働くのがずっとインスパイヤリングになる。互いをポジティブに見たり、メイトである仲間たちの人間的で愛すべき面を見るのがもっと簡単になる。仕事上のストレスやプレッシャーを取り去り、仕事に対する新しい見方が与えられる。人々は、リラックスしたり楽しんだりする時間もあるなら、一日中働く気構えももっとできる。
133.アクティベーテッドの友人やアクティブ・メンバーたちにとっても、あなたがたがわたしの喜びに生きているのを見るのは、良い見本だ。そして、良く言われているように、霊感されているように振る舞うなら、実際すぐに霊感されるようになる! ホームで集まって一緒に他の楽しいことをするなら、その時にその気であろうがなかろうが、すぐに楽しくなり、共に暮らすことをさらに楽しむようになるだろう。そして、あなたのホームはすぐに、住んでとても楽しい場所になるだろう。
134.(イエス:)兄弟を見守る者になること、ホームの説明責任、統一化されたホーム・シェパディングは、愛と団結、同胞愛の霊の内にしかうまくいかない。ホーム内に冷たさやよそよそしさがあると、互いを注意して見ることは、独善だとか「やかましい」とか見られ、かなりネガティブな過敏さによって受け止められることがある。だから、勝利チームにおいて互いに絆を築き合うのがとても大切なのだ。
135.わたしは必ずしも、ホーム・メンバーは一人残らず互いに親友同士でなくてはならないと言っているのではない。おそらく、余暇を共に過ごすことに関しては性格が合わないと感じ、親しく感じる人が他にいるかもしれない。それはごく自然なことだし、問題ではない。けれども、全体でのフェローシップや楽しみの時間を作ることは大切だ。ホームの事柄や問題、子供たち、スケジュールなどのことは話さず、一緒に楽しみ、わたしや互いとのフェローシップを楽しむ時間を。
136.ホーム・メンバー間に、ビジネス的なやりとりや、もめ事解消のためのやりとりしかないなら、もっと個人的なシェパディングをしたり、「兄弟を見守る者」になる段になると、とても難しくなる。愛のクッションが築かれていないのだ。ただ骨子があるだけで、どんなコレクションや注意事項を告げる時も、受け入れるのがずっと難しくなる。
137.まるで、パンのないローストビーフ・サンドイッチのようだ。一切れのビーフという必要なものはあって、それが基本的で大切な材料だ。だが、そのサンドイッチをおいしくするには、パンが必要だ。パサパサしないようにバターか少しのグレービーをつけ、たぶんチーズ一切れか二切れとタマネギもあるといいだろう。それらのものはなくてはならないものではないが、本当に味を良くする。
138.団結と絆を生じさせる雰囲気を作ることは、思うほど難しくはない。たいていの人はだいたい同じ事をして楽しむ。それらの共通した絆を利用して、それを一緒にやり、わたしの霊を、つまりわたしの愛をあなたがたの中にもたらすなら、あなたがたの勝利チームの中に愛と友情を鼓舞するための大きな足がかりとなるだろう。
139.込み入った計画でなくても、お金のかかる計画でなくても良い。わたしはわが霊をもたらすために、シンプルな喜びを大いに使うことができる。もちろん、アクティビティーやイベントのために少し予算を取っておくのは良いアイデアだし、それは価値ある投資だ。一緒に楽しむことは、ホームを団結させ、あの「勝利チーム」のゴールに達するための大切な足がかりだからだ。
140.(ママ:)時折、楽しく、気晴らしになり、娯楽的なアクティビティーに参加するのは個人的に犠牲を要することもあります。時にはホームで何かが計画されていて、あなたはそれに参加する気になれないか、一日中働いて疲れているか、もっとこぢんまりしたフェローシップの方が好きなのか、そのアクティビティーは自分にぴったりでなくて、何か他のことをしたいのかもしれません。もしかしたら、あなたはあまりアクティビティーが好きなタイプではなくて、フェローシップや、あまり多くのイベントに参加したくないのかもしれません。あるいは、恥ずかしがり屋で、何か妨げになっているものがあるのかもしれません。でも、あなたがそのようなアクティビティーについてネガティブな話し方をせず、とにかく団結のために、またフェローシップやホームで楽しむことに関連したたくさんの益ゆえにできる限り参加するなら、主はそれを祝福されます。
141.(イエス:)たとえその気になれなくても、ホームのアクティビティーやイベントに参加するのは良いことだ。あなたが積極的に参加することで団結が促進されるばかりか、あなた自身にとっても良い。そんな気になれなくても思い切って参加する時、それはあなたの霊にとって良く、わたしはあなたの犠牲を祝福する。たとえ自分のお気に入りのアクティビティーではなくても、楽しみや娯楽に貢献したことで、わたしはあなたを祝福する。たとえそれが決してあなたにとってお気に入りのアクティビティーにはなりそうになくても、一緒に住んでいる人たちがどんなことを楽しむのかを知り、感謝する時間を取ったことで、わたしはあなたを祝福する。
142.皆がどんなイベントに参加するかについてえり好みや好き嫌いが激しいと、ホーム内でかなりの不和が生じうる。参加者が誰もいないなら、全体でのアクティビティーやフェローシップを計画する人は落胆するだろう。「何かを計画して一体何になるんだ?」と感じてしまうのだ。また、それぞれの人がしたいことだけをやり、ホームのアクティビティーに参加しないと、ホームは利己的になってしまう。これはかなり注意していなければならない。わたしはあなたがすべてのアクティビティーを好きになるよう期待はしないが、できる限り参加するという方法で勝利チームの団結に時間を与え、貢献するよう期待する。そして、わたしはそれを祝福するだろう。
143.(ママ:)楽しい時間を取っている時には、ホーム内に再生の霊を生き生きと保つことを覚えていましょう。つまり、楽しみやくつろぎ、娯楽のために世俗の娯楽に戻ってしまうことに対して必ず防御するという意味です。「直言」GNを読んで皆さんも知っていると思いますが、ホームや実生活において世俗の形を取った娯楽がふさわしい場もありますが、それを正しい場所に留め、世俗の娯楽とは全く関連していない、団結や絆を深めるフェローシップ・タイプのアクティビティーをホームでするよう努力することが大切です。
144.また、ホームの楽しい時間やアクティビティーにバラエティーがあるよう確かめるのも大切です。大人のため、子供も参加できるもの、ジェッツやティーンに応じたものなどを。すべての人にリラックスしたり楽しんだりするチャンスを与えることが公平です。それはすべての年齢が必要とするものですから。そうした理由以外にも、これは団結のために奇跡を行い、これからの世代にとっても、実生活において良いバランスを取る方法を学ぶ助けになります。
145.(イエス:)気晴らしとくつろぎのアクティビティーを計画する時に最も大切なのは、わたしを尋ね求めることだ。わたしの許可を得た上で、わたしがわが言葉で定めたガイドラインに沿って、時折世俗の娯楽を使うのは構わない。だが、あなたも良く知っているように、いつもそれに戻ってはいけない。ホームのために、フェローシップや楽しみの、質の高い良い時間を必ず計画するようにしなさい。的を射ているのを確かめる最善の方法とは、わたしがあなたを導き、指導できるよう、わたしに尋ね、その計画についてわたしと確認を取ることだ。
146.全体でのアクティビティーのギアを誰に合わせるかについて、良いバラエティーを持たせなさい。時には、大人だけにギアを合わせたフェローシップをするのが間違いなくわたしの意志であることもある。だが、一番年長の子供から一番年長の者まで、全員が参加し、楽しめるよう、パーティーやアクティビティーをホーム全体のイベントにするのが良い時もある。時には、アクティビティー全体の焦点をジェッツやティーンに合わせた方が良い時もある。近くのホームから若者を何人か招待してもいいだろう。そして、あなたがたが共に集まって楽しむ時に最大限の祝福を注げるよう、いつでも当然、わたしと、わたしの霊の要素を含めるべきだ。
147.(ママ:)疲れ、消耗し、ただゆったりしてリラックスし、くつろぎたい時には、自分に必要なのは正確に何なのかを必ず祈って主に尋ねて下さい。その時したいことと、自分に必要だと思うことが、実際まさに必要とされているもので、肉体的な気晴らし、くつろぎ、楽しみだということもよくあります。でも、実際は霊的に消耗していて、大がかりなパーティーやフェローシップ、アクティビティーはあなたにとって解決にならない時もあります。本当に必要なのは、主との時間であり、霊的に補充され、新たにされる時間なのです。
148.肉体的な楽しみや気晴らしは一時的に元気が出るかもしれませんが、消耗したように感じ、霊的な強めや再生が必要な時には、どうか、時間を取って下さい。そして、それを、あなたが必要とする霊的な回復を与えてくれないアクティビティーと置き替えてはいけません。霊的に消耗しているなら、霊的に十分補充される時間を取る方が、肉体的な気晴らしよりもはるかに大切です。
149.でも、時には、霊的な休息と補充、主との時間、そして幾らかの肉体的楽しみと娯楽、気晴らしの両方が必要であることを覚えていて下さい。片方(肉体的な必要を満たすこと)だけをして、もっと大切なもう片方(霊的必要を満たすこと)を怠ってはいけません。
150.(イエス:)消耗しきったと感じる時には、肉体的な刺激が助けになることもある。だが、わたしもそこに加えてほしい。そして、わたしは、この腕にあなたを抱き、慰め、強めたいことがよくある。肉体的なくつろぎは、往々にして包帯のようであるのに対し、わたしの慰めと言葉は傷を完全にいやす。だから、生活のこの面で必ず良いバランスを取って、いつも肉体的な楽しみを求めることで荷を軽くしたり、気楽に考えたり、体をくつろがせたりしようとしないよう注意していなさい。
151.(ママ:)「楽しみ」というテーマについて話している所で、多くの人、それも特にあなたたち若者たちは、パーティーをして楽しむのが好きです。ピーターと私はパーティーに大賛成ですし、もしシェパディングされており、詳細について主から聞いており、御言葉と憲章の境界線内にあるなら、パーティーは、楽しみやくつろぎ、フェローシップ、娯楽の素晴らしい手段だと思っています。
152.けれども残念なことに、最近、懸念しているシェパードたちから二つのレポートを受け取りました。ここにその一部を紹介し、その後で、それに対する主からのメッセージを紹介したいと思います。そこにはすべての人のために良いレッスンがあります。
パーティーやフェローシップ・タイプの集まりで、何度かアルコールの飲み過ぎという状況が幾つかありました。それが抑えられないままになっていたようで、シェパードたちも今ではそれが「許されている」として済ませたようです。そこから幾つか疑問を生じさせる振る舞いが生じました。たとえば、若者が公園で一晩中飲み明かして、仕事を危険にさらしうる所まで行きました。また、パーティーで、飲み過ぎのために、愛の律法のガイドラインに従ったり、互いに対して礼儀正しくするなどの基本的な事柄が見過ごされていたことも何度かありました。
*
2週間ほど前、ダンスがありました。ダンスの時に、幾つか明確な過ちが犯され、毎日新しい事実が明るみになっています。まず、そのイベントの準備にあまり祈りが込められていなかったようです。バーを担当していたのはあるティーンだったのですが、そのティーンは実際謹慎処分を受けている所で、もう一人の若者は未成年の若者に飲酒を勧めていたようでした。パーティーは少々ワイルドで、カクテルが出されていましたが、祈り深く混ぜられてはいませんでした(強すぎたのです)。
その他にも間違いがありました。たとえば、家の庭でダンスを始めたことで、かなりの騒音が生じ、それによって戸口に警察がやってきました。[また、ある若者は翌日ものすごく具合が悪くなりました。アルコールと関係しているかどうかははっきりしませんが、たぶんそうだったようです。] 主に感謝することに、彼は今良くなりつつあります。
そのイベントについてや、その夜がどう展開していったのかについて他にも幾つか細かい事がわかってから、それについて私たちのホームと話しました。また、ダンスを主催したホームに手紙を書いて、この非常に深刻な状況からどのようなレッスンやP&P、リアクションを引き出したのかを知ろうとしました。なぜなら、これ[ある若者が極度に具合が悪くなったこと]は、あまり良くシェパディングされていないパーティーで強い酒が出された(混ぜて出されましたが、強すぎ、アルコールのガイドラインに明確に従ってはいませんでした。また、未成年が飲酒し、酔っぱらっていました)直後に起こったので、私たちは、リージョン内のホームにメッセージを送って、この状況から私たちが引き出したレッスンを分け合うよう主が望んでおられると感じました。
昨日、私たちはシェパディング・デスク代表として[あるRS]の出席のもとに、そのエリアのホームからシェパード一人ずつが集まってシティー・カウンシルを開きました。主に感謝する事に、彼らはそのイベントについて詳しく話し合う事ができました。私たちが妙だと思ったのは、かなりの人、特にパーティーを主催したホームのシェパードたちが、その状況の深刻さや、それがどうして起こったのかにピンときていない様子だった事です。たとえば、彼らはパーティーをしていいかどうかについてだけでなく、どのようにパーティーを開くか、パーティーのテーマは何にするか、体制の音楽とファミリーの音楽のバランス(パーティーにはファミリーの音楽が全くなかった事にも着目させられました)について主から聞くべきだった事や、パーティーを企画するには主から一般的な承認を得る以上の事が必要だと知って驚いていました。
人々は非常に良い受け止め方をし、これは彼らにとって目が開かれることだったので、私たちはこのリージョンの他の人たちにも指導やリマインダー、また楽しく、愉快で、それでいて安全なダンス・パーティーを主催するために踏むべき実際的ステップの指導が必要なのではないかと考えさせられました。
153.(イエス:)花嫁たちよ、わたしはあなたがたが人生を楽しみ、互いを楽しんでいるのを見るのが大好きだ。あなたがたがパーティーをして楽しんでいるのを見るのが大好きだ。だが、あなたがわたしの定めた制限を超えて、有害なことや、愛の律法に即していないことをする時、また、わたしの言葉にあるガイドラインに従わず、物事を手の着けられない状態にし、自分たちの霊を抑制していない時、わたしは悲しみ、さらには怒りを覚える。あなたがたには多くの自由があるが、これらの自由を思慮深く扱わないなら、わたしはそれを取り消さなければならないかもしれない。
154.まず、羊もシェパードも同様に、あなたがた全員が気づくべき大切なこととは、パーティーを計画し、主催することに関してはすべてについてわたしに尋ねることが必須であるという点だ。パーティーをうまく行かせたいなら、参加する人たちにとってパーティーが祝福となるよう望むなら、また、愛の律法に違反する事故や出来事、その他、わたしの霊の内にいない時に起こりうるいかなる悪影響もなしに、霊の内に留まり、パーティーをできる限り楽しいものにしたいなら、すべての詳細について具体的にわたしに尋ねる必要がある。
155.ただパーティーをすべきかどうかだけをわたしに尋ねるのではなく、さらに突っ込みなさい。いつパーティーをすべきかを尋ねなさい。誰を招くべきかを尋ねなさい。どの年齢が参加すべきかを尋ねなさい。食べ物を出すなら、何を出すべきかを尋ねなさい。ドリンクを出すなら、何を、どれだけ出すべきかを尋ねなさい。パーティーにゲームや音楽が含まれるなら、どのゲームをし、どの音楽をかけるべきかを尋ねなさい。その夜にわたしをどう交えてほしいのかを尋ねなさい。たとえば、少し賛美することでその夜を始める、わたしをテーマとした特別なゲームを少しする、わたしに乾杯する、わたしに捧げるダンス曲を一つ取っておく、パーティーで読むメッセージや書かれた祈りを受け取るなど、何でもわたしが組み入れるよう示すことを尋ねなさい。パーティーを成功させるためにわたしがあなたに与えたいカウンセルをすべて残らずわたしに尋ねなさい。
156.パーティーを計画する人たちは、霊に導かれ、祈り深く、成熟していなければならない。パーティーを主催すること、特にそれがホーム全体のためのパーティーか、エリアから他の人々を招いているなら、それはとても大きな責任だ。主催しているのがあなたなら、あなたは詳細についてわたしが承認印を押したことを確かめる責任を負っている。あなたには、その夜のアクティビティーがわが霊の範囲内の留まっていることを見届ける責任がある。アルコールを出すなら、ちゃんと目を留めておき、人々が飲酒の制限を守り、飲み過ぎたり気分が悪くなったりしていないことを確かめなければならない。もちろん、参加者たちは、わたしの言葉と憲章のガイドラインにより、パーティーでどれだけ飲むべきかを個人的にわたしから聞く責任を負っているが、あなたは他の人たちが良くあるのを助けるべきだ。そして、あなたがパーティーを主催しているなら、おそらく、状況に目を留めておき、正しい方向に進んでいることを確かめるために、アルコールを(多少なりとも飲むとしたら)あまり飲まない方が良いだろう。覚えていなさい。あなたは責任を負っているのだ!
* パーティーに参加する人全員に、「アルコールの自由=アルコールの責任!」(ML #3466‚ GN 1057)にあるカウンセルにより、前もってその夜の自分自身のアルコール・ガイドラインはどうあるべきかを主に尋ねるよう思い起こさせる。たとえ、パーティーでは一人につき決まった量のドリンクが出されていても、そこで許されている量以下しか飲まないよう主から指導されたなら、誰でも主がその人に与えられた個人的なガイドラインに従うべき。
* できるなら、パーティーでアルコールを飲まない人のために、ノンアルコールのドリンクも選べるようにしておく。主から飲まないよう指導されているのであれ、妊娠しているか、未成年か、その他様々な理由で飲めない人もよくいる。
* バーテンダーはかなりしっかりした人で、一人当たりの飲酒量を守り、もっとくれと言われてもそれに影響されない人であることを確かめる。
* 未成年にアルコールを出さないよう、パーティーに参加する人全員の年齢を知っておく。21歳未満の人の飲酒に関する憲章のルールに従う。
* パーティーの後、家まで車で帰る人がいるなら、指定された運転手が十分いることを確かめる。
* たとえばディナー前のドリンクなど、パーティーでお腹が空いている人にアルコールを出す場合は、もしあれば、ポテトチップやプレッツェル、ナッツなどの食べ物やスナックを一緒に出すと良い。空腹の時にアルコールを飲むと、強い影響が出て、気分の悪くなる人がいる。
* パーティーの間、皆が十分水分を取れるよう、たくさん水が飲めるようにしておく。
パーティーなどの場での飲酒に関しては、以下の「2003年憲章の修正事項」(GN 1033)にあるカウンセルを念頭に置く:
この[飲酒の]ルール一時停止の意味は、21才以上の人はこれから、自分のアルコール摂取量について自分で責任を負うのであり、自分自身や他の人たちに対して悪い影響を与えないよう、賢く節制をもって飲まなければならないということであるのを理解することは大切です。このルール一時停止は、あなたたちに、節制など無視して、好きな時に好きなだけアルコール飲料を飲むための権利を与えてはいません。すべてのことにおいてそうであるように、何を、いつ、どれだけ飲むかについて、祈り深くあり、主に尋ね求めなければなりません。
憲章のアルコール・ルールを一時的に取り除くことが適用されるのは、21才以上の人たちだけです。21才未満の人たちにはそのルールは停止されません。18才から20才までの人たちは、責任あるアルコールの飲み方を学び始めた所だからです。また、ほとんどの若い人たちは、長年アルコールを飲んで自分の限度を知った人たちよりも、アルコールに対する許容量が低いこともあります。18才から20才の人たちには、「飲食に関するルール」Cはまだ効力があります。つまり、18才から20才の人たちには、1週間の摂取量の上限があり、アルコール分20%未満の種類に限るということです。
157.わたしからのこのカウンセルをすべて聞いた今、あなたはおそらく、パーティーをしても全然楽しくないと思っているだろう。さて、確かに、詳細についてわたしから聞くのは大変だ。そして、確かに、ただパーティーに参加するだけでその結果について責任を負っていない時ほどは楽しめないかもしれない。だが、あなたには実際責任があるので、その肩には重い荷がかかっている。そして、その荷を成熟さと祈り深さで負うことが大切だ。あなたは参加しているすべての人に対して責任を負っていることを覚えていなさい。自分が楽しむ時間を作るためにパーティーにいるのではない。あなたは、すべての人が楽しめることを確実にするためにそこにいるのだ。あなたがそこにいるのは、人々が楽しみながらも、羽目を外さないよう助けるためだ。あなたは、誰も飲み過ぎたり気分が悪くなったりせず、事故やセキュリティーの問題が起こらないよう確かめるために、愛情深く祈り深い方法で、自分の分を果たす責任を負っている。
158.パーティーを主催するのは大きな仕事であり、たいていの人はそれに関わる犠牲ゆえに、それをしたがらない。だが、実り豊かで、霊の内にいる、安全なパーティーをしたいなら、愛する人たちよ、パーティーのための責任を負っている人が誰か一人、あるいは数人のチームがいつも必ずいるようにすることが大切だ。時々、ホーム・シェパードの一人、あるいは二人がパーティーのホストとなることもあるだろう。だが、そうである必要はない。他の人たちのための責任を負うことをいとわず、祈り深く、注意深くなって、具体的な点についてわたしから聞き、確かでないことは何でもシェパードとカウンセルすることをいとわないなら、誰でもパーティーを主催できる。シェパディングとカウンセルすることは、うまくいく、霊感された、良いパーティーの大切な部分だ。
159.だから、パーティーを計画している人たちよ、どうかカウンセルとシェパディングにオープンになっておくれ。そしてもちろん、何よりもわたしとわたしのカウンセルにオープンになりなさい。また、ホーム・シェパードたちよ、ホームのパーティーを喜んでシェパディングしなさい。それがあなたの好みでないなら誰かの火を押しつぶすべきだと言っているのではない。あなたは「冷や水を浴びせる」のではなく、ガイド、指導者、促す者となるべきだ。あなたにできる最善のこととは、パーティーを計画する人に、すべての詳細についてわたしから聞くよう励ますことだ。その人たちの計画していることがあなたにとって少し確信がないなら、それについてわたしから聞いて預言をあなたと分け合うよう彼らに求めなさい。あなたが導き、指導し、カウンセルしながら、愛情深く、霊の内に留まった、楽しく、思い出に残るパーティーを主催する方法を学ばせなさい。
160.場合によっては、パーティーの後にシェパディングをする準備もしておかなくてはならない。願わくは、そうちょくちょくパーティーが間違った方向に行かないよう望む。特に計画の段階であなたがシェパディングしているならば。だが、もしそうなったり、問題や手に負えない事態が起こったなら、あなたは後で祈り、それについてわたしに尋ねることができる。あるいはさらに良いのは、パーティーの責任を負っていたホストたちにわたしに聞かせることだ。そうすれば、わたしはレッスンを引き出し、それを学習体験に変えられる。パーティーが間違った方向に行っても、過度に腹を立ててはいけない。あなたがそれを通して彼らをシェパディングし続けるなら、わたしは関係者たちに教えることができるし、教えるだろう。
161.花嫁たちよ、どうか、霊の内でパーティーをしてほしい。わたしに一緒に計画させ、その夜中ずっとわたしもそこにいさせてくれるなら、あなたのパーティーは、そうしなかった時よりもずっと良い、クールなパーティーになるだろう。わたしはすべてをより良くする。わたしはすべてのものの質を高める。あなたが楽しみ、パーティーをする時でさえもだ。それどころか、わたしがどれだけパーティーが好きで、わたしをフェローシップや楽しみに交えてくれる時にどんなに喜ぶかを知って、あなたは驚くだろう!
162.(ママ:)愛する夫、主よ、パーティーを主催することの責任について、この真剣にさせられるメッセージを感謝します。私たち皆があなたのカウンセルを心に留め、あなたが指導しておられることを行って、あます所ない祝福を受けられるようになりますように。
163.そして、ファミリーの皆さん、ここに、上のメッセージによって思い出した助言を幾つか、皆さんにも思い起こしてほしいと思います。
164.-パーティーや、他のどんな時でも、出すドリンクのために祈る。そのドリンクを、ハッピーで、愛情深く、楽しい、良い霊でそのドリンクを満たして下さるよう、主に求める。具合が悪くなったり、雰囲気が悪くなったりなど、アルコールからのいかなるネガティブな影響も防いで下さるよう、主に求める。イブ・マガジンで出版されたこれらの鍵を幾つか使うと良い。
お酒を飲む時には清めの鍵を呼び求めなさい。そうすれば、わたしはあなたのアルコールをわたしからでない一切のものから清め、わたしの、高め、啓発し、愛情深い霊で満たす。
鍵の力を呼び求めるなら、アルコールが出される気晴らしとくつろぎとパーティーの時間は、わが霊でなみなみと満たされる。
鍵は、あなたの飲むアルコールがポジティブな益をもたらすのを助け、それによって、あなたがどんなネガティブな悪影響もなしに、リラックスし、わたしや他の人たちとの愛情深いフェローシップを楽しめるようにする。
あなたが鍵によって要求するなら、浄化し、清め、愛情深く、パワフルなわが霊は、何でも、たとえアルコール飲料をも満たすことができる。
165.-パーティーが始まる前によく祈る。娯楽、楽しみ、フェローシップ、パーティーの鍵、その他何でも考えつく鍵を要求する。「娯楽とくつろぎ」の鍵の約束か、特にパーティーのために受け取られた新しい鍵を幾つか供給する(あるいはそのイベントのために幾つか新しい鍵を受け取る)。
わたしがあなたがたのパーティーのホストであり、娯楽とフェローシップ、楽しみの鍵を要求するなら、わたしがあなたがたのただ中にいて、最も小さな詳細に至るまで、あなたのするすべてのことの質を高めるだろう!
パーティーの鍵を呼び求めなさい。そうすれば、あなたのパーティーは楽しいだけでなく、意味深く、くつろげ、楽しく、わが霊だけがもたらされる、天国からの特別にクールで、特別な益が加味されるだろう。
パーティー全体を鍵の力の球体で覆いなさい。そうすれば、わたしはどんなネガティブなことやわが霊からでないものも、その球体の中に寄せ付けず、その中には幸せと楽しいフェローシップ、意味深い楽しみが豊かに溢れるだろう。
このパーティーはあなたへのわが愛であり、鍵を呼び求めるなら、わたしはその夜を通してあなたがた一人一人に特別な贈り物を与える。あなたにとって一番意味あるとわかっている贈り物を。
* あなたたちの友愛や団結のレベルに1から10の段階をつけるとしたら、あなたはホームにどの点をつけるだろう? ホーム全体であれ、少人数のグループであれ、あなたたちはどれだけの頻度で共にリラックスしたり楽しんだりする時間を取るだろうか?フェローシップし、互いを良く知るための時間が十分あると感じるだろうか? そうでないなら、ホームとしてどのような全体のアクティビティーを計画し、やってみたいだろうか?
* あなたたちはホームとして、両世代と両方の性別の必要に合わせた、色々なアクティビティーやくつろぎの方法を取っているだろうか?
* あなたは、自分の好みのアクティビティーでなくても、他の人たちや団結のために参加するだろうか?
* あなた自身は、フェローシップの時間に他の人を仲間に入れていると思うだろうか? それとも、自分にとって居心地の良い少人数の友達だけとパーティーをしたりくつろいだりする傾向があるだろうか?
* あなたのホームは、世俗の娯楽を最小限に留めるという面で、再生のガイドラインに従い続けることについて、どのような状態だろうか?
* あなたたちの群れ(アクティブ・メンバーなど)を、インスパイヤリングで主の御霊をもたらすフェローシップやくつろぎの時に含めるための方法はもっとあるだろうか?
* 子供やジェッツ、ティーンたちが参加できるアクティビティーや楽しい事が十分あるだろうか? それとも、フェローシップ、気晴らし、楽しみに関しては、おもに大人に合わせられているだろうか?
* 娯楽の賛美:あなたがくつろぎや娯楽としてするのが好きな色々なことを主に賛美する。特に、団結や他の人との友情を生むもの。
* 極限の賛美:ずっと前からやりたかったけれど、お金がかかりすぎるか、危険すぎるか、主がそのための扉を開いていないかの理由で、地上では一度もそれをするチャンスに恵まれたことがない楽しいこと(そして、おそらく一生しないであろうもの)を主に賛美する。天国に行ったら、それや、さらに良い何かができるようになることをとても感謝していると主に告げる。(この賛美のバリエーションとして、天国に行ったらできるようになると想像することや、リンクアップやブレード、Xnなどの出版物で主が教えてくれたことなど、天国でするのが楽しみな気晴らしや娯楽のアクティビティーを主に感謝する。)
* パーティーの賛美:次のパーティーかフェローシップで、以下のプレイズ・タイムのアイデアを幾つか試してみる。
* 共に集まる夜に特にあなたが楽しみにしているものを素晴らしい夫である主に賛美する。飲み物、メニューの品、ダンス、フェローシップ、ゲームやアクティビティー、その他特定の事柄など。
* パーティーに参加している人全員を見回す時、あなたの頭に真っ先に思い浮かぶ言葉は何だろうか? それから、その思いを織り交ぜて主に賛美する。
* 空白を埋める賛美:「イエス様、このパーティーはあなたから私への愛の特別なタッチです。なぜなら、 だからです。」
* まだないなら、ホームのアクティビティーの企画や計画を助けるアクティビティー・コミッティーを作る。このコミッティーが自分たちで全部の仕事をしなくてはならないというのではなく、彼らは、物事を活発に新鮮に保つのを助け、ホーム・アクティビティーの支柱となる。たとえば、彼らはホーム・カウンシルに主題を持ち出して、これからのイベントについてのアイデアを求めたり、話し合ったり、ホームの色々な人に色々なアクティビティーのオーガナイズを分担したり、いつそのアクティビティーやイベントなどをオーガナイズするかについてホーム・マネージャーたちとカウンセルしたりする。
* ホームの一人一人(ジェッツやティーンも含めて)に、どのようなアクティビティーのオーガナイズを助けたいかを尋ねる。これは、荷を分散し、人々に、自分が助けたいことを申し出る機会を与える。どんな提案に対しても完全にオープンにしておいてもいいし、すでにやりたいとホームで話し合ったアイデアのリストを貼って、それから全員が最低一つのアクティビティーのオーガナイズを助けると約束する。たとえば、スペシャル・ディナー、今度のバースデー・パーティー、ダンス、インスピレーション、ラビング・ジーザス・ナイト(その年齢に適した人のため)、ゲーム・ナイト、楽しい夜の夕拝、全体でのスポーツ・アクティビティー、外出、バーベキューやピクニックなど。それから、これらのミニ・コミッティーは、ホーム・マネージャーたちとチームを組んで働き、数週間以内、あるいは数ヶ月以内にそのアクティビティーを計画する。
* 「直言」GNシリーズから、体制の娯楽に関する再生後のガイドラインを読んで、あなたたちがどのような状態か、娯楽や気晴らしの時に世俗のインプットを十分最低限に留めているかどうかを主に尋ねる。
* ホームでこれらのシンプルなアクティビティーを何か一つ試す:
ディナーの後、短いダンスをする。
週に一回、あるいは毎日のゲットアウトで、二人組になって散歩する。
ピクニックに行く。ディナーを詰めて、公園に行って夕日を見る。互いのフェローシップと神の創造物を楽しむ。
愛の霊の内で為され、過度に対抗意識を持たないことを条件に、全体でのゲットアウト・ゲームを楽しむ。
ディナー・テーブルを囲んで、順番にテスティモニーを話す夜をする。
夜にギターを回して、なつかしい歌を何曲か歌う。
幾つか興味深い質問を考えて、「その人を知る」夜をする。
ゲーム・ナイトをする。再生のCDから、新しいゲームや再生のゲームを探す。子供のためのゲームでも、大人にとってもどれだけ楽しいか(あるいはさらに楽しいか)に驚くだろう。
週の初めに名前を引いて、その人の「天使」になり、その週を通してナイスなことをする。週の終わりまで、それを秘密にしておく。
あなたが好きなテーマで物語を語る夜をする。天使、証し、夫婦が一緒になったいきさつなど。
個人的なテスティモニーを分け合う夜をする。全員がどのようにして救われ、ファミリーにジョインしたかを話す。SGAなら、どのようにして主にコミットメントしたか、何がきっかけでそのコミットメントをしたかを話す。
夜に特別なスナックを作って、互いのための感謝の時間を取る。全員ぐるっと回って、他の人について感謝していることを何か言う。前もって紙に書き、一緒に読んでも良い。
夜に、ホームで何か簡単な歌を作ってみる。一つのチームが歌詞を作り、もう一つのチームがメロディーを作り、それを合わせる。No.1ヒットソングにはならなくても、とても面白い歌ができ、歌作りはとても楽しいかもしれない。
「スピリット・トリップ」ナイトをする。ソフトな音楽をかけ、明かりを暗くし、天国、天使、あなたのスピリット・ヘルパーなどについて語るよう、わたしに求める。
マッサージの指導ビデオを手に入れて、互いにマッサージをし合う。
男性が、女性が最も楽しむこと(たとえばキャンドルライト・ディナー、足のマッサージ、おしゃべりなど)に応じてスペシャル・ナイトを計画し、それから次の週(あるいは月)に、女性が男性のために、彼らが一番感謝する事に応じて何かをする。(たとえば、ハンバーガーやバーベキューとビールなどの男っぽい食事と、ダンスやパフォーマンスなど。)
ある金持ちが、長期の旅で家を空けなければならなかった。準備をして荷造りが終わると、召使いや付き人を集めて、彼が留守の間、土地や所有物をしっかり守るようにと告げた。また、事業が繁栄し続けるよう、執事を決めて、仕事を割り当てるようにした。そして、彼は旅立った。
執事は、彼に長い間仕えていた古くからの友だった。それで、その信頼にふさわしいことを証明しようと決心した。彼は、主人が帰る前にすべきことを全部達成するつもりだと労働者たちに告げた。収穫を刈り取り、製品を作り、執事はもっと土地を買い、事業の新地に乗り出して財産を増やそうとした。
必ずや、召使いたちの献身ぶりが主人に認められるだろうと、彼は思った。その土地の規則が変更され、以前より多くの時間を仕事に費やすことになった。
けれども、時が過ぎて、執事は状況が全く良くなっていないのを見て落胆した。事業は多様化し、商人は忙しくしていたが、願っていたほど利益は伸びなかった。土地はもっと増えたが、働き人が増えていないので、敷地は耕されず、手つかずのままだった。彼は労も惜しまずに働いたが、すぐに、働き過ぎとストレスの多い生活様式が負担になって、彼も労働者も健康を害した。仕事をしながら歌ったり、楽しんだりすることも少なくなった。別の土地で雇ってもらおうかと思い始めた召使いたちもいた。
家の主人が戻ってきた。彼は、状況の深刻さに気づき、すぐさま人員を編成し直した。特に、人員一人一人に対し、何が求められているかを明確にし、娯楽をする時間や機会が必ずあるようにした。すぐに彼の事業は再び拡大し始め、労働者たちもまた、歌を口ずさみながらせっせと働くようになった。
166.(イエス:)天国の霊たちの鍵は、あなたを自由と正直さの新しいレベルへと乗り出させ、それはあなたが兄弟姉妹と心と心を通わせ、彼らへの愛を深め、傷をぬぐい去るのを助け、彼らに愛の手を差し伸べさせる。
167.(祈り:)イエス様、私たちはあなたのように楽しくなりたいです! あなたは宇宙一クールで、飛んでる方です! あなたは単に偉大な神、大祭司というだけでなく、本当に私たちの所まで降りて、楽しむのが好きです! あなたは天国で楽しまれ、私たちの楽しみにも加わるのが大好きで、それを特別で忘れがたく、あなたの霊によって高められていない時よりもずっと良い時にして下さいます。
168.イエス様、あなたに仕えるのに忙しすぎて、人生を楽しんだり、あなたが与えて下さった愛する友や家族を楽しむのを忘れることがありませんように。何よりも、あなたとの時間を十分取らなかったり、くつろいだり元気を取り戻したりするための時間を取らないことで、消耗し切ることのないよう助けて下さい。それがどれだけ大切かを忘れずにいて、そのために必要な犠牲を払い、スケジュールに組み込めるよう助けて下さい。それが大切なら、あなたはきっと、その時間を割り当てるのを助けて下さいます。
169.そして、楽しみ、くつろぎ、気晴らし、娯楽の時間を取る時には、素晴らしい夫であるあなたを忠実に交えられるよう、助けて下さい。すべてのことにあなたを交え、アクティビティーやパーティーにあなたを招くのを忘れることがありませんように。それによって、あなたはアクティビティーやパーティーに、御霊の余分の活気や熱気を添え、同時にあなたの御心の境界線内に私たちを保つことができます。あなたを交える時には、それがどんなアクティビティーやイベントでも、いつだってもっと良くなります。イエス様、あなたは楽しみの時間をもっともっと楽しくして下さいます!
170.私たちは、助けてくれるスピリット・ヘルパーたちを呼び求めて、お互いに、そして何よりもあなたと楽しい時間を過ごしたいです。イエス様、こんなにもものすごくパワフルでいながら、とても個人な親しみがあり、地についていてくれて、ありがとう。私たちと一緒のことをして実際に楽しむほど、私たちを愛してくれてありがとう。あなたが私たちのすぐそばにおられ、山ほどの幸せや楽しみを降り注ごうとしておられることを、決して忘れることがありませんように。イエス様、あなたの霊の祝福と賜物を感謝します。
くつろぎ、一緒にいることを楽しむ時間を取る時、愛の不思議な絆が築かれる。
立ち止まり、休み、くつろぐ時間を取ることは、時間の無駄ではない。それによってあなたはさらなるインスピレーションを持ってさらに長くがんばり続けることができる。
人生は貴重で、楽しむべきものだ。
主とお互いを楽しむ休みの時間を取ることは、痛み止めを飲むようなものだ。大変で忙しい時間から幾らかの苦痛を取り去り、リラックスし、休み、元気を取り戻すのを助けてくれる。
敬神的で良いくつろぎや楽しみの時間を取ることに罪悪感を抱いているなら、それは敵からの非難だ。
人生に楽しみが欠けていると、早く老け、すぐに気むずかしくなり、その時が来る前にくたびれてしまう。
楽しむことはあなたを若く、生き生きと、新しいビンに、自由で、幸せで、より良い弟子に保つ。
くつろぎ、楽しみたいという願いは弱さではない。それは神が与えられた賜物だ。
神は楽しい心をお持ちなのだから、私たちもそうあるべきだ。
イエスとパーティーしなさい。そうすれば必ず大いに楽しめる!
充電するのを忘れるなら、仕事という機会は稼働し続けない。
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