積極的なポジティブさ、パート2 [リンク11号より]

Maria
June 1, 2006

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マリア ML #3583 3/06

愛するファミリーへ、

  1.愛しています。そして、この新しい「生きた御言葉」を読む皆さんが、幸せで、健康で、イエスのための奉仕に充実しているよう祈ります! この場で皆さんとコミュニケートし、点から受け取った素晴らしいカウンセルを伝えられることは、素晴らしい特権です。

  2.このシリーズのパート1を楽しんでもらえたでしょうか。それが何かの面でそれが祝福となったよう願います。今までの所、「生きた御言葉」は、たいてい、幾つかのパートに続いていますが、それも大丈夫でしょうか? 私がここで取り上げたいテーマの中には、大きなテーマも幾つかあり、主はそれについて良いカウンセルをたくさん下さいました。そして、紙面にも限りがあるので、同じテーマを幾つかのパートに分けてまとめていきたいのです。

  3.そのテーマについて幾つものシリーズをするより、要点に集中して短いレターにしておくこともできましたが、私はそのようなやり方をあまり好みません。すべてのテーマをできるだけ周到にカバーしたい「たち」なのです。主は私をそのように造られました。あまり明確に伝わらないというリスクを冒すよりは、たとえくどくなるという間違いを犯してでも大切なポイントを伝える方が好きです。また、夫である主が与えられた素晴らしいメッセージのどれ一つとして、皆さんに受け損ねてほしくありません。

  4.ですから、ファミリーの皆さん、私に我慢してくれてありがとう。それも、ただ我慢するだけでなく、私が送るたくさんのパートに分かれたシリーズを深く探求し、楽しんでくれてありがとう。きっと、どのパートにも宝石があることがわかるはずです。皆さんのために出版するよう私が選んだどのメッセージにも、何か独特でとても特別な所があります。皆さんにつかんでほしい大切なポイント、感謝し、しっかり手放さずにいてほしい真理、何かの面で実生活に適用できる実際的情報があるのです。御言葉を忠実に学習し、「真理の言葉を正しく教え、恥じるところのない錬達した働き人になって、神に自分を認められるように努めはげんで」下さい(2テモテ2:15)。

  5.このレターでは、最初に人々がネガティブになる理由について、幾つか興味深い事実をお知らせしましょう。ネガティブさがどのように生じるのかに気づくのは良いことです。それを知っておけるよう、主にお願いすると良いでしょう。知っておくなら、ネガティブさを克服するためにより良く戦うことができるからです。でも、このメッセージを読む時に思い出してほしいことがあります。それは、あなたや、あなたの知っている人にネガティブさを生じさせるものが何であれ、そこから救出されるということです。あなたがネガティブな性質であるか、何か悪い経験があるためにネガティブになったか、あるいは全く異なる理由でそうなったのか、いずれにせよ、勝利を得ることができます

  6.その後に、ネガティブさについてもう一つのメッセージがあり、次に自己憐憫についてのメッセージが続きます。その後、ネガティブさを克服するための実際的ステップについての素晴らしいメッセージ、それに続いて、主は、あなたがネガティブさに代わってポジティブさの創造物になり始めるなら、どのような新しい「あなた」になるのかを教えて下さいます。それから締めくくりとして、イエスからの心がかき立てられるメッセージが幾つかあります。戦うための攻撃手段や、主の見解がさらに与えられるでしょう。主の見方は私たちの見方とは本当に異なります。ハレルヤ!

  7.もっとポジティブになり、賛美に満たされるための集中的な努力を皆さんと一緒にできるのは、素晴らしいことです! この新しい試みにおいて、互いに支え合いましょう。

  8.最後に、皆さんが要求できる新しい鍵を幾つか紹介しましょう。

  9.自分が完全に駄目な人間のように感じたとしても、鍵は戦い続けるための超自然的な信仰を与える。

  10.自分のネガティブな性質を叱責し、どんなに状況が暗く見えても、ポジティブな考え方を持つと決意して、超越の鍵の力を呼び求めなさい。そうすれば、鍵はあなたを変えるだろう。

  11.ネガティブさや、「かわいそうな私」の態度、その他の落胆を誘うどんな反応も、鍵によって破壊しなさい。そうすれば、わたしの幸せ、自由、ポジティブな霊があなたを満たし、新たにするだろう。

  12.識別と防御の鍵によって、あなたはどんなネガティブな思いや、落胆させられる思い、感情をも認識できるようになる。そして、賛美とポジティブさの鍵は、それを置き去りにするための力を与えるだろう。

  心からの愛を込めて、ママ

その理由・・・

  13.(デービッド:)ネガティブさが表に現れることや、どうして人によってそれがもっと現れやすいかには、理由がある。霊の内で非常に多くの賜物を持っているか、霊の内で敏感なゆえに、回りで起こっているすべてが聞こえることが理由で、ネガティブさに冒されている人たちもいる。主の声と敵(悪魔)のネガティブさの声の両方が聞こえるのだ。

  14.悪魔は確かに、霊の内で敏感な人々を好まない。そういう人たちの人生と心と思い、霊を神が支配している時には、神はご自身の栄光のためにその賜物を使うことができるからだ! 敵はそれを嫌がる。敵は良いものは何でも憎むので、ネガティブなことなら何でも人々にやってみて、彼らを試み、どのボタンを押したらネガティブさの渦に巻き込めるかを見ようとしている。

  15.怒りや苦い根、疑いに屈したためにネガティブになっている人もいる。そんなメガネをかけて良いものが見える人などいるだろうか? だからこそ、いわば新しくやり直して、あのポジティブで、上向きで、幸せな思いがその人の人生を満たすようにするには、主と、主の鍵と、ポジティブな観点が必要なのだ。

  16.自分は神が望まれる通りに造られたという単純な真理を全く受け入れることができないゆえに、ネガティブになっている人たちもいる。そういう人たちは、自分は神よりもよく知っていると思っている。自分だったらもっとうまくやったはずだと考えるのだ。自分は何かの面で欠けていると思っている。容姿か、性格か、知性か、才能か、何であれ、何かの面で。それで、ネガティブになってしまった。神が与えられた賜物を見る代わりに、彼らは自分にないものを見ることを選んだ。そして次第に、なかなか取り除くことができない、頑固でネガティブなイメージが思いの中にできてしまったのだ。

  17.また、生い立ちや、周りの人からの影響、他の人たちから不当な扱いを受けたゆえにネガティブになってしまった人たちもいる。ああ、これは悲しいケースだ。というのも、そこから立ち直るにはしばらく時間のかかることがよくあるからだ。絶対に時間がかかるというわけではないが、そういう場合もある。過去からの影響が深く根付いていて、人間というものは必ずしもすぐに傷を手放す気になれないことがあるのだ。

  18.だが、愛とゆるし、優しい気遣いの鍵があれば、誰でもネガティブさを克服し、信仰の目を通して見、生きることへの新たな熱意と周りの人たちへの信頼を受け取ることができる。これは最も素晴らしい救出の一つだ! このようなネガティブさから回復した人は、とても感謝に満ちている。まるで、愛し、周りの人に手を差し伸べ、助け、行く所どこでも喜びと愛をまき散らすために生まれ変わったかのようだ。

ネガティブさの麻薬

  19.(イエス:)ネガティブ思考の人間というのは、麻薬中毒のようなものだ。それも、どこにでもあるような麻薬ではなく、何の良いところもなく、ただ恐ろしいほどの依存性を持つだけの、本当に悪い麻薬だ。いったんそれを経験し、吸ってしまうと、とたんに抵抗力が弱まり、すぐさま習慣になる。ネガティブさの麻薬を吸うと、何度も悪いトリップをして、そのたびに、深く、暗い、泥沼に落ちていく。ネガティブさと戦ってそこから救出されないなら、最後にはあきらめて、ネガティブさに負けてしまう。だが、どんなに長い間ネガティブさに耐えて生きてきたとしても、あなたはそれを克服できる。

  20.もし正気なら、何の得もない、何かとても恐ろしいものの中毒になるに任せる人などいないだろう。さて、サタンはすべての薬を糖衣でくるんで、ゆっくりと、ずる賢く、あなたの肉の思いと見せかけの理論に訴える方法で与え始める。

  21.ネガティブさは他のとても多くの霊的問題や、さらには肉体的問題につながる。だから、敵はこの策略をとても好むのだ。ネガティブさの背中にはとても多くのものがおんぶしている。批判的態度、苦い根、嫉妬、落胆、うつ、さらには摂食障害、不眠症などの肉体的な問題でさえもだ。ネガティブさに対して扉を開けると、知らない内に他の多くの間違った物事も引き入れてしまう。

  22.わたしの子供たちはたいてい、何度かはネガティブさに試みられたことがある。いつだって、何かの面で自分よりも才能がある人や、自分もほしいと思うような物(それがどんなに小さな物でも)を持っている人がいるものだ。サタンは何か論理的で筋が通っているものから始めて、その上にだんだんと築いていく。

  23.敵は何食わぬ顔でそれを始める。最初は邪悪な誘惑に少しの真実を混ぜる。軽い「かわいそうな私」病にかかるのは、ほとんど慰めにもなると言えるほどだ。もしかしたら、あなたは何かの面で進歩しようとしているけれども、それが難しいのかもしれない。敵はそこにつけ込む。あるいは、あなたにはボーイフレンドやガールフレンド、夫や妻がいないのかもしれない。すると、敵はそこから手を着け始める。あるいは、その日、誰かがあなたよりも証しの結果が良かったとか、他にも色々あるだろう。ほんのちょっとしたことでも、あなたの思いにネガティブさの種を植えるためのきっかけになる。そして、すぐさまそれに対抗しないと、どんどん大きくなって、手に負えなくなる。そして、あっと言う間に、予期していたよりもとても多くの問題を抱えてしまう。

  24.しかも、さらに悪いことに、いったんネガティブさを取り入れてしまうと、自責の念に対しても扉を大きく開いてしまうことになる。ネガティブになるのは正しくないと知っていて、そうなりたくないとは思うが、「もう手遅れだ。私はひどい失敗者だ。すでにネガティブさを中に入れてしまい、私は負けてしまった。だから、私はこれからずっとこのままなんだ」という思いに襲われる。自分の心の庭を見渡すと、そこは実にめちゃくちゃで、雑草だらけなので、「もうやめてしまえ!」と考えるのだ。

  25.けれども、その時、あなたは気づかなければならない。助けを呼び求め、ネガティブさの雑草を取り除きたいと心に決めるや否や、その習慣がどんなに悪くても、どんなに長い間ネガティブだったとしても、わたしが強力な斧を持ってやってくるのだと! わたしは雑草を切り倒すだけでなく、あなたの庭をきれいにして、すべてを完全な勝利に変えることができる。

自己憐憫の危険

  26.(イエス:)自己憐憫は甘い物に似ている。甘い物は次第に歯を腐らせ、体を蝕むが、とてもおいしいので、どこがそんなに悪いのかと思ってしまう。この一つのことについては好きなようにする権利があると感じる。そして、そこからすべてが始まるのだ。自己憐憫は、自分をわたしや他の人たちより優先して、他の人たちのために自分を犠牲にする気持ちを持たないことに尽きる。

  27.自己憐憫とは、プライドが精錬され、人を欺く形となったものとも言えるほどだ。ちょうど、精製された白砂糖のように。白砂糖はとても白く、きれいで、純粋に見える! 実は、あなたの体からすればその正反対だというのに。自己憐憫もそれと同じだ。それはあなたを悩ませ、あなたを病気にし、霊的健康と幸せを蝕む。そして、二次的作用として、あなたを役に立たなくしてしまう。

  28.いったん誰かが甘い物中毒になると、そこから抜け出るには奇跡が必要なほどになる。ネガティブさもそうだ。それについてわたしが言える大切なこととは、ネガティブさの核心は、自己憐憫や自己非難という形を借りた、欺瞞的なプライドであるという点だ。このように欺瞞的であるために、被害者はそれになかなか気づかない。本人がそれに気づき、真剣に受け止めるなら、戦いの半分に勝ったことになる。だからこそ、わたしは、これがわたしに言えるほとんど一番大切なことだと言うのだ。

  29.ネガティブさは敵の堅固な要塞であり、それが理由で、たいていの人はそれを揺さぶるのが難しい。だが、揺さぶろうという気があるなら、そうできる。わたしよりも強いものは何もない。どんな力も、勢力も、支配力も、嘘も、何もない。わたしは真理であり、どんな嘘も、わたしに近づくなら、わたしはそれをすべて燃やす。わたしは人の心の隅の最も暗い所も貫くことができ、その時、わたしはそこに働きかけ、嘘をきれいさっぱりと片付ける。

ネガティブさを克服するための実際的ステップ

  30.(イエス:)賛美はもちろん、最も大切なステップだ。あなた自身についての敵のネガティブで傷つけるような思考に対して、賛美でもってすぐさま対抗することは、敵を敗走させるのに一番だ。これはまさに、「その気の時も、その気でない時も」* というたぐいのステップだ。敵が何についてあなたをがっかりさせようとしているのであれ、すぐさま賛美で反撃しなければならない。

* 主を賛美するには二種類の時がある。その気分の時と、その気分でない時だ!(モップ「賛美」:1)

  31.賛美すればするほど、あなたはとかくネガティブに感じそうになる物事も含めて、人生のすべてについてわたしに栄誉を与えていることになる。賛美すればするほど、実際それが信仰に関係しているのであって、何かの面であなたにとって祝福になり、大切な何かや特定のスキルを学ぶ助けになることを意図していない事柄をわたしが与えるはずがないと信じるかどうかの問題だと気づくようになるだろう。

  32.人生のすべてについてわたしの完璧な意志と先見の明に功績を与えれば与えるほど、あなたにとって物事を間違いや欠陥として見る余地が減っていく。というのも、それがわたしから来たのであれば、わたしは自分の言葉に縛られており、それらを共に働かせて益としなければならないからだ。また、あなたにとっても、わたしが与えたのであれば、それについて嘆いたり不平を言ったりしにくくなる。実際、敵はわたしがそれを与えたことをあなたに思い出させたくない。

  33.だから、ネガティブさを克服するための、第一の、そして最も大切なステップとは、紛れもなく、あなたがそんなにもネガティブに感じそうになっているそのものについてわたしを賛美することだ。具体的に賛美しなさい。すべての面についてわたしに感謝し、これらのことがすべてそっくりわたしから来たか、あるいはあなたの益のためにわたしがそれを許したのだと必ず悟りなさい。また、わたしには完璧な計画があり、もしあなたの人生がわたしに委ねられているなら、わたしは一見敗北と見えるものから勝利をもたらすことを必ず知りなさい。

  34.もう一つ、大切なステップとは、自分のことを忘れて、他の人のことを考えることだ。時にはネガティブさやネガティブ思考に襲われることもあるだろう。ややもするとそこをのたうち回って、思いの内で長く辛い戦いを続けるままになる。そういう厳しい時を通って、勝利を得るまで、敵と自分の肉の思いと戦い抜かなければならない時もある。だが、ただ自分自身のことや、自分がどんなにがっかりしているか、どんなに激しく攻撃されているかを忘れて、代わりに、自分の気持ちがどうであろうと、誰か他の人の幸せのためになる何かポジティブなことをするのが答えという場合もある。

  35.自分に対するネガティブさは、利己的さと自己中心の一形態だ。何もせずに、自分がどんなに悪いか、どんなに不十分かばかり考えている時間があるなら、それは、他の人のためやわたしのために十分忙しくしていないというしるしかもしれない。敵の泥沼でのたうち回るのをやめて、どうすれば他の人の人生の役に立てるかを探している時、あなたの思いはネガティブさの悲運や憂うつさからチャンネルが切り替わって、わたしの愛の陽光の方を見ることができるようになる。

  36.立ち上がって、誰か他の人のために愛情深いことをしに行くよう自分を強いることは、悪魔を黙らせる確実な方法だ。そうすれば、あなたの人生はわたしの祝福に向かって開かれる。そればかりか、わたしの愛の器として使われるようにするなら、あなたは自分にも良い所、ポジティブな所がたくさんあるというのがわかる。

  37.誰かを幸せにしてあげているか、何かの困難を助けてあげている時には、自分が物事をより良くしたこと、自分がいなければ良いことが起こらなかったというのを目の当たりにする。それは、あなたがどんなに無価値で、役に立たないかという敵の宣伝文句とは正反対だ。

  38.もう一つ、ネガティブさに対して勝利を得ることを確かめるためにすると良いのは、祈りを求めることだ。シェパードや、愛する人たち、友達から祈りを求めることができる。だが、もし徹底的にやりたいなら、そして、変わりたいという願いを裏打ちする真剣な祈りの力を得たいなら、団結した祈りを祈ってもらってはどうだろう? あなたのために何人かの人が集まって団結して祈る時、敵はそれが生じさせる威力に愕然とする。(アクティブ・メンバーたちよ、あなたたちは団結した祈りのために何人かで集まることはできないかもしれないが、状況によって、誰かあなたのために祈れる人から祈ってもらうなら、わたしはそれを祝福する。)

  39.預言でわたしから聞くことも、自分についてのネガティブ思考を克服するのに非常に大切だ。そして、戦って勝利を得ることについてわたしから聞くだけでなく、十分謙遜になって、わたしがどれだけあなたを愛し、わたしがどれだけあなたを高く評価しているかについて、わたしの貴く、親密で、あなた個人に当てた、ただあなたのためだけの言葉を受け取るために経路を開くだけ十分の信仰を持つことも大切だ。

  40.わたし以上にあなたを愛せる者は誰もいない。誰一人として、わたし以上にあなたを理解できる者はいない。わたしはあなたが持ち得る最高の友、最高の恋人だ。宇宙でたった一人、本当にあなたのすべてを知り、それでも同じだけあなたを愛しているのは、わたしだ。あなたの特別な所、愛している所について告げるチャンスをわたしに与えずにおきながら、魂の敵であるサタンには、あなたについての、胸が悪くなり、品位を落とさせるような事柄で頭をいっぱいにさせているというのは、全く不公平だ。

  41.あなたへのわたしの言葉と愛に向かって、心と思いを開きなさい。そうすれば、大きな励みとなるだろう。わたしがあなたをどれだけ愛し、必要としているかという素晴らしい言葉以外にも、わたしには、あなたをどうしてそのように造ったのか、また、どうしてそのような肉体的特徴、性格的な特性、霊的な強さと弱さを持たせたかについての洞察がある。そのようなことについてわたしに説明させるなら、あなたはそれらのことをもっと天国からの観点で見られるようになる。そして、わたしが与えることのできる理解力が増すことによって、あなたにとってとても気になりがちなことにも、あまり落胆しなくなるだろう。

  42.ネガティブさと戦っている時には、ネガティブな思考に屈したり、態度や外観を支配させられたりしてはだめだ。これと戦うのに最も良い方法の一つとは、ただほほえんで、あなたの振る舞い全体に、あなたの中にあるわたしの幸せな霊を映し出すことだけを考えることだ。昔からよくある、「本心よりも元気に振る舞いなさい」という助言だ。これは偽りや見せかけではない。ただわたしを前面に出しているだけだ。

  43.あなたはいつどの日でも、愛に溢れた、輝くような、幸せなほほえみで、心の中にいるわたしを輝かせると決めることができる! 逆に、悲壮さや不平によってあなたの内にあるネガティブさを溢れ出させ、みんなにさらけだすこともできる。だから、心の中の幸せな方、わたしが住んでいる方を表すことを選びなさい。ほほえむことはそのための一番確実な方法だ。

  44.また、霊的にうまく行くように、実際的面でも備えておこうとするのは大切だ。これはしばしば、一日が始まったばかりの時、どう目覚めるかが非常に大切だということに気づくという意味でもある。ベッドから出る前にも、祈りやわたしへの賛美を一言うことで、わたしの経路に合わせて目覚めるよう努めなさい。それから、いったん起きて着替えたなら、身なりを整え、清潔できちんとした、良い印象を与えるようにしなさい。外見がきちんとしていると感じるなら、だらしがなくて身なりも乱れていることに伴うネガティブな下降線をたどるのではなく、足取りも軽やかに一日を迎える助けになるだろう。

  45.もちろん、何も派手でなくてよい。霊的なことが一番大切なのだから。だが、外見を整えることで一日の調子を整えるなら、気分ももっと良くなる。それも大切なのだ。

  46.もう一つ、自分についてのネガティブさが時々起こしうるのは、自分は何も与えるものがないとか、自分には魅力がない、自分は愚かだ、あるいはその他何でも、あなたにとって試練になっている悪感情によって、他の人を避けたがるという気持ちだ。だから、ネガティブなプロセスを逆転させたいなら、他の人と交流するよう自分を強いなさい。ネガティブさによって他の人との付き合いから身を引くことのないよう、他の人たちに話しかけ、会話に加わり、心からのほめ言葉をかけ、親切にし、質問するなど、必要なことは何でもしなさい。

  47.他の人たちと愛情深く、親切で、友好的な交流をすればするほど、あなたは一つに、何も恐れることはないと気づくだろう。そしてもう一つ、自分には他の人に与えられるものがたくさんあることや、あなたも素晴らしい友、会話上手、話し相手になれることに気づくだろう。あなたが自分についてそんなにも悪く考えていても、必ずと言っていいほど、他の人はあなたが思っているほど気にしていない。他の人たちとの接触が増えれば、それが裏付けられるだろう。

  48.また、剣もなしに戦いの準備ができている霊の戦士などいない。この場合、それと気づくや否や敵をやっつける聖句、鍵の約束、クオート、ポジティブな歌といった兵器を準備しておくという意味だ。わたしの言葉から、すべてのことにおけるわたしの公平さや知恵を認める箇所や、あなたへの尽きない愛を再認識させる箇所を選びなさい。それと反対の思いに襲われた時には、弾薬を取り出し、「こう書いてある!」と言って打ちまくりなさい。

勝利とは?

  49.(イエス:)ネガティブさに対する勝利とはどのような状態なのだろうとか、何を目指せばよいのか、戦いに勝ちつつある時に何を期待できるのだろうと思っている人のために、ここに勝利のポジティブな兆候を幾つか挙げよう。

* すぐに自分のことを考えたり、自分がその面でどんなに駄目かを考えることなしに、他の人をほめられるようになったり、他の人へのほめ言葉を聞けるようになる。

* 人生のすべてについて、もっと賛美に満たされるようになる。

* 外観や肉体的な状況によって態度や幸福感がそれほど影響されなくなる。外観や気分とは無関係の、内なる喜びを持つようになる。

* もっと友達ができる。人々は、あなたといてどれだけ楽しいかを口に出して言うようになる。

* 他の人たちへの愛に満ちた奉仕にもっと忙しくなる。

* わたしとのより近い関係ができ、あなたへのわたしの愛をもっと確信するようになる。

* 他の人とのやりとりがもっとスムーズになり、自分が気を害することや傷つくことがずっと少なくなる。

* 比べることが減り、すべてを競争のように見るのをやめるので、人生がもっと楽しくなる。遊びやゲーム、生活全体を楽しみ、自分の立場がどこにあると思おうと関係なく、それ自体を楽しむ。

* ネガティブさが入り込んだと察したなら、わたしの言葉や賛美で敵を攻撃することに慣れている、いつでもすぐ戦う兵士になる。

* もっとほほえむようになる。

* 肉体的にもっと活発になり、不思議なほどエネルギーがあるように感じられる。わたしの喜びがあなたの力となる。

* 祈る時、もっと信仰を持つようになる。

* もっと他の人を励ましたり、戦いや問題について助けたりできるようになる。

* 人生における自分の場所に満足し、わたしが与えたすべてを心から感謝するようになる。

* わたしの約束を文字通り受け止め、それを自分自身に当てはめられるようになる。この約束やこの励ましは誰か他の人のためで、自分のためではないと考え続けたりせずに、愛と励ましに満ち、信仰を築くわたしの言葉すべてを自分に当てはめ、自分のものとする。その結果、読む言葉からもっと多くを得ることができるようになる。

  50.いったんあなたの思いからネガティブさの鎖や網を振り払ったなら、このすべてと、あなた独自の個性や状況にぴったり合ったその他多くの益があなたのものになる。このすべては自由の幸せな空であって、あなたの解放された思いはその空に飛び立ち、楽しむことができる。一歩踏み出し、懸命に試み、これらの祝福を受け取るための変化を遂げる価値はある。

御言葉とのつながり

  51.(イエス:)わたしがあなたに語る言葉は霊であり、命だ。そこにあなたに必要なすべての力が宿る。わたしの言葉がなくてはあなたは不完全だ。わたしの言葉を十分に得ていない時、あなたはその不完全さによって自分をネガティブに見るようになる。ポジティブで、幸せで、感謝に満ちた展望を保つようにさせるのは、わたしの言葉なのだ。

  52.ネガティブさの汚染物質を洗い流すには、わたしの言葉で満たされる以外に方法はない。いつもわたしの言葉で満たされていなさい。心に歌を、唇に賛美を、暮らしに幸せを携えなさい。わたしの言葉はあなたに信仰を与え、この信仰によって、あなたはもっとわたしを信じるようになる。

  53.ネガティブな思考はすべて、賛美と感謝の思いに変えられる。自分のことや自分にないものばかり考えるのではなく、思いをわたしに与えると心に決めるなら、敵の侵略は、わたしのための大いなる強さに変えられる。ネガティブな思考や他と比べる思考を、賛美と感謝の思考に変えること、それをゴールとすべきだ。

  54.あなたは、わたしの言葉と、わたしへの信仰によってのみ、より良い方向に切り替えることができる。だが、それには、自分の意見、自分に対する概念を捨てて、賛美と、わたしがあなたに対して抱く思いというチャンネルに切り替えなくてはならない。わたしがあなたに対して抱く思いで養われるなら、わたしに対して経路を開いていることになるので、わたしの観点を与えられるようになる。あなたはわたしのような見方で自分自身を見始める。それが最終ゴールであり、それが人生において最大の満足をもたらす。

*

  55.(イエス:)ネガティブさという深刻な問題を抱えた人たちは、敵からのネガティブな霊に歯止めをかけるため、わたしの言葉に浸ることや、それを飲み込み、吸収することにもっと時間を費やす必要がある。誰もがわたしの言葉を必要としているが、試みや試練の時期を通っている人たちには、なおさらそれが必要だ。あなたが依存し、戦いのための信仰をくれるのは、わたしの言葉だからだ。

  56.生まれてからずっと、自分や他の人たち、状況、そしてすべてについてネガティブに考えるという弱さや悪習慣を持っていた人たちにとっては、わたしの言葉が唯一の希望、そして答だ。なぜなら、わたしの言葉は光であり、真理であり、ポジティブな霊だから。それは彼らを穴から引き上げる。彼らを正気に保ち、敵の嘘というアリ地獄に沈む代わりに岩の上に立たせておく。

  57.だが、彼らは何度もわたしの言葉へと戻り、そして必要なだけの頻度と時間をかけて、それを吸収しなければならない。あきらめて、「あーあ、絶対勝利なんて取れないのだから、わざわざがんばっても無駄だ」と考えてはだめだ。わたしはどれだけの間彼らを試みと清めの日の中においておくべきかを知っていること、またいつ完全な勝利を与えるべきかを知っていることを信頼して、それにどれだけ時間がかかっても、必要なだけわたしの言葉の上に立たなければならない。

それがどうした?

  58.(イエス:)幸せと満足はあなたの態度にある! すべてはあなたのものの見方と観点にある。これは、たとえ信仰によって受け止めなければならないとしてもわたしの思いを思い、状況や環境、さらには自分自身でさえも、わたしの目を通して、わたしの視点から見るかどうかの問題だ。落胆し、落ち込み、世俗の物事に影響される理由など、何もない。そのような些細な事柄によって、あなたの視界が曇り、喜びが失われ、敗北と落胆がもたらされて良いわけがあろうか? それこそ敵の思うつぼだ。だが、わたしにはより良い方法がある。

  59.わたしは、ポジティブな見方で、わたしの目を通してすべてを見られるよう、あなたを助けることができる。あなたの望み通りにならなくても、また、幸せになるのに必要だと思っていることすべてができなくても、それがどうした? わたしにはより良い方法、素晴らしい計画があって、わたしは最善を知っている。他の人たちほど物事がうまくできないか、あなたが自分でもっと才能があるべきだと思っている面で、他の人たちほど才能がなかったとしても、それがどうした! わたしがボスだ。わたしがあなたを従業員として造った。そして、わたしが最善を知っている。

  60.他の人たちほど容姿が良くないとか、自分の性格には欠点があると思ったとしても、それがどうした! 歴史を通して偉大なことを行わせるためにわたしが使った人たちの中には、人から「醜い」と思われていた人たちもいる。障害を持っていた人たちもいる。だが、わたしはそうした障害にもかかわらず、そして時にはそうした障害ゆえに、彼らを使った。わたしでさえ、「見るべき姿がなく、・・・美しさもない」と言われた(イザヤ53:2)。わたしは、わたしの望む通りにあなたを造った。そして、あなたを愛し、あなたを使って大いなることを行うことができる。

  61.預言の賜物がしっかりしていないと感じるか、自分の仕事ぶりにがっかりしているからといって、それがどうした! もしあなたに世界一だめな経路しかなくても、わたしに委ねた経路があるなら、わたしはあなたを使うことができる。わたしはあなたを選び、召したのであり、あなたはわたしの弟子だ! 大切なのはそれだけだ。それが一番肝心だ。そして、あなたが弟子として生き、わたしの意志を行い、心を尽くしてわたしに仕えることだけを気にかけるなら、他の何も関係ない! だから、あなたにとって他の何かが大切になるのを許してはいけない。

  62.全力を尽くしてわたしに仕え、わたしがあなたの人生にもたらすすべてのことの流れに沿いなさい。すべてを信仰と希望と喜びの態度で見ると心に決めなさい。すべてについてわたしを賛美し、すべてについてわたしに感謝し、現世の取るに足らない事柄によってがっかりしないこと、わたしはそれを教えようとしている。どんな状況にも、悪いことではなく良いことを見るようにしなさい。探すなら、どんなことにも良い面があるのだから。

  63.すべてを信仰と信頼の目で見ると固く心に決めなさい。最初から朗らかでいなさい。悪い知らせと思われることを聞いたなら、すぐさまそれについてポジティブなことを考えなさい。また、落胆している時には、絶対に落胆すまいと決めなさい。敵と戦いなさい! 鍵を使って戦いなさい! 悪魔にやめろと告げなさい!

  64.わたしのための仕事やミニストリーがあまりうまく行っていないか、自分であまりうまく行っていないと思ったとしても、それがどうした。それによってあなたが必死で謙遜で、戦い続ける状態に保たれることをわたしに感謝しなさい! 何かがうまく行かないか、仕事が成功しなかったなら、それによって謙遜でいられることを感謝しなさい。

  65.すべてをネガティブに見てはいけない。誰かがあなたより才能と賜物を持っていたからといって、それが何なのだ。わたしは気にしないのだから、どうしてあなたが気にすべきなのか? 他の人の方がもっと愛され、信頼されていると感じたとしても、それがどうした。それがあなたに何の関係があるのか? あなたは、人から愛され、信頼されるために、あるいはわたしの尊敬を得るために、わたしに仕えているのか? あなたが心と思いと霊を尽くしてわたしに仕えているのを見ること、それだけがわたしにとって大切なことだ。だから、あなたにとってもそうであるべきだ! だから、他の何かがあなたにとって大切になり始めたら、それは間違っていて、正しい道からはずれており、場違いで、わたしの見方とは異なる! それに抵抗し、叱責し、先に進みなさい!

  66.謙遜の外套と賛美の衣をまといなさい! いつでも賛美、賛美、賛美し続けなさい。そうすれば、敵はあなたを落胆の流砂へと吸い込むことができなくなる。そんなのは全くの邪魔であり、あなたの喜びを台無しにする。あなたにはそんなものは要らない。そんな時間などない。だから、勝利を得て、超越しなさい。自分を哀れむのをやめて、戦いなさい! そんなにも単純なのだ。

悪魔を非難せよ!

  67.(イエス:)ネガティブさや落胆の攻撃を受けたなら、いつでも敵に対して引用できる弾薬を幾つかあげよう。これは、勝利を固守するために極めて重要だ。そして、これからあなたに与えるものによって、プライドを抱くのではないかと心配することはない。たった今、あなたは自分の内に宿るわたし、自分の内に宿るわたしの塗油を見て、ネガティブな疑いや落胆は一切、わたしからでないと知る必要がある。だから、それに対して戦いなさい。

  68.* 私は主に使われている。私は主の意志を行い、主に仕え、主から求められたことを行っている。だから、悪魔よ、それと逆のことを私に告げるとは、おまえはいったい何様だと思っているのか? 私はおまえの嘘に対して耳をふさぎ、夫であるイエスがくれた真理を固守し、戦い続ける。

  69.* 私が必死で、謙遜で、委ねているなら、私は預言で主からはっきりと聞いていることになる。自分の賜物についてどう思おうが、あるいは悪魔が私の賜物をどう思おうが、そんなことは関係ない。大切なのは、私が経路を開いて、イエスが与えようとしておられるものを何でも受け取ることだけ! 主の言葉は真理だ!

  70.* 私は無二の存在で、特別な方法で主に仕えるために主によって造られた。誰か他の人のような性格や容姿はないかもしれないが、主は理由があって私をこのように造られた。だから、私はそれを見下したりしない。

  71.* 私はファイターになる! 敵が攻撃してきたら、寝そべっていたりしない。敗北者のように降参したりしないぞ。私は兵器庫にあるすべての兵器を使って戦う。祈り、賛美、鍵、イエスを愛すること、預言を使って。そして、毎回、敵を打ち負かす。

  72.* 私は委ねることを選んでいる。無理矢理主の意志をやらされるつもりはない。主から求められたことは、心に喜びを持って、喜んでやるつもりだ。

  73.* 私は目を内側ではなく、外側に向ける。自分のことを考えるのではなく、他の人の必要を考える。神の恵みによって、私は他の人の支え、励まし、祝福になり、負担ではなく、負担を取り去る者、重荷ではなく、祝福になるつもりだ。

  74.* 私は任された仕事に最適任というわけではないかもしれないが、主がそれを求められたのだから、必死になり、祈り深くなり、最後までやり遂げることによって、最善を尽くすつもりだ。

  75.* 私は、御言葉、祈り、賛美、預言、鍵によって、敵と戦うつもりだ! 敵のやりたい放題にさせておくつもりはない! ファイターになり、戦いを愛することに全身全霊を注ぐ!

変わることの素晴らしさ

  76.(イエス:)あなたにとって習性になってしまったまさにそのものに対抗するのは、難しいことだ。だが、それらは間違った事柄なので、対抗すべきなのだ。敵に挑み、敵を打ち負かさなければならない。人間の自己満足という悪影響を逆転させ、攻撃に出て正反対のアプローチを取ることによってそれを打破すること、それがチャレンジというものだ。

  77.だからこそ、変わることはそれほど難しくもありながら、それほども素晴らしく、チャレンジに満ちているのだ。あなたは、物事を同じ方法でさせようとあなたを縛っている習慣に宿る、人間の性質そのものに挑んでいる。変わることは、軌道を変え、正しい方向、つまりわたしの方向に向かうよう、あなたに挑む。

  78.変わることはつらいが、長い目で見れば、変わらないことの方がもっとつらい。だから、変わる努力をしても無駄だなんて、決して思ってはいけない。変わることは、流す涙、費やす努力、困難のすべてに値する。

  79.変わることで、すべての人の内にファイターの気質が生きてくる。それは、習慣、性格、あなたがもう変えられないと思い込むようになった性格という束縛を絶ち、あなたの向きを変え、反対の方向に進ませ、前進させている。

  80.変わることは、すべての人の一番良いところを引き出す。それによって一人一人が楽な状況から起き上がって、新しいルート、つまり人生の新たなチャレンジを探すようになるからだ。そして、古いものを捨てるのはとても困難に思えるものの、変化の約束は、あなたに迫りくる力となり、生きる理由となるのだ。

[テキストボックスにあるクオート:]

あなたが落胆している時、悪魔はあなたに、真理に対して怒らせようとする。彼は真理によって征服されようとしているからだ。(ML #33:6)

あなたは神を信じ、神への信仰を持たなければならない。そうでないと駄目になってしまう! 神なしでは、あなたは何もできないのだから!(ML #33:22)