Maria
July 8, 2005
GN 1140 FD/MM/FM
「わたしは自分の者たちをかえりみる!」
マリア FD/MM/FM 3547 3/05
(日本語LIMからの注:悪魔を差す英語のEnemyは「敵」、また、実際の人であるenemyは、「敵対者」としています。)
愛するファミリーへ
1.最近、親愛なるSGAの母親から手紙を受け取りました。その中で彼女は、将来の迫害が児童福祉当局をあおって、ファミリーの子供たちに対して何らかの行動を起こさせるのではないかという恐れと懸念を語っています。当然このことは両親の皆さん、特にSGAの人々の多くにとっても、心にのしかかる心配や懸念の種でしょう。
2.皆さんは自分の子供たちがファミリー内で安全に暮らし、よく世話されていると知っており、彼らが当局者に連れ去られて取調べを受けたとしても、無事自分たちの元に返されると知っています。彼らの人生には虐待を受けている形跡など何一つ見られないからです。事実、彼らは世界中で最もよく世話され、幸せで、良い教育を与えられている類の子供たちです。とはいえ、このような災難が自分の子供たちに及ぶのではないかと思うだけで、非常につらい気持ちに襲われるのは自然なことです。
3.この母親から手紙を受け取った時、経路の一人に彼女の質問と懸念について祈ってもらうと、彼女がその手紙を書くことを許したのは主御自身であり、それによって私たちが主からの答えと慰めを受け取り、それが彼女だけでなくファミリー全体の益となり、また強めとなるようにしたと語られました。(この母親はまた、自分が受け取った個人的な励ましのメッセージを二つ送ってくれました。それもこのGNに掲載するつもりです。)
4.主は、このことがファミリーの親たちの多くにとって気掛かりとなっていて、読めばわかる通り、こうしたことが起こるか否かは私たち一人一人の選択と祈りにかかってはいるものの、敵は今でも恐れをもって戦おうとしていると語られました。敵である悪魔はファミリーの親である皆さんに、夫である主を信頼せずに不安を抱かせることができれば、自分の目標に向けて大きな勝利を勝ち取ったことになると知っているのです。
5.これは私にとってどちらかといえばあまり扱いたくない論点であり、皆さんもそれについて読むのは気が進まないことでしょう。自分の尊い子供に何か悪いことが起こる可能性について考えるだけでも不安になり、つらく感じるものです。私たちは皆、ファミリーの多くの子供たちが90年代前半に経験したようなことを私たちの幼い子供たちが通らなくてもすむように必死に祈っています。けれども、恐れを直視し、主からの慰めと約束を受け取るために、この論点について話さなければなりません。
6.また、将来の迫害が自分の子供に影響するというこのテーマを持ち出すことで、以前はそんなことを考えてもいなかった人にそういう思いを生じさせるのではないかとも思いました。けれども主は、不安を感じ、将来それが起こる可能性について思いめぐらしている皆さんに御言葉を届けるのが賢明であると言われたのです。皆さんが起こり得るあらゆる事柄に備え、また何よりも信仰に満たされ、主に信頼を置き続けられるように、主の言葉を受け取るべきであると。
7.このGNのメッセージが皆さんの励ましや祝福となるよう祈っています。読むとわかりますが、これらは皆さんが固守し、、自分のものとして要求できるパワフルな約束で満ちています!私たちの素晴らしい夫の約束は皆さんの保険であり、また頼りにできる事実です。
8.親愛なる親の皆さん、私たちの素晴らしい保護者であり救出者であられる主が味方なのですから、何一つ恐れることはありません。私たちや子供たちに何が起ころうとも主が共にいて守り、保護し救出し、勝利を勝ち取って下さるのです!
9.これを正しく始めるためにも、まずリッキ-とアンジェラの死後、私たちがマスコミから否定的に報道されていた頃に先ほどのSGA女性が受け取った二つの預言を分け合いたいと思います。彼女が自分の恐れについて祈った時に主が与えられた素晴らしい答えです。これらは励ましであると共に今の状況によく当てはまり、元々これを受け取った母親ばかりか皆さんも要求できるような素晴らしい約束に満ちています。
10.ファミリーの皆さん、覚えていて下さい。自分の子供たちや、その他どんなことに関しても、恐れや不安に襲われる度に、皆さんにできる最も大切なこととは、その恐れを主の御前に持って行くことです。主からの個人的な言葉ほどパワフルなものはありません。それらは不安を和らげ、将来への信仰を与え、またその上に立つことができる見解や約束を与えてくれます。
11.私たちの夫、主は、皆さんがどんな戦いを通っているかや、心の思いや感情を他の誰よりもご存知であり、慰めたいと望んでおられます。たとえ何に直面したとしても、また敵がいかに攻撃を試みても、イエス様の直接の言葉から事実を受け取るなら、それらが皆さんをしっかりと安定させ、強め、また励ましてくれるでしょう。
12.(イエス:)不安に感じているのかい? 強くありなさい! 恐れてはならない! 鍵の力を呼び求めるなら、わたしは復讐心をもって敵を撃ち破り、あなたを救い出すから。あなたはその約束を暗記したね。そして、たといこの困難な戦いのためにたった一つの鍵の約束や聖書の節しか知らなかったとしても、その一つの約束さえあれば、わたしをあなたの前に呼び寄せて防護させるに十分だと知りなさい。
13.わたしにしがみつきなさい。そして、あなたには準備ができていないとか、「十分な御言葉」を持っていないなどと敵に言わせてはならない。あなたはわたしを持っている。わたしはわが言葉そのものであり、またあなたが受け取る預言の声だ。完全なる所有と天国的思考の鍵を呼び求める時には、あなたがわが言葉を持つだけではなく、言葉もまたあなたを所有しているのだ。強めと慰めの言葉を最も必要とする時にそれらをもたらすわが能力を過小評価してはならない。
14.これは壮絶な戦いだ。冥府のすべての悪鬼たちがこれを見ようとひしめき合い、彼らはファミリーの子供たちを滅ぼすというゴールに向けて一見勝ち取ったかのように見える領土に大喜びしている。しかし最後に笑うのはわたしであり、あなたは彼らが去ったずっと後も笑い続けるだろう。覚えていなさい、わたしはすでに勝ったのだ。サタンは地上で権力を握ろうとするが、それは一時的に過ぎず、わたしは彼が自分の行程を行き尽くした後に時の終わりを来たらせ、わが支配を打ち建てるためにそれを許しているだけである。
15.放送された嘘は、ファミリーの子供達が虐待の危機に面しているという点に焦点を当てているので、今、あなたは自分の息子のことに思いが集中している。しかし敵の言いまわしがどうであれ、あなたがたはわが名のために苦しんでいることを覚えていなさい。クリスチャンであること自体が犯罪となる国に住んでいたなら、敵対者たちはあなたを攻めるのにここまであくどい手段を用いなかっただろう。ただ悪魔があなたに対して怒っている真の理由、つまりあなたがわたしのものであり、他の人たちをわたしの下に勝ち取っているという事実ゆえに、あなたを非難したことだろう。だからある面では、こうした特定の虐待をめぐる争議や嘘に対して事前に備える必要はあるものの、もしこの路線でなかったなら別の路線が用いられていただろうという事実を見失ってはならない。今回はたまたま、このようなマスコミの扇情主義を大いにあおり刺激する最も繊細な論点に的が絞られたのであり、敵対者たちはこの路線を取っているというだけのことだ。
16.これは実際に宗教的迫害の問題であるという事実を見失ってはならない。あなたがたが迫害に遭っているのは、ファミリーの一部で不正行為がはびこっていたせいではなく、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」というわが指令を遂行しているからなのだ。
17.だから元気を出しなさい! わたしに望みを託す者たちはすべて、わたしを見上げなさい。そうすれば心を強めてあげよう。あなたは今苦しんでいる。父、また母であるあなたがたの感じるストレスだけでも困難なものだ。しかし、それはあなたがたをわたしの近くに引き寄せる。そして、わたしたちは共にそれを切り抜けるだろう。
18.わたしは、あなたの幼い息子が決して連れ去られることはないとは言わない。わたしのために苦しんだあらゆる時代のクリスチャンたちや、また現代でも中国のような地域に住むクリスチャンたちのことを考えてみなさい。彼らは投獄され、子供たちを後に残して自分で自分の面倒を見させなければならなかったり、自分たちが強制収容所に送られたために、子供たちから引き離されたりもした。しかしそれでもなおわたしを見上げたので、彼らは力を授けられた。
19.この世はあなたがたの故郷ではなく、一時的な住まいに過ぎない。あなたは息子を愛していて、もしも息子から引き離されたら、と思うたびに恐怖感に襲われるが、あなたに言おう、わたしが彼を保護すると。わたしは彼と共にいる。困難を免れさせ、昼も夜もわが腕に優しく抱きかかえよう。あなたの手が彼に届かない時にも、わが両腕は彼をしっかりと包み込むだろう。
20.彼があなたから取り去られると言っているのではないが、あなたは、何が起ころうとわたしはあなたが愛する以上に彼を愛していると信頼すると心に決めなければならない。彼はわが目に非常に尊い創造物であり、誰であろうと彼の命に少しでも害を加えるか、滅ぼそうとする者の上には大いなる災いが下る。過去の強制捜査であなたの兄弟姉妹が連れ去られた時にわたしがあなたに全き平安と信仰と恵みを与えたように、たとい息子から引き離されるようなことがあっても、わたしは再び「人知を超えた平安」を与えることができると信頼しなければならない。
21.これはあなたにとって、「もしそうでなくても、私はなお主に信頼する」の節のようだ。いったんわたしに対してそのような立場を取ると決まったなら、敵は、恐れや、わたしに守ってもらえないという思いであなたを攻めたり誘惑したりできないので、あなたは全き平安の場を見出すだろう。わたしはあなたを無防備な状態にはせず、孤児にはしない。わたしは決してあなたの幼い息子を見捨てない。先の見通しがどうあれ、見上げるなら、上の見通しは常に明るく天国的であり続けるだろう。
22.とはいえ、敵があなたに望む運命に身を任せるべきだというのではない。逆に、心をしっかりとわたしに留め、軍服をまとい、わが鍵と真理によって武装して出て行き、敵に戦争を挑むようにとあなたを召す。サタンが爆撃してくる時は、立ち上がって戦いなさい! そうすれば勝利するだろう。最も深い暗闇は夜明けの直前だが、夜明けはとても明るい。勝利の時は必ず来る。自分たちやわが仕事に害を及ぼそうとする者たちに公正な裁きが下るのをあなたは見るだろう。
23.感情に屈服しそうになったら、今が戦時であることを思い出しなさい。泣いてばかりいれば真理を語ることはできないのだから、鍵を使うなら負けることはないと覚えていなさい。敗北はないのだから、自分がすでに負けたか、これから負けるかのように泣き出すのはやめなさい。負けはあり得ない。わたしがあなたの内にいて、わたしは2千年も前にすでに勝利しているからだ。
24.わが羊に真理を聞くチャンスを与えなさい。敵に語るのではなく、心がまだ定まっておらず、これらの中傷的な作り話のもう片方の言い分を聞くという公平なチャンスを必要としている人たちに真理を告げなさい。わたしに栄光を帰すためにそうしなさい。わたしが高く上げられるなら、すべての人をわが元に引き寄せるからだ。あなたがたの救援活動による良い行いだけではなく、信仰と希望と慰めと愛を、それらを持っていない人々に与えるという、霊的な働きについて説きなさい。
25.証しすることを恐れてはならない。単にあなたの信仰や、それがどれだけあなたにとって尊いものであるか、またそれがいかに自分の人生を変え、他の人の人生も変えるのを見てきたかについて、どこでもできる限り証しする方が、これが宗教的迫害であることを説明しようとするよりもいいぐらいだ。わたしの羊はあなたがたのテスティモニーや誠実さ、確信を通してわが声を聞き、わたしについて来るだろう。
*
26.(イエス:)最大の脅威は子供たちが連れ去られることではなく、それに対する恐れであって、あなたはわが力によって恐れを退け、払い除けなければならない。「イエス様、私はあなたの愛情深いパワーに信頼します。究極的には益をもたらすものでない限り、あなたは決して私や私の尊い子供たちに何事も起こさせません」と心から言えるようになれば、あなたは今まで知らなかったような大いなる力を受けるだろう。
27.恐れは壊滅的だ。それは戦う気力を奪ってしまう疾患のようだ。恐れは敵の強力な戦術だが、あなたはわが言葉と天的思考のパワーと、完全なる所有によってそれを無効にし、使いものにならなくすることができる。
28.あなたの子供はわたしのものだ。そして世界中のどんな力や施設もあなたの赤ん坊からわたしを引き離すことはできない。あなたはこのパワーの内に安らぐことができる。あなたはこのパワーを信頼することができる。このパワーは、あなたが超越し、心痛の只中にあってもわたしを賛美し、たゆまず戦い続けるのを助ける。それゆえ、敵があなたの尊い目の玉に触ろうとするなら、あなたが霊の内で彼にバシンと強力な一撃を食らわすので、彼とその部隊はその打撃によろめくだろう!
29.わたしが霊の戦争のためにあなたがたに与えたパワーを軽んじてはならない。それは実際に感じ、見ることができるものだからだ。わたしが約束した即座の助けはすぐそこにあり、天的思考のパワーはあなたがたの貴重な財産となり、賛美の武器はあなたがたに代わって戦ってくれ、預言の賜物と「すべてにおいてわたしに尋ねる」ことは、邪悪な悪魔のあらゆる陰謀をくじく究極の兵器となり得る。
30.あなたは、その時々にどう行動するのが最善かを知ることは決してできない。直接で最新の指令と指示をわたしからもらわなければならない。わたしは悩みの時のいと近き助けだ。だからあなたが何をすべきかを、正確に、それが必要なまさにその時にわたしが示すという確信と全き信仰を持ちなさい。「混乱させられ」たり、ショックを受けたり、あるいは動揺して行動に出るのが遅れることを恐れる必要はない。あなたの感覚は研ぎ澄まされ、スピリット・ヘルパーたちは常に近くに控え、わが膨大なパワーが、あなたの祈りによる嘆願のほんのわずかなタッチによって解き放たれるだろう。
31.だから、わたしが祝福として与えたこれらの小さな者たちを今大切に腕に抱きかかえるわが兵士たちよ、勇気を出しなさい。邪悪な悪魔の熱い息がどんなに間近に迫ったとしても恐れてはならない。わたしは勝者であり、あなたのためにわが強さを表すので、サタンがあなたの幼な子たちにいかなる苦しみを与えようとしても、彼自身が痛い目に遭うだけだ。
32.(ママ:)児童福祉局の訪問を受ける可能性について考えているなら、恐れるべきではありません。皆さんが子供たちを愛していて、彼らをよく世話しており、十分な教育を与え、またファミリー・ホームの子供たちは実際、幸せでよく世話されていますが、そのためにありとあらゆる事柄を注いでいるなら、何も心配ないはずです。どんな当局者からの訪問を受けても、皆さんの子供たちの内に見る見本は、彼らのいかなる危惧や、吹き込まれている誤った情報も即座に和らげるでしょう。
33.事態に備えてあれやこれやをしなければ、と心配する必要はありません。皆さんが子供を世話し育てるのに最善を尽くし、またホームがCP/FEDの評価基準に生きるために最善を尽くして努力し、また子供たちに与えた世話や教育が最新の学業記録で忠実に文書化されているなど、その他、主が重要と示された様々なことを行っているなら、主が残りをされると信頼できます。皆さんは何も間違ったことをしていません。違法行為は何もしていません。子供たちは安全で幸せな環境で育っています。CP/FEDの評価基準は優れた基準を表しているので、必ず綿密な調査に耐え得ます。
34.また、PRや人前で話すことや当局と接するのに特別な賜物はいりません。子供たちを正しく育てるという自分の分を果たすなら、主は皆さんと子供たちを守るために御自身の役割を果たされるでしょう。ですから、実際面で手を尽くし、なお恐れや心配を感じているなら、そう感じさせているのは敵だとわかります。主は皆さんを守られ、また主の御言葉への従順は、皆さんと子供たちの身の安全を最も確実に保障してくれます。自分の分を果たし、主にすべてを委ね、主の世話と保護に信頼するなら、主は皆さんと子供たちを世話して下さるのです。
35.(イエス:)愛する親たちよ、わたしが求めるのは、子供たちを愛と思いやりとわが言葉の基準に沿って育てることだけだ。わが指示通りに彼らの必要を満たしてあげなさい。それは今CPとFEDの評価基準で一層明確に示されている。そしてあなたがたが自分の分を果たすなら、わたしもわたしの分を果たすと信頼できる。子供たちに注ぎ出し、わが言葉の指針と自分たちの住む土地の法律に沿って彼らを世話するなら、決して何も恐れる必要はない。
36.敵が心配や恐れで誘惑するなら、感情面や実際面、また教育面や霊的な面であなたがたが子供たちに与えた素晴らしい教育法を思い起こしなさい。もし子供たちが児童福祉機関やその他の当局者と接触するようなことがあれば、その時には彼らが受けてきた優秀なトレーニングが声高に語ってあなたを擁護するだろう。あなたがたの子供たちが愛され、よく世話され、良き保護下にいるという事実は否定できない。実際面で自分の分を果たし、何よりも祈りと鍵を要求することによって保護を求めるなら、敵のどんな企みも、あなたがたと小さき者たちの勝利へと転じるだろう。
37.子供たちはあなたがたの最強の証しであり、テスティモニーだ。彼らは何よりの証拠であり、わが愛と純粋さの光であり、ファミリーが受け継いだ良きものと教育の見本として明るく輝くだろう。
38.(ママ:)児童福祉局のことで伝えたかったもう一つの大切なポイントは、彼らに対する私たちの態度についてです。過去に何人かのファミリーの子供たちがこれらの局員によって連れ去られたので、彼らが「敵対者」であり、全員が「非敬神的」で、皆さんの子供に害を及ぼす敵の手先であると感じてしまうのは自然なことです。けれどもこれらの機関で働く人々をそういう目で見ないことは大切です。過去に間違いを犯して私たちの子供を連れ去った人たちもいましたが、それは単に自分のすべき仕事を遂行していたからに過ぎません。彼らは私たちの背教者や懸念した周囲の住民たちから誤った情報を受け取り、それに応じて行動したのです。ほとんどの場合、彼らは私たちの子供たちに害を与えることは望んでいませんでした。けれども、子供たちが危険にさらされていると思ったので、そうでないことを確かめるのは彼らの職務であり、責任だったのです。
39.子供が危険な状態にあると思われるなら即座に行動に出るのが児童福祉機関の方針です。ファミリーの場合、これらの機関は、厳しすぎるか、全体像を知らずに行動に出ました。でも、何年間も思いやり深く理解があり、また慎重な行動を取ったケースもありました。つい最近、訪問を受けたホームさえ幾つかあり、それは良い経験となりました。児童福祉機関は自分たちの目にしたものに満足し、私たちの素晴らしい子供たちに喜ばしい驚きを感じていました。
40.ですから、児童福祉機関に協力的である方が賢明です。彼らは自分たちの仕事を行っているに過ぎないのですから。できる限り彼らに協力しましょう。必要な情報を提供するのです。理性的で祈り深くあって下さい。不必要に対立的な態度を取ってはいけません。それは裏目に出るだけです。オープンで率直でいてはいけない理由などないのですから、そのように振舞えば、あなたの子供たちがよく世話されていて、虐待とは完全に無縁であるのが彼らにもわかるでしょう。
41.児童福祉機関はただの怖くて悪い鬼ではないことを覚えていて下さい。彼らは大抵、その地域で素晴らしい働きをしています。また実際に虐待を受けている世界中の大勢の子供たちを救っているのですから、それに対して敬意を払いましょう。彼らは子供たちが虐待を受けている形跡を見つけ出すよう訓練されているので、皆さんの子供たちを見るなら彼らが虐待されていないことがはっきりとわかるはずです。ですから、彼らにチャンスを与え、子供たちを見せ、仕事をやらせて真実を解明させるのは賢いことなのです。皆さんには隠すべきものなどありません。ただ自分たちと子供たちの光を輝かせましょう。児童福祉機関の人々が皆さんの「良い行い」を見て、一切問題がないことを悟るように。
42.このGNを制作している時、あるメディア・チームの人がこのポイントについて次のような意見を書いてくれました。
43.(メディア・チームより:)児童福祉機関の訪問を受けたなら、彼らが「敵対者」であると決め付けて行動しないよう提案します。ほとんどの場合、彼らは自分の職務を遂行し、私たちの背教者や懸念を感じた住民らの苦情に応じているに過ぎないのです。例えば1993年に、社会福祉局員らが悪意ある背強者の苦情により、あるホームに最初の正式な訪問をした時(彼らはその後二度も来ました!)、最初の反応として、敵がい心を見せ、捜査令状なしには中に入れないと彼らに告げるという反応をした大人がいました。これは全く良い効果を生まず、相手も同様の態度で応じて、この兄弟に脇にどかないなら質問抜きで子供たち全員を連れ去ると言ったのです。
44.言うまでもなく、彼は局員を中に入れ、彼らは子供たちに質問する時間を取り、子供全員に会ってから、自分たちは「本物の虐待」の捜査に出て行くと言いつつ、肯定的なムードで去って行きました。この際非常に好印象を与えたのは、子供の一人である12歳の女の子が本格的に攻撃に出て、自分たち(子供たち全員)が幸せで、両親を愛していることなどを、確信を込めて大胆に福祉局員たちに告げたことでした。社会福祉局員はこれによって一件落着とし、質問を終えました(質問は合わせて20分間続きました)。(後日、同じ背教者たちが申し立てを続けた結果として再び当局の訪問を受けた際に、私たちの弁護士が郡保安官に苦情の手紙を送り、彼らが謝罪の手紙を送り返して来たことで、その件は事実上解決しました。)
45.他にも、ここ数年間に同じような経験をしたホームがありましたが、社会福祉局の訪問は肯定的な雰囲気で終わり、またそれは子供たちが信仰のために立ち上がり、大胆に自分たちの光を輝かせる機会となりました。
46.もちろん、当局者が背教者たちの恐ろしい作り話や根拠のない訴えによって誤り導かれ、最悪の事態を想定しつつ対立的な雰囲気でホームにやって来て、道理にかなった接し方ではらちがあかないようなら、関係者たちは祈って、弁護士と相談した上で攻撃的な姿勢を取ることを考慮できるでしょう。でも、そのような調子で応対を始めることはかなり自己防御過剰で、私たちにとって不利になります。ほとんどの場合、彼ら当局者たちが捜査を義務付けられているこれらの苦情は、私たちのオープンさやクリスチャンとしての見本、そして私たちの子供たちの素晴らしい見本によってすっかり効果を失い、短い訪問の後にその件は解決してしまうのです。
47.私たちは長年の経験により、好戦的な姿勢が必ずしも最善ではなく、自分たちの大義に人々を勝ち取るよりは、かえって離れ去らせる結果となり得ることを学びました。それは彼らの目に、積極的な行為というよりは自己防衛的に映るのです。ですから、他のあらゆる場合と同様、このような事柄に関しては主(そして弁護士)とカウンセルする必要があります。
48.80年代の末にある国で起こった強制捜査では、私たちはコーヒーを出して局員に証しし、その結果非常に好意的な友人を勝ち取ることになりました(秘密警察の一員です)。そして、彼はその後の強制捜査について、それが起こる数ヶ月前に前もって警告してくれたのです。彼に会わなければ、特別な人物に証しするという絶好の機会を逃していたことでしょう。子供たちは彼への輝く見本でした。しかも同じく私たちから証しを受けた社会福祉局員は、子供たちを連れ去る代わりに、数人の大人のメンバー(私たちと拘置所には行かず、子供たちとホームに留まっていた人たち)に世話を任せたのです。私たちは数週間も拘置所に入っていましたが、子供たちはこれらの兄弟たちと共にホームにいて良い世話を受けられたので、これは非常に大きな祝福でした。
49.身の毛もよだつような事態を描いた非常にネガティブな情報によって行動を余儀なくさせるよう、こうした訴えを申し立てて当局を扇動している張本人は、しばしば私たちの敵対者たちだと思います。一般的に言って、児童福祉機関の立場に立って考えるなら、おそらく彼らは捜査しなければ無責任であると判断されるのでしょう。
50.念頭に入れるべきもう一つの要素は、第三諸国の児童福祉機関は西洋化された国々のそれとは非常に異なるということです。しばしば第三諸国は西洋化された国々よりも親子の結びつきや、家族を引き離さず一緒にしておくことを重んじます。多くの場合、第三諸国の児童保護機関は独立した存在ではなく、重要度の低い事柄を扱う裁判所の一部門に過ぎず、その権限ははるかに制限されています。ある特定の政府機関が振るえる権限は、世界の国々や地域によって異なるのです。
51.(ママ:)このテーマに関して主はさらに次のように言われました:
52.(イエス:)この世は虐待者で満ちており、これらの児童福祉機関や保護機関で働く人々は非常につらい仕事をしている。彼らの多くは善をなし、弱者や無力な者たちを救おうとしている。また、それがただの仕事に過ぎず、心がかたくなで冷淡になっている人たちもいる。また、その仕事によって、他の人たちに対して権力を振るえるのを楽しむ者たちもいる。児童福祉機関というのは、自分たちの仕事を果たしている人たちの集まりであることに気づくのは大切だ。そして、その仕事を良く行う人もいれば、そうでない人もいる。
53.だから、これらの局員たちを「敵対者」と見なしてはならない。ほとんどの場合、彼らは邪悪な世界において非常に困難な仕事を遂行しているのだから。彼らは最悪の、最も痛々しいケースを扱っているので、多くの理解を必要としている。とはいえ、あなたがたは彼らの仕事の困難さに理解を示すと同時に、強い確信を持つことができる。確固とし、しかも親切でありなさい。わたしを求めるなら、どんな状況でもどう振舞うべきかを示そう。
54.(ママ:)また、新宗教運動、特に共同生活をしている宗教グループにとって、児童福祉機関から綿密に調査されることは珍しくないと知っておくのは大切です。この風潮は数々の研究結果に記されており、ファミリーに限ったことではありません。ファミリーでは、子供たちを一般社会とは異なる様々な環境で育てるので、それが、子供たちが良く世話されているのを確かめたいと望む児童福祉機関の注意を喚起するのです。時として、単に私たちが子供をホームスクールで教えていることなどの共同生活の一面に好奇心をそそられ、興味があるだけということすらあります。
55.新宗教運動の生活様式や育児法のゆえに児童福祉機関が好奇心を持つのは珍しいことではないので、皆さんと子供たちも、自分たちがおそらくいつかは何らかの訪問を受ける可能性があると見て備えておくべきです。「備える」といっても、言うべきことや言うべきでないことのリストを作ったり、起こり得るあらゆる訪問の筋書きを考案するという意味ではありません。ただ子供たちが御言葉に根付いていることを確実にし、彼らをよく世話し、彼らが年相応の教育を受けており、自分の学年や自分が受けているホームスクールのプログラムや学習しているコースやその他様々な事柄に通じていることを確実にして下さい。先にも言いましたが、基本的にはFEDとCPの評価基準を満たして、信仰と信頼を主に置くことが本当に必要な準備のすべてです。どのように「備える」かについてもっと助けが必要だと思うなら、あなたの状況に見合った実際的な秘訣を主に尋ねるか、あるいは何か質問があれば、FEDやCPボードに連絡を取ることさえできます。
56.あなたの子供たちや、彼らが当局者たちをどう見ているかに応じて、当局者に対するバランスの取れた健全な敬意を子供たちに植え付けるにはどうすればよいかを祈ってみるのはよいことでしょう。つまり、当局者たちが地域で行う仕事のゆえに彼らに敬意を払うよう子供たちに教え、同時に彼らを恐れたりしないことを確実にするのです。たとえ何らかの理由で警官や児童福祉局員の訪問を受けたとしても、彼らが恐れずに、安心して「自分たちの光を輝かせる」ことは大切です。警官や彼らが平和を維持し、問題を起こす人々を阻止するために行う仕事について学べるよう、もしまだしていないなら、子供たちを地元の警察署に見学に連れて行くことさえできます。
57.ファミリーは過去に、子供たちを当局や社会福祉局員の訪問に備える面で少々行き過ぎたかもしれません。けれども、何を言うべきか、あるいは言うべきでないかについて子供たちが正確に知っているかどうかをそれほど心配する必要はないと思います。ホームが訪問を受けたなら、子供たちはただ真実を心から語り、当局者や児童福祉局員に対して正直でオープンに振舞えばいいのです。隠すことなど何もないのですから。皆さんの子供たちの見本は、彼らの言葉よりもずっと声高に語るでしょう。
58.以下は北アメリカのメディア・チームが2003年に地域のホームに送ったアドバイゾリーの抜粋です。一部のカウンセルは特定の地域の必要に合わせて書かれていますが、全体的なカウンセルと原則は世界中のどの地域にも当てはまります。また児童福祉機関にどれほどの権限があるのかを知るために、自分たちの住む地域の法律に通じておくのは価値あることであり(パラグラフ50で述べたように、西洋化された国々と第三諸国とでは、対処の仕方がしばしば非常に異なるので)、それによって訪問の際にどのように振舞うべきかをさらに詳しく祈ることができます。
59.もちろん一番大切なことは、訪問を受けたなら祈り深く良い見本でいることです。敵意ある態度は普通良い実を結ばず、むしろ裏目に出ます。このような状況では大抵、正直さとオープンさをもって対応するのが最善なのです。
60.(北アメリカへのアドバイゾリーの抜粋:)大半の州や地方において社会福祉機関はかなり広範囲に渡る権限を有しており、彼らには機転と外交術をもって接する必要があります。私たちのエリアで、社会福祉局の調査にどのように応じるべきかという質問が持ちあがりました。Home School Legal Defense Association(ホームスクール擁護協会)(HSLDA)のウェブサイト(www.hslda.org.)で与えられたカウンセルでは、社会福祉局に対してドアを開けるべきではないとか、捜査令状を要求することなどが提案されていたからです。
61.幾つかの州の様々な法律や社会福祉局に与えられている権限についてリサーチした結果、私たちは皆さんのホームがこの件を多くの祈りと思慮深さをもって扱い、どう行動すべきかを主に尋ねるよう提案します。HSLDAのカウンセルは原則としては当てはまりますが、周到なものではありません。特に私たちファミリー・メンバーが直面する状況は、しばしばホームスクールの問題に関してだけに留まらないからです。
62.皆さんのホームは、ドアを開け、何も隠すものはないという事実を裏付けて、オープンで礼儀正しく振る舞い、子供たちの暮らす素晴らしい環境に自信を持てばよいと主に導かれるかもしれません。社会福祉局はファミリーの子供たちを何百人も取り調べましたが、懸念に値するものは一度も見つけられませんでした。時おり局員らは威圧的に振舞いますが、一般社会では多くの子供たちが実際に虐待を受けているので、そうするのが彼らの仕事なのです。けれども事実は事実です。私たちの子供たちは虐待などされておらず、素晴らしい教育を受け、人々から愛されよく世話されている、幸せで順応性や社会性がある子供たちです。それは世界中の法廷で確証されてきました。
63.このことが心配なら、自分の住む地域や州の法律をリサーチできます。このレターには、育児怠慢や虐待などの告発に応じて社会福祉当局員に与えられている権限についての、ある州の法律を含めました。読めばわかりますが、個人は捜査への協力を拒否できるし、局員が協力を強制するには法廷に書類申請する必要があるものの、実際には児童保護局員は個人の許可のある無しに関わらず実態を追求するよう義務付けられています。
64.もちろん、彼らにそういう余分な手間をかけさせるなら、捜査は本来よりもさらに敵意に満ちたものとなるでしょう。ですから、このような調査にどう応じるかを決める際には、バランスをもって慎重に考慮することが肝心です。当然、多くのことは、戸口に来る人が有する権限にかかってきます。
65.またほとんどの場合、彼らは虐待の申し立てに応じて調査を行い、未成年者の無事を確認するという責任を果たしているに過ぎないと覚えておくのは大切です。繰り返しますが、私たちにできるのはただ、祈ってあなた自身の個人的な状況や信仰について主に尋ねることの重要性を強調することだけです。
66.以下は、児童保護当局員に与えられている権限に関するヴァージニア州の法律の一例です。
ヴァージニア州法は、児童保護当局員が家庭調査をする際の補助として、彼らにある程度の権限を与える。各権限には制限や条件が伴う。局員がそれらの権限をどの程度行使できるかは、概して法廷にかかっている。例えば、局員が家庭を調査したり、自分たちと話すことを個人が拒むなら、局員は捜査に協力するようその個人に要請してほしいとの嘆願書を法廷に申請する。ここで強調したいのは、個人が協力を拒んだとしても、地元の機関が家庭調査を最後まで遂行する責任から解かれることはないという点である。それらの調査は虐待や遺棄などの正当な報告に基づいて実施されていからだ。(VIRGINIA DEPARTMENT OF SOCIAL SEVICES 96 of 285 Child Protective Services Volume VII, Section III, Chapter A January 2003.)
22VAC 40-705-60 (1). [正当な苦情や報告に応じる際に、地元の機関は次のような権限を有しています。] ヴァージニア州法の§63.2-1518にある通り、両親やその他の養育者の同意や同伴なしに、虐待あるいは遺棄されている疑いのある子供や、その兄弟姉妹の誰とでも話すことができる。(VIRGINIA DEPARTMENT OF SOCIAL SEVICES 95 of 285 Child Protective Services Volume VII‚ Section III, Chapter A January.)(以上、アドバイゾリ-の抜粋)
67.(ママ:)児童福祉局からの訪問を受けたり、彼らが子供たちを調査のため連れ去ったりした場合、必死に主から聞くことがどれだけ大切であるかは、いくら強調しても足りません。それ以外の方法は考えられません。自分自身の計画や正しいと思うことに基づいて肉の腕で行動するなら、物事がさらに困難になるだけでしょう。「子供たちのために戦う」ために自分はこうするだろうという考えがあるかもしれませんが、動機がどんなに素晴らしくても、その中に主がおられないなら失敗に終わると覚えていて下さい。怒って苛立ち、感情に支配されると、明確に考えたり、主が望まれることを行ったりできません。ですから、そうした状況では、それが主の御心であることが確実でない限り、単に直感に従うのではなく、どう行動するかについて非常に祈り深くあることがとても大切です。
68.きっと混乱してしまい、素早く適宜に行動できるほど鋭敏でいられないのではないかと心配することはありません。主と波長が合っていて、主に目を留めているなら、主はどうすべきかを示して下さいます。このような試練の時に直面するなら、主は御心を非常に明確にして下さるでしょう。すべきことを事前に知っている必要はありません。こうした嵐に耐え抜くために助けや導きが必要になれば、主が与えて下さいます。主と真理こそが皆さんの防護なのです。
69.主に頼らず、霊の武器を用いていないなら、あなたの「肉の腕」によるあらゆる手段はまったくうまくいかないでしょう。祈りにすべてがかかっているかのように祈らなければなりません。敵を倒すために賛美の武器を用いなければならないのです。賛美の武器は困難な状況で最も効果があります。それは敵を打ち負かし、あなたが超越して勝利を得るのを助けます。皆さんは自分の手にしているパワフルな鍵に頼らなければなりません。一挙一動において主に聞くことで預言の武器を活用しなければならないのです。霊の武器を用いることが最も効果的な攻撃法です! それらの武器は即座に勝利へと道を開いてくれるでしょう!
70.(イエス:)子供たちを救うために自分自身の考えに頼ってはならない。わがパワーに比べればそんなものは取るに足りないからだ。わたしが許可し、承認したのでないなら、あなたの考えや行動はただ妨げになるだけだ。あなたが素晴らしいアイディアだと感じ、子供たちが児童福祉当局に身柄を拘束されるような状況において自分たちを優位に立たせるように見えるものは、かえって不利に働いて戦いをより困難にしかねない。だからあなたはわたしに、わたしだけに頼らなければならない。何をするにもまずわたしに尋ねなければならないのだ。どう動くかや何をすべきか、また子供たちを守り、彼らのために戦うには何が最善であるかをわたしに尋ねなさい。
71.感情に圧倒され、影響されてはいけない。感情に影響されずに、超越して祈り深く賢い決断が下せるように、わがパワーを求めなさい。あなたはどうすればそうできるのかと思っている。今の自分にそんな能力はないと感じるからだ。こうした状況に直面したなら、その時に能力が与えられるとわたしを信頼しなさい。わたしはあなたに恵みが必要な時にそれを与えるが、それ以前にではない。
72.今の時代に覚えておくべき最も大切なことは、わたしがあなたの救いであることだ。自分のではなく、わたしとわが計画とアイディアを信頼しなさい。自分の強さでことを図ってはならない。わが強さに信頼するなら、時が来ればわたしがあなたを完全に所有するだろう。
[ボックス:]
賛美の重要性
73.(SGAの母親からの手紙の抜粋:)ママ、私は自分の赤ちゃんが連れ去られて、非敬心的な施設に、一時間でも、ましてや一日や一週間、あるいはそうならないよう神に願いますが、数ヶ月かそれ以上も入れられることを考えると、当然感情的になってしまいます。実際にどうすべきかをあれこれ考えながら、賛美の武器をどう用いるだろうかともよく考えます。このことは、起こり得る内で最悪の事態の一つなので、とてつもなく大きなチャレンジです。それが起こった時に賛美の武器を使うなら、きっととても力づけられると思うのです。母親として自分がしっかりしなければならず、またもちろん祈って嘆願し、導きをもらうためにイエス様に思いを留めていることが一番肝心なので、これにはまた超自然的な恵みも必要になることでしょう。
74.(イエス:)賛美はあらゆる戦いや困難においてあなたを切り抜けさせる。賛美は不敗の武器だからだ。敵の面前や試練のさなかでわたしをほめたたえる時、わたしへの信頼は強められる。わたしがすべてを支配しており、そばにいてすべての戦いであなたを助けることを思い出せる。心が混乱し恐れている時にわたしを賛美するのは至難のわざなので、敵はあなたの心を心配や懸念に浸らせるのが大好きだ。しかしわたしを賛美することによって、あなたは自分の心を、敵の恐れや心配や嘘に対して免疫性にできる。賛美を通して、たとえぞっとするような状況でも、希望とわたしへの信頼と、わたしがそこから益を生じさせるという信頼の態度で状況を見るので、困難な状況にあっても天国的なものの見方を受け取るのだ。
75.子供たちのことやその他の迫害に関する恐れから、不安や心配が心に入り込もうとするなら、敵に対して賛美の軍旗を掲げなさい。わたしがあなたの夫であり、子供たちの父であると自分に思い起こさせなさい。わたしは自分の者たちをかえりみる。賛美とわたしへの信頼とわが言葉と鍵が、困難な時と敵の攻撃を超越するための信仰の翼を与えてくれるだろう。賛美は恐れや心配を静めるので、この武器を攻撃的に用いなさい。それは迫害の時にあなたの命を救うだろう。賛美はどんな状況でも正しい見解を与えてくれる。それは敵の空しい嘘を追い散らし、あなたがわが約束の真理の上に立つのを助けるからだ。
[以上、ボックス]
76.(ママ:)ファミリーの皆さん、覚えていて下さい。何が起ころうとも、主が支配しておられることを! 共に働いて主御自身やあなたの益とならないもので、主があなたやあなたの子供たちの人生に触れることを許されるものは絶対に何一つありません。主はあなたを気にかけておられます。そして愛しています。主はあなたを見守り、あなたが主の言葉に従い、主に仕え、愛するために最善を尽くしているなら、また子供たちもそうするよう訓練しているなら、何も恐れることはありません。この要点、つまり何も恐れることがないという点は、十分強調し切れないほどです!
77.また、私が「御言葉に従っている限り・・・恐れる必要はない」と言う時、それは主の守りと保護を確実なものにするには完璧でなければならないという意味ではありません。常に100パーセント従順な人などいません。私たちは皆いたらない存在であり、多くの面で奮起する必要があります。けれども従おうと最善を尽くし、進歩に向けて努力していて、また私たちの愛する恋人、主の保護の力の及ぶ範囲内に留まっている限り、心配は無用だという意味なのです。主は皆さんと子供たちを守って下さるでしょう。
78.神が支配しておられます。神はあなたの人生や、あなたの気掛かりとなっているすべての事柄を支配しておられます。神はあなたの高きやぐら、防護であり、保護者また救出者です。そしてあなたと子供たちを世話して下さいます。あなたはその事実にしっかりと依存できます。主はあなたを見捨てず、その約束は確かです。ですから、恐れて生きるのではなく、むしろ信仰と信頼の態度を保てるように、平安と安定性の鍵を要求しなさい。
79.私たちの恋人、主からのもう一つのメッセージでこのGNを締めくくろうと思います。これらは励ましだけでなく、導きをも与えてくれます。それに続いて、今この時に私たちがその上に立ち、また必要があれば将来にも使うことができる新しい鍵の約束の幾つかを載せました。
80.愛する両親の皆さん、その信仰と戦う者の霊ゆえに皆さんを誇りに思います! きっとそれらが将来の障害やチャレンジを乗り越えさせてくれるでしょう! あなたの子供たちは主のものです。主は彼らの天の父であられ、御自分の者たちをかえりみられるでしょう!
私たちの力強き防護者であられる主、救出者にあって、
ママより
81.(イエス:)敵である悪魔は汚い手を用いて、懸命に、また自分のやり方で戦うことを覚えていなさい。一つの攻撃がうまくいかないなら、必ず別の手段を講じる。マスコミ戦争であなたがたを狙えないとわかると他の方法を用いてくるし、また様々な国の児童福祉局を行動に出るよう扇動して、私たちの子供たちに手出しすることをこの上なく好む。
82.しかし、敵の計画や、わたしが将来にあなたがたを最終的な勝利へと導くためにどんなことが起こるのを許すかにかかわらず、わたしがあなたがたの主であり、救出者であることを覚えなければならない。わたしはあなたがたの愛情深く思いやりに溢れた夫であるばかりか、子供たちの父でもある。わたしは彼らを世話する。わたしは彼らを愛している。また、あなたがた以上に彼らが安全で無事で守られているかどうかを気遣っている。だから、決して何も恐れるべきではない。
83.あなたがたの母性本能や父性愛が熱く燃えるのを感じる時、それは、わたしがあなたがたの子供たちを思う時に感じるものに比べれば些細なものだ。どんな者たちからのどんな危害や危険からも自分の子供たちを守りたいという強い衝動をあなたがたが感じる時、わたしの思いや、どれだけ油断なく彼らを守るかに比べるなら、それらは取るに足りない。あなたの子供たちはわたしが守る。彼らはあなたの子供であるばかりか、わたしの子供でもあるからだ。
84.わたしが支配していることを覚えていなさい。たとい敵である悪魔があなたに敵対して何らかの行動を起こすよう児童福祉当局を駆り立て、一時的に子供たちが連れ去らせさえするのをわたしが許したとしても、あなたと彼らは最終的にはわが証人となるであろう。
これらすべてを通してわたしは真理を広めることができ、あなたの経験する困難や試練を通して、わたしの羊はわが声を聞くだろう。あなたがたを見て知るようになる人々や、もしそこまで大ごとになればだが、ニュースであなたがたのことを耳にする人々の中には、わたしに惹きつけられる人もいるだろう。あなたと子供たちは、その信仰やポジティブさや忍耐、また愛や戦う者の霊や確信の見本ゆえに、他の人々の称賛と尊敬を得る。あなたを通して、多くの人々がわたしを知るようになるだろう。
85.そして、万一このようなことがあなたや子供たちに起こった場合には、わたしはそれを使って証しをあまねく行き渡らせる以外にも、あなたの敵対者たちの不義の杯が縁一杯まで満たされる過程を早めるだろう。わたしはわが子供たちに面倒を起こす者たちを快く思わず、彼らはわが義なる裁きを受けるであろう。あなたにとって最愛の人たちを一時的にでも連れ去ってあなたの心を砕くことで、彼らはわが最愛の人たちを取り去ってわたしの心を砕いているのであり、わたしはただ手をこまねいて見ているつもりはない。
86.ファミリーよ、この世のおきてに沿って行動し、人の法律に従わなければならないあなたがたとは違い、わたしは彼らの法律には縛られていない。この世が児童福祉当局にどれほどの権限を与えようと関係ない。何者かがわたしの幼な子たちに悪意を抱いて行動し、彼らの頭髪の一本にでも触るなら、わたしは素早く行動を起こす。子供たちをあなたの下に取り戻すために必要なことは何でもし、また、いかなる面でもその悪事に荷担した者たちにも、ふさわしい裁きが迅速に下るだろう。わが小さき子らの一人に手出しする者があれば、その者は首に石臼をくくりつけられて海に投げ込まれる方がましである。
87.わたしは、あなたの子供たちが決して手出しされないと約束することはできない。子供たちが一時的に連れ去られて取調べを受けることが決してないとは約束できない。また子供たちが児童福祉局によるいかなる不当な扱いにもさらされないと約束することもできない。わたしは人の選択を覆せないので、このようなことは将来起こるかもしれない。子供たちをファミリーから取り上げようとした過去の試みは、彼らの敗北、そしてあなたがたの勝利に終わったので、大半の政府や児童福祉機関は、今では賢明になり、ファミリー・メンバーの子供たちをそっとしておくようになったと思うが、あなたがたは敵である悪魔がこのようなことを再び煽り立てるのを許すべきではない。わたしは必ずそうなると言っているのではなく、そうもなりうるので、備えておくべきだと言っているのだ。
88.あなたがたはわたしに耳を傾けることによって備えることができる。こうなるかもしれないと不安を感じるなら、信仰を築く、あなたのための個人的な約束をわたしから受け取りなさい。子供を愛し気遣い、彼らにどんな害も及ばぬようにと必死に祈るあなたがたにとって、不安を感じるのは自然の反応だ。わたしは子供たちが児童福祉当局に拘留されるといった悲痛な経験に直面した際にあなたが主張できるような、個人的な励ましと導きの言葉を与えよう。
89.様々な面で自分たちの信仰を強めることで、備えていなさい。ずっと昔からわたしがわが子供たち全員のためにもたらしてきた勝利と解放について読みなさい。ファミリーが多くの法廷で戦った時の結果を学習し、わたしが過去に勝ち取った勝利を通じて、わたしが将来あなたがたに与えるであろう勝利に対する信仰を受け取りなさい。わが解放や超越する力についての約束、また、あらゆる戦いでどのように敵を打ち負かし、勇敢な兵士となるかについて読みなさい。忍耐や賛美、信仰と信頼、また勝利について読みなさい。
[ボックス]
レターリンク
[] 「恐れるな、わたしが共にいる」ML #2591, Lifelines 19
[] 「迫害を通じて賛美する」ML #3535: 6-38, GN 1124
[] 声明文:「試される宗教の自由」
[] 声明文:「宗教迫害:試される宗教の自由」
[] 「迫害を恐れてはならない」、パート1–3、FSM 210-212(抜粋)
[] 「バビロンでの勝利」
[以上、ボックス]
90.また、あなたがたは自分たちにどれほど備えができているかをわたしに具体的に質問し、わたしの答えを預言で受け取れる。このように尋ねると良い。ただ、こうでなければならないということはないが:「子供たちの教育法や与えた世話、教育をもっと書類に記録すべきですか?CP/FEDの評価基準で、ホームとして、また私自身が親として個人的に進歩するために守るべき点が他にもありますか?」 わたしはあなたや子供たちの性格、何に信仰があるか、住んでいる国など特定の要素に応じて異なるカウンセルを与えるだろう。そしてあなたがよくやっているなら、わたしはただ、その調子で頑張り続けるように励ますだろう!
91.今日何をすべきかを正確に知らないといって心配することはない。時が来ればわが計画を明確に示すからだ。預言の賜物はあなたがたにとって、かつてないほど生きたものとなるだろう。わたしはあなたが何をすべきか、またすべきでないかについて、具体的な指示を与える。あなたがた両親は今まで決してなかったほどはっきりとわたしの声を聞くだろう。わたしはそのように親密に関わるようになるのであり、そのようにして、幼き者たちを取り戻させるために、こうした試練の時にあってあなたがたを正しく導こうとして、それだけ固く決意するようになるのだ。
92.わたしはまた、他の新しい霊の武器を用いて積極的に戦うようにとあなたがたを召す。鍵を使うことは奇跡をもたらす。賛美の武器は、たとえ短期間であっても子供たちが連れ去られることによる当初の悲嘆を乗り越え、それを超越するのを助ける。わたしは涙と信仰のテストのただ中にあって、あなたがたに超自然的な恵みを注ぐ。子供たちのために強くあり続けるようにし、たとえ心の中では泣いていても彼らに信仰を表せるよう、超自然的に強めてあげよう。わたしはあなたがたが人知を超えた平安と、すべてはうまくいき、また、わたしが万事を共に働かせて益とすると知ることで得られる平安を子供たちに表せるよう助ける。
93.このようなことが起こった場合、あなたの反応が子供たちに大きく影響することを覚えていなさい。そうした状況に置かれるなら、内心どう感じようと、また子供たちを連れ去ろうとする者たちにどんなに怒りを覚えようと、信仰をもって子供たちを励ます必要がある。彼らに万事大丈夫だと告げなさい。実際そうなのだから。イエスが助け、救出すると告げなさい。わたしは実際そうするからだ。子供たちを取り戻すためにあなたがた両親ができる限りのことをすると告げなさい。わたしがそのためにあなたがたを塗油するからだ。大きく力強くパワフルなわたしが一緒にいると告げなさい。わたしは本当に彼らのすぐそばにいるからだ。わたしの近くに留まり、わたしに話しかけるなら、わたしが祈りに答えると告げなさい。わたしはそうするからだ。
94.花嫁たちよ、患難期があなたがたに訪れなければならないと考えると、わたしの心は痛む。子供たちが連れ去られて拘束され、しばらく取調べを受けると考えても、わたしの心は痛む。彼らはわたしのものであり、わたしは彼らを永遠の愛で愛しているからだ。しかしこれらのことが実際に起こったとしても、わたしが必ず子供たちと共にいる。あなたができない時も、わたしが彼らを支える。あなたにできなくても、わたしが彼らを慰める。あなたがそうできなくても、わたしが彼らに平安を与える。あなたがなれない時、わたしは彼らの父また母となろう。あなたがそうできない時でも、わたしは彼らを保護し、彼らの防護者となろう。わたしは決して彼らを離れず、捨てない。これはわたしが破ることのない、また破ることのできない約束だ。
95.このようなことが実際に起こったなら、あなたがたはわたしが自分の意志を成し遂げるためにそれを用いると確信できる。わたしは、世界に真理を示すため、またファミリーが、子供たちが暮らすのに安全で素晴らしい場所であることを、再度この世に証明するためにそれを用いる。またわたしは、世界と児童福祉当局やその他の機関に、ファミリーの子供たちは、良い教育を受け、順応性があり、はきはきとした、賢く、愛情深く、しかも創造性があってよく世話されている、世界でも有数の子供たちであると示すためにそれを用いるだろう。また、多くの者たちの不義の杯を満たすためにも使うだろう。わたしはあなたがたの汚名を晴らし、その善なることと正しさを世界中に宣言するためにそれを用いる。わたしはこのすべてにおいて、あなたがたと子供たちを守る。
96.花嫁たちよ、わたしに信頼しなさい! 世の人々はあなたを失望させ、児童福祉当局員はあなたを失望させるだろう。わたしには、世界中の全政府と保護機関を合わせたよりさらに大いなる権限とパワーがある。あなたがたの世界で権力をほしいままにしているように見える人たちもいるが、わたしに比べればちっぽけで無力な存在だ。彼らはいずれ自分たちの行いをわたしに告白し、わが小さき者たちとファミリーに対して働いた悪行のすべてに対して言い開きをしなければならなくなる。
97.花嫁たちよ、あなたがたの小さき者たちの保護のために祈りなさい。わたしが社会福祉当局員たちの心をあなたがたに対して好意的に保つよう祈りなさい。現在直面しているネガティブな報道が、彼らをあなたがたに敵対して行動に駆り立てないよう祈りなさい。わたしができるだけ長くあなたがたと小さき者たちを平穏に保てるよう祈りなさい。敵がそのような行動を起こすのを許さなくとも、わたしがあなたがたの汚名を晴らし、真理を布告できるよう祈りなさい。正しい決断がなされるよう祈りなさい。だが、最終的に物事が期待とは裏腹に進んでも、なおわたしを信頼し続けると決意しなさい。詳細に多少の変更はあれ、あなたがたの子供たちの安全と保護、またファミリーの名誉回復という最終的な結果は保証されている。
98.わたしは恐るべき、不敗の神だ。敵である悪魔がどんなに激しく戦い、また汚い手段を用いようと、わたしがあなたがたの大義のために戦う。彼は一、二度笑うかもしれないが、最後に笑うのはわたしとあなたがただ。敵は自分が勝っていると思っているだろうが、時が来ればわたしは彼を愕然とさせる。彼はあなたがたに危害を加えられると思っているが、あなたがたが反撃して彼とその策略を完全に打ち負かすためにわたしが与えるであろう霊的な強めに対しては備えができていない。ファミリーよ、敵はあなたがたを倒すためにベストを尽くすだろうが、彼のベストは決して十分ではない。彼は屈辱を受け、その計画は無に帰すだろう。
99.何があってもわたしに信頼しなさい。患難期は来る。あなたがたは困難な時期に直面する。わたしは決して楽な人生や、試練とは無縁の生活を約束しなかった。しかし、すべての嵐のさなかにあって平安を与えると約束しよう。悲しみの代わりに喜びを与える。最も困難な状況で超越できる力を与える。たとえ敵なる悪魔が猛烈な変化球を投げてきたとしても、戦って彼を打ち負かす能力を与えると約束する。勝ち目がなくても勝利を約束する。敵が優勢のように見える時に奇跡を起こすと約束する。あなたがたの歩む一歩ごとに、世話と保護と愛を与えると約束する。それらはどんな不幸が降りかかってもあなたがたを切り抜けさせてくれるだろう。
100.敵の「バァーッ!」という脅しの声に怯えてはならない。彼にできるのは「バァ-ッ!」と言うことだけだから。あなたにはわたしがついている! わたしは自分自身とわが言葉と鍵を与えた。わたしは宇宙で最強の力だ。だからわたしを信頼しなさい。わたしは敗れることがない。そして同じようにあなたがたにも勝利を保証しよう。あなたがたとその小さき者たちはわが手の内にいる。どこにいようと、またいかなる「火の燃える炉」を通ろうとも、煙の臭いすらつけずに出て来るだろう。この約束を信じ、心に留めなさい。あなたがたと小さき者たちの命がそれにかかっているからだ。(以上、メッセージ)
鍵の約束
101.悪魔の攻撃から子供たちを守るためのわがパワーは、あなたが鍵を使う時、頂点に達する。
102.わが力強い保護の鍵を呼び求めるなら、わたしがあなたの子供たちのボディーガードとなろう。非常に良い理由があり、何らかの形でわが栄光のために用いるのでない限り、わたしは何ものも彼らに触れることを許さない。
103.保護の鍵はあなたの子供たちを囲み、危害や危険から守る。悪魔が彼らの髪の毛一本にでも触るなら、それらは鋭い剣となって彼を打ち破るだろう。
104.誰かがわたしの目の玉、つまりわが小さき者たちに触るなら、わたしは即座に反射的に、しかも激烈に反応する。わが救出の鍵は勝利と名誉の回復をもたらすために直ちに作用するだろう。
105.あなたの子供たちが強められるように鍵の力を要求するなら、彼らは年齢を超えた成熟さで行動し、耐え忍ぶための恵みと、試練の只中での平安、困難の中での慰めを受け取るだろう。
106.わたしに寄り頼み、わが救出と勝利の鍵を呼ばわる者たちに、わたしは大いなる平安と忍耐と慰めを与える。
107.あなたの子供たちはわたしのものであり、わたしは人生で経験するどんなことからも彼らを切り抜けさせる。わが鍵は彼らを囲み、わが腕は彼らを支えて救うだろう。
Art by Tamar.