フィースト2006 ママの理解と励ましのメッセージ--パート1

Maria
January 14, 2006

マリアFD/MM/FM 3571[1] 10/05

GN 1157 FD/MM/FM フィースト 2006

  1.皆さん、こんにちは。このように話すことができて、とてもうれしいです! 皆さんはこれを特に親しみがこもっていると思うでしょうが、知っていますか? 私がGNを制作するというのはいつものことですが、皆さんが気づいていない場合のために言えば、私はそれをとても親しみのこもったこととして考えています。皆さんのホーム一つ一つを思い浮かべ、実際、じかに一人一人に話しかけているのです。

  2.でも、今回は確かに、私の声が聞けるという、違った種類の親しさですね。ですから、皆さんにとってはもっと親しみがこもっているように聞こえるかもしれません。ですから、皆さんを思うと、こうやって個人的に語りかけられてとてもうれしいです。

  3.実際、これよりもっと親しく語りかけられたならと思います。あなたのホームで一人一人とそこに座って、腕を回し合い、手を握り合って話しかけたいです。それができたら、とても、とてもスイートでしょうね。でも、たぶんそれは天国に行くまで待たなくてはならないでしょう。それもまた、楽しみにできる素晴らしいことですね!

  4.でも、今、一つお願いしたいのです。そこであなたと座り、あなたに触れ、抱き合うことはできないので、たぶん、みんな、もう少し近くに座るといいでしょう。くっつき合って近くに座り、手を握ったり、腕を回し合ったり、あるいは隣の人の膝に手を置いたり、髪の毛をなでたりなど、私からの話を聞く間、ただとてもスイートな雰囲気の暖かいフェローシップの時にしてほしいのです。

  5.さて、かなり長い話になると思うので、楽にして下さい。実際これを楽しめるぐらい楽にして下さいね。長くないとしたら、私らしくないでしょう。ママらしくないでしょう。ですから、長くなりますよ。私は何も短くできません。今ではもうわかっているでしょうね。もしかしたら、GNを受け取る時、あなたたちの多くがうめいているかもしれません。そのことで責めたりしませんよ。とにかくGNに目を通し、読み、学習し、主の言葉すべてを取り入れ、取り込み、実施していることを感謝しています。

  6.さて、話が長くなることにかけては、私はダッドの跡を継ぎました。他の面ではダッドの後を引き継げませんでした。こうやって話しているのを聞いてわかると思いますが、私はそんなに流ちょうに話せません。ダッドはただ口を開けるだけで、霊感と励ましの言葉が素晴らしく連なったとても美しい言葉の流れを注ぎ出すので、それが直接天国から来たとわかるのです。そこが少し違います。私が話す時も、きっと霊は感じるでしょうが、皆さんは外見を見越さなければなりません。

  7.ですから、ダッドは多くの場合、よく誇張した話し方をし、ゆっくりと話すタイプでは全くありませんでした。そこは私とだいぶ違います。私は考えるのも話すのもゆっくりで、何度も言葉を探したり、いわば言葉が詰まったり、何を言おうとしていたのかを忘れたりすることがよくあります。ですから、それも理由でこのように長い時間がかかるのかもしれません。ダッドのようにすぐに言いたいことを伝えられないのです。

  8.でも、皆さんはダッドの声を何度も聞き、ビデオやテープで見たり聞いたりしたので、たぶん今回は私の声を聞くのもいいと思うかもしれません。あまりペースは速くないかもしれず、あまり大げさに話したりドラマチックに話したりはしないでしょうが、じっと耳を傾け、集中しようとするなら、きっと満足できる何かを主から受け取れると思います。

  9.そして、退屈にならないよう望みます。退屈にしないよう努めますが、多くはあなた自身と、どれだけ主の言葉を望んでいるか、どれだけ霊を望んでいるかにかかっていると思います。私はダッドのように、立ち上がって机やテーブルの上に飛び上がり、わめいて皆さんの目を覚ましたりしません。ですから、うとうとしかけたら、互いに目を覚まさせ合うようにしないといけないでしょう。

  10.そして、繰り返しますが、眠ってしまっても責めたりしません。みんなとてもとても一生懸命働いているので、きっと皆とても疲れていると思います。しかも、目を覚まさせておくための視覚的なものがなくて、ただ音声だけなので、もっと難しいのはわかります。でも、とにかく、集中できるかどうかやってみて下さい。そして、目を覚ましていられるよう主に助けを求めて下さい。

  11.さて、この話についてもう一つ言いたいのは、ダッドと違って、私が話す時にはかなりの準備が必要だということです。少なくとも、私はそう思います。将来、準備できない時も来るかもしれず、その時はきっと主が語って下さるでしょう。でも、普通は、皆さんに言いたいことを忘れないように準備をします。メモをとっておくのです。そして、この場合だと、基本的には談話を口述記録しておいて、少なくとも皆さんに言いたいことを含めます。きっと話している内に何か他のことを思いつくでしょうし、たぶん少しはアドリブもあるでしょう。でも、中心的な話や私が言いたいおもな事柄は、前もってタイプしてもらっています。自分でタイプしたのではなく、愛する秘書たちがタイプしてくれました。だから、この談話ではたぶんそれを使って、皆さんにそれを読もうと思います。

  12.さて、それも理由で、これからそれを、あるいはその一部を読むつもりだと伝えたかったのです。話している最中に、「ママは読んでいるのだろうか、それとも・・・?」と思って、注意散漫になってほしくないからです。私が言っていることに神経を集中させて、しっかり聞き、できれば何にも気をそらされてほしくありません。皆さんは私が見えないので、これから話すほとんどは紙面を読み、少しアドリブを入れることを説明したかったのです。私にとっては、少なくとも今回はこうした方がいいのです。主はこのように、皆さんに言いたい事柄のほとんどを前もって準備するよう導かれました。

  13.ですから、「ママ、ただ口を開けたらどうですか? そうすれば主が満たしてくれます! そしたらただアドリブをすればいいだけで、その方がずっとうち解けて気楽な感じがして、ずっとおもしろいのに!」と思いそうになったら、そう考える代わりに、「わあ、何という奇跡だ! ママは実際、目を使ってこれを私たちに読めるんだ! 実際これを読めるなんて、ずっと前から祈ってきたとても多くの祈りの答えだ」と考えてほしいです。

  14.私が何かを読めるだけでもとても大きな奇跡です。普段、私は字を読みません。しょっちゅう目が痛くなるので、何かを読んでも、後でひどい頭痛がしたり後で目が開けられなくなったりしないというのは、そのたびにとても大きな奇跡なのです。ですから、私は、主に従っているゆえに、主が私を進み続けさせて下さると信頼しています。そして、私は主から言われたことをしているので、構わず目を使うつもりです。そして、私は主がその奇跡を行われると信頼しています。

  15.さて、自分にとってとても難しいことを主から求められて、「主よ、それは難しすぎます。私にはできません」とか、「私には肉体的、精神的、情緒的、霊的にそんな才能や能力はありません」と思う時には、主がそれをあなたに求めているのですから、主はそれを可能にして下さいます。ですから、信仰によって進み、ただ実行しなければなりません。そして、自分をのっぴきならない立場に置き、主が何とかして下さるのを見なければなりません。ですから、私が皆さんにこれを読むというのはそういうことなのです。すでにさっき、これから皆さんに読む別の台本を読みました。そして、主はそれを最後まで助けて下さったので、今回もきっと助けて下さると思います。

  16.中にはブラジルのビデオ「災いなるかな」を見た人もいると思いますが、覚えていますか? そこで私は色々な預言を読みました。数時間かかったと思います。私はあのビデオと経験をいつも試金石として使います。それを制作するには幾つかの部分を読まなければならず、準備だけでもかなり目を使わなければならなかったからです。数日前、とても目が痛かったのに、照明を使ったビデオでそれを読まなければならず、目の負担や、スクリーンをじっと見たりなど、私にとってかなりのテストでした。

  17.でも、それをしたのです。そして翌日どうなるかはわかりませんでした。目覚めても全然目が開けられなくなり、また全然目が使えなくなるか、ずっと目が見えなくなるかもしれません! でも、翌日、驚いたことに、録画を始める前と比べて、目は前と比べても全然悪くなっていなかったのです。それがどれほど途方もない奇跡だったかは、私が一番よく知っていると思います。

  18.そして、この多くは、とても長い間皆さんが忠実で熱心に祈ってくれたおかげです。皆さんは私のために祈ることをやめず、祈り続けました。そして、主は私の目を強め続けられたのです。今では以前よりもずっとたくさん目を使っています。痛むことも多いのですが、主が私に何かをさせなければならない時は、そのための力が与えられます。そして、外出やどこかにビジットしなくてはならないといった特別な時には、全然痛まない時もあります。でも、主は何度もとても見事にいやして下さいました。だから、主の素晴らしい御名をほめたたえます! 皆さんが祈った価値はありました。そして、祈り続ける価値もあります。とてもとても感謝しています。皆さん、そして素晴らしいイエスよ、ありがとう。

  19.さて、この話のテーマを言いたいと思います。テーマは励ましです。私の一番したいこと、それが皆さんを励ますことなのです。どんな叱責やコレクションも与えるつもりはありません。皆さんはとても素晴らしく、皆、とても良くやったからです。ですから、私はただ皆さんをほめ、励ますだけでいいのです。

  20.このフィーストは全体的に励ましの時で、皆さんは主からたくさんの励ましを受け取るでしょう。でも、この談話では、その励ましに加えてさらに励ましをあげたいです。そのためには、皆さんがここ数ヶ月に経験した戦いや色々な困難を挙げなければならないと思いました。そして、それらの戦いについて一人一人に励ましの言葉を言えるのではないかと。

  21.さて、ここ数ヶ月、私たち一人一人が非常に大きな戦いを経験しました。そして、強めの年はそれぞれの人にとって異なっています。でも、主は必ず一人一人が特別なテストを受け、その結果、強められるための特別な機会という祝福にあずかるようにされました。まだ戦いのさなかにいて、疲れ果て、このテストにどんな良い所があるのだろうと思っている人もいるかもしれません。繰り返しテストされ、今もテストされているので、このすべてはいつ終わるのだろうと思っているのです。

  22.でも、人生に何が起こっていようと、愛する皆さん、主は、あなたを愛し、気にかけておられること、すべてが主の御手にあり、故意に傷つけるようなことは何もしないことを知ってほしいです。主が為されることは何でも、あなたの益になります。そして、今はわからなくても、将来それが見えるようになるでしょう。それを信じることができますか?

  23.私とピーターは、皆さんが手紙で注ぎ出してくれた心の叫びを聞きました。皆さんと共に泣き、皆さんのためにイエスの御座の前で嘆願しました。私たちは、戦いのさなかにある人たちのかたわらに、御使いや霊たちの増援隊を送りました。鍵を回し、愛する主が即座に介入されるよう呼び求めました。主は私たちに、御国の鍵は御心を行う主の花嫁たちを助けるために造られているので、愛する人たちが直面するどんな必要や問題についても鍵を呼び求めれば主が答えて下さることを、少しの疑いもなく知ることができると言われました。

  24.もしかしたら、あなたは最近、恋愛関係でつらい思いをし、心が砕け、粉々になり、一人きりで、不安で、愛されないように感じているのかもしれません。イエスの尽きることのない愛は、最も暗く孤独な夜にもあなたのすぐそばにあります。そして、主はあなたが真の愛を見つけ、もう一度愛するための信仰を得られるよう助けて下さいます。主はあなたの心と人生を砕けたままにしてはおかれません。たとえそれが百万もの破片になってもです。主は一つ一つのかけらを見つけ、集めて、あなたを完全にし、あなたの人生から何か美しいものを造ることができます。

  25.私たちの夫、主は、すべてを理解されます。あなたの心がどんなに痛むかを他の誰も理解してくれなくても、主は真に理解されます。傷がいえるには時間がかかるかもしれませんが、いつかいやされます。主がこう約束されたからです。「砕けた心をわたしに与え、鍵を呼び求めるなら、わたしはあなたの砕けた心を治すことができる。」

  26.愛している人が移動したか、ことによるとファミリーから出ようとしているか、あるいは天国に行ってその人が恋しくて心が痛んでいるか、あるいは子供や親しい友が激しい戦いに遭ってそれを心配しているなら、私たちの恋人、主は、私たちが地上で経験するすべてを慰めたいと思っておられることを思い出して下さい。主は私たちの弱さを知っておられ、主は理解されます。主はあなたの荷を軽くして下さいます。主は痛みを和らげて下さいます。主は祈りに答えて下さいます。いつか、すぐに太陽の光が見えてくるでしょう。ですから、絶望してあきらめてはいけません。あなたの親友である主に語りかけ、必要な慰めを受け取って下さい。

  27.あなたたちの多くは、現在、働き過ぎで荷が重すぎると感じています。やるべき様々なことのプレッシャーに到底ついていけないと感じています。霊的に、肉体的に、精神的に、あるいはその三つすべての面でぼろぼろになったように感じているなら、イエスのこの約束を思い出して下さい。「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」

  28.主は、誰もが、主の御心を果たすために非常に大きな仕事量を負っていることをご存じです。主は、私たちに多くを求めたことを理解しています。私とピーターもそれを理解しています。私たちはほとんどすべての人が責任の重みを感じていることを知っています。私たちは、どうやってやり遂げたらいいのか全くわからないという人から直接手紙をもらいました。これはほんの少数の人が戦いのストレス下にあることで抱いている、他に例のない感情ではなく、とても多くの人が、主の御心を行い、主がファミリーに求めておられる要求事項すべてを満たすことができるのだろうかと心から思っています。

  29.皆さんに言いたいです。私とピーターは、主が言われたことや主が私たちへの約束を果たされると信じるだけでなく、多くの面で同じ気持ちを味わいました。「わあ、やることがたくさんある! 私たちでさえやれるかどうかわからないというのに、ファミリーはどうやってこれをやるのだろう! 勝利チームを築き、各ボードの評価基準を満たし、羊を養い、子供に勉強を教え、ジェッツやティーンを訓練し、迫害に備え、地元の活動を築き、ホームをシェパディングするための真新しい方法を学ぶなど、それ以外のとてもたくさんのことを、どうやってファミリーに期待できるのだろう?」と。

  30.私とピーターは、何度も何度も色々な場で話し合い、祈り、私たちの夫、主のこれらの新しい動きについて主を尋ね求めました。とても大きな要求であるとわかっていたからです。とても多くの人が能力の限界だと感じているのを知っていたので、主の御心以上のものは何も求めたくなかったのです。

  31.私とピーターは時々、いえ、しばしば、尊いファミリーの皆さんがイエスのためにしていることを見て驚かされます。あなたが喜んでしようとしていることだけでなく、実際に主のためにしていることをです。あなたは口で言うだけでなく、障害や、自分にはできないという気持ちにもかかわらず、信仰によって一歩踏み出し、主の御心を行います。愛情深い夫である主があなたにそれほども信仰を持っておられるのももっともです。主は、あなたの主への愛がとても深いので、御心を果たすために喜んで最後までやり通すことを知っておられるからです。愛するファミリー、皆さんを心から誇りに思っています。そして、皆さんに深い恩を感じます。戦友である皆さんなしにはこの仕事はできないのです。

  32.私たちはあなたと全く同じ仕事をしているわけではありませんが、あなたにとってできるだけ仕事をやりやすくするために一日一日を捧げていることを知ってほしいです。あなたは主にすべてを与えているので、私たちは主への奉仕とあなたへの奉仕のために命を捨てることをとてもうれしく思い、それを栄誉と見なしています。

  33.何か助けになれることがあれば、どうか手紙を書いて知らせて下さい。何かアイデアがあるか、私たちのやり方が改善されるような何かを主が示されたなら、私たちに知らせて下さい。あるいは、シェパードに知らせて下さい。そうすれば、彼らが私たちに知らせてくれるでしょう。私たちは愛するメイトたち、友である皆さんが実り豊かで幸せになり、成功するのを助けるためなら、できることは何でもします。

  34.あなたの肉体的・霊的強さがなくならないように祈っています。そして、最善の方法を主に求めるなら、それがなくならないと知っています。そして、たとえイエスがすべての人に大きな要求をしているとしても、どうか自分の体の必要をちゃんと満たして下さい。それには休息やくつろぎの時間も含まれます。すべてを行うのは不可能に思えるかもしれませんし、実際不可能ですが、だからこそ、何をすべきか、何をせずにすませるかを、私たちの夫に尋ねなければならないのです。

  35.荷が重すぎて負えなくなったなら、イエスにそれを話し、解決策を求めて下さい。主はどうやってほどよいペースで行けるかを示して下さるでしょう。いつしばらく立ち止まってただ祈るべきか、あるいは、いつ御言葉を読んだり、黙想したり、仕事から離れて少し休憩を取ったり、人生や家族や愛する人との時間を楽しんだりすべきかを示されるでしょう。

  36.私たちは、ファミリーをなれる限り最善の場所にしたいのです。そして、そのようなファミリーにするには多くの仕事も必要ですが、主が求められた大切な仕事のせいで誰にもノイローゼになってほしくありません。ですから、どうかファミリーの皆さん、バランスを示して下さるよう、主に求めて下さい。

  37.私とピーターも、主が仕事において正しいバランスを示して下さるよう、絶えず主に尋ねなければなりません。私たちもいつもやることがたくさんあるからです。それでも、主がせよと言われたことに従わなければなりません。疲れていて、いったいどうやって最後までやり遂げられるのだろうと思っても、主は、仕事をやり続けるよう言われることもあります。主は任務を成し遂げるための強さと塗油を約束されます。そして、それが終わった時に幾らか休みの時間を取れるのです。また、私たちの体力はもっと大切なので、愛する主が、すぐに仕事をやめて休み、しばらく仕事を保留にするよう言われることもあります。そうすれば、後でもっと元気が出た時に仕事に戻って、さらに良い仕事ができるのです。

  38.私たちは、主が皆さんに、自分の仕事量をどう扱うかについて主に尋ねる信仰と、主が示されたことに従う信仰を与えて下さるよう、祈っています。主はこう言われました。「わたしは物事を簡単にしたい。実際的な解決策を与えたい。私は啓発の鍵によって、それを行う。」 あなたは夫である主にその言葉を守るよう要求して、主の仕事を実行可能にし、平安と喜びを抱きながら主の奉仕ができるようにしてくれる単純で実際的な解決策を与えて下さるよう、主に求めることができます。覚えていますか? 主がこれを求めておられるのはしばらくの間だけです。あなたが今直面している改革と強めはいつか終わり、その労苦に対する報いを刈り取るようになります。

  39.もしかしたら、あなたは主への奉仕において努力しているのに、見るからに実がないことでがっかりしているのかもしれません。あるいは、あなた自身の霊的進歩について、自分は十分やっていないとか、進歩が十分早くないと感じてがっかりしているのかもしれません。そのような時には、主があなたの忍耐力を増そうとしておられること、そして、辛抱強く耐え抜き、神の御心を行えば約束を受け取れることを確信して下さい。

  40.たぶん、あなたはホーム内の対人関係に苦労しているか、あなたのホームは団結することに苦労しているのかもしれません。勝利チームとしてスムーズに働けないように思えても、あるいは、始終意見の相違や基準の相違、ゴールを決める際の相違に直面していても、団結を求めるのをやめてはいけません。覚えていて下さい、勝利チームは元々そう生まれるのではなく、築かれるものなのです。

  41.もしかしたら、ホームが移動したか、解散したか、あるいは資格変更になり、その結果、あるいは何か他の状況で、あなたは「ホームレス」になってしまい、どの勝利チームの一員になるべきかがよくわからないのかもしれません。もしかしたら、たどり着いたのは一時的な状況なのに、長い間そこから出られなくなっているか、ただ自分にぴったりのホームが見つからないのかもしれません。愛する人たち、絶望しないで。イエスはあなたのために場所を準備しておられます。天国の邸宅だけでなく、ここ地上での実り豊かな奉仕の場を。

  42.神が間違いを犯されないことも覚えていて下さい。そして、あなたをそのホーム、あるいはその人たちと共に置くことをふさわしいと神が判断されたなら、神はあなたがベストを尽くすよう期待しておられます。私たちの夫、主はいつも、私たちにとって最善のことを行われます。そして、あなたが自分の分を果たし、勝利チームの良きメンバーになろうとベストを尽くし、主があなたと共に置かれた人たちと団結をもって働くなら、あなた個人がその状況を好きでなくても、それが自分の家なのだとわかるかもしれません。たった今あなたがいる所があなたにとって最善の、あなたが最も役に立ち、霊感され、充実できる場所であるとわかるかもしれません。いつもそうだと言うのではありませんが、何か気に入らないことがあるからと言って、その状況からあまりにも早く逃げてはいけません。結局主の御心を逃してしまうかもしれませんから。

  43.神の偉人たちは、自分に合った奉仕の場を探すのではなく、自分が他の人たちのために何ができるかを求めました。彼らは必要とされている所を探し、その必要を満たすために選ばれたことを誇りにしました。彼らは、自分たちは世界をよりよくできると信じた夢想家であり、そのための行動に出始めました。そして、彼らの多くはゴールに達しました。あきらめなかったからです。

  44.夢想家についてよく言い表した言葉を読みたいと思います。望むなら、そしてそうなるよう戦うなら、あなたもそうなれます。いいですか?

  人というものは理不尽で筋が通らず、自己中心的だ。それでも彼らを愛しなさい。

  あなたが善を為せば、人は何か裏があるのだろうと非難する。それでも善を為しなさい。

  成功すれば、あなたは偽りの友と真の敵対者を得る。それでも成功しなさい。

  正直で率直になると、あなたは無防備になる。それでも正直で率直になりなさい。

  あなたが今日行った善は、明日には忘れられる。それでも善を行いなさい。

  最も大きな理想を持った最も偉大な人は、最も小さな考え方を持つ最も小さな人に非難される。それでも大志を抱きなさい。

  人は弱者に味方するが、強者にしかついて行かない。それでも弱者のために戦いなさい。

  あなたが長年の間築いてきたものは、一夜にして崩れるかもしれない。それでも築きなさい。

  反対に会っても、そんな気持ちになれなくても、とにかく正しいことをする人こそ、偉大な人だ。それが成功への道である。

  45.もしかしたらあなたは大家族を抱え、子供は神の祝福であり報酬であると知ってはいるけれど、他の人たちはあまりそのように見てくれないと感じているのかもしれません。ホームの状況が望むほど良くないか、子供を世話するのに必要な助けや支えがないのかもしれません。イエスはあなたの尊い子供一人一人の価値をすべて知っておられ、彼ら一人一人をこの世に生み出したあなたの信仰を高く評価しておられます。主はご自身の子供たちを世話され、あなたやあなたの子供たちを見捨てたりしません。

  46.主は私たちの子供たちや、彼らを生む母親たちをとても大切だと考えています。愛する妊婦さんたちは世界で最も大切な仕事の一つを行っています。新しい命を創り出すという、夫である主の器になっているのです。子供たちは主の嗣業であり、胎の実は主の報酬です。でも、皆知っているように、敵はいつでも主の御心に対して戦っています。そして、妊娠している時は、それが大変でも結構楽でも、普通、何らかの敵の攻撃に遭います。敵はありとあらゆる恐れや心配、肉体的ストレスを使って、あなたが行っている大切な仕事を邪魔しようとします。

  47.妊娠していると普段より疲れます。もっと体に気をつけなければなりません。もっとしょっちゅう食べなければなりません。もっと寝なければなりません。新しく生まれる赤ちゃんの準備をする時間ももっと必要です。何かわずらわされる肉体的な患いがあって、毎日の生活がもっとつらくなっているかもしれません。いつもよりもっと感情的になっているかもしれません。ホームの重荷になっていると感じるかもしれません。特に、合併症があって寝ていなければならないとか、無理ができない場合はそうでしょう。

  48.その他にも、すぐに心配の種になりがちな、ありとあらゆる懸念があります。たとえば、あなたや赤ちゃんに必要な栄養、良い病院や助産婦を含め、必要なものが全部揃うかどうかなどです。あるいはもしかしたら、出産間近なのに移動の最中で、新しい医者が見つかるかどうかが気になるのかもしれません。赤ちゃんが健康で順調に発育しているかどうか、もしかしたら子供に何か問題があるのではないかとも気になります。

  49.あなたがシングルなら、子供の父親や、子育てを助けてくれる人が見つからないのではないかと心配になるかもしれません。あるいは、将来メイトが見つかるかどうかに影響するのではないか、他の人たちから、あまり魅力的だとか、セクシー、楽しい人だと見てもらえないのではないかと心配になるかもしれません。もしかしたらあなたにはチャイルドケア・ヘルパーがいなくて、仕事と子供の世話をどうやって両立できるのだろうと心配しているのかもしれません。それ以外にも、将来についてや、仕事量をこなしていけるかどうかの心配もあります。しばらくの間もっと子供に関わらなくてはならないので、仕事が変わるかもしれないと心配になるのです。

  50.敵は、患い、経済、必要とされる法的書類、子供との旅行、家、スクーリング、その他とても多くの敵からの心配事について、あなたを心配させようとします。それらは愛する妊婦であるあなたにとってとても差し迫ったものです。

  51.あなたに言いたいです。私とピーターは、あなたが子供を持つことで、あなたを本当に尊敬しています。なぜなら、主とダッドが何度も言ったように、子供は将来の希望であり、私たちの人生で最も尊いものの一つだからです。子供は、私たちが大きな幸せな家族として暮らし、愛情深い夫である主がいつも私たちを世話して下さるという、テスティモニーの一部です。

  52.主は必ずあなたとあなたの子供たちを世話して下さいます。主はあなた以上にあなたの子供を愛しておられ、彼らの必要、そしてあなたの必要のすべてを満たされます。御言葉にはこうあります。「子供に注ぎ込む時には毎日鍵を呼び求めなさい。そすれば、わたしはすべての必要を供給する。」 あなたは主の約束を頼りにできます。

  53.主があなたの必要を供給しておられるよう祈ります。そして、あなたが主に信頼し続け、主の約束を要求し続けるなら、主は必ず供給されます! あなたは主の美しい花嫁で、主の赤ちゃんを生み出しているのです。ですから、主は何があってもあなたを世話されます! そしていつの日か、あなたはイエスのためにさらに子供を産むための、これらの些細な不都合を忍んだことを心から感謝するでしょう。その通り、大いなる報酬と見返りから比べれば、それらは些細な不都合に過ぎません!

  54.ある人たちは、勝利チームを満たして、ビジョンやゴールを果たし、自分が召されているミニストリーを効果的に行えるようにと、十分な人員を見つけようと、必死に、そして躍起になっています。収穫はいつも多く、働き人はいつも少ないですが、収穫の主は必要を知っておられ、あなたが祈るなら、主は御心の時に、その必要を満たせる働き人を送って下さいます。

  55.ロシアや中国、アフリカなどの孤立した宣教地や、その他、そこに行って失われた魂に手を伸ばすのに必要とされる犠牲を払いたいという人がほとんどいない困難なフィールドにいる人たちに言いたいです。私とピーターは、あなたたちをとても誇りに思っています。あなたたちは神から見て、そして私たちから見て、偉人です。あなたは来る年も来る年も、供給や保護、必要とされるビジョンと塗油が引き続き与えられることを神に頼って進み続けました。

  56.これらの困難な宣教地というのは、羊がとても多いのに対し、彼らに手を伸ばすという犠牲を払おうという人がほとんどいないゆえに、有数の実り豊かな宣教地となっています。あなたたちは終わりの時の預言者であり、荒野で主の羊を導く声となっているのは、あなただけかもしれません。困難にも関わらず、私たちの夫、主が与えられた召しを忠実に果たしてくれて、ありがとう。主は必ず、あなたが主の御心を果たすために必要としているすべてを与えられるでしょう。

  57.もしあなたが最近資格変更になったとしたら、新しい状況や立場で不安でぎこちなく感じ、自分は以前ほど必要とされ、役に立ち、愛され、感謝されているのだろうかと疑っているかもしれません。愛する人たち、安心して下さい。主も、私もピーターもあなたを愛しています。あなたが必要です。そして、あなたたち一人一人と、あなたが愛している人たちを大切に思っています。あなたのメンバーシップ・カテゴリーが何であれ、あなたのイエスへの奉仕を立派に思っています。

  58.時々、私は思うのですが、ある人たちはこれがただ口先だけの言葉だと思い、あなたの資格が何であれ私たちが一人一人を愛し、尊敬していると言っても、私たちが望むほどそれを本気に取っていないのではないでしょうか。私たちが以前と変わりなく愛し、FDファミリーにいる人と同じだけ愛していることをなかなか信じられない人がいるのは理解しています。何とかそれをわかってもらえる方法があればと思います。一つだけわかってもらう方法として思いつくのは、若いFMの夫婦に起こった出来事と、それに対して私たちがどう反応したかを皆さんに伝えることです。

  59.ある日、若い母親からEメールをもらいました。事故によって赤ちゃんがイエスの元に行ったばかりだという、悲痛な知らせでした。想像できるように、また、ある人たちは経験によって知っているように、子供を失うというのはとてもつらい経験です。心が砕かれ、打ちのめされ、深く傷つき、深いショックと不安定と絶望に陥ります。そして必ずと言っていいほど、少なくとも最初は、子供が生きていた頃にもっと彼らを愛し、世話できたのではないかとか、もっと多くをすべきだったのではないかと考えて、深い自責の念にかられます。自分が死んだように感じます。もうやっていけない、もう生きる価値などないと感じます。とても多くの感情が交差しますが、そのほとんどは非常にネガティブです。このようなことが起こると、敵はあなたにすべての荷をどさっと投げかけます。

  60.愛する赤ちゃんが主の元に行った後にこの若い母親が真っ先にしたことの一つは、座って、主にある父と母、王と女王である私たちに心を注ぎ出すことでした。彼女の思いと優先順序の内、真っ先に来たのは、私たちに心を注ぎ出すことでした。私たちなら彼女を理解し、助けられると思ったのでした。

  61.彼女の手紙を受け取ったその日、彼女とその夫は私たちの優先順序のトップでした。私たちとWSの人たちは彼らのために祈り、何人かの経路が彼らのためにイエスからの言葉を受け取りました。泣いているのは彼らだけではありませんでした。私たちも彼らのつらさが身にしみてわかったので、たくさん泣きました。この若い夫婦がどのメンバーシップ・カテゴリーにいるかは関係ありませんでした。彼らがFDだったとしても、さらには私たち自身のホームにいるか、血のつながった子供だったとしても、もっと愛したとか、もっと祈ったとかいうことはありません。

  62.また、FMファミリーにいるこの若い女性の信仰について皆さんに告げたいです。彼女は手紙の最後で、むせび泣きながらこう言ったのです。「いつの日かきっと、主がこの小さな命を私に授けて下さったばかりか、再び天のふるさとに連れて行かれたことで、心から主に感謝できる日が来るでしょう。」

  63.その言葉を思い出して、私はこう思いました。「人がこれ以上の信仰を持てることがあるかしら」と。これは、「彼はわたしを殺すであろう。しかしなおわたしは彼を信頼する」、また、「主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」と言ったヨブの言葉と並んで天国の記録に残る、画期的な言葉です。

  64.彼女はきっと、そのような信仰を持っているとは感じなかったと思います。たぶん、誰よりも信仰が少ないと思ったでしょう。でも、わかりますか、主の見方は私たちとは違います。主の見方はとても異なっています。あなたの感情や気持ちのすべてが、混乱と苦悩の内に呼ばわるだけであっても、心の奥底では神が為されることはすべて素晴らしいと知っているゆえに、「愛するイエス様、あなたは最善をご存じです」と言えるなら、それこそ大いなる信仰です。神はいつも、あなたの心の奥底に、神が為さることはすべて素晴らしいという真理をささやかされます。そして、たとえ厳しい状況が逆のことを言っても、あなたはその事実を固守することができます。

  65.皆さんに伝えたいのですが、主は多くの経路を通して、この若い夫婦に、これは彼らのせいではないと何度も言われました。これは誰のせいでもありませんでした。この子はその時に父の家に戻ると前もって決められていたのです。それは彼が生まれる前からの計画でした。彼と彼の天の父が共に決めたことでした。それゆえに、成就されたのです。

  66.ですから、たとえ主がこの事故を使ってこの子をみもとに連れて行かなかったとしても、それは愛するこの子が天国に戻る時だったので、何か他のことが起こったでしょう。そして今、彼は地上での任務を終えて、イエスと手に手を取りつつ立っています。そして彼のお父さんとお母さんの心にかつてないほど近く、彼らのために天国と地上の世界のつながりをさらに深めているのです。

  67.少し本筋からそれましたが、ただこの夫婦が私たちの心にとても近く、私たちが彼らをとても愛していることを知ってほしかったのです。彼らは私たちの子供、家族であって、たとえファミリーから出ても彼らのことを同じように扱うでしょう。ショックを受けましたか? もしそうなら、主にすがって、あなたの考え方や態度を変えて下さるよう求めるべきです。

  68.さて、先に進んで、とても困難な戦いを通った他の人たちのことを話した方がよいでしょう。あなたたちの戦いはたぶんこの若い夫婦が経験したものとは全く異なるかもしれません。誰でも、子供を失うというのはとても異例のことで、それほどしょっちゅう起こることではないと認めるでしょうから。主に感謝することに、この夫婦は主に頼り、幾度となく涙を通して主の元に行きました。

  69.でも、もし敵がそれによってあなたに冠を脱がせようとするか、奉仕の場か信仰を捨てさせ、失意と絶望に陥れようとしているとしたら、あなたの戦いも、あなたの人生において同じだけ大きなものとなり得ます。思い出して下さい、主は、私たちを主に近づけ、霊的に強め、私たちがより良い弟子になるために学ぶべきことを教えるために、それぞれの人生において何をすべきかをご存じです。

  70.どんなに戦いが激しくても、それぞれの戦いに目的があります。私たちはたいてい、人生のある時点で、大きな戦いや、それほど大きくない戦いを経てきました。すべての戦いが大きくては困ります。だとしたら、私たちにとって困難すぎますから。主は、あまり大きくない戦いによっても、私たちが成長し、まさに必要とされている事柄を学ぶのを助けられます。そういった戦いでも、それを通っている時には包括的なものとなりうるのです。

  71.他の人の戦いに比べて小さく見える戦いでさえ、あなたの人生に結ぶべき良い実をもたらすために主が計画されたものなのです。「より小さな」戦いでさえ、あなたにとっては、霊的な生活や、ことによると実際的な生活のために全力を振り絞って戦わなければならないことを意味することもあります。あなたが、深く、内省させられる戦いとして経験し、主があなたの人生に起こるのを許される何かによって、あなたが霊的に成長するのに対し、同時に、主は別な人には全く違ったことを起こして、彼らを成長させるのです。

  72.もしかしたら、あなたはミニストリーのチェンジを経験したのかもしれません。そして、今やっていることは以前やっていたことよりもずっと難しいか、難関なのかもしれません。そして、あまりそれが好きでさえなく、以前やっていたことがとても恋しいのかもしれません。ダッドが「しがみつくこと」について言っていたことや、主は忠実さを祝福し、時が来ればそれに報われることを覚えていますか? また、ダッドがいつも、物事が気に入らなくても、心配せずにしばらくの間しがみついていれば、物事は変わると言っていたのを思い出して下さい!

  73.あなたがゴシップの標的になっていたなら、それが誤解や間違った情報によるもの、あるいはあなたが犯した実際の間違いやへまによるものであっても、イエスはあなたの心をご存じで、主は真実を知っておられることを覚えていて下さい。中傷され、批判されるというのがどんな気持ちかを主はご存じです。主はまた、最後にすべての間違いを正す方法をご存じです。

  74.そしてファミリーの皆さん、どうかお願いです。あなたの愛する人たちのためにも、主のためにも、私とピーターのためにも、深く傷ついた人々からのとても悲しい話しを聞かなくてすむように、どうかゴシップしないよう、主に助けを求めてもらえますか? 人々や彼らの人生についての、とても興味深く、どうしても話したくなるような、興味津々の詳細があるのは知っています。でも、誰かがそれによってあきらめたり、さらには主への奉仕を去るぐらい、その人を傷つけたり、落胆させたりしたくはないでしょう? それがあなたの心や良心の重荷になってほしくはないでしょう? これは、それほど深刻なことなのです。

  75.もしかしたら、あなたはレッテルを貼られ、どうしてもそれを取り除けないのかもしれません。もしかしたら、あなたが過去にしたことのゆえにそうなって当然なのかもしれないし、あるいはそれは全く不当な判断に基づくものなのかもしれません。いずれにせよ、新しいスタートのためのチャンスはいつだってあります。もしかしたら、他の人たちはあなたが変われるという信仰を持つのに苦労しているかのかもしれません。でも、私とピーターは、あなたが変われるという信仰があります。イエスはどんな人でも変えられることを私たちは知っているからです。そして、その問題が他の人から見た通りのものでも、イエスはそれも変えることができます。主は何でも変えられるからです。

  76.そして皆さん、あなたが知っている人たちのことを考え、ファミリーの友達かメンバーで会ったことがあるか知っている人の中で、一人でもがらりと変わった人がいる人がいるかどうかを見て下さい。それから、たとえ一人の人でもそれほど劇的に変わったのなら、他にもそのように変われる人がいるに違いないことにどうか気づいて下さい。

  77.主は色々な人を変えておられます。私も個人的に、このWSにいる多くの人がここ数年間、さらには数ヶ月で画期的な変貌を遂げたのを知っています。ですから、人ががらりと変わることがあり得ることに同意できるなら、その人がどんなに変わりそうにないとあなたが思っても、すべての人について心を広く持てるよう、主に助けを求めることができるとは思いませんか? その人が変わったかもしれないという事実にオープンになれるよう、そして、以前のような見方でその人を見ずに、新しい見方で見ることができるよう、主に助けを求めてくれませんか? その人を、確かに変わったかもしれないかのようにとらえ、そのように見るよう努めて下さい。あるいは、まだその人が変わっていないなら、主にはそれができるという信仰を持って下さい。もしかしたら、主は、あなたの祈りを待っているだけなのかもしれません。

  78.もし人々や彼らの主との霊的な歩みのために心から祈るなら、主が彼らの人生において奇跡を起こすための扉を開くことになるばかりか、あなたにとっても、あまり批判的にならず、もっとポジティブな態度を取る助けになるでしょう。祈りはあなたから他の人への愛の贈り物であって、あなたはいつも助けを必要とする人たちのために祈るべきです。私たちは皆、感情を持った人間です。皆、弱さがあります。ですから、私たちが強められるよう、互いに祈り合うことが必要なのです。どうか、主や、あなたの仲間であるメイトたちを失望させず、必要とされる祈りや進歩のために祈って下さい。そうすれば、主はそれを行われます。

  79.プロジェクトやミニストリー、あるいはあなた個人の生活やゴールにおいてであれ、何かに失敗したと感じているなら、また、もしかしたらそう「感じて」いるだけでなく、実際に大きな失敗で物事を台無しにしてしまったなら、主は弱く砕けた人を使うことを喜ばれるのを思い出して下さい。主はあなたの失敗をレッスンとして、成長と進歩の踏み石として見られるだけです。主は私たちが肉の内に見るのとはとても異なった見方をされますが、私たちもまた、弱さや、さらには失敗さえも主の見方で見て、欠点や失敗さえも喜び感謝することを学べます。

  80.これらの失敗を通して、敵はあなたを完全に落胆させ、あきらめさせようとしていますが、主はあなたをより良い、より謙遜で、より思慮深い人にしようとしておられます。失敗や間違いから学び、戦い、立ち上がり、もう一度試みる人にです。ですから、ほら、誰が勝ちかを決めるのはあなたなのです。悪魔に勝ってほしいですか? 主に勝ってほしいですか? 彼らはあなたの決断を待っています。それはあなたにかかっています。決められるのはあなただけです。

  81.もしかしたらあなたは、弟子や宣教師の生活を送るには「年を取りすぎ」、今では若者たちが「取って代わり」、以前あなたがしていたことをしているので、取り残されたと感じているのかもしれません。もしかしたら、自分にできることはあまり役に立たないとか、必要とされていないと感じているのかもしれません。あるいは、肉体的に弱くなっているので、以前と同じだけのことをするのが難しいか、さらには精神力や才能が以前より衰えているように思えるのかもしれません。

  82.あなたのための場所はあります。そして、あなたがファミリーや主の奉仕のためにできることは必要とされています。もしかしたら、今あなたがすべき主の仕事は、以前とは異なっているのかもしれませんが、異なるというのは、劣るということではありません。あなたが持っている機会の内に、良い点や可能性を見られるよう、主に助けていただきなさい。他の人に与えられるものをどれほど持っているかが見えるよう、主に助けていただきなさい。

  83.ほら、皆さん、これはまさに、夫である主に信仰を持つかどうかの問題です! 主がこれだけ長い間あなたをファミリーにいさせて、ただぼろぼろに使い果たされた、役立たずの状態で放り出すとは思わないでしょう? こんなに長年の間主が私たちにして下さった、じつに多くの約束に対するあなたの信仰はどこにあるのですか? それに、「あなたの」信仰というのは、若い世代と年長の世代の両方のことです。私たちは皆、主が自分や他の人たちの人生になさっていることに対してもっと信仰を持つ必要があります。あなたの年が何であれ、主はすべてを支配され、誰も失望させられません。主はあなたがこの年になることを知っていました。そして、今、あなたがおしまいになることを期待してはいないし、何もせずにいることも計画してはおられません。わかりましたか?

  84.主は私たち全員に、非常に大切な仕事をさせたいのです。ですから、私は皆さんが、「でも、ママ、ママは女王だし、もちろんママには大切な役割があります。それに、ママは役に立たないなんて少しも思う必要はありません」と言ったり、さらにはそう考えたりするのも聞きたくありません。皆さん、私がこの仕事をしているのは、私が信仰を持っているというのも理由の一つかもしれません。そして、あなたも主が用意しておられる大切な仕事を扱えるよう、幾らか信仰を得た方がいいでしょう。あなたの期待通りのものではないかもしれません。あなたにとっては大切には見えないかもしれません。自分でほしいと思うものでさえないかもしれません。でも、主はあなたのために非常に大切な仕事を持っておられます。あなたが果たすべきとても重要な役割です。ですから、あなたは御言葉に浸り、主が言われたことを聞くことで、信仰を増し始める必要があります。

  85.誰にも、信仰がないことへの言い訳はありません。誰もがよくよく承知のように、信仰は御言葉を聞くことから来るからです。ですから、御言葉で心と思いを満たし、さらには主から直接御言葉を聞くなら、必要な信仰を持てるでしょう。そして、あなたの信仰はまわりの人にも伝わり、状況がどう見えても、若者が何をし、何を学んでいても、親である皆さんは自分たちが大いに必要とされていること、そして、あなたには大切な仕事があり、イエスはあなたをかつてないほど大きな方法で使おうとしていることに気づくでしょう。今、確実に信仰を強めておくことで、主が将来あなたを使おうとしている方法に対して備えていなさい。

  86.あなたが病に伏している家族をずっと看病しているか、特にその病が長期のものであるか苦痛に満ちたもの、衰弱させられるものであるなら、あなたは落胆し、時には挫折したり、自分を責めたりすることもあるかもしれません。自分が苦しむより、愛する人が苦しむのを見ている方が時にはずっとつらいこともあり、自分が代わりにその苦しみを負いたいと思うものです。あなたにはそれはできませんが、イエスにはできます。イエスが生きて、私たちのために死んで下さったのは、そのためでもあります。そして、主の超自然的な恵みはどんな必要も十分に満たします。

  87.もしあなた自身が、今言っている苦痛や長期の病気と戦っているとしたら、もしかしたらあなたはそれが決して終わらないとか、これ以上耐えられない、そうでないと気が狂ってしまうと思う誘惑に駆られているかもしれません。永久的な患いや障害に苦しんでいる人もいます。そして、敵はおそらくその時々に、そのせいであなたは主や他の人たちからあまり必要とされないか愛されないと告げようとするかもしれません。それは全くの嘘です。主はすべての人のために場所を用意しておられます。主の心においても、主の奉仕のおいても。私たちも同じです。

  88.皆さんへのこの短い談話について、またテーマ、永久的な患いや障害を持つ人たちについて考えていた時、主はトミーの話を私に思い起こさせて下さいました。そして、こう思いました。「ああ、そうです、主よ。トミーから聞けばいいわ。そうすれば、彼は自分の体験談を話してくれるでしょう。」

  89.トミーが誰かはみんな知っていますね。ファミリーでは有名です。彼は少し体が不自由な少年で、苦労しながら聖句を書いて、近くの窓から通行人に向かって紙切れを落としました。その少年はその忠実さとねばり強さ、決してあきらめない態度、自分ではたいしたこととは思わなくてもできることを喜んでするという態度ゆえに、歴史を通して語り継がれました。彼はそれをたいしたことではないと思っていましたが、主は違いました。

  90.もしかしたら、あなたはずっと、そこに書かれていることはとても良いけれど、ただの物語だと思っていたかもしれません。でも、これから皆さんにトミーを紹介しましょう。彼は、自分ではとても小さく取るに足らないと思っていた場所が、後になって、主であり夫である方の目から見ればとても大きく、非常に重要な場所であることに気づいたのです。

  91.(トミー:)ハイ、皆さん! トミーです。ママが言ったように、もしかしたら僕のことをただの物語か、本の挿し絵ぐらいにしか考えていなかったかもしれません。そう思っても気にしませんよ。僕のことを思い出す時に、僕がどのようにして人々を励ましたかを思ってくれるなら、それが一番大切なことだから。

  92.僕はいつも病弱だったので、もう歩けなくなった時もあまりショックではありませんでした。僕はお母さんとお父さんをとても気の毒に思いました。僕のことを心配し、僕のことで悲しんでいたのを知っていたから。僕は両親を励まそうとしたり、あまり心配しないよう助けようとしました。それである日、紙に絵を描き、絵の下に聖書の言葉を書いて、お母さんにあげたんです。お母さんがどんなに喜んでくれたかを見て、体が不自由でもまわりの人のために何かができる、みんなの人生をより良くできると気づきました。時々一緒に暮らしていたおばさんにもそうしてあげたら、おばさんも喜んでくれました。

  93.その時、励ましのミニストリーが本格的に始まりました。僕には聖書があったし、書く紙や鉛筆もありました。何時間も何時間も書きました。それから短い励ましのメッセージを窓の下の通行人に落としました。神の言葉が書かれた紙一枚一枚のために、それを拾った人の助けになるよう祈りました。

  94.神はこんなか弱い僕にミニストリーを下さいました。そして、僕が信じ、従ったので、たくさんの人が救われ、励まされ、多くの人の人生が変わりました。心から神に仕えたいと思い、神が恵みとして与えたいミニストリーのために喜んで戦う気のある人なら誰にでも、神は同じことをされます。僕の友達、テイラーは天国に来た聖徒の仲間ですが、彼も以前、地上に生きていました。テイラー、ファミリーに何か言いたいことがある?

  95.ハイ、僕はテイラーです。僕は地上に生きていた頃、ほとんど寝たきりで、家族に世話されていました。ああ、絶望した時もあったし、僕なんて生きる価値がない、自分は役立たずで、重荷以外の何ものでもないと思った時もありました。でも、教えてあげましょう、ある日、僕の人生は本当に生きる価値があるものとなったのです。僕は自分自身のことや取るに足らない体のことをあきらめ、神から授かった人生やまわりの人たちを、最も大切なものとして見るようになったのです。

  96.僕は祈りのミニストリーを始め、僕の人生に関わるすべての人のために祈りました。道路の向かい側で見かけた人や、お母さんが電話で話している相手の人、新聞で読んだ人や、僕の世話をしてくれる看護婦さんやお医者さん、病院で会った人、見舞いに来てくれた親戚や友達や教会員のためにも。どこにでも人はいました。僕のまわりにはいつも人がいました。だから、ただその人たちのために祈るだけでよかったのです。

  97.祈りのミニストリーによって生きる意欲がわいてきました。祈りとは僕が他の人のためにできる最も大切なことの一つだと知っていたので、自分が本当に役に立っていると感じたのです。多くの人は、祈ってくれて本当に感謝している、祈りに頼っていると言ってくれました。祈ってほしいことを言いに、僕に会いに来てくれるのです。すごいでしょう?

  98.主は、僕がまだ地上にいる内に、祈りの多くの答えを見せてくれました。それに、天国に来てからも、たくさんの答えを見せてくれました。今でも答られている祈りもあって、僕が祈ったことで人々の人生がより良くなっていると知るのは素晴らしいことです。

  99.トミーや僕のような者が主に使われるのだったら、あなたも使われます。あきらめないで。ノーという返事を受け入れてはいけません。ミニストリーのために、神があなたにさせたいことが何であれ、そのために戦って下さい。そうすれば決して後悔しないでしょう。いつか、あなたは地上での働きの実を見るでしょう。(以上、メッセージ)

  100.皆さん、わかりますか、歴史には、あなたから見ればすべておしまいで、イエスのために何もできず、どんな報酬も得られないのだからあきらめた方がましだと思われるような人がたくさんいます。そのような重病や病、永久的な体の不自由さを負い、自分では何もできず、完全に寝たきりだった人たちを、今、見ることができたなら、そして、彼らと話すことができたなら、あなたは自分がどんなに間違っていたかに気づくでしょう。とても小さく取るに足らないように見え、ことによると自分にできるたった一つの仕事でも、神の目から見れば最も大いなる仕事の幾つかだということに気づくでしょう。ですから、ファミリーの皆さん、あなたたちは態度を変えた方がいいでしょう。

  101.自分は他の人ほど与えられるものがないとか、他の人からそのように見られていると感じ、その結果、比べることの戦いがあるかもしれません。自分はアクションから取り残されているとか、あなたから見てもっと重要な、あるいは影響力のある地位から除外されていると感じるなら、この王国を成り立たせているのは小さな人々であり、一人一人がこのファミリーを完全にし、勝利させていることを思い出して、元気を出して下さい。

  102.仕事や地位は、主の愛や気遣いを示すものではありません。それは単なる役割、仕事、やらなければならない任務であって、主はいつ、誰を呼ぶべきかを知っておられます。そして、あなたは主から召されたことをしている時にのみ、本当に幸せで充実できるのです。

  103.スイートな皆さん、聞いて下さい。私は、あなたが切実に望んでいたか、自分の方がもっと良くできるとか、さらには自分の方が適任だと感じる何かに、自分ではなく誰か他の人が選ばれる時に生じる戦いを過小評価しているのではありません。そのような戦いは非常に困難で、とても克服しがたいものですが、イエスにはそれができます。それには何の疑問もありません。鍵の力と主が与えられたスピリット・ヘルパーがいれば、そして賛美の力と主を親密に愛することを通して、あなたはやり遂げることができます。あなたは幸せになり、満足することができます。

  104.これから話すことは少し本筋からそれますが、皆さんも知っているように、主は時々、仕事ができない人と、誰か他の人にその仕事を与えることがあります。事実、主は多くの場合そうされます。主は、あなたからすれば才能や能力がないと思われる人に仕事を与えることがあります。それで、その仕事のための才能があって、しかも経験豊かな誰それが、一体どうしてその仕事をもらえなかったのだろうと思ってしまうのです。でも、それもまた、主は私たちとかなり異なったものの見方をされるというもう一つの実例です。

  105.以前、私とピーターは、時々、私たちを選ぶという主の知恵について同じことを思ったものです。私たちも同じことを言いました。「主よ、どうしてあなたはこの大きな仕事を誰かもっと能力のある人に与えなかったのですか?」 私とピーターは、自然に考えれば必要だと感じ、皆さんがファミリーのリーダーに期待するような生まれつきの賜物はあまりありません。少なくとも、ダッドのような賜物の多くを持っていません。きっと、私たちはいつも自分たちとダッドを比べているのでしょう。誰もが時々してしまう、いけない比べ合いです。そして、私自身のことを言えば、私は最も才能がなく、最も賜物がなく、この責任を負うための能力も最もないと感じます。

  106.それほど前でもないのですが、私は主にこう言いました。「主よ、私にはたいして賜物がありません。とても弱いし、欠点や失敗だらけです。私はとても愚かです」と。その通りです。私は何のやり方も知りません。理解できないこともたくさんあります。時々、誰かに新聞の社説を読んでもらっても、理解できないことさえあります。世俗の知恵はほとんどありません。ずっと前に学校で学んだことも、タイプと速記、文法以外はほとんど忘れてしまいました。文法は良くできて、私がGNを見直す時に助けになります。主をほめよ!

  107.私は、ほとんど子供のように扱われ、何についてもどうやるかを教えてもらうか、手伝ってもらわなければなりません。そして、コンピューター上でしようとするちょっとしたことや、たとえば懐中電灯に電池を入れるとかドアを開けたり鍵を閉めたりするといったようなことでさえ、きっと皆さんはびっくりするでしょう。自分ではほとんど何もできないのです。コツを覚えたと思った時でも、決してうまくいきません。ごく単純な細かいことは、私にとっては決してうまくいかないのです。他のすべての人はうまくできますが、私は全く駄目です。目のせいにもできません。そういうことをしようとする時は、はっきりと見えるからです。目は痛みますが、よく見えるのです。それゆえに主に感謝します。ですから、そのせいにはできません。

  108.それで、私は主にこう言いました。「主よ、私にはどんな賜物や才能もありません。どうして私をこの地位に置かれたのですか?」と。すると主は、私には賜物がないというその言葉に異議を唱えずに、「あなたの最大の賜物は質問することにある」と言われたのです。

  109.ですから、神をほめよ! 私たちは力を最大限活かすだけです。ですから、私は主から正しい答えを得るために正しい質問を考えられるよう、さらに懸命に祈ります。そして、自分にないものや、できないありとあらゆることについては心配しないのです。

  110.たった一つ小さな賜物があるだけでも、それを神の栄光のために使い、主に栄光を帰すために使って、実践し、みがき、増やしていくなら、あなたは主から忠実と見なされています。

  111.ですから、あなたが私と同じように、自分にはあまり才能がないとか、元々あまりできないと感じているなら、主が与えられた霊の賜物を強めることに集中しなさい。たとえば人々を愛することや他人の立場に立つという賜物、あるいは憐れみを示すという賜物など、たった一つでも賜物があるなら、心を尽くしてそれをしなさい。肝心なのはあなたが持っていないものではなく、持っているものであり、それを使って何をするかです。

  112.さて、少し要点からはずれて他の話しになってしまいましたが、それも誰かにとっては大切だったのでしょう。でも、どうして主は時として、とてもうまくやりそうにない人たちをその仕事に選ばれるのかについての話しに戻りましょう。

  113.でも、よく考えてみると、あなたもきっと、あなたが持っている霊的な知恵や、今まで与えられてきた御言葉からの知識ゆえに、正しい答えを考えつくでしょう。その理由は、主は普通、自分には能力がないと感じる人、適任ではないと感じる人、論理的には実際に適任ではない人、その仕事のための才能がない人が、最も必死で、最も謙遜だと知っておられるからなのです。そして、そういう人たちは、主がそれを成し遂げて下さらなければならず、自分自身の力では全くできないと確信しています。これは生まれながらの才能の障害の逆です。「障害の益」なのです。

  114.私は、何かを得られなかった人、仕事がもらえなかったか、認められなくて、他の人と比べている人を慰めようとして話し始めました。私が言ったことがたいして慰めになったかどうかわかりませんが、どうか、主が為されることはすべて素晴らしいことを知って下さい。そして、一番念頭に置いておくべき霊的原則があるとすれば、それはローマ8:28です。これを心の底から信じていないなら、主に必死にすがって、これを全身全霊で受け止め、主を愛し、主に仕えるあなたたちにとっては、本当にすべてが共に働くと信じられるよう、主に助けを求めるべきです。

  115.それに、比べることときたら! ああ、とても多くの人と近く暮らしている私たちのファミリー・ホームでは、比べることというのは敵の最大の誘惑であり、私たちが最も陥ってしまう手でしょう。この主題についてここでまた話す時間はありませんが、GNには素晴らしい読み物がたくさんあるので、祈り深く学習し、それを実生活の一部にできるよう主に助けを求めるなら、それらはとても役に立つでしょう。

  116.私は、この面で大々的な勝利を得た人たちを何人か知っています。その人たちは比べることでは最悪の問題を抱えていましたが、とてつもない勝利を得たのです。ですから、私は、主があなたのためにそれができることを疑いもなく知っています。

  117.もし私が一つ一つのポイントについて少し説教っぽくなったとしたら、皆さんは決して最後まで生き残れないでしょうね。もし生き残れたとしても、半分ぐらいは寝てしまっているでしょう。でも、これから先に私が話す人たちには、特にその時には必ず目を覚ましていてほしいです。

  118.もしかしたら、逆に、あなたはどちらかというと自分が望まない責任や影響力のある地位に召されたのかもしれません。最近コーチになるか、ボード・メンバーに指名されたか、ホームのステアリング・カウンシルのメンバーに投票されたか、もしかしたら新たにRSになったとしたら、その荷と責任ゆえに圧倒されたように感じているかもしれません。自分には能力がないという気持ちに葛藤しているか、もしかしたら以前親しかった人たちから仲間はずれにされているかもしれません。彼らもあなたの新しい役割に順応しているところなのです。

  119.リーダーシップというのは負いがたい十字架です。それには何の疑いもありません。そして、孤独なミニストリーともなり得ます。でも、それが主の御心であって、主があなたをそれに召されたのなら、あなたがどんなに無力であると感じても、主はそのための塗油をあなたに与えられます。そして鍵の力を通して、たとえそれがあなたにとって圧倒されそうで、力が及ばないと思えるものでも、主はあなたがその仕事に伴うものを達成できるよう助けて下さいます。

  120.今、更年期障害を通っている女性たちは、様々な難関や試みに直面します。あなたたちはおそらく、程度の差こそあれ、人生のこのデリケートな時期に、いらいらしたり、落胆したり、弱く感じたり、不安に感じたりしているでしょう。あなたに同情します。自分がすべきだと思っていることのための肉体的・精神的・霊的強さがないと感じることや、そのことでがっかりするというのがどういうものか、私にはわかるからです。私も時々、そのように感じたことがありました。

  121.主の愛に信頼しなさい。主はあなたを愛し、必要とされていること、また、あなたが提供できるものを主は喜んで受け止め、本当に必要なことなら、それを成し遂げるのを助けて下さると信じなさい。主は、厳しい試練の火をくぐり、より精錬された金となって出てくるための恵みを与えることができます。

  122.もしかしたら、あなたはシングルの母親か父親で、あなたの尊い子供が必要とするすべてのことをし、そのすべてになろうとして四苦八苦しているのかもしれません。人生と心を共有できる誰か、そして、これらのイエスからの愛の贈り物をシェパディングし、育てるという荷を共有できる誰かを何よりも慕い求めているなら、信仰によってしがみつきなさい。主は最善とご存じのどんな方法を使っても、あなたが必要とするものを与えて下さいます。主は愛し、主は気遣われます。そして、あなたに耐えられないものを与えたりしません。主は逃れる道を与えられます。

  123.あなたがシングルで十分セックスを得ていないなら、これもつらい戦いになり得ます。同じ年代の人がまわりにいないためにせよ、あなたが望むほどのレベルや量の性的交友を与えてくれる人が誰もいないためにせよ、ややもすれば、欲求不満になったり、自分に落胆したり、他人に対してや、あなたにとって愛の欠如や与えることの欠如と思えるものに対して批判的になったり、さらには主のあなたへの愛を疑ったりしがちなものです。

  124.皆さん、イエスはあなたの必要をご存じです。そして、今ここではあなたが肉体的に望むすべてを得ることはできないかもしれませんが、主は最後には、あなたのすべての犠牲を埋め合わせて下さいます。そして、主が望まれる通りに、親密な恋人として主に愛していただくなら、たとえそれが珍しい方法か、予期しない方法、超自然的な方法であっても、あなたは主が、ご自身の時にご自身の方法でもって、あなたの必要を満たされると信頼できます。

  125.おそらく、あなたは信仰の生活、つまり経済的に収支を合わせる困難さという、よく知られた試練と闘っているのかもしれません。新しい活動を始めるのが難しいか、サポートの手段を広げようとして障害にぶち当たったのか、あるいは色々な面で「枯渇」して、友人やサポーターが以前のように与えていないのか、あなたの必要や苦労の原因が何であるにせよ、主は今でも、あなたの必要を供給されると約束しておられます。

  126.あなたは経験から、主は義人を見捨てたり、主の子孫にパンを乞い歩かせたりしないというのを知っています。ですからあなたは、たとえどのようにかはわからなくても、主はいずれかの方法であなたを世話されると知ることができます。もしあなたが、主の経済的祝福を受け取るためにせよと主が示されることをするなら、主はあなたを経済的な穴から引き上げられます。

  127.あなたは御言葉や主の愛、霊の世界、ファミリーの歴史ややり方、あるいはその他の事柄について、疑いに襲われていますか? そのせいで、敵があなたに、あなたは弟子でないとか、信者でないと非難したり思い込ませたりするのを許してはいけません。歴史上の、神の信仰の偉人の多くや、確かにファミリーの弟子仲間の多くは、疑いというテストを受けました。

  128.愛する人たち、これはテストなのです。そして主はいつもテストが起こるのを許されます。ですから、そのことで落胆してはいけません。疑いというのは信仰のおしまいではありません。あなたが助けを求めて主に呼ばわり、主の愛情深いシェパディングの手の下で身を低くするなら、それらは実際、主の愛と信仰をかつてないほど開くための機会になり得ます。

  129.かつてあなたのかたわらで主に仕えていた愛する人たちが、別の道を行ったのですか? 自分自身の道、さらには不信心の道を行った人や、最もつらい事には、背教者の道を行った人もいます。

  130.愛する仲間、メイトたち、あなたの気持ちがわかります。これは弟子として最大のテストの一つです。私たちは血のつながった家族や友を心から愛しているからです。そして、かつて抱いていた親しさと深い理解を失うことは、それ自体、つらいことです。また、彼らがかつて愛し、大切にしていたものに敵対して戦い始めたり、ことによるとあなた個人を中傷したり攻撃したりする時に生じる悲痛な気持ちは言うまでもありません。

  131.神の超自然的な恵みと鍵の力だけが、あなたの心と思いをこのようなテストから切り抜けさせてくれますが、人知を超えた平安は現実のものであって、あなたはいつでもそれを頼りにできます(私は自分自身の経験からそれを証言できます)。

  132.あなたが若者で、フェローシップしたり一緒に楽しいことをしたりする同じ年頃の人が近くにあまり、あるいは全くいないとしたら、かなり孤独でがっかりしていることでしょう。主はあなたに、楽しみ、幸せであってほしいのですが、主のための人生において、主は私たちに、「豊かさ」だけでなく、「乏しさ」にも処することも教えたいと思っておられます。

  133.すべてのことには時と場所がありますが、少なくとも、今「乏しく」ても、永遠にそうではないと知ることができます。主はあなたの必要を知っておられます。それには楽しみへの必要と共に、主があなたの所に送られるテストを通ることによって学ぶことの必要も含まれるのです。皆さんに約束しますが、あなたがしがみつき、主に忠実であるなら、主は必ず、ふさわしい時に、一人一人の必要を満たされるでしょう。

  134.ああ、この主題について、もっと皆さんに伝えるべきことを主は思い出させて下さいました。あなたや他の人たちが経験する一つ一つの戦いや、立ち向かう困難に当てはまると思います。それは、あなたが持っている祝福すべてや、主があなたのためにして下さったすべてのことを心から賛美すると共に、今、直面していない困難について主を賛美することです。それは奇跡的な結果をもたらします。それで状況は変わらないかもしれませんが、確かにすべてがもっと負いやすくなります。

GN1158に続く